酒呑童子とは鬼である。無類の大酒呑みであったため、そのように命名された。童子は多くの手下を従え、京都と丹波の境にある老の坂を拠点に都中を荒らし回った。一条天皇の御世に洛中の姫や若者たちが次々と神隠しに合うという事件が頻発した。朝廷は陰陽寮に占わせると、犯人は酒呑童子の一党であることが判明した。そこで源頼光らに命じて彼らのアジトに旅人を装って潜入させ、酒に酔わせて首を討ち取った。
音楽が途切れ酒呑童子の夢から醒め
私は一九七〇年代の前半に大学入学のため上京した。当初、学生運動やカウンター・カルチャーの残り火の中に身を置いていた。数年を待たず世界も私自身の環境も大きく変わってゆくのに乗り遅れてしまい、日夜、ジャズ喫茶やコンサート通いに明け暮れていた。世界が否定のための主体の無効を告げ、私もまた否定のために世界と対峙する根拠を喪失し、時代の大きな足音を聞きながら、当時勃興しつつあったニューミュージックや歌謡曲、ジャズの渦巻く中で心身を癒していた。
そんな中で出逢ったのがフォークシンガーの友部正人であり、フリージャズのアルト・サックス奏者阿部薫であった。
どこへ行くのかこの一本道
西も東もわからない
行けども行けども見知らぬ街で
これが東京というものかしら
たずねてみても誰も答えちゃくれない
友部正人『一本道』
友部は後に谷川俊太郎に見出され、現代詩人としても脚光を浴びた。
そして阿部薫である。たまたま近くに住んでいた渋谷初台のライブスポットで、連日、彼のソロ演奏に浸っていた。その音楽の特徴はジャズの〈フォーム〉そのものを解体し、ニュートラルな空間の中で己れの意識(存在)を更新し、引き出そうとするものであった。ある時、彼は私の胸ぐらを掴んで「お前はここで何をしている。俺にぶるけるものを持っているのか・・」と問いただして来た。私は言った。「私は私の道を歩いてここまでやって来た。ここにはいつもあなたの音楽が鳴り響いている。」と。彼の妻は女優で作家の鈴木いずみであり、何時もライブに付き添うように客席の片隅に座っていた。1979年の安部の自死を追いかけるように、彼女もまた死んだ。この二人の姿は後に映画化されている。
それから、40年の月日が過ぎ去ったが、彼らの音楽は私の中で突然途切れたままである。【了】
音楽が途切れ酒呑童子の夢から醒め
私は一九七〇年代の前半に大学入学のため上京した。当初、学生運動やカウンター・カルチャーの残り火の中に身を置いていた。数年を待たず世界も私自身の環境も大きく変わってゆくのに乗り遅れてしまい、日夜、ジャズ喫茶やコンサート通いに明け暮れていた。世界が否定のための主体の無効を告げ、私もまた否定のために世界と対峙する根拠を喪失し、時代の大きな足音を聞きながら、当時勃興しつつあったニューミュージックや歌謡曲、ジャズの渦巻く中で心身を癒していた。
そんな中で出逢ったのがフォークシンガーの友部正人であり、フリージャズのアルト・サックス奏者阿部薫であった。
どこへ行くのかこの一本道
西も東もわからない
行けども行けども見知らぬ街で
これが東京というものかしら
たずねてみても誰も答えちゃくれない
友部正人『一本道』
友部は後に谷川俊太郎に見出され、現代詩人としても脚光を浴びた。
そして阿部薫である。たまたま近くに住んでいた渋谷初台のライブスポットで、連日、彼のソロ演奏に浸っていた。その音楽の特徴はジャズの〈フォーム〉そのものを解体し、ニュートラルな空間の中で己れの意識(存在)を更新し、引き出そうとするものであった。ある時、彼は私の胸ぐらを掴んで「お前はここで何をしている。俺にぶるけるものを持っているのか・・」と問いただして来た。私は言った。「私は私の道を歩いてここまでやって来た。ここにはいつもあなたの音楽が鳴り響いている。」と。彼の妻は女優で作家の鈴木いずみであり、何時もライブに付き添うように客席の片隅に座っていた。1979年の安部の自死を追いかけるように、彼女もまた死んだ。この二人の姿は後に映画化されている。
それから、40年の月日が過ぎ去ったが、彼らの音楽は私の中で突然途切れたままである。【了】