獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その18

2024-02-12 01:39:04 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口


5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
  宗教が変わるだけでは、宗教2世問題は解決しない


オウム真理教事件で直面した2世問題

――江川さんはジャーナリストとして、オウム真理教をはじめ新宗教やカルトの問題に取り組んでいます。そんな江川さんに宗教2世について話を伺います。
最初にお断りをしておくと、このインタビューに、江川さんが取材をしてきたオウム真理教と、ぼくが長く活動してきた創価学会を、カルト教団として同列に論じる意図はありません。 

江川 わたしも、創価学会をオウム真理教のようなカルトだとは思っていません。むしろわたしは、それぞれの教団をカルトか否かという判断するのは、意味がないと思っています。どんな組織であれ、カルト性、つまりカルトの性質を帯びることはあるからです。

カルトには、「反社会的行為をする」とか「人権を侵害する」「閉鎖的なコミュニティをつくる」といった性質がありがちです。テクニカルな話でいえば、「恐怖心で人を縛る」「教団名を伏せて勧誘する」といったことも多い。ですから、私はカルトかカルトでないかではではなく、そのような性質が多いか少ないか、カルト性が高いか低いかという比較級の考えかたで、それぞれの宗教団体について考えるようにしています。
伝統的宗教とされているカトリック教会にだって、カルト性を帯びた一面はあるわけですから。

――カトリック教会の場合は、聖職者による子どもの性暴力が問題になりました。

江川 少なからぬ聖職者が宗教的な上下関係を利用し、地獄の怖さで脅して子どもに性虐待をしていました。しかも、組織的な隠蔽もあった。これはまさにカルト性があらわにな ったとしかいいようがありません。
ただ、カトリック教会がいわゆる「カルト教団」と違うのは、問題が発覚したとき、各地でカトリック教徒たちがデモ行進をして、「ローマ教皇の対応は生ぬるい」と批判し、退位までもとめたことです。かなり高位の聖職者の退位も要求していました。自分たちの宗教のなかにあるカルト性を、信者がみずから刈りとろうとした。組織トップの退陣を迫るなんて、オウムのような集団では考えられません。

性虐待という面でカトリック教会には「カルト性があった」と思いますが、その後の自浄作用を見れば「全体としてカルト性は極めて低い」と判断することができます。このように、宗教は多角的に見ていったほうがいいと思います。
カルト性という切り口で見るなら、創価学会にもカルト性はあるでしょう。創価学会のなかにも個々別々、いろいろな問題があることはわたしも聞いています。ですが、組織全体としてのカルト性の高さはそれほどでもない気がします。

――江川さんは創価学会2世など、宗教2世とも交流をもっているのでしょうか。

江川 エホバの証人やオウム真理教の宗教2世とはお会いしたことがありますが、そんなに多くはありません。
わたしには大きな反省があるんです。オウム事件が起きたとき、わたしは宗教1世、とくに事件を起こした信者たちが、なぜオウム真理教に傾倒したのかという取材をかさねていました。その一方で、オウム2世の問題には、十分に取り組めていなかったのです。
当時、オウム2世の子たちは教団施設に監禁され、事件発覚後は警察の力を借りて児童相談所に保護されました。やがて、祖父母のもとに戻されたり、親に引き渡されたりしました。今考えれば、そうした子どもたちがどのように生活し、社会に溶けこめているかどうかを見ていくことも必要でしたが、当時のわたしにはそういう発想が欠けていました。

だから、オウム2世に会ったときには謝罪しました。「あなたたちの苦しみを全然受け止められず、申し訳なかった」と。
親が教団に全財産をお布施していますから、社会と隔絶した教団施設から出たときは一文なしです。しかも地下鉄サリン事件後は、社会全体がオウム真理教に大バッシングをしていました。親戚の目も冷たい。そんななかで、必死に生きる道を切り開いてきた2世が、年とった親の面倒を見る年代になっている。困難な人生を歩むことになったのは、親の入信が原因という思いはぬぐえないでしょうから、これは大変ですよ。


オウム元信者の後悔――違和感を封じこめずに生きろ

――壮絶な状況ですね。そういった宗教2世をケアするには、なにがポイントにな りますか。

江川 あたりまえのような話ですが、必要なのは、普通に付き合いができる人間関係だと思います。ただ、これは教団内に「教団の『外』の人とはつき合うな」という文化があったり、社会の側にカルト的な集団に対する拒否反応が強かったりすると、そうした関係を結ぶのが難しくなります。

宗教2世であることがわかっても、「わたしはあなたの宗教には参加しないからね」ときっぱり断ったうえで、ほかの友だちとおなじように付き合ってくれる友人がまわりにいることが、とても大事だと思います。そうすれば、教団に疑問を感じたときには離脱するなど、自分自身の選択を広げることができるからです。
そういう関係をまったく持てずにいたり、教団の外に居場所がなかったりすれば、組織を抜けたらひとりぼっちになってしまうわけですから、怖くてやめられないでしょう。教団にとどまる以外の選択ができにくくなります。
それを考えると、教団の外に信頼できる人がいるような環境づくりは大切ではないでしょうか。

――江川さんは学校でカルトについて教えることの大切さも訴えられています。

江川 いわゆる「カルト教育」ですね。先ほどのべたカルト性の中身や、カルト性が高い集団と接触したときの対応方法などを教えるべきだと考えています。
カルト性というのは、なにも宗教にかぎった話ではありません。マルチ商法などもそうですし、政治的なカルトともいえる集団も存在します。そういうところからどうやって自分の身を守るのかを、きちんと教育の現場で教えていくべきだと思っています。

――人の心が操作されやすいものである、ということも学生に伝えているとか。

江川 大学の授業で教えています。人の心は案外もろいもので、いついかなるときも、おなじ心のモノサシを維持しておくのは難しい、と知っておくことが大事だと思うんです。なので、宗教にかぎらず、戦争が人をどれだけ変えてしまうかなどについても考えます。たとえばベトナム戦争では、武器を持たない子どもや老人まで虐殺するような事件が起き、イラク戦争でも米兵が現地の人にひどいことをしたわけですが、そうした兵士たちも、平時に祖国では、まっとうな市民で、親からすれば「とてもいい子」であり、子どもにとっては「いい親」だったりするわけです。
なにも、もともと残酷な人がひどい事件を起こすとは限らない。場の雰囲気や支配関係など、いろんな状況が重なれば、人の心は簡単に誘導されたり操作されてしまう。そんな話を学生にしています。

――オウム事件にも通じるところがありますね。江川さんの著作のなかには、オウム元信者が事件後の手記などで「後悔していること」として、つぎの2つをあげていることが印象的でした。
「違和感を封じてしまったこと」と「自分の頭で考えなかったこと」。
これら2つは、自分の心を操作されないという視点でも大事だと感じました。
宗教2世がサバイブしていくうえでも、この2つはとても重要です。

江川 教団のなかにいると、教祖がいうことや教団がいうことが絶対に正しくて、深遠なものであり、仮に信者が違和感を抱いたとしても、それは「自分が至らないから」「勉強不足だから」「信心が足りてないから」と自分を責めてしまいがちですよね。そうやって、自分で違和感や疑問を封じてしまうわけです。
オウム事件で無期懲役刑に服している受刑者に「学生に伝えたいことを書いてください」とお願いしたら、やはり「違和感を大事に」というメッセージを戻してきました。長く信仰をしていると、「なにか違うな」「変だな」「イヤだな」と思う瞬間だって経験しているんです。その違和感を大事にすればよかったと後悔しているんです。

ただし、違和感を抱いたときに教団のなかの人に相談するのはオススメしません。教団だってそういう対応には慣れていますから、信者の違和感はつぶされてしまいます。だからこそ、そういうときは教団の外の人に相談することが大事になるんです。

――信者のなかには選民思想のようなものをもって、外部の思想を忌避したり見下したりする人もいます。宗教や信者によっては、外の世界に相談するのも難しいかもしれません。

江川 そうですね。それでも、外の世界に普通に話ができる人がいれば、ふと話をしてみようという気もちが湧いてくることがあるかもしれない。そういう機会があるのとないのでは違うと思うんです。

――社会に出て、いろいろな価値観と接することができれば、選民思想をもった人でも「自分の信仰が絶対とはかぎらない」と気づくかもしれませんね。

江川 それには時間がかかるかもしれません。周囲とのズレや失敗をある程度、許容してくれるような人と出会えれば、宗教2世の置かれた状況も変わってくるんじゃないかと思うんです。


「自分の頭で考えること」でカルトにあらがう

江川 これは、オウム事件で服役していた元女性信者の話ですが、彼女が教団にいたとき、すべては教団幹部が決めていて、自分はいわれたことを実践するだけだったそうなんです。自分の頭で考えて行動していたわけではなかった。
その後、刑務所に入ったあとも、今度は彼女に命令する人が変わっただけで、やっぱり看守の指示に従って暮らしていた。
ところが、刑務所の外に出ると、自分でなにもかも決めなければならなくなる。自分で判断して実行に移したことには、自分が責任をとらなくてはならない。そういったことを、彼女は教団をやめて、はじめて体験したわけです。そんな彼女を支えてくれる人もいたようです。
そうして、さまざまな経験をかさねていくうちに、彼女にも失いたくないものができてきた。そのときに彼女ははじめて、肌で感じたというんです。
「ああ、わたしたち(オウム真理教)は、たくさんの人の『失いたくないもの』を壊してしまったんだ」と。
彼女は社会のなかで、少しずつ新しい価値観を育んでいきました。それには時間がかかります。ときには苦しい実践にもなります。失敗も挫折も経験します。
ただ、時間をかけていろんな経験をしたからこそ、彼女は再生することができた。
「時間がかかること」や「失敗」「挫折」が許容される社会や人間関係がないと、彼女の今の居場所はなくなってしまいます。

――宗教2世にとって、居場所は大切なテーマです。居場所を確保するには、社会の側も、宗教2世を迎えいれる懐の広さがなければなりません。

江川 わたしは、社会のなかにもいろんなカルト性が存在すると思っています。とくに、現代社会はカルト化が急速に進んでいると思います。「お前は敵か味方か」といった二元論的な発想が強まっていますし、自分が信じているものが100%正しくて、ほかは間違っていると相手を敵視するような、極端な態度をとる人もいる。
そういった社会のカルト化にあらがうには、自分のことをある程度、客観視してみて、そのうえで「自分の頭で考えること」も大事ですよね。

――自分が極端な発想に陥っていないかと点検をする意味でも、自分の頭で考えることが大切ですよね。
また、社会のなかにもカルト性があるとのお話でしたが、社会の側も、自分たちの価値観に宗教を同化させようとするばかりではなく、互いにみずからのカルト性を自覚しつつ、考えをつき合わせながら調整して、「ちょうどいい落としどころを探そうよ」というスタンスで向き合うことも、大切だと感じました。
大事な視点を教えてくださり、ありがとうございました。

 


解説
違和感を封じこめずに生きろ
自分の頭で考えること

いずれも、カルトおよび創価学会の2世にとって、大切なことですね。

 

獅子風蓮