獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子へのインタビュー その18

2024-02-20 01:02:27 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
■六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


六杯目の火酒

   1

__気がつかないうちに、5杯目もカラになっていましたね。ぼくはもちろんもう一杯もらうけど……どうします、あなたは。


「もらうよ」


__平気かな?


「平気だよ」


__リミットの5杯は超えたけど。


「もう少し呑みたい。呑もうよ」


__ぼくはいいけど……。


「大丈夫、大丈夫……呑みたいんだから」


__オーケー。それにしても、あなたがウォッカなら呑めるというのは、こうやって長く話してみて、なんだかわかるような気がしてきた。 あなたにはウォッカがふさわしいみたいですね。


「そう?」


__何かそんなふうな気がしてきた。あなたには、一度、花酒(はなざけ)を呑ませてあげたいな。


「花酒?」


__そう、花酒。綺麗な名前でしょ? 沖縄のずっとはずれの、もう台湾に近いあたりに与那国という小さな島があってね、そこで作られる泡盛なんだ。透明で、ウォッカのような酒なんだけど、アルコールの度数が70なんていうのがあるんだ。


「すごく強いお酒だね」


__口に含むと、カッと口から喉にかけて熱さが広がってね、とても気持がいいんだ。強いけど複雑さのない、まっすぐな酒なんだ。


「へえ……花酒か……呑んでみたいね」


__うん、あなたにこそ、呑ませてあげたいな。


「花酒……ね」


__ここらへんで、いままでとは少し違う話をしてみようと思うんだけど。


「いいよ」


__そうだなあ……それじゃあ、どんな話をするかなあ。


「どんなのでもいいよ」


__あなたは、夢を見る?


「よく見る」


__どんな夢なんだろう。


「昨日は……空を飛んでる夢を見た」


__空飛ぶ夢を見るんですか、あなたは。


「よく見るんだ」


__よく見る? 空飛ぶ夢を?


「うん」


__人間には二つタイプがあって、空を飛ぶ夢を見るタイプと水を泳ぐ夢を見るタイプがあるそうなんだ。それは人間が、鳥から進化してきた人間と、魚から進化してきた人間と、二つのタイプがあるからなんだって。


「ほんと?」


__嘘。


「そうだろうと思った。だって、あたし、水を泳ぐ夢も見るもん」


__ほんと! 実際はどうなの、泳げるの。


「ちっとも泳げないんだ、これが」


__夢で泳ぐときは、どんな水着をつけて泳いでいるの」


「水着はないの」


__えっ? 水着、持ってないの?


「そうじゃないの。裸で泳いでいるの」


__真っ裸で泳いでいる、っていうこと?


「うん」


__全裸で?


「そう。気持がいいんだ」


__なるほど、もしぼくが精神分析家だったら、その夢だけで、実に濃厚な夢判断をするだろうな。それで、その夢はどんなときに見るのかな。


「いろいろだなあ、それは。追いかけられているときもあるし……」


__夢で、追いかけられることが、結構、あるの?


「うん、よく逃げてる。追いかけられて、追いかけられて、必死になって逃げるんだ」


__どこを逃げてるんだろう。


「それは旭川。旭川の山とか森とかを逃げているの。そういうときに、ふわっと空を飛ぶんだ。どんどん高く飛んで雲を突き抜けると、そこにはもうひとつの世界があって、そこに着くとなんともいえないくらい気持がいいんだ。爽やかな気持になって、スーッとする」


__なるほど、ね。逃げてるときに泳ぐこともあるの?


「うん、ある」


__河、それとも海?


「河」


__どこの河?


「旭川の近くを流れている河」


__海はないの?


「そう……なくはないな。少ないけどあるな。裸で泳いでいて、とても気持よくて、向こうに島か陸があって、辿り着くと別の国なのね」


__ほんと?


「嘘ついても仕方ないでしょ」


__しかし、あなたみたいな仕事をしている人としては、まるで絵に書いたようにピッタリしすぎる夢なんで、まったく奇妙な感じがするくらいだなあ。よほどあなたはストレートな人なのかな。ストレートと言うか、単純と言うか……。


「それじゃ、まるで馬鹿みたいじゃない」


__ハハハッ。あるいはね。


「お金を拾う夢もよく見るな……」


__面白いなあ、それも。


「そこいら中にお金が落ちていて、拾っても拾ってもある」


__どういうお金なの。百円玉、それとも一万円札?


「五円とか十円とか、五百円札とか……一万円の札束なんていうのはない。みんな小さいお金だなあ」


__それが、拾っても拾っても、そこら辺に落ちているわけだ。


「うん」


__どうしてそんな夢を見るんだと思う、自分では。


「小さい頃、よくお金を拾ったからじゃないかな」


__そんなにしょっちゅうお金を拾ったの。


「……」


__小さい頃、そんなに?


「……拾いに行ったんだよ」


__拾いに行った?


「縁日なんかあるでしょう。そうすると次の日の朝に拾いに行くの。そうすると、五円とか十円とかがよく落ちていたんだよ。玉砂利の陰なんかに隠れていたりしてね。それを下向いて探して歩いたの」


__そうか、そう言えばぼくにも覚えがあるな。縁日の翌日にお寺に行ってみると、紙屑なんかが散らばっていて境内は寂し気なんだけど、時として硬貨が落ちているのを見つけたりして……。


「覚えがある? そうなんだよね、よく落ちてたんだよね。うちにはお金がなかったから……お金がほしくて……拾いに行ったんだ。縁日だけじゃなくて、いつも落ちてないかな、と思って下を向いて歩いてたよ。そう、そうなんだよ」


__しかし、金を拾う夢なんて豪儀でいいじゃないですか。昔の占師だったら、その夢判断をすれば、仕事をすれば大成功するタイプとかなんとか言うのと違うかな。もしかしたら、引退したとたんに見なくなったりして……。


「もしかしたら、ね」


__夢の話の次は……そうだな……そう、劣等感。あなたにはコンプレックスがある?

「それはあるよ」

__ある?


「コンプレックスのかたまりだよ」


__ほんとに?


「小さいときから、コンプレックスだらけだったよ」


__いま、こうしてあなたと会っていると、そういう感じは受けないんだけど、ね。


「そんなに卑屈なコンプレックスではなかったと思うけど」


__あなたみたいな人でも、やっぱり劣等感を持つんだね……。


「自分はコンプレックスのかたまりだって、小さいときから思いつづけていた。何なんだろうこれって」


__意外だね、それは。子供のときは、どんなことが原因だったんだろう。


「やっぱり、貧乏、かな」


__それは確かにつらいことだけど、そんなに強いコンプレックスの原因になる?


「人って、やっぱりお金を持っていれば、いい服を着られるじゃない。いい服が着られるのは悪いことじゃないよね。だいいち気持がいいじゃない。汚ない洋服を着てたとき、やっぱり恥ずかしかったもんね」


__それは、そうなんだろうね。女の子だもんな。ぼくなんか、一着の洋服を5年着て暮らしても平気だけど。


「大きくなってからもあったなあ。とても強く覚えているのは、デビューする少し前のこと。いまでもよく覚えている。まだ、沢ノ井さんのとこに下宿していなかったんだ。その頃、沢ノ井さんに連れられて、渡辺プロダクションに行ったんだ。なんとかさんていう人に会うために、ね。この子が間もなくうちからデビューしますのでよろしく、とかなんとかいう挨拶まわりだったんだ。その人が近くの喫茶店に連れて行ってくれて、そこで3人で少し話したんだけど……そのとき、ウェートレスが注文を取りにきたんだよ。何でもいいから、ってその人に言われて……あたし、とてもおなかが空いてたの、そのとき。そのときっていうより、いつも、かな」


__駅前の立喰いそばが食べたくても食べられなかった、ってさっき言っていたものね。


「うん。おなか空いてたから、コーヒーとかジュースじゃなくて、食べ物を頼んじゃったんだよ。スパゲティーだったのかな。その人がなんでもいいと言うもんだから。いま考えれば、いくら何でもいいからといって、喫茶店で食べ物を注文することはないんだよね、しかも、初対面の人なんだから」


__でも、仕方ないよな、おなかが空いていたんだから。


「そうなんだ、食べられなかったんだ。そうしたらね、その人が席を立って、沢ノ井さんを出口の方に呼んでね、何か話してるの。あたしは、何がなんだかわからなかったけど、あとで沢ノ井さんから話を聞いて、ほんとショックを受けた」


__その食べ物のことで、何か言われたの?


「その人はね、沢ノ井さんに言ったんだって。それはまず服装のことだったんだ。デビューをこれからしようという子なんだから、人と会うときくらい、もっとマシなのを着てこさせろ、って。よっぽどみすぼらしい恰好で行ったんだろうね、あたし。流しに行くようなままの、そんなの着てたんじゃないかなあ」


__そうか……。


「そのうえ、初対面なのに、喫茶店でスパゲティーなんか注文して、と沢ノ井さんに厭味を言ったんだって」


__くだらない野郎だね、そいつも。


「ショックだったなあ、それを聞いて。家に帰って泣いたもんね。汚ない服を着ることは、ちっとも苦じゃなかったの。でも、人から見ると、そう見えてしまう。もっとマシな服を着ろと思われてしまうんだ、ってことがショックだったの。貧乏だってことはそこでスパゲティーを頼んじゃうってことなんだよね」


__でも、仕方がないよ、それは。


「うん、よくわかってたんだ、そのときも。でも、つらいことはつらかった」


__しかし、沢ノ井さんも沢ノ井さんだな。そんなこと、あなたに伝えなくてもいいのに、腹に収めておくべきことなのに、マネージャーなら。


「フフフッ。そういうとこ、あの人、とても抜けてるんだよね」


__なるほど、そういうところからくる、微妙なコンプレックスが、あなたにはあったわけなのか。


「そうだね。田舎者だし……都会に出てきて……やっぱり、オドオドしてたよ。つまらないことだけど、レストランに連れて行かれて、フォークとナイフを見ただけで、すくんじゃったよね。緊張しきって、間違えないだろうか、失敗しないだろうか……って」


__そうだ、そういうことはあるよな。


「自分では当り前の洋服を着て、当り前の行動をとっても、人から見ると、汚ない服を着て、恥ずかしい行動をとる、というふうに見られる。自分は一生懸命働いて、貧乏なんか当然と思っているのに、人はそう見ていてはくれないんだ、っていうことがショックだった」


__16、7の女の子が、健気に流しなどをして頑張っているというのに、まったくなあ。


「デビューしてからも、それは長く続いたなあ。昔は、いまほど人としゃべらなかったの。声が出なくなるから貯めてたということもあったけど、コンプレックスが強くて、自分を出せなかったんだろうね」


__ふてぶてしそうに見えていたけど。


「あれで、ずいぶんオドオドしてたんだよ」


__で、いま、少し自由にしゃべれるようになっているとすれば、そのコンプレックスがなくなっているからかな?


「そんなことない。まだ、あるよ、しっかりと」


__ほんと?


「いまでも、コンプレックス、たくさんある。あまり強く意識することは少なくなったけど、ああ、自分が、いま、こう反応しているのは、コンプレックスのせいだ、なんて感じることはあるんだ」


__それはなぜなんだろう。ただ、貧しかったから、というだけじゃないような気がするんだ。性格もあるのかな。


「そうだね、同じように育っても、お姉ちゃんには、そういうのってないからね」


__それって、どうしてなんだろう?


「どうしてなんだろう……」


__何がそうさせたんだろう。


「……きっと、寂しかったんだね」


__何が?


「芸人って、昔はさ、こう、なんて言うのか……人の世話になって生きていくみたいな……そういうのが……どうしてもあったんだよね。いまは、みんな偉そうに、ファンの人なんかに、やあ、諸君、聞きたまえ、なんて感じで歌っているけど……昔は、みんなに聞いてもらって、お花をもらって……いろんなとこで泊めてもらったり、世話になったりして……流しだってなんだって、芸をやって、それでいくらかのお金をもらって、生きていくわけじゃない。そういうことがあるんじゃないかな、あたしには。子供の頃からずっとそうじゃない。やっぱり恥ずかしかったんだろうね。近所で歌うのはいやだったから……恥ずかしかったんだろうね。人に世話になって生きているっていうのが……いやだなあ、恥ずかしいなあと、思ってたんだろうね。きっと、そういうこともあるのかもしれない」


__なるほどね。あなたは、ずいぶん小さいときから、芸人として生きてきたわけだからなあ。


「そうなんだよね。芸人って……やっぱり、恥ずかしいんだよね……」


__芸人って、恥ずかしいか……。


「そうか……あたしにはそれが、いつもいつも、頭の片隅にあったのかもしれない。そう か……そうなのか……」


__芸人……の子、であり、芸人そのものだったんだからね……。

 


解説

小さな時に貧乏だったことが、抜きがたいコンプレックスになっているという話です。

私も、貧乏な創価学会員の親のもとに生まれたので、こういう話には共感を覚えます。

 


獅子風蓮