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まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

酒呑童子の夢/わたしの一句

2016-01-11 16:36:16 | エッセー・評論
酒呑童子とは鬼である。無類の大酒呑みであったため、そのように命名された。童子は多くの手下を従え、京都と丹波の境にある老の坂を拠点に都中を荒らし回った。一条天皇の御世に洛中の姫や若者たちが次々と神隠しに合うという事件が頻発した。朝廷は陰陽寮に占わせると、犯人は酒呑童子の一党であることが判明した。そこで源頼光らに命じて彼らのアジトに旅人を装って潜入させ、酒に酔わせて首を討ち取った。
 音楽が途切れ酒呑童子の夢から醒め
私は一九七〇年代の前半に大学入学のため上京した。当初、学生運動やカウンター・カルチャーの残り火の中に身を置いていた。数年を待たず世界も私自身の環境も大きく変わってゆくのに乗り遅れてしまい、日夜、ジャズ喫茶やコンサート通いに明け暮れていた。世界が否定のための主体の無効を告げ、私もまた否定のために世界と対峙する根拠を喪失し、時代の大きな足音を聞きながら、当時勃興しつつあったニューミュージックや歌謡曲、ジャズの渦巻く中で心身を癒していた。
そんな中で出逢ったのがフォークシンガーの友部正人であり、フリージャズのアルト・サックス奏者阿部薫であった。
 どこへ行くのかこの一本道
 西も東もわからない
 行けども行けども見知らぬ街で
 これが東京というものかしら
 たずねてみても誰も答えちゃくれない
        友部正人『一本道』

友部は後に谷川俊太郎に見出され、現代詩人としても脚光を浴びた。
そして阿部薫である。たまたま近くに住んでいた渋谷初台のライブスポットで、連日、彼のソロ演奏に浸っていた。その音楽の特徴はジャズの〈フォーム〉そのものを解体し、ニュートラルな空間の中で己れの意識(存在)を更新し、引き出そうとするものであった。ある時、彼は私の胸ぐらを掴んで「お前はここで何をしている。俺にぶるけるものを持っているのか・・」と問いただして来た。私は言った。「私は私の道を歩いてここまでやって来た。ここにはいつもあなたの音楽が鳴り響いている。」と。彼の妻は女優で作家の鈴木いずみであり、何時もライブに付き添うように客席の片隅に座っていた。1979年の安部の自死を追いかけるように、彼女もまた死んだ。この二人の姿は後に映画化されている。
それから、40年の月日が過ぎ去ったが、彼らの音楽は私の中で突然途切れたままである。【了】

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全てが始まり全てが終った/俳句のない1970年代記(1)~プロローグ5の始まり

2015-10-28 04:07:09 | エッセー・評論
私は1970年代前半に上京した。1960年代末から世界規模で巻き起こった学生運動やカウンター・カルチャー運動に憧れ、その渦中に身を置くことが目的であった。しかし、すでにその残滓を留めるのみであらかた終息していた。正確に言えば、1969年を頂点に、1970年~71年に完全な終焉を迎えていた。そのあと東京の大学や街頭の姿はどうであったか、そこから推測される大きな始まりと終焉はどのような過程を辿ったかについて書いてみたい。ちなみに私の俳句との遭遇は1979年のことであった。・・・《続く》

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個のリアルとしての俳句表現/巻頭言・私にとっての俳句(2)

2015-09-15 00:18:24 | エッセー・評論
五島の第一の錯誤は近代俳句の3要素を批判しながら、結社や季語が成り立つ為の【文化的共有感覚】を無批判に踏襲したことである。季語の詩語としての普遍性を言うなら、その【文化的共有感覚】そのものを否定すべきであった。詩語としての普遍性を持つために、季語は《季語》である必要はない。第二に、近代俳句の多様性を無視したことである。碧悟東・井泉水らの【新傾向俳句】は《自由律》《無季》として、すでに虚子の【有季定型】と鋭く対立していた。第三に、近代俳句の【有季定型】イデオロギーを支えて来た【結社制度】に替るものとして、インターネットの電磁(情報)媒体を掲げたことである。ネットを生み出す電磁信号(技術)自体が、日本民族特有の言語の定型性(=文化的原感覚)とは相容れないものであり、逆に排除・破壊するものであることへの無知である。
インターネットを成り立たせるのは、所与のものとしての電磁信号であり、やがて個有の発語の肉体性を奪ってゆく。つまり人間の個体性は不用になる。俳句においても、伝統的に《座》と呼ばれて来た発語と季感(語)の【文化的共有感覚】そのものが電磁(情報)媒体(=システム)にとって無用の長物に貶められる。そもそもインターネットとは、個々人が生み出したものではなく、米国を中心とするグローバリズムである【世界情報寡頭制】が日本国に分配し、その構成員である我々日本国民に使用義務を課した新たな社会規範である。短歌・俳句など日本語に特有の言語の《定型性》は、その起源にまで遡って脳内の言語中枢(=発語システム)のレベルで破壊されるだろう。
私たちは近代俳句における【文化的共有感覚】の内実としての《季語》《結社》に替って、分断された《個》の肉体感覚(リアル)にこそ回帰すべきである。俳句の伝統と前衛とネット文化を貫く【流れゆくもの】としての過渡的な《自我》の混在の中で、私たちが自らの【文化的共有感覚】の主体であるためには、俳句の《定型性》の薄れてゆく状況に背を向けることなく、それぞれの《個》の現在性として、その渦中に踏み止まる覚悟こそが求められている。【了】

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個々人の生活空間における一次感情の器/巻頭言・私にとっての俳句①

2015-09-13 20:54:57 | エッセー・評論
俳句とは何かについて書いてみたい。ただし俳句とは、あくまでも私にとっての《俳句》であることを断っておきたい。たとえこの場が、川柳を含む短詩型文学の《現在》を共有する空間であってもである。現代における《俳句》とは、常に個々人の生きて存る空間において自らの一次的な感情(即興感偶)を詠い上げるものでなければならない。したがってこれから述べることも、掲載される句群も全て客観性を持つことはない。持ってはならないのである。現在、そのことの精度によってのみ俳句定型に拠る発語は逆説として普遍性を持ち得るだろう。
前々号(70号)の巻頭言で、五島高資(「俳句スクエア」代表)は現在に至るまで虚子派によって結社(俳壇)イデオロギーとして流布され続けて来た【有季定型】【季題諷詠】の形式主義を相対化し、乗り越えてゆく場としてインターネットの電磁(情報)空間を、まさに鬼の首を取ったかのように掲げた。果たしてそうだろうか。・・・《続く》

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無意味・無価値な言葉の遊びにNO!/船団106号を読む(1)

2015-09-05 14:19:46 | エッセー・評論
サマージャンボ岩壁の母はもういない  まほろば   ※船団の最新号(9/1発行)が今日届いた。今号はいつもの通り自選7句(会員作品)が掲載され、全員参加の【特集・私の城下街】に小文と2句も載った。これで十分である。大きな経済的負担にもかかわらず参加しているのは、一にも二にも前身の『現代俳句』以来、坪内稔典氏の俳句革命に賛同しているからである。今回は年に一度の【船団賞】の発表号であった。受賞者は46歳と比較的年長者だった。短歌もやるそうだが、今年2月に東京高円寺の詩人ねじめ正一氏を囲んでの句会に飛び入り参加して1位となり、何とそれが初俳句であるという。作品20句も後ほどジックリ読んでみるが、自分などとは全くかけ離れた世界の存在である。何より句作との出会いといい、受賞の経緯といい全て即興的な出来事であるのがついて行けない。何のために、何をどのような必然性もしくは偶然性で句(詩)にしてゆくか共有、共感できるものは皆無である。彼の作品はTVを観ていて面白いコピーだな・・と一瞬目に止まることもない、空虚な世界の一瞬の人事にすぎない。そこから日々の生活や死活に何らかのインパクトを得られるというものではあり得ない。歴史や国語の教科書に載っている戦前・戦後の作品や人間群像の方がよっぽど面白い。そこには感動も共感もよく勉強したなという俳句史のエッセンスも何もない。その文字通りの空虚こそが坪内氏の目指す【俳句の現在】なのだろう。・・・《続く》

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