goo blog サービス終了のお知らせ 

まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

君を抱けない夜/北大路翼を読む(2)

2017-04-27 04:45:33 | エッセー・評論

傷林檎君を抱けない夜は死にたし   北大路翼  

傷林檎とは、傷が付いて誰も買う人のない林檎と解釈したい。誤解を恐れずあえて言えば、風俗嬢と呼ばれる女性のことではなかろうか。そこから【読み】というストーリーを組み立てると、作者はとある行き着けの風俗店に足を運んだのだろう。いつも指名するホステスは、この夜はあいにく別の客の接客中であった。この時の胸が焦げ付くような無念さが読む者にも伝わって来る。多少なりとも、同じ様な経験のある者には尚更であろう。この世に好き好んで風俗界に飛び込む女性はいない。一人の人間にとって、不特定多数の相手への恋愛感情は成り立ちようがない。ある時、特定の男性客が自分のことを気に入って、毎日のように通い詰めるようになった。その男性はいつかはこの苦界から彼女を救い出し、自分だけのものにしようと思っている。当のホステスも彼のことが気がかりでしょうがない。その素朴な感情の交錯を、下五の【死にたし】が恐ろしいほどの適確さで表現している。『君を抱けない夜』とは、作者にとって死さえ引き寄せてしまう、どうにも捨てがたい一瞬のいまここを指す。一読者としての私にとってもまた同様である。・・・《続く》

イメージ 1

桜花賞を予想中の北大路翼氏。

 

 

JOHN COLTRANE 『MY FAVORITE THINGS』 1961 FULL

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【俳句の此岸】1970年代の最後に俳句は私を引き裂いた!/私とは誰か~プレおたく世代の現在(23)

2017-04-25 06:27:36 | エッセー・評論

前回までに1970年代の自分史を摘んでみた。果たして、私にとって人生の出発点とも言うべき時代との抗いが鮮明に描き切れただろうか。その答えは否である。私とは誰かなどという、現在では死語となった【自分への問い】が有効なはずもない。あるのは、ただ1970年代という死屍累々の文字通りの荒地が即物的に拡がっているだけであろう。しかしながら、それでも私にとって1980年という区切りはあるにはあった。1979年の自主イヴェントの失敗と業界(音楽・放送)参入の断念、そしてついに大学の中退があった。しかし、これらは今で言うところのニートとはどこか違っていた。何らかの社会活動への参加の意欲は燻り続けていたのだ。その一つが【俳句】であった。この最初の俳句入門時にあったのは、俳壇を構成する【結社】の投句・句会・吟行(写生)などの集団的創作活動であった。これは極めて社会的なもので、結社運営と所属(結社)員の日常(句作)を主宰するということ自体が、企業や家族と近似していた。ラジオの深夜放送の俳句コーナーから紹介された俳句結社『河』は、偶然にも映画・出版界の寵児であった角川春樹氏が副主宰を務めており、その時代や社会に風穴が開けられていた。しかも、新人会として既存結社員とは区別して結社内句会を展開しており、私のような時代から取り残されていた者には格好のアイデンティティを提供される場となった。ほぼ同時に、書店で発見した『現代俳句』の坪内稔典氏はそれとは全く異なる俳句へのアプローチを行っていた。私はここでも引き裂かれたのだった。・・・《続く》


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【70年安保闘争史】怒りを歌え!/私とは誰か~プレおたく世代の現在【番外編】

2017-04-22 02:54:39 | エッセー・評論

70年安保闘争史(1968~70) 『怒りを歌え』(宮島義勇監督 1970) 縮小版 3h16m

https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=qg0L9LEz-lA#t=868


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【俳句の此岸】30年前、生活上の必要の無い俳句をかなぐり捨てた/私とは誰か~プレおたく世代の現在(22)

2017-04-17 20:27:44 | エッセー・評論

*極レア!名曲マイフェバ21世紀のカバー

私は、2013年10月にインターネットのブログ(俳句カテゴリー)で句作を再開した。1979年にラジオの深夜放送の俳句コーナーで俳句と出遭い、いくつかの結社・同人誌や総合誌の公募などを5、6年続けたが、何をどう書けばいいかわからなくなり休止した。それから30年もの月日が経っていた。これだけは確かに言えるが、当時、坪内稔典氏が言っていた実存を構成する必要条件としての【生活の必要】が無くなったのだろう。俳句を書く(作る)ことのない、それ以後の30年間は、むしろ【自分を取り戻す】ための充電期間だったように思える。1980年から10年刻みで3つの大きなサイクルを表現意識(言語)の【定型性】というフィルターを通さずに、肉体に直にぶつけて行った30年だったのかもしれない。要するに逃げ場はもうどこにも無かったのだ。俳句形式とは、時代から置いてけぼりを喰らった者の身の丈にフィットした格好のシェルター(駆け込み寺)だった。ところが、ここでも俳句結社とか【有季定型】とか、大よそ俗世間の生活上の《強制力》の寄り集まった面倒臭さ極まる架空の擬似生活空間だった。1980年代の初頭に当たって、公私共に宙ぶらりん状態の私にとって、俳句とは【生活の必要】どころか生活の桎梏でしかなかった。しかし、ほんの一瞬間だけ安らぎを与えてくれる仮初めの場所でもあった。すでに目の前から消えたはずの彼らは、俳句形式というワンダーランドで確かに闘っていたのだから。・・・《続く》

 

「坂道のアポロン」の画像検索結果

 MY FAVORITE THINGS アニメ 『坂道のアポロン』 サウンドトラック 空虚感が凄い!まさに21世紀のカバー                 

 〃         〃                           

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【俳句の此岸】すべてが謎のまま始まっていった/私とは誰か~プレおたく世代の現在(21)

2017-04-17 04:45:21 | エッセー・評論

私の上京10年の区切りとなった1980年代の始まりは、俳句と共に始まった。坪内稔典氏の【俳句とはこの後どう書くか】の言と、俳句以前の私自身の【この後どう生きるか】が見事に一致したのである。私の70年代、とくにその後半は全くの【空虚】であった。真っ暗闇という言葉があるが文字通り、何も無かったのだ。そのことにめげずに【フリージャズ】や【ニューミュージック】【歌謡曲】の世俗とは一定の距離を置いた《表層文化》つまり今日のサブカルチャーの本質論【軽いが重くて深い】に聞き耳を立て、何とか突破口を開こうとあがいた。あがき抜いていた。しかし、全ての努力は何度も空を切り、無に帰した。そんな時に、私が後に続こうとした70年安保(団塊)世代の一群が【俳句】の現代化に挑んでいた。まだ、闘いは終っていなかったのだ。ただその闘いは、70年安保当時のイデオロギーに凝り固まった《展望》などといったものの欠片も無い、ちっぽけな消耗戦でしかなかった。彼らの闘いとは、何とあの受験国語の必須項目(アイテム)であった【芭蕉】の俳句を、現代において蘇生しようということであった。芭蕉とは、たしか江戸時代に、当時辺境であった東北を《何のあても無くさまよい歩く》というやつである。その起点は日本文化の中心地であった《江戸》であったが、そこでも俳諧・発句という大よそ《得体の知れないもの》をこねくり回していた・・というアレであった。その俳句・俳諧を、何故・どのようにして現代の私たちの足下で再生するというのだろうか。すべてが謎であった。・・・《続く》


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする