獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その16

2024-08-26 01:52:18 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

5)懸念
 「福祉施設が刑務所化」

「隔世の感だな」
3月10日、東京都内。
山本譲司(49)は、200人近い人に囲まれ笑顔を浮かべる厚労省元局長、村木厚子(56)や社会福祉法人南高愛隣会理事長の田島良昭(67)を見ながらそんなことを思っていた。この日は、村木が南高愛隣会に寄付した損害賠償金でできた累犯障害者支援の基金の設立式だった。
山本は衆院議員だった2000年9月、秘書給与詐取事件を起こした。詐欺罪で有罪判決を受け、1年2ヶ月にわたり黒羽刑務所(栃木県)に入った。初めて足を踏み入れる“塀の中”の恐怖は大きかった。しかしそこで目にしたのは想像もしなかった光景だった。そこは、社会の中で「変わり者」「生産性がない」と言われ排除され続けてきた障害者の居場所だった。「刑務所の福祉施設化」。山本の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
刑期を終え03年12月、この実態を「獄窓記」で発表した。しかし福祉団体や障害者団体から猛烈な抗議がきた。彼らは口々にこんな言葉を浴びせた。「被害者のことならいざ知らず、加害者となった障害者のことを取り上げるとは何事か」
あれからもうすぐ9年になる。累犯障害者の認識は広がり、障害がある受刑者が刑務所を出た後に福祉につなぐ「地域生活定着支援センター」も全国にできた。山本自身も「播磨社会復帰促進センター」(兵庫県加古川市)など官民協働の刑務所2カ所の運営に携わる。そこでは福祉的な手法で知的障害者らに生活技能を教える。
罪を犯すことで冷たい社会から刑務所に避難している障害者がいる。山本は刑務所の中で障害者と会話を交わし、初めてそのことに気付いた。累犯障害者の問題は、この国に根付く排他的な意識を変える象徴なのだ。しかし福祉全体として支援が広がっているとは言い難い。
今、田島らの働きによって、累犯障害者を刑務所ではなく福祉施設で更生させる仕組みができようとしている。この動きには期待するものの、福祉の世界の現状から考えると、隔離する場所が刑務所から福祉施設に変わるだけに終わってしまう懸念も感じている。
「福祉施設の刑務所化」
それだけは防がなければならないと山本は考えている。

 

(つづく)


解説

山本譲司氏の体験とその著書、村木さんの冤罪との闘い、損害賠償金でできた累犯障害者支援の基金、山本氏の講演を聞いた田島良昭の反省と奮闘……いくつもの歯車がかみ合い、累犯障害者の問題に光が差し込んできたのです。

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その15

2024-08-25 01:37:53 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

4)変わる検察(4)
  更生見極める「原点」へ

「刑務所の中は障害者だらけなんです」
8年前。東京・霞が関の法務省。
年に1度、全国の刑務所長らが集まる会議で講演したのは、元衆院議員の山本譲司(49)。秘書給与詐取事件で実刑判決を受けた後、獄中体験をつづった著書「獄窓記」で、累犯障害者の存在を世に知らしめた人物だ。
講演を企画したのは、当時、法務省矯正局総務課長だった林眞琴(54)。塀の中の実情を訴え、満場の拍手を浴びる山本の姿を、林は特別な思いで見詰めていた。「司法の人間も変わらなければならない」
林はもともと検事だが、この時期「花形」の刑事局ではなく、矯正局で刑務所改革に携わっていた。検察官の職務は本来、捜査や公判だけでなく、刑の執行の指揮まで刑事司法全体にわたる。しかし、とかく検察官は捜査・公判までしか関心を払ってこなかった。矯正局で林は、更生の現場を目の当たりにし、累犯障害者の存在を知った。一線の検事時代には目もくれなかった世界だった。
「被告の更生にとって、本当に大切なステージは『公判後』にあるのではないか」
そんな思いを強くした。
昨年4月、大阪地検特捜部の不祥事を機に、最高検に新設された検察改革推進室の室長に就任。今は総務部長として、検察改革を指揮する。社会福祉法人南高愛隣会理事長の田島良昭(57)が提案した「新長崎モデル」に深く理解を示したのも、林だった。長崎を舞台に始まった、検察捜査に福祉的な視点を取り入れるかつてない試みだ。
「林が中心にいたからこそ、累犯障害者の捜査改革はここまで進んだ」と関係者は口をそろえる。
だが、林のような考え方は検察内部では主流派ではない。
「障害者の事件は『小さな事件』」
「捜査や公判は検察の『専売特許』。外部の人間には踏み込まれたくない」
検察改革が動きだした今でさえ、現場からはこんな声も漏れる。「改革」は道半ばだ。
林は語る。
「検察はいつしか、『不起訴より起訴』『執行猶予より実刑』を求める存在として見られるようになった。検察官に認められている裁量権とは、厳罰を求めるだけでなく、被告にふさわしい更生の方法を見極め、それを科すことにもあったはずだ」
累犯障害者の問題に正面から向き合うことで、検察はいま一度「原点」に立ち戻れるはず―林はそう信じている。

(つづく)

 


解説

全国の刑務所長らが集まる会議で講演したのは、元衆院議員の山本譲司(49)。秘書給与詐取事件で実刑判決を受けた後、獄中体験をつづった著書「獄窓記」で、累犯障害者の存在を世に知らしめた人物だ。

私は別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、山本譲司氏の『獄窓記』を紹介していますが、この本がきっかけで、検察の改革が進んだのですね。

不思議な縁を感じます。

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その14

2024-08-24 01:26:36 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

3)変わる検察(3)
  更生へ新たな「選択肢」

「懲役2年、保護観察付きの執行猶予を求める」。
検察官の口から出たのは想定外の言葉だった。弁護士の井上航(33)は一瞬、耳を疑った。法廷に小さなどよめきが広がった。
2月15日。長崎地裁五島支部。窃盗の罪に問われた累犯障害者の男性に、長崎地検は執行猶予付きの判決を求刑した。検察が執行猶予を求めるのは異例。累犯障害者をめぐる検察捜査が大きく変わりつつあることを印象付けた。

男性は前科3犯。知的障害がある。昨秋、旅館に忍び込み現金を盗んだとして、逮捕・起訴された。
「彼は刑務所でなく、福祉施設で更生した方がいい。執行猶予を求めよう」。
井上と、NPO法人県地域生活定着支援センターはそう弁護方針を立てた。
井上には、裁判は終始弁護側に優勢に進んでいるように見えた。裁判官は福祉施設での更生を念頭に置いて質問し、検察官からの手厳しい追及もなかった。どんな判決が出るかはふたを開けるまで分からないが、手応えがあった。
「執行猶予判決は堅いな」
それでも、検察側が執行猶予を求めるとは夢にも思わなかった。検察、弁護側双方の「求刑」通り、男性には執行猶予付きの判決が言い渡された。「検察と福祉の連携が始まり、大きなうねりとなっているからこそ、今回のような求刑が出たのかもしれない」。
井上は そうみている。
一方、長崎地検次席検事の原山和高(43)は「異例」と受け止められることに違和感がある。
被告は前刑から年月がたっていて、法的には必ずしも実刑を求刑しなければならない事案ではなかった。福祉施設での更生プログラムにも期待が持てた。
「条件がそろったから、執行猶予を求刑した」
これまでは、たとえ、検察官が「知的障害がある被告に、刑務所での更生は難しい」と考えたとしても、刑務所に送るしか手段はなかった。だが、累犯障害者を取り巻く状況はここ数年で大きく変わり、福祉施設での更生という新たな「選択肢」が生まれた。
「検察だって、(被告の更生にとって)何がベストなのかということは常に考えている。目の前に有効な『選択肢』があれば、積極的に活用していきたい」。福祉は「受け皿」としての役目を担えるのか―。原山の言葉は、福祉に期待しているようにも、試しているようにも聞こえる。

(つづく)


解説

検察、弁護側双方の「求刑」通り、男性には執行猶予付きの判決が言い渡された。「検察と福祉の連携が始まり、大きなうねりとなっているからこそ、今回のような求刑が出たのかもしれない」

村木さんの闘いがあって、検察の改革が進み、福祉との連携が深まりました。

累犯障害者の問題に奇跡的に、光が差し込んできました。

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その13

2024-08-23 01:20:26 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

(つづきです)

2)変わる検察(2)
  捜査にも福祉の視点

昨年7月。社会福祉法人南高愛隣会理事長の田島良昭(66)は、検察改革の一環で最高検につくられた「知的障がい専門委員会」の参与に就いた。検事が専門家に意見を聞いて、検察活動に生かす勉強会のようなものだ。
10年近く前、刑務所の中に罪を繰り返す障害者が大勢いることを知って、田島は衝撃を受けた。それからは累犯障害者の支援に奔走する日々。田島を駆り立てたのは、人知れず、塀の向こうで生きてきた障害者たちに対する申し訳なさのような思いだった。
田島は言う。「福祉が手を差し伸べていれば、累犯障害者の多くは刑務所に行かなくても良かった。彼らのような存在をつくってしまった責任は、われわれ福祉の側にもあると思う」
まず、障害がある受刑者が刑務所を出た後、福祉とつなぐ制度をつくった。それから、裁判中の障害者の支援もした。刑務所でなく福祉施設で更生してもらうため、執行猶予判決を求める取り組みだ。やればやるほど、支援が必要な障害者が見つかった。
そこで田島は気付いた。刑事司法の分野で、容疑者を起訴するかどうかの権限を握っているのが検察だ。刑務所を出たあとの支援が「出口」だとすれば、検察は「入口」に思えた。「『入口』をふさげば、根本的な解決につながるのではないか」
昨年10月。田島は最高検を訪ねた。自ら書いた企画書を直訴するためだ。「知的障害者の取り調べに福祉の専門家を立ち会わせる」「検察や弁護士が、障害者の特性や更生の仕方について意見を求める専門機関をつくる」。累犯障害者の捜査を劇的に変える内容だった。
その翌月。最高検や長崎地検の検事が大挙して、南高愛隣会の施設を視察に訪れた。刑務所を出た人が暮らす更生保護施設、就労訓練をする製麺工場……。「更生のシステムが確立している」「福祉でここまでできるのか」。そう感想を漏らす検事もいた。
年が明けて、田島に最高検から連絡があった。企画書へのゴーサインだった。検察と福祉によるかつてない試みが、長崎で動きだした。それは「新長崎モデル」と呼ばれた。しかし、田島に達成感はない。
「長崎だけでの実験で終わらせてはいけない。検察も、福祉もこれからが本当の正念場だ」

(つづく)


解説

10年近く前、刑務所の中に罪を繰り返す障害者が大勢いることを知って、田島は衝撃を受けた。

これについては、後ほど明らかにされると思います。

 

獅子風蓮


『居場所を探して』を読む その12

2024-08-22 01:00:40 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

■第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
 □第1部「福祉との出合い」
 □第2部「司法と福祉のはざまで」
 □第3部「あるろうあ者の裁判」
 □第4部「塀の向こう側」
 □第5部「見放された人」
 □第6部「更生への道」
 ■第7部「課題」
□第2章 変わる
□おわりに 


第7部「課題」

=2012年6月12日~22日掲載=

1)変わる検察(1)
  開いた鉄のカーテン

上層階の窓からは皇居や日比谷公園が見渡せる。
昨年5月。東京・霞が関にある検察合同庁舎19階、次長検事室。
雲仙市の社会福祉法人南高愛隣会理事長の田島良昭(66)は、次長検事の小津博司 (62)、検察改革推進室長の林眞琴(54)と向き合っていた。
当時、小津は最高検のナンバー2。林は検察改革の責任者。検察と福祉の分野の実質的な「トップ会談」だった。
小津から「会いたい」と連絡を受け、田島は身構えた。数年前、福祉と無縁のまま罪を繰り返す累犯障害者を支援する制度をつくりたいと関係省庁に直談判して回ったが、検察にだけは門前払いされた。「まるで『鉄のカーテン』だな」と嫌な印象が残った。
検察への不信感を決定付けたのは、大阪地検特捜部が無実の罪で厚労省元局長の村木厚子(56)を逮捕した事件。村木は、知的障害者の雇用施策を通じて知り合った十数年来の友人。村木が逮捕された日、居ても立ってもおられず、大阪地検に抗議に乗り込んだが、体よくあしらわれた。田島は最初から「彼女は罪を犯すような人間ではない」と思っていたという。
一方の検察。事件後、社会の非難を浴び、崖っぷちに立たされた。昨年3月には法相の諮問機関である在り方検討会議から、「特捜の縮小」「知的障害者の取り調べの可視化」「参与会の設置」などの改革を迫られていた。
そうした中、最高検が参与会の委員として白羽の矢を立てたのが、累犯障害者支援の分野では名の知れた田島だった。
最高検まで出向いてはみたものの、田島は半信半疑だった。「あの検察が本当に変われるのか?」。小津は、田島がかつて手掛けた、刑務所の中にいる知的障害者の実態調査の内容に触れ、頭を下げた。
「多くの障害者が刑務所にいたことに、われわれも驚きました。今度、検察改革の一環で外部の専門家による参与会をつくる。田島さんにその委員になってもらいたい。力を貸してもらえませんか」
田島は腹を決めた。「累犯障害者に対する捜査の在り方を変えるなら、今しかない。これは千載一遇のチャンスではないか」。検察と福祉―。交わることのなかった両者が、この日を境に急速に接近していく。

累犯障害者を取り巻く風景が変わりつつある。長崎から始まった累犯障害者支援の動きは今、大きなうねりとなって、福祉や刑事司法の分野に広がっている。どうすれば、障害者が罪を犯さずに済む社会をつくれるのか。
長期連載「居場所を探して」第7部では、刑事司法、福祉の最前線にいる人たちの姿を追いながら、改革の行方を考える。

(つづく)

 

 


解説

検察への不信感を決定付けたのは、大阪地検特捜部が無実の罪で厚労省元局長の村木厚子(56)を逮捕した事件。(中略)一方の検察。事件後、社会の非難を浴び、崖っぷちに立たされた。昨年3月には法相の諮問機関である在り方検討会議から、「特捜の縮小」「知的障害者の取り調べの可視化」「参与会の設置」などの改革を迫られていた。

 

私は以前、村木厚子の冤罪のことを記事にしました。

村木厚子『私は負けない』 はじめに (2023-04-06)~

村木さんは、苦しい闘いに勝って、冤罪を晴らすことができました。

かつての連載記事が、今回の連載記事につながりました。

不思議な縁を感じます。

 

 

獅子風蓮