獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

正木伸城さんの本『宗教2世サバイバルガイド』その16

2024-02-07 01:07:13 | 正木伸城

というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。

本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。

(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん 
謝辞
宗教2世の相談窓口

4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

□無理に教団から退会する必要はない
■宗教2世について発信するときに抱える葛藤
■「宗教2世」を豊かに語れる社会を
□あなたは、おかしくなんかない!
□宗教のために人間があるわけではない


4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ

 

宗教2世について発信するときに抱える葛藤

ぼくは、じつは「やめる/やめない」にはあまり関心がありません。そこで葛藤はしていないんです。むしろ、べつのところで葛藤を抱えています。
宗教2世にはさまざまな人がいます。置かれている境遇は、教団によっても、また家庭や個人によっても異なります。
たとえば創価学会2世だけを見まわしても、信仰に熱心な人もいれば、教団に所属しているだけの人もいる。信仰活動に消極的な人や、教義には関心があるけれど実践はしない人、組織は嫌いでも“池田先生”は好きだという人もいます。
現在のぼくは「教団に所属しているだけの人」にあたるでしょう。もちろん、なかには脱会した人もいる。

2022年からつづいている宗教2世の報道では、宗教2世の「被害」ばかりがクローズアップされる傾向にありますが、宗教2世のなかには、なんら被害を受けることなく、平穏に過ごしている人もたくさんいます。
一方で、やはり深刻な被害を受けている宗教2世もいる。
宗教2世というと、ともすると「カルト宗教の子だからかわいそう」とか、もの珍しげに見られる対象になっているとか、そういう扱いかたをされたりしますが、現実の宗教2世は、かくも多彩なのです。
それにもかかわらず、宗教2世の被害者に偏った報道ばかりがなされていくと、どうなるでしょうか。
個々それぞれで異なるはずの信仰者や教団が、「宗教」という言葉によってひとくくりにされ、ネガティブなイメージをまとってしまいます。
新宗教といっても、その実態はさまざまです。
それなのに、新宗教が十把一からげに「被害を生み出す存在」として社会に再認識されてしまうこともあります(念のために断りを入れておきますが、これは「創価学会がなんら問題のない団体である」ということを主張するものではありません)。
それは、看過してはならない事態だとぼくは考えている。
しかも、その影響は思わぬところに出ます。
たとえば、それまで被害など意識したこともなかった宗教2世が、世間の偏見にさらされ、新たに被害を受けたり、生きづらさを抱えるようになったというケースが、少ないながらも発生しています。
そこに、ぼくは葛藤を抱くのです。
ぼく自身の「宗教2世にかんする語り」もまた、その流れを助長してしまう可能性をはらんでいるからです。
宗教2世の被害は看過したくはない。だから、そこにクローズアップして声をあげたい。でも、そうすると、新たに生きづらさを抱く宗教2世が出てきてしまう。ぼくも、そこに加担してしまうかもしれない――こうした葛藤があるのです。


「宗教2世」を豊かに語れる社会を

宗教2世のなかには、被害に苦しみ、人生を台なしにされたと感じ、苦衷のなかで孤独を味わっている人も多くいます。ひもじい思いをした人もいる。虐待を受けた人もいる。トラウマやPTSD(心的外傷後ストレス障害)を抱えた人もいます。
ぼくの友人は、宗教2世としての経験を苦に、自死しました。
ぼく自身も死にかけたし、長らくうつ病も経験しました。
これが、現実です。
この状況は、絶対に看過してはなりません。

一方で、べつの良心的な教団に所属する友人は、2022年来の宗教2世問題の影響で、まわりから「あいつ、○○(教団名)の信者らしいよ」と後ろ指をさされるようになって、悩んでいると語っていました。
以前まで、そんなことはなかったのに……。
おなじきっかけから、宗教をネタに学校でイジメにあいはじめた子もいます。
これらは極端な例かもしれません。ですが、少なくとも新宗教のイメージはダウンしています。そこにイヤな思いを抱いている宗教2世もいます。
こういう側面をまったく無視して、宗教2世の被害を手放しで強調しつづけることは、ぼくの本意ではありません。
このことを勘案しながら、ぼくは悩んでいます。

悩んでいます。
が、やはりぼくとしては、結論的に「声をあげざるを得ない」と判断しました。そう判断したし、いうからには声を大にしていおうとも思いました。
ぼくの葛藤の内容は、「被害を訴えることをやめろ」とか「訴えかたに配慮をしろ」といったことを主張するものではありません。
被害者は、遠慮なく被害を訴えていい。

(以下省略)

 

 


解説
このへんの話は、創価学会の場合と旧統一教会、エホバの証人などのカルトでは事情が異なるので、一緒くたにすると分かりづらいですね。

旧統一教会、エホバの証人などのカルトの場合、2世の被害者の苦しみは、創価学会のそれと比べるとはるかに大きいでしょう。
被害者の救済という意味でも、新たな被害者を出さないためにも、カルト宗教はきちんと批判されてしかるべきかと思います。

創価学会の場合も、折伏の強引さ、正体を隠しての勧誘、入信してからの「成果主義」、金銭的な収奪など、カルト的な要素がなくはないので、その点での批判は妥当かと思います。

正木伸城には、ぜひ創価学会に的を絞った議論を、これからしていってほしいと思います。


獅子風蓮