獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子へのインタビュー その15

2024-02-14 01:12:46 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
■五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


五杯目の火酒

   1

__酒呑んでますか」

「呑んでますよ、しっかりと。フフフッ」

__五杯目の酒ですから、大切に呑んでください。

「そんなに呑んでる? あたし、そんなに呑んでるとは思えないけど」

__かなり、クイクイと呑んでますよ。

「そう?」

__そうですよ。女としては、かなりいい酒呑みじゃないかな、あなたは。

「そんなことないよ。あたしみたいに弱いのって、いないよ。ほかの人はもっと強いよ」

__まあ、いいでしょう。しかし、なんで手術なんかしたの。喉といえば、あなたたちの財産じゃないですか。

「うん。やっぱり、無知だったとしか言いようがないんだ。パタッと声が出なくなったときがあったんだよ」

__いつの頃の話?

「デビューして、5年目くらいかな。どうしても声が出なくなっちゃって、入院したんだ。一週間、スケジュールを無理してあけて、休養したわけ。テレビはそういうとき、かなり融通がきくんだけど、営業はそうはいかないの……」

__営業? 営業っていうのは……。

「ああ、それはね、地方でショーをやったりクラブへ出たりして、日建ていくらでお金をもらう仕事のことを言うの」

__へえ、それを営業と呼ぶのか。まあ、まさに、営業そのものだけどね。で?

「うん、一週間くらい入院して、声の方も少しよくなったんで、退院したわけ。でも、営業のスケジュールは変更がきかないんで、退院した翌日、もう地方へ行って、ショーか何かに出演しなければならなかったんだ。久しぶりに歌うわけじゃない。嬉しくてね、張り切って歌っちゃったの。ショーだから、20曲くらい歌わなくてはならないんだ。ワァーッと歌って……ところが、翌日から、また、パタッと声が出なくなった。それで、みんな慌てちゃったんだ」

__それまで、 そんなことはなかったの?

「いや、前から声が出なくなることはよくあったんだ。でも、そのときは、一週間も休んだのに、そのすぐあとにまた出なくなったんで、これは大変だということになったわけ。あれだけ休んだのに、どういうわけだろう、ただの疲労とは違うんじゃないか、って」

__なるほど、声帯の疲れじゃなくて、喉の異常と考えたわけだ。

「そうなんだ。そこでね、国立病院で見てもらったら、結節だから切らなくてはいけない、ということになったの」

__ポリープとかいうのかな。あれって、よく歌手がなるけど、どういう病気なの?

「喉を使いすぎて、小さなコブみたいのができるんじゃないのかな」

__それが、あなたにもできているから、切除しろということになったのね?

「うん」

__前は、休めば元に戻っていたの?

「そうだね……声は昔からよく出なかったんだ。それが心配だから、ふだん話すときもほとんど声を使わなかったくらいでね。どうしてもしゃべらなくてはいけないときは、小さな、空気のかすれるような声で話してた。もったいなかったんだよ。人とおしゃべりする声があったら、歌う声に残しておきたかったから。デビューした頃、あたしが無口だと思われてたのは、ひとつにはそれもあると思う。だから、なんて言うのかな、出ないのが普通だったんだ、あたしにとっては。その声を貯めて、それを絞り出していたんだよね、きっと。だから、一週間休んで出なくなったときも、そんなに慌てることはなかったはずなんだ。何かの条件が重なっただけのことで、やっぱり少し休んで、また声を貯めれば、それでよかったんだよね。ところが……切っちゃったんだよね。早く楽になりたいもんだから、横着をして、切っちゃったわけ」

__切ったのね、実際に。

「切ったんだ。切っちゃったんだ。思うんだけど、あたしのは結節なんかではなかったんじゃないだろうか」

__どういうこと?

「よくはわかんないんだけど、あれは先天性のものだったんじゃないかなあ。あたしのは、喉を使いすぎたから、ああなったというわけじゃなかったんだ。子供の頃から、歌い出す前から、そうだったんだ。あれは、先天的なものだったんじゃないだろうか。だって、そうじゃなければ、子供の頃からあんな声が出るわけがないもん」

__先天的な、結節、のようなものが、あなたの喉にはあった……。

「歌手になってから、使いすぎて急にできたっていうはずもない。だって、その前の方が、むしろいっぱい歌ってたんだから。あのときも、ただ休めばよかったんだ」

__そう思う?

「そう思う」

__あなたは、あまり後悔したりしない人のように思うけど、それは別なんだね。

「別だね、残念だね。自分の声に無知だったことが、口惜しいね」

__口惜しいか……。

「うん。決まってたんだよね、その、先天的な結節みたいのを取っちゃえば、声が変ってしまうということは、ね。でも、あのときはわからなかった。結節さえ取れば、これから楽に声が出るようになるって、それしか考えなかったんだ。でも、それを切り取ることで、あたしの、歌の、命まで切り取ることになっちゃったんだ」

__手術はうまくいったんでしょ?

「うん。全身に麻酔されて……全身を裸にされて、白いシーツをかぶせられ、注射を打たれ、数分するともう体中がふわっとして……気がついたときにはもう手術が終ってた。手術はとてもうまくいったんだって」

__手術そのものには問題なかったわけなんだね。

「そうなの。問題は、手術すること自体にあったんだから」

__もし、そのとき、手術をしなかったとしたら……。

「今度の、この引退はなかったと思う」

__ほんと?

「その手術が、あたしの人生を変えたと思う。よいとか悪いとか言いたいわけじゃなくて、結果として変ってしまったと思うんだ。引退ということの、いちばん最初のキッカケは、この手術にあるんだから……」

__そんな前から、やめることを考えてたの?

「ある意味ではね」

__どうして?

「声が変ってしまったんだよ。まったく違う声になっちゃったの」

__そんなに変った? ぼくたちにはよくわかんないけどなあ……。

「変ったんだよ。あたしたちも、はじめの頃はそれに気がつかなかった。手術して、しばらく休んで、初めて歌ったとき、やっぱり、あれっ、とは思ったんだよ。声がとても澄んでいたんだ。あれっ、とは思ったけど、おかしいなとは思わなかった。長く休んでいたから声が綺麗になっただけだろう、歌いこんでいくうちに元のかすれ声に戻るだろう、と思っていたわけ。ところが、いつまでたっても澄んだままなの。変だな、と少しは思うようになったんだ、時の経つのにつれて。でも、それが手術のせいだとは思わなかったの。思いたくなかったのかな。手術によって声の質が変ったなんて、それこそ考えたくもなかった。でもね、どうしても、それに気づかざるをえないときがきちゃったんだ……」

__テレビかなんかの録画を見て?

「そうじゃないの。レコーディングのときなんだよ。手術後、初めてのレコーディングがあったの。〈私は京都へ帰ります〉という歌だったんだけど。そのときなんだ」

__レコーディングされた自分の声を聞いて、変ったと思ったわけだね。

「違うんだよ。あたしの場合はね、ディレクターもミキサーもとても気の合った人たちばかりでレコードを作ってたから、お互いによく知っていたわけ。たとえば、ミキサーの人は、あたしの声の質とか、量とかのレベルをよく知っているわけ。だから、そのときも、いつものように、あたしのレベルに合わせて、セッティングが終っていたの。ところが、いざ歌い出したら、高音のところで、針が飛びそうなくらい振れすぎちゃったんだよ」

__なるほど。

「みんな、おかしい、おかしい、と言い出して、もう一度やるんだけど、同じなんだ。 高音が、澄んだ、キンキンした高音になってしまっていたわけ。あたしのそれまでの歌っていうのはね、意外かもしれないんだけど、高音がいちばんの勝負所になっていたの。低音をゆっくり絞り出して……高音に引っ張りあげていって……そこで爆発するわけ。そこが聞かせどころだったんだよ。ところが、その高音が高すぎるわけ。あたしの歌っていうのは、喉に声が一度引っ掛かって、それからようやく出ていくとこに、ひとつのよさがあったと思うんだ。高音でも同じように引っ掛かりながら出ていってた。ところが、どこにも引っ掛からないで、スッと出ていっちゃう。前のあたしに比べると、キーンとした高音になってしまったんだよ。ミキサーの機械が、ハレーションを起こすみたいになっちゃうわけ」

__それで、どうしたの?

「ミキサーの人も困って、仕方がないから、高音のとこにさしかかると、レベルをグッと下げるようにしたの。そうしないと、うまく収まらなくなってしまったんだよ。そのためにどういうことになったかというと、歌に幅がなくなったんだ。歌というよりは音だね。音に奥行がなくなっちゃった」

__厚味がなくなってしまった。

「そう。そしてレコードに力みたいのがなくなってしまったわけ」

__そういうことか……。

「聞いている人には、はっきりとはわからなくても、あたしにはわかる」

__あなたの歌から、なにか急速に力がなくなっていったような、そんな気がぼくにもしてたけど、それは、もっとあなたの精神的なものから来ているんだと思っていた。あなたの置かれている状況の変化とか、そういうものだと……。そうか、そういうことだったのか……。

「手術する前は、夜遊びしても、声が出なくなるのが心配で決して騒がなかったの。でも、手術してからはその心配がなくなった。いくらでも声が出る。でも、その声はあたしの声じゃないんだよ」

__少なくとも、前の、あなたの声じゃない。

「まるで前と違ってたんだ。そのことに気がついてから、歌うのがつらくなりはじめた」

__つらくなっちゃったのか……。

「つらいのはね、あたしの声が、聞く人の心のどこかに引っ掛からなくなってしまったことなの。声があたしの喉に引っ掛からなくなったら、人の心にも引っ掛からなくなってしまった……なんてね。でも、ほんとだよ。歌っていうのは、聞いてる人に、あれっ、と思わせなくちゃいけないんだ。あれっ、と思わせ、もう一度、と思ってもらわなくては駄目なんだよ。だけど、あたしの歌に、それがなくなってしまった。あれっ、と立ち止まらせる力が、あたしの声になくなっちゃったんだ」

__でも、あなたは依然として充分にうまいじゃないですか。そこらへんの歌手よりも数倍うまい。

「確かに、ある程度は歌いこなせるんだ。人と比較するんなら、そんなに負けないと思うこともある。でも、残念なことに、あたしは前の藤圭子をよく知っているんだ。あの人と比較したら、もう絶望しかなかったんだよ」

__そうか。どうしたって、あなたは、あの人と比べないわけにはいかないよな。

「そうなんだ。そうすると、もう、絶望しかないわけ。藤圭子の歌を歌うんだけど、それは藤圭子の歌じゃないんだ。違う歌になっているの。人がどんなにいいと言ってくれても駄目なんだ。それは理屈じゃないの。あたし自身がよくないって思えるんだから、それは駄目なんだよ。だいいち、あたしが歌ってて、少しも気持がよくないんだ」

__そうか、気持がよくないのか。

「タクシーなんか乗っていると、運転手さんに言われるわけ。この頃、ずいぶん声が綺麗になりましたね、って」

__あの人たちは、ラジオでよく聞いているからね。

「その人がどういうつもりで言っているのか、よくはわからないんだけど……そのあとに、だから最近の歌はよくないとか言うんじゃないんだからね。でも、そう言われると、ビクッとするの」

__そうだろうね。

「自分のいちばん恥ずかしいとこを見られちゃったような気がして……ほんとに……」

__それはドキッとするだろうな。

「手術のあとからは、みんなに声がよくなりましたね、よく出るようになりましたね、よかったですね、って言われるようになったけど、そして、表面的には、ええ、なんて答えてたけど、ほんとは、違う、違う、とおなかの中で言いつづけてたんだ。よくない、よくない、って」

__微妙なものなんだね、声っていうのも。

「そうなの。それなのに、そこにメスを入れちゃったんだ。変わるはずだよね。お母さんはね、これで、純ちゃんがいつ声が出なくなるかとヒヤヒヤしながら聞いていなくてすむ、って喜んでたんだ。でも、本当はね、あたしの声が変わっちゃった、駄目になっちゃったということを、いちばん早く知ったのは、お母さんだったんだよ」

__どういうこと? それは。

「手術してすぐのショーのとき、会場にお母さんも来ていたんだよね。あたしが本番の前に音合わせか何かをしてたらしいんだ。それをね、舞台の袖で聞いていたお母さんが、傍にいる人に訊ねたんだって。純ちゃんの歌をとても上手に歌っている人がいるけど、あれは誰かしら、って。その人が驚いて、何を言っているんですお母さん、あれは純ちゃんが歌っているんじゃありませんか……」

__ほんとに、お母さんがそうおっしゃったの?

「うん」

__すごい話だね……。

「お母さんは耳を澄ましてもういちど聞いたらしい。でも、そう言えば純ちゃんの歌い方に似ているけど……としか言えなかったんだって。お母さんは、その話を、最近になるまで教えてくれなかったんだけど、ね」

 


解説
不用意に喉の手術を受けたばかりに、声が変わってしまい、昔の藤圭子ではなくなったと本人はいう。
沢木耕太郎さんからみて、今でも歌はうまいし声もいいと。
どうも、藤圭子さんには潔癖症というか完璧主義のようなところもあったのかもしれません。


獅子風蓮


正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その19(追記あり)

2024-02-13 01:44:52 | 正木伸城
というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。
 
本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。
 
(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
■謝辞
■宗教2世の相談窓口
 

謝辞
 
本書に、誤りや手抜かりはなかったでしょうか。
この本の制作には、たくさんの方々の協力がありました。ここでお礼を申し上げて擱筆 (かくひつ)します。
 
創価学会的にいえば、親不孝といわれても仕方がないぼくを、一時のぶつかり合いを乗り越えて温かく包み込んでくれている父と母、そして兄弟、家族、親族。ときにあさっての方向に進みかけるぼくの生きかたを軌道修正してくれた先輩・友人たち。励ましを送りつづけてくれた、創価学会に縁のある方々。そのほか、宗教2世の当事者のみなさま。ぼくに生きかたの基礎を教え、書き手として、また仏教思想のよき語り仲間として、かつても、現在も心のなかで伴走しつづけてくれているアクティビストの先輩(故人)。
ありがとうございました。
思想的な影響を受けたという意味でいえば、新たな指針をぼくに提供してくれた哲学者 ハンナ・アーレントにも助けられました。
対談を通して本書にすぐれた知見を盛り込んでくださったジャーナリストの江川紹子さん。素敵な装丁に仕上げてくださったデザイナーの寄藤文平さん。やわらかな挿絵を描いてくださったイラストレーターの須山奈津希さん。編集者としてぼくに寄り添い、いつも自信をもたせてくださったダイヤモンド社の日野なおみさん。
ほんとうに、ありがとうございました。
この気持ちを糧に、これからより一層、いまこの瞬間を丁寧に生きながら、だれかの心 に希望の灯をともしていきます。
 
2023年4月
         正木伸城
 
 
 
宗教2世の相談窓口
 
本書では、宗教2世のみなさんがいきづまりを感じたときに役立つサバイバル術を紹介してきました。そのうえで、これまで宗教2世の悩みに、専門的に応えてきた方々も多くいます。そういった人に助けをもとめるのも大切な一手です。
窓口をいくつか紹介しますので、参考にしてみてください。
 
●宗教に関連した相談支援窓口
 
日本脱カルト協会 (JSCPR)
メール:info@jscpr.org
サイト:http://www.jscpr.org/aboutjscpr/inquiry
 
カルト被害を考える会
電話 :086-231-2885
サイト:https://www.asahi-net.or.jp/-am6k-kzhr/
 
一般社団法人宗教2世支援センター陽だまり
電話 :050-3046-6745
サイト:https://nisei-hidamari.org/
 
宗教もしもし相談室(新日本宗教団体連合会)
電話 :03-3466-9900
サイト:http://www.shinshuren.or.jp/
 
仏教テレフォン相談
(一般社団法人仏教情報センター)
電話 :03-3811-7470
サイト:https://bukkyo-joho.com/
 
全国霊感商法対策弁護士連絡会
電話 :070-8975-3553(火曜)
070-8993-6734(木曜)
サイト:https://www.stopreikan.com/
 
全国統一教会被害者家族の会
電話 :080-5079-5808(水曜)
080-5059-5808(金曜)
サイト:http://e-kazoku.sakura.ne.jp/
 
 
●トラブルに巻きこまれたときの相談窓口
 
日本弁護士連合会
電話 :03-3580-9841
サイト:https://www.nichibenren.or.jp/
 
法務省・子どもの人権110番
電話 :0120-007-110
サイト:https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken112.html
 
消費者ホットライン
(消費者庁・国民生活センター)
電話 :188
サイト:https://www.kokusen.go.jp/
 
厚生労働省・
児童相談所虐待対応ダイヤル
電話 :189
サイト:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/
bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dial_189.html
 
 

解説

ぼくに生きかたの基礎を教え、書き手として、また仏教思想のよき語り仲間として、かつても、現在も心のなかで伴走しつづけてくれているアクティビストの先輩(故人)。

正木伸城さんはこのように特定の先輩に厚い謝辞を送っています。
この先輩(故人)こそ友岡雅弥さんであると私は確信しました。

友岡雅弥さんは「すたぽ」という有料サイトに原稿を投稿していました。
その中に、大震災後の福島に通い続けたレポートがあります。
カテゴリー: FUKUSHIMA FACT というのがそれですが、その最初の投稿(2018年3月4日)では、自分のことを「アクティビスト、 ソーシャル・ライター 友岡雅弥」と記しています。

FF1-「故郷」をつくること 「故郷」を失うこと
  ――飯舘村・浪江町の、もう一つの歴史(その1) 


「アクティビスト」というのはどういう職業なのでしょう。
普通の生活では聞いたことない言葉です。

ネットで調べると、
「株式を一定程度取得した上で、その保有株式を裏づけとして、投資先企業の経営陣に積極的に提言をおこない、企業価値の向上を目指す投資家のことをアクティビストという。 いわゆる『物言う株主』で、経営陣との対話・交渉のほか、株主提案権の行使、会社提案議案の否決に向けた委任状勧誘等をおこなうことがある」
とのことですが、まさかそんな意味で使ったとは思えません。
おそらく、「積極的に行動する人」といった意味合いで、友岡雅弥さんが独自に使った言葉(特殊な言い回し)ではないかと思われます。

なので、正木伸城さんがここで謝意を記した先輩(故人)は、友岡雅弥さんで間違いないと思います。

正木伸城さんには、ぜひ友岡雅弥さんのことをいろいろ語ってほしいと思います。
よろしくお願いいたします。

 

そのうえで正木伸城さんには、ぜひ友岡雅弥さんの遺志をついで、悩める創価学会員の心の解放への道筋をつける作業を続けていってほしいと思います。

 

PS)

その後、X(旧ツイッター)「正木伸城×友岡雅弥」で検索してみると、こんなのが見つかりました。

 

私の推測は当たったようです。

 

 

獅子風蓮

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その18

2024-02-12 01:39:04 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口


5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
  宗教が変わるだけでは、宗教2世問題は解決しない


オウム真理教事件で直面した2世問題

――江川さんはジャーナリストとして、オウム真理教をはじめ新宗教やカルトの問題に取り組んでいます。そんな江川さんに宗教2世について話を伺います。
最初にお断りをしておくと、このインタビューに、江川さんが取材をしてきたオウム真理教と、ぼくが長く活動してきた創価学会を、カルト教団として同列に論じる意図はありません。 

江川 わたしも、創価学会をオウム真理教のようなカルトだとは思っていません。むしろわたしは、それぞれの教団をカルトか否かという判断するのは、意味がないと思っています。どんな組織であれ、カルト性、つまりカルトの性質を帯びることはあるからです。

カルトには、「反社会的行為をする」とか「人権を侵害する」「閉鎖的なコミュニティをつくる」といった性質がありがちです。テクニカルな話でいえば、「恐怖心で人を縛る」「教団名を伏せて勧誘する」といったことも多い。ですから、私はカルトかカルトでないかではではなく、そのような性質が多いか少ないか、カルト性が高いか低いかという比較級の考えかたで、それぞれの宗教団体について考えるようにしています。
伝統的宗教とされているカトリック教会にだって、カルト性を帯びた一面はあるわけですから。

――カトリック教会の場合は、聖職者による子どもの性暴力が問題になりました。

江川 少なからぬ聖職者が宗教的な上下関係を利用し、地獄の怖さで脅して子どもに性虐待をしていました。しかも、組織的な隠蔽もあった。これはまさにカルト性があらわにな ったとしかいいようがありません。
ただ、カトリック教会がいわゆる「カルト教団」と違うのは、問題が発覚したとき、各地でカトリック教徒たちがデモ行進をして、「ローマ教皇の対応は生ぬるい」と批判し、退位までもとめたことです。かなり高位の聖職者の退位も要求していました。自分たちの宗教のなかにあるカルト性を、信者がみずから刈りとろうとした。組織トップの退陣を迫るなんて、オウムのような集団では考えられません。

性虐待という面でカトリック教会には「カルト性があった」と思いますが、その後の自浄作用を見れば「全体としてカルト性は極めて低い」と判断することができます。このように、宗教は多角的に見ていったほうがいいと思います。
カルト性という切り口で見るなら、創価学会にもカルト性はあるでしょう。創価学会のなかにも個々別々、いろいろな問題があることはわたしも聞いています。ですが、組織全体としてのカルト性の高さはそれほどでもない気がします。

――江川さんは創価学会2世など、宗教2世とも交流をもっているのでしょうか。

江川 エホバの証人やオウム真理教の宗教2世とはお会いしたことがありますが、そんなに多くはありません。
わたしには大きな反省があるんです。オウム事件が起きたとき、わたしは宗教1世、とくに事件を起こした信者たちが、なぜオウム真理教に傾倒したのかという取材をかさねていました。その一方で、オウム2世の問題には、十分に取り組めていなかったのです。
当時、オウム2世の子たちは教団施設に監禁され、事件発覚後は警察の力を借りて児童相談所に保護されました。やがて、祖父母のもとに戻されたり、親に引き渡されたりしました。今考えれば、そうした子どもたちがどのように生活し、社会に溶けこめているかどうかを見ていくことも必要でしたが、当時のわたしにはそういう発想が欠けていました。

だから、オウム2世に会ったときには謝罪しました。「あなたたちの苦しみを全然受け止められず、申し訳なかった」と。
親が教団に全財産をお布施していますから、社会と隔絶した教団施設から出たときは一文なしです。しかも地下鉄サリン事件後は、社会全体がオウム真理教に大バッシングをしていました。親戚の目も冷たい。そんななかで、必死に生きる道を切り開いてきた2世が、年とった親の面倒を見る年代になっている。困難な人生を歩むことになったのは、親の入信が原因という思いはぬぐえないでしょうから、これは大変ですよ。


オウム元信者の後悔――違和感を封じこめずに生きろ

――壮絶な状況ですね。そういった宗教2世をケアするには、なにがポイントにな りますか。

江川 あたりまえのような話ですが、必要なのは、普通に付き合いができる人間関係だと思います。ただ、これは教団内に「教団の『外』の人とはつき合うな」という文化があったり、社会の側にカルト的な集団に対する拒否反応が強かったりすると、そうした関係を結ぶのが難しくなります。

宗教2世であることがわかっても、「わたしはあなたの宗教には参加しないからね」ときっぱり断ったうえで、ほかの友だちとおなじように付き合ってくれる友人がまわりにいることが、とても大事だと思います。そうすれば、教団に疑問を感じたときには離脱するなど、自分自身の選択を広げることができるからです。
そういう関係をまったく持てずにいたり、教団の外に居場所がなかったりすれば、組織を抜けたらひとりぼっちになってしまうわけですから、怖くてやめられないでしょう。教団にとどまる以外の選択ができにくくなります。
それを考えると、教団の外に信頼できる人がいるような環境づくりは大切ではないでしょうか。

――江川さんは学校でカルトについて教えることの大切さも訴えられています。

江川 いわゆる「カルト教育」ですね。先ほどのべたカルト性の中身や、カルト性が高い集団と接触したときの対応方法などを教えるべきだと考えています。
カルト性というのは、なにも宗教にかぎった話ではありません。マルチ商法などもそうですし、政治的なカルトともいえる集団も存在します。そういうところからどうやって自分の身を守るのかを、きちんと教育の現場で教えていくべきだと思っています。

――人の心が操作されやすいものである、ということも学生に伝えているとか。

江川 大学の授業で教えています。人の心は案外もろいもので、いついかなるときも、おなじ心のモノサシを維持しておくのは難しい、と知っておくことが大事だと思うんです。なので、宗教にかぎらず、戦争が人をどれだけ変えてしまうかなどについても考えます。たとえばベトナム戦争では、武器を持たない子どもや老人まで虐殺するような事件が起き、イラク戦争でも米兵が現地の人にひどいことをしたわけですが、そうした兵士たちも、平時に祖国では、まっとうな市民で、親からすれば「とてもいい子」であり、子どもにとっては「いい親」だったりするわけです。
なにも、もともと残酷な人がひどい事件を起こすとは限らない。場の雰囲気や支配関係など、いろんな状況が重なれば、人の心は簡単に誘導されたり操作されてしまう。そんな話を学生にしています。

――オウム事件にも通じるところがありますね。江川さんの著作のなかには、オウム元信者が事件後の手記などで「後悔していること」として、つぎの2つをあげていることが印象的でした。
「違和感を封じてしまったこと」と「自分の頭で考えなかったこと」。
これら2つは、自分の心を操作されないという視点でも大事だと感じました。
宗教2世がサバイブしていくうえでも、この2つはとても重要です。

江川 教団のなかにいると、教祖がいうことや教団がいうことが絶対に正しくて、深遠なものであり、仮に信者が違和感を抱いたとしても、それは「自分が至らないから」「勉強不足だから」「信心が足りてないから」と自分を責めてしまいがちですよね。そうやって、自分で違和感や疑問を封じてしまうわけです。
オウム事件で無期懲役刑に服している受刑者に「学生に伝えたいことを書いてください」とお願いしたら、やはり「違和感を大事に」というメッセージを戻してきました。長く信仰をしていると、「なにか違うな」「変だな」「イヤだな」と思う瞬間だって経験しているんです。その違和感を大事にすればよかったと後悔しているんです。

ただし、違和感を抱いたときに教団のなかの人に相談するのはオススメしません。教団だってそういう対応には慣れていますから、信者の違和感はつぶされてしまいます。だからこそ、そういうときは教団の外の人に相談することが大事になるんです。

――信者のなかには選民思想のようなものをもって、外部の思想を忌避したり見下したりする人もいます。宗教や信者によっては、外の世界に相談するのも難しいかもしれません。

江川 そうですね。それでも、外の世界に普通に話ができる人がいれば、ふと話をしてみようという気もちが湧いてくることがあるかもしれない。そういう機会があるのとないのでは違うと思うんです。

――社会に出て、いろいろな価値観と接することができれば、選民思想をもった人でも「自分の信仰が絶対とはかぎらない」と気づくかもしれませんね。

江川 それには時間がかかるかもしれません。周囲とのズレや失敗をある程度、許容してくれるような人と出会えれば、宗教2世の置かれた状況も変わってくるんじゃないかと思うんです。


「自分の頭で考えること」でカルトにあらがう

江川 これは、オウム事件で服役していた元女性信者の話ですが、彼女が教団にいたとき、すべては教団幹部が決めていて、自分はいわれたことを実践するだけだったそうなんです。自分の頭で考えて行動していたわけではなかった。
その後、刑務所に入ったあとも、今度は彼女に命令する人が変わっただけで、やっぱり看守の指示に従って暮らしていた。
ところが、刑務所の外に出ると、自分でなにもかも決めなければならなくなる。自分で判断して実行に移したことには、自分が責任をとらなくてはならない。そういったことを、彼女は教団をやめて、はじめて体験したわけです。そんな彼女を支えてくれる人もいたようです。
そうして、さまざまな経験をかさねていくうちに、彼女にも失いたくないものができてきた。そのときに彼女ははじめて、肌で感じたというんです。
「ああ、わたしたち(オウム真理教)は、たくさんの人の『失いたくないもの』を壊してしまったんだ」と。
彼女は社会のなかで、少しずつ新しい価値観を育んでいきました。それには時間がかかります。ときには苦しい実践にもなります。失敗も挫折も経験します。
ただ、時間をかけていろんな経験をしたからこそ、彼女は再生することができた。
「時間がかかること」や「失敗」「挫折」が許容される社会や人間関係がないと、彼女の今の居場所はなくなってしまいます。

――宗教2世にとって、居場所は大切なテーマです。居場所を確保するには、社会の側も、宗教2世を迎えいれる懐の広さがなければなりません。

江川 わたしは、社会のなかにもいろんなカルト性が存在すると思っています。とくに、現代社会はカルト化が急速に進んでいると思います。「お前は敵か味方か」といった二元論的な発想が強まっていますし、自分が信じているものが100%正しくて、ほかは間違っていると相手を敵視するような、極端な態度をとる人もいる。
そういった社会のカルト化にあらがうには、自分のことをある程度、客観視してみて、そのうえで「自分の頭で考えること」も大事ですよね。

――自分が極端な発想に陥っていないかと点検をする意味でも、自分の頭で考えることが大切ですよね。
また、社会のなかにもカルト性があるとのお話でしたが、社会の側も、自分たちの価値観に宗教を同化させようとするばかりではなく、互いにみずからのカルト性を自覚しつつ、考えをつき合わせながら調整して、「ちょうどいい落としどころを探そうよ」というスタンスで向き合うことも、大切だと感じました。
大事な視点を教えてくださり、ありがとうございました。

 


解説
違和感を封じこめずに生きろ
自分の頭で考えること

いずれも、カルトおよび創価学会の2世にとって、大切なことですね。

 

獅子風蓮


藤圭子へのインタビュー その14

2024-02-11 01:33:26 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
■四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


四杯目の火酒

   3


__ぼくはね、あなたに会ってこうやって話を訊きたかったわけだけど、こちらから話したいことが、二つあったんですよ。ひとつは、オルリーで見かけたということ。でも、もうひとつあるんだ。

「どんなこと?」

__そう、どう言ったらいいか……。

「なんか、恐そうな話だね」

__ハハハッ。 恐くなんかないけど……。

「なんか、そんな感じのする、しゃべり方だもん、少し恐いよ、ほんとに……」

__あなたに〈面影平野〉という曲がありましたよね。

「うん」

__阿木燿子が作詞して、宇崎竜童が作曲した。当代随一のコンビが、初めて藤圭子に書き下した曲、という謳い文句で。

「うん」

__いい曲だった。

「うん……」

__ラジオで聞いたとき、ぼくはすごくいいと思った。久しぶり、ほんとに久しぶりに、藤圭子が曲に恵まれたと思ったんだよね。〈面影平野〉が出たのは、2年くらい前のことになるかな。

「うん」

__これはヒットするぞ、と思いましたね。阿木さんの詞がすばらしかった。ここに歌詞カードがあるんだけど、

 女一人の住まいにしては 私の部屋には色がない
 薄いグレーの絨毯の上 赤いお酒をこぼしてみよか
 波紋のように足許に 涙のあとが広がって
 酔えないよ 酔えないよ
 六畳一間の 面影平野

宇崎さんの曲だって悪くなかった。ヒットする条件はそろっていた。なのに、なぜかヒットしなかった。

「でも、まあまあいったんだよ、あの曲」

__いや、あんな程度のものは、藤圭子にとって、ヒットでもなんでもないはずですよ。〈面影平野〉は、ヒットしなかった。

「うん……」

__どうして〈面影平野〉はヒットしなかったんだろう? 絶対にヒットしてもいいはずだった。ぼくはそう思う。なのに、なぜヒットしなかったのか。

「わかんないよ」

__わからないはずはないさ。

「でも……」

__曲が悪かったの?

「……」

__そんなはずはない。いい曲だった。阿木さんと宇崎さんの曲の中でも、最もいい曲のひとつだと、ぼくは思う。そうじゃないとすれば……。

「……」

__藤圭子のパワーが落ちたから?

「……」

__藤圭子の力が落ちた。だからなのかな?

「……」

__何故あんないい歌をヒットさせられなかったんだろう。

「……」

__藤圭子は、 藤圭子じゃなくなってしまったの?

「……そうさ。 そうだよ。 あたしは……あたしでなくなっちゃった。そうなんだよ」

__……。

「藤圭子の力は落ちた。そうさ、落ちたよ。それは誰よりあたしが知っている。力は落ちた。パワーはなくなった。そうさ、なくなったよ」

__……。

「だからヒットさせられなかった。沢木さんがそう言うなら、そうかもしれない。でも、藤圭子の力が落ちたことと、あの曲がヒットしなかったこととは、あたしには関係ないことだと思えるんだ」

__……。

「あたしにはね、あの歌がそんなにいいとは思えないんだよ」

__えっ?

「いや、みんないいって言うよ。スタッフのみんなも、テレビ局の人とか、歌のよくわかっている人は、ほとんどみんないいって言ってくれた。でも……いいとは思えないんだ、あたしには」

__あなたは、あの曲が好きじゃなかったのか……。

「好きとか嫌いとかいうより、わからないんだよ、あの歌が」

__わからない? あの詞が?

「そうじゃないんだ。すごくいい詞だと思う。やっぱり阿木燿子さんてすごいなって思う。でもね、そのすごいなっていうのは、よく理解できる、書かれている情景はよくわかる、そんな情景をどうしてこんなにうまく描けるんだろう、すごいなっていう感じですごいんだよ。たとえば、三番の歌詞なんて、普通の人には書けないと思う。

  最後の夜に吹き荒れてった
  いさかいの後の割れガラス
  修理もせずに季節がずれた
  頬に冷たいすきま風
  虫の音さえも身に染みる
  思い出ばかり群がって
  切ない 切ないよ
  六畳一間の 面影平野

特にさ、修理もせずに季節がずれた、なんて、やっぱりすごいよ」

__わからないって、さっきあなたが言ったのは、どういう意味なの?

「心がわからないの」

__心?

「歌の心っていうのかな。その歌が持っている心みたいなものがわからないの、あたしには。あたしの心が熱くなるようなものがないの。だから、曲に乗せて歌っても、人の心の中に入っていける、という自信を持って歌えないんだ。すごい表現力だなっていうことはわかるんだけど、理由もなくズキンとくるものがないの。結局、わからないんだよこの歌が、あたしには、ね」

__なるほど、そういうことか……。

「歌っていても、女としてズキンとしないんだよね」

__あなたにとって、ズキンとする曲だったのは、たとえばどんなものだった?

「たとえば……そう、〈女のブルース〉。

  女ですもの 恋をする
  女ですもの 夢に酔う
  女ですもの ただ一人
  女ですもの 生きて行く

この歌はよくわかった。歌詞を見たときからズキンときた。うん、そうだった」

__そうか、〈面影平野〉はあなたの心に引っ掛からなかったのか。

「そうなんだ、引っ掛からなかったの。だから、人の心に引っ掛かるという自信がないままに、歌っていたわけ。それでヒットするわけがないよね」

__それじゃあ、ヒットしないのも仕方がなかったかもしれないね。

「うん」

__仕方ない、うん。

「……」

__あなたに力がなくなったとか、パワーがなくなったとかっていう台詞は、撤回することにしよう。ごめんなさい。

「いや、謝ってくれなくてもいいんだよ、その通りなんだから。ほんとに、力が落ちたんだから、あたし。パワーが落ちたんだから」

__……。

「あの〈面影平野〉がヒットしなかったのは、あたしが詞の心をわからなかったから……だけじゃないんだよ。そう思いたいけど、やっぱり、藤圭子の力が落ちたから、なのかもしれないんだ」

__落ちた? なぜ?

「もう……昔の藤圭子はこの世に存在してないんだよ」

__どういうこと?

「喉を切ってしまったときに、藤圭子は死んでしまったの。いまここにいるのは別人なんだ。別の声を持った、別の歌手になってしまったの……」

__別人になってしまった?

「そう、別人」

__なぜ?

「無知なために……手術をしてしまったから、さ」

__そうか、喉の手術があなたを変えてしまったのか。

「そう……そうなんだ、残念ながら」


解説
〈面影平野〉という曲。
阿木燿子が作詞して、宇崎竜童が作曲した。当代随一のコンビが、初めて藤圭子に書き下した曲が、思いのほかヒットしなかった。

その理由を沢木耕太郎さんが藤圭子さんに尋ねます。

藤圭子さんは、喉の手術をしてから「藤圭子は死んでしまったの。いまここにいるのは別人なんだ」というのです。

どういうことでしょうか。


獅子風蓮


藤圭子へのインタビュー その13

2024-02-10 01:31:08 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
■四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


四杯目の火酒

   2


__前川さんと離婚して、次に好きな人があなたの前に登場してきたのは、いつ頃?

「わりと、間もなく」

__へえ、あなたも案外な人ですね。

「エヘへ。でも、あたしって、飽きっぽいらしくって、すぐ飽きてしまいました」

__ひどい人ですねえ。

「フフフッ。飽きっぽいというより、アッサリしてたのかな。好きな人がいたとしても、1ヵ月に一度くらいしか会わなくても平気だったの。その頃は、ね。こっちから電話したことないから、向こうから思い出したように電話があって……それで平気だった」

__その頃、それじゃあ、仕事以外のときは、いったい何をしておったのですか。

「そうですねえ……あっ、そうだ。毎晩、遊び呆けておりました」

__どんなふうに遊んでいたの?

「ディスコに行ってたんだよね。親しいテレビのディレクターや、フォーリーブスのメンバーと。コウちゃんとか、みんなと」

__コウちゃんて、北公次とかいう、比較的よくトラブルを起こす……。

「みんな気のいい連中でね。六本木のパブ・カーディナルで集合して、赤坂のディスコに行って、青山のクラブに行って、という感じで、毎日毎日、朝の6時、7時まで遊んでた。時には誰かの家で麻雀することもあったし……。あたし以外のメンバーは、ガールフレンドと遊んだりする日があるから、そのグループから抜ける日もあったんだけど、なぜかあたしだけは……」

__皆勤賞ものだったわけ?

「そう、そう言えば、いつも加わってた。ほかには、かまやつさんとかひろみ君とかいたし……」

__かまやつひろしに郷ひろみ?

「うん。そういう人たちが入っていたときもあるし、みんなでワイワイやってた。同じくらいの齢の人が多かったし、どういうわけか男と女という感じにならなかったから、永く続いたんだと思う、その仲間とは」

__どのくらい?

「2年くらい……何事もなく……女としては名誉なことかどうかわからないけど」

__まったく。

「部屋に遊びに行っても、ただレコード聞いたり、おしゃべりしてるだけなの。それで、毎晩、ディスコ」

__場ちがいな感じ、しなかった?

「ぜんぜん。そうか、言われてみれば、場ちがいなふうだけど、そのときは何も感じなかった」

__いま思うと、面白かった?

「面白かったよ。……面白かったと言えば、言えないことはない、というくらいかな。いま考えれば、ね。そのときはいいと思っていたはずだから」

__しかし、前川さんと離婚してから、あなたには実にさまざまなことが、起きちゃうんですよね。

「そうでもないよ」

__まず御両親の離婚があったでしょ。

「うん……」

__ここにある、週刊誌のコピーを見ただけだって、あなたにとっては凄まじい体験だったろう、と思うよ。記事のタイトルだけだって壮烈だもん。〈娘・藤圭子を奪いあって両親が離婚!〉〈娘・圭子を離婚させたのは、父・阿部壮だ!〉〈無惨!藤圭子一家の『人間崩壊』〉〈藤圭子が実父と絶縁! 問題の父はテレビで“真相”を暴露〉と続いた……。

「……」

__よく耐えて、頑張ってきた。

「あたしはね、ただお母さんとお父さんを離婚させてあげようとしただけなの」

__どうして?」

「お母さんの望みだったから」

__なぜ?

「それが昭和48年だよね。その年、紅白歌合戦に出場しなかったわけだけど、それはどうしてなの?

「知らないよ、そんなの、向こうが勝手に選ぶことなんだから」

__家族のことやなんかで、スキャンダラスな出来事が続いたからかな。

「わかんないよ。規準なんてないんだから、どんな理由なのか」

__口惜しくなかったの?

「それは、口惜しいですよ。筋が通らないんだもん。テストの80点以上とか以下とかいうんじゃないんだから。そういうのなら、はっきりしていて気持がいいけれど、そうじゃないんだよね。あんな番組に出たくはないけど、向こうが選ぶというのに、選ばれないのはやっぱりシャクじゃない。人と比較して……されて、それでただ理由もなく、勝ち負けが決められてしまうわけじゃないですか。人に負けるのはいやだったから、それは口惜しかったですよ」

__腹が立った?

「うん、荒れた」

__荒れた?

「いや、荒れたといっても、NHKが選ばなかったということが、直接の原因じゃないんだよ。シャクだけど、選ばないのは向こうの勝手なんだからね、それはよくわかってた。あたしって、自分が納得できさえすれば、どんなことでも平気な性分でしょ。だからそのときにね、マネージャーが、紅白に落ちましたけど別にいいじゃないですか、来年からNHKに出なければいいんですから、と言ってくれるようだったらよかったの。藤圭子を選ばなかったんだから、それは来年に藤圭子を必要としないということなんだろう。納得がいかないのに、NHKだからといって尻尾を振ることはない。藤圭子が出ないからといって、NHKは痛くもかゆくもないだろうから、来年からNHKに出ることは一切やめましょう、と言ってくれるマネージャーがいなかったことに腹を立てたの。もし、そんなふうに頑張ってくれるマネージャーがいたら、そのことで落ちぶれて駄目になっても満足だった。自分で納得できるもん」

__女にしておくには、もったいない性分だね、まったく。

「それでマネージャーに言ったわけ」

__沢ノ井さんに?

「ううん、事務所は大きくなって、いろんな人が入ってきていたんだ」

__で、そのマネージャーに、どう言ったの?

「向こうが出さないっていうんだから、こっちも出るのやめようよ、来年のNHKのスケジュールをとるのはやめよう、って。そうしたら、蒼くなって、そんなことはできないっていうわけ。でも、あたしはあたしの筋を通したかったんだ。選ばれた人より、あたしの方が劣っているとは、どうしても思えない。でも、NHKは劣っているとみなした。だったら、こっちにもNHKを拒絶する自由があるじゃない。そうしたら、事務所の人やレコード会社の人がみんなで来てね。マネージャーは、そんなことをしたら芸能界では生きていけない、というわけ。あたしは後悔しない、と言ったんだ。それより、向こうが拒絶しているのに、こっちから尻尾を振っていく方がよっぽど耐えられないよ。でも、ついに、わかってもらえなかったの。そこで、爆発してしまったわけ。どうして、あなたたちには意地っていうものがないのって」

__気持はよくわかる。しかし、そのマネージャーの肩を持つわけじゃないけれど、そんなことして芸能界でやっていけるかな。

「うん、あたしがマネージャーだったら、そうするね。藤圭子という歌手の性格をよく知っている、頭のいいマネージャーだったら、そうしてたね。あたしは、そこでガッカリしちゃったの。ああ、みんな、その程度の考え方なのか、その程度の仕事なのか、って」

__しかし、事務所をひとつの企業として考えれば、それをやらせるのは酷だよ。

「でも、どんなことでも筋は通すべきだと思うんだ」

__たとえ、それでメタメタになっても?

「そんなことで駄目になるようなんだったら、その人に力がなかったというだけのことだよ」

__それはそう。ぼくもそう思う。

「そんなとこで媚を売らなけりゃならないような才能だったら、タカが知れてるよ」

__それにしても……仕事の話になると、ほんとにきつい顔になるね、あなたは。

「えっ、ほんと?」

__うん、ちょっと恐いくらいの感じになる。

「フフフッ」

__しかし、紅白歌合戦自体には、何の魅力も感じなかったのかな、あなたは。

「うん」

__初めて出たときも嬉しくなかった?

「うん」

__無感動?

「うん。初めて紅白に出たときも、ずいぶんシラけた番組だなあと思ってた。お客さんもシラッとしてて、舞台の袖で、ディレクターが一生懸命になって手を振っているのに、少しも拍手しないんで、一緒になってその横で手を振ってあげた記憶がある」

__へえ、あなたが?

「うん。でも、紅白って、いつ出てもくだらないことをやらせるんだよね。昭和50年に紅白にカムバックさせられたときも、嬉しいというより、シラけてたよ。NHKって、個人的にはすごくいい人が、ほかの局より多くいるのに、あれはどういうんだろう。50年のときも、ライン・ダンスをやれというの。その前後の何年間か、紅組女性チームの全員で網タイツをはいて、ライン・ダンスをやらせるというのが続いていたの。ダルマっていうんだけど、そういう姿でね。あたしは絶対にいやだって頑張ったの。あたしは歌を歌うために出るんだし、そんな恰好をする義務はないって断わったの。ところが全員でやるんだからといって、説得に来るわけ。どうしてもやらなければ駄目というなら、紅白に出なくても別に構わないと言ったんだ。そうしたら、みんな蒼くなって、NHKの人も来たの。だから、あたしは体に自信がないし、そんな姿を見せるのも恥ずかしいし、って頑張ったの。そう言われれば、向こうも仕方なかったらしくて、ようやく諦めてくれたの」

__結局、その年、ライン・ダンスには参加しなかったの?

「うん。島倉千代子さんなんかと、応援をするようなふりをして、横で立っている役にしてもらった」

__なるほどね、そのいきさつもあなたらしい。それって、昭和50年だよね。

「うん」

__でも、50年に、特別いい歌に恵まれたということはなかったように思うけど。

「そうかもしれない」

__50年の冬にパリのオルリー空港であなたを見かけたでしょ。それが大きいんだろうけど、日本に帰ってからも、あなたのことが気になってね。

「そう……」

__しかし、あなたにはヒット曲らしいヒット曲が出ないんで、どうしたんだろうと蔭ながら心配していたんですよ。ヒット曲が出る出ないはどうでもよかったけど、いい歌を歌わなくなった。どうしてだろうと不思議だった。

「事務所を移籍してから、ほんとにいい歌にめぐまれなかった。いい歌というか、あたしが好きな歌に。あたしが好きな歌、ほんとに一曲もなかったもん。どうして、どうして、こんな歌あたしが歌わなければいけないの、どうしてって、そんな曲ばかりだった」

__沢ノ井さんのところから、新栄プロダクションという事務所に入ったんですよね。それはなぜ?

「もう行き詰まってしまったの。沢ノ井さんの作品も事務所の経営も、あたし自身も。沢ノ井さんとあたしのあいだには、何ひとつ契約があったわけじゃないから、どうしようと自由だったんだけど……」

__新栄は沢ノ井さんに3000万か4000万の金を払ったと言われているよね。その金で、沢ノ井さんは事務所を整理したわけか、なるほど。

「その辺のことは、あたし、よく知らないんだ……」

__だけど、新栄に移っても、その行きづまりは解消できなかったわけなんだね。

「うん……」

 


解説
前川清と離婚したあとは、フォーリーブスの北公次や、かまやつひろし、郷ひろみといった仲間たちと毎晩のように遊んでいたという。

しかしプロダクションを移ってもいい曲に出会えず、だんだん煮詰まっていく。


獅子風蓮