獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

藤圭子へのインタビュー その20

2024-02-24 01:14:10 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
■七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


七杯目の火酒

   1


__どうしよう。

「えっ?」

__もう一杯もらったりすると、あなたは危険水域に突入しちゃうかな。

「ああ、お酒?」

__うん。

「ぜんぜん平気だから、もう一杯もらいたいな」

__そうしようか。

「なんだか、 とてもいい気分」

__こっちも、同じような気分になってきたんだけど、職務に忠実にならないといけないので、インタヴューを続けます。

「インタヴューなんて、もうどうでもいいのに……」

__えーと、あなたの年収がいくらあるんだか、4000万なのか5000万なのか、よくは知らないけど……年収だけじゃなくて、すごく大きな金を動かしているんですよね、あなた……というか、あなたたちは。

「うん」

__営業、とはよく言ったけど、あなたが十日も歌えば、すぐ千万の単位は突破しちゃうわけじゃないですか。あなたがひとり歌うだけで事務所の人が何人喰えることになるんだろう。5人? それとも10人?

「最低でも10人くらいは、ね」

__年商にすれば数億の売り上げがあるわけだからね。すごいなあ、まったく。

「うん……」

__あなた個人としては、どのくらいの金を使ってるの?

「どのくらい、って?」

__1日でも1ヵ月でもいいから、あなたが使う額。

「そうだなあ……あればあるだけ使っちゃうから……お母さんから必要なときだけ受け取るようにしているけど……昔は百万くらい使ってた、1ヵ月に」

__そいつは豪儀だ。

「みんなと遊んでいても、相手に払わせるのは悪いから、あたしが払うようにしていたし」

__相手が男でも?

「うん。みんな、年収はあたしより少ないだろうから、悪いじゃない、払わせちゃったら」

__そういうもんでもないような気がするけど。で、いまは?

「少なくなった」

__これからにそなえて倹約してるわけ?

「そういうわけじゃないけど……前の3分の1か4分の1くらい……」

__それはいい傾向じゃないですか。それで足りるようになった?

「うん。あたしはね、財布に1万円あれば1万円使うし、100円しかなければ100円でいいの」

__あっ、それは、ぼくと同じだ。

「だからね、あたしは、お金がなければないでどうにでもやっていけるし、いまから倹約なんかしてるつもりはないんだけど……なんか、使う気がしなくなっちゃった」

__お金なんて、あるときに使えばいいし、なければないでいいしね。

「そうだね。あたしもそう思う」

__金なんていらないさ。

「うーん。いらないとまでは思わないけどな……」

__いらないよ、金なんて。

「なければないでいいけど、あればあるにこしたことはないよ」

__金なんか、体が健康ならどうにでもなるさ。

「そうでもないよ。みんな、必要なときになくて困っているじゃない」

__いや、金なんかいらないのさ。金はあるにこしたことはないなんていうけど、ぼくはそうじゃないと思う。金はないにこしたことはない。

「そんなことないよ」

__金がなければ、そしてどうしても必要だったら、人に借りればいい。金があれば、人に回してあげればいい。金なんて、それだけのものさ。

「世の中って、そんな簡単なものじゃないと思うよ、あたしは」

__ぼくにとっては、そんなふうに簡単だった。

「それは恵まれていたからだよ。きっと沢木さんが恵まれすぎていたんだよ。金の貸し借りなんて、そんなにうまくいくもんじゃないよ」

__もちろんさ。借りたら必ず返す、でも貸したらそれはあげたものと思う。そうでなければ、うまくなんかいかないよね。もちろん、あなたの言うとおり、そんなにうまくはいかない。でも、ぼくにとっては、金なんて……。

「あたしはね、もう絶対、人にお金を貸すのはいやなんだ。借りる気もないけど、貸す気もないんだ」

__そうか、いやか……あっ、そう言っても、別にあなたから金を借りようとしているなんて、思わないでくださいね。

「フフフッ、そんなこと思うわけないじゃない。でもね、あたし、いやなんだ。いままで、ほんとに何十人の人に貸してあげたかわからないんだ。全部を合計すれば一千万を超すと思う」

__一千万!

「それ以上になると思う。30万という人もいれば、300万という人もいたからね。うちは女所帯で男がいないから、頼みに来やすいのかもしれないんだ。相手の人が可哀そうだからって、何人も何人も貸してあげていたけど……返しに来たのは、たったひとりだよ」

__ひとりだけ?

「そう、15万円くらい貸してあげた人かな。それ以外は誰も返しに来ない。10万くらい借りて、一度返して、次に50万借りていった人がいたけど、それっきり。そういう人ばっかしだよ、世の中の人なんて」

__返してもらえばいいじゃないですか……その、300万も貸した人なんかには。

「うん、一度だけ、請求したことがあるんだよ。そうしたら、開き直られたの。うちには払える金なんてないんですから一銭も払えません、訴えるんなら裁判所にでもどこにでも出ますから、勝手にやってください、ってさ」

__あなたの仕事の性格から……人気稼業だから、訴えっこないとタカをくくっているわけだ。

「そうなの。一度そう言われていやになっちゃったんだ。信用して貸した人にそんなふうに言われるのはいやだからね」

__そんな人を信用するから……。

「そうなんだ。その人がいけないんじゃないんだよ。あたしたちがいけないんだ。だからね、いまでは、もう借りにこられても、貸さないことにしてるの。そうやって、人と人の関係が変になって、壊れるのはいやだからって。でも、そう言って断った人の方が、むしろ永く続いているね、やっぱり」

__しかし……。

「沢木さんは、甘いんだと思う。幸せな人生を送ってきたから、そんなことを言うんだよ。世の中の人は、もっといやらしくて、汚ないよ。借りる人だって、そんな切羽詰った人なんて、いやしないんだ。いまの世の中で、明日のお米代に困るなんて家は、もうあまりないんだから。借りるときは悲愴な顔つきをして来るけど、返すときになると惜しくなるんだ。自分たちは、結構、小さな贅沢をしているくせに、ね。無理はないのかな。返すときになると、タダで持っていかれるような気がするんだろうからね。返せと言われると、まるで泥棒に金を出せと言われているような気がするんだ、きっと」

__そうかもしれないけど……。

「あたしだったら、借りたら、その日から気になって仕方ないと思うんだ。だから借りない。借りないかわりに、貸しもしない。それでいいでしょ?」

__悪くはないけどね。あなたの周囲にいた人は、金を借りたというより、タカリに成功したと思ってるんじゃないかな。だから返そうとしないんだよ。あなたの周辺がまっとうな社会じゃなかった、というか、極端な社会だった。それだけのことではないのかな。それだけで世間一般を決めつけるのはよくないよ。ぼくは借金しても返したし、貸した金は返してもらったしね。ただし、額はそんなにでかくなかったけど。
「そっちの方が変ってるんだよ」

__そうじゃないと思うよ。

「そうかなあ……」

__そうさ。もちろん、借りないし貸さないっていうのは正しいと思う。でも、どうせ人なんて、とかいうふうに人間を簡単にくくってほしくないような気がするんだ。あなたの属していた世界が、異常だったというだけのことかもしれないじゃないか。

「そうかもしれない。でも、金はないにこしたことはないっていうのは、間違っていると思うよ、あたしはそれこそ、極端すぎるよ」

__そう……少し、そういうとこはあるかな。しかし、ぼくの理想は、あまり金がないけど、稼ごうと思えばいくらかは稼げるし、急に必要なときは友人に借りられる、という状態なんだ。そのためには、金のかからない、つましい生活をいつでもしてなければならないんだけどね。その状態っていうのは、金なんかなければないほどいいんだ。五体満足で健康でありさえすれば、ね。貸し借りといったって、ほんの1、2万でいいような……そんな規模の生活をしていれば、それはそんなにむずかしいことじゃないと思うんだ。

「ふーん。それは、そうだね。ほんとに、そんな生活ができたら、ね」

__できるさ。少なくとも、ぼくはしてきたけどな、いままで。

「へえ……すごいなあ」

__すごくもなんともないよ。昔、みんな貧乏で、うちも例外じゃなかったけど、結構、やろうと思えば、楽しく生きられたからさ。要するに、ぼくは、金を沢山持って楽しく生きる方法を知らないだけなんだよ。だから、いつも、ほどほどの収入で生きられるくらいの仕事しかしないんだ。

「いいなあ、そういうの」

 


解説
「沢木さんは、甘いんだと思う。幸せな人生を送ってきたから、そんなことを言うんだよ。世の中の人は、もっといやらしくて、汚ないよ。借りる人だって、そんな切羽詰った人なんて、いやしないんだ。……借りるときは悲愴な顔つきをして来るけど、返すときになると惜しくなるんだ。自分たちは、結構、小さな贅沢をしているくせに、ね。無理はないのかな。返すときになると、タダで持っていかれるような気がするんだろうからね。返せと言われると、まるで泥棒に金を出せと言われているような気がするんだ、きっと」

実感がこもっている言葉ですね。
創価学会の指導で「会員間の金銭貸借は禁止」というのがありましたが、お金の貸し借りは、やはり良くないですね。
人間関係を壊します。

 

獅子風蓮


甦れ! 石橋湛山 その2(追記あり)

2024-02-23 01:24:03 | 石橋湛山

d-マガジンで興味ある記事を読みました。

引用します。


サンデー毎日 2024年3月3日号
倉重篤郎のニュース最前線

甦れ! 石橋湛山
「親米自立」の保守革命へ
政党政治を根底から変えよ

(つづきです)


湛山の知恵から新しい日本の展望を

湛山の知恵をどう活用? 
「湛山の言説がすべて今に当てはまるとは思わないが、その大胆な構想力と勇気に学びたい。日本全体が軍国主義、植民地主義、大日本主義に向かう時に小日本主義で異を唱えた。日本が科学技術に依拠して自由貿易に徹すれば、海外領土がなくても日本は繁栄できると主張した。まさに戦後は湛山が正しかったことが証明された。米ソ冷戦が始まる時に、日中米ソ平和同盟を唱えた。突拍子もないと聞こえたかもしれないが、実現していれば今日の事態はなかったともいえる」

今後の議連の役割は? 
「超党派で湛山の言説を学ぶ中で、共通の土壌、土台ができればいいと思う。その先どうするかについて具体的な構想が今あるわけではないが、そこでできた新しい政治的な塊が、現在の国難を脱し、新しい日本のビジョンを描いていく上で何らかの役割を果たすことができればと思っている」

 

次に古川氏だ。
建設官僚を3年で退官、その後、政界に出るまで一時期、焼き鳥屋をやるなど変わり種だ。やはり改革のスタート地点は派閥解消だと言う。
「大変なことをしてしまった、と自民党が心から反省し、自己改革の覚悟をすることが起点だ。派閥解消がそれだ。岸田首相が率先垂範、覚悟を示した。ならば我々仲間も結集してすべての派閥は解散、いったん更地にしてそこから新しい自民党を考えようと」

総裁選後は派閥が復活? 
「総裁選のあり方も変えるべきだ。推薦人20人という立候補要件は緩和する。全国の党員や都道府県連、地方議員の意向も入れ、間口は広げるが、途中で絞り、最後は上位5人くらいで国民の前で各種重要政策について、徹底論戦させる」
「ただ、派閥解消がことの本質ではない。政党政治の近代化という令和の政治改革が必要だ。一つは政治資金の透明化、二つに国会改革、三つに選挙制度改革、これを大きなパッケージにして国民の前に約束、この通常国会、秋の臨時国会、来年の通常国会で順次実現していく。そこで衆院は任期を迎え、信を問えばいい。途中、解散になっても自己改革の姿勢が大事だ」
「これは自民だけでできる話ではない。野党はもちろん、国会の外の人たち、例えば令和臨調などと提携、大きなテーブルをセットして、大きな議論をすべきだ。国会改革では、『事前審査』を見直すことも一案だ。国会提出前に与党が法案を事前審査する。与党は審査を済ませているので、国会質疑時間は野党に重点的に配分するという慣例だ。これでは、「攻める野党、守る与党』の構図になり、国民には喧嘩に見えてしまう。事前審査をやめ、与党議員も国会で本音で議論、妥協、修正してより良いものを作る。政治の信頼回復につながる可能性がある」

選挙制度はどうする? 
「自公政権が国民受けのいい政策をひねり出し、都合のいい時期に解散し、政権維持のための政権運営をしているように見える現状では、国民はしらけ、投票率が下がる。 国民のしっかりとした支えがなければ、本来あるべき政策の断行は難しい。できるだけ幅広く民意を反映、吸収できる選挙制度が望ましい。個人的には、中選挙区連記制か大選挙区連記制がベターだ」

自民党はどう変わる? 
「ある意味、55年体制的な政党政治は歴史的な役割を終えている。政党はあくまで国家国民のための道具であり、政党のために国家国民がいるわけではない。時代に合わなくなれば新しい政党政治につくりかえる。選挙制度を改め、全国の志ある人をどんどん国会に集める。幕末維新と同じだ。徳川幕藩体制が時代の変化に対応できなかった時には、田舎の下級武士たちが集まって知恵を凝らし危機を乗り切った」


日米同盟一筋では立ち行かなくなる

自民党に代わる新党? 
「新党ではなく新しい連立だ。保守中道勢力が軸となる新しい政党政治を目指したい。各政党が昔の自民党各派のように、時に応じて合従連衡する。欧州のように、選挙結果に応じて政党同士が政策協定によって連立を組む。政治とは船に喩えれば舵取りだ。時代の舵を切るには国民の支持がないとできない。逆に、国民から反発、ネット攻撃があっても、それにすくんで、氷山を見ないふりをすれば、国民もろとも壊滅、船は沈没する。変える勇気、変わ る勇気、それを持つことだ」
「世界を見渡すと100年前に似ている。格差が拡大し、分断と対立が生まれ、政治が不安定化する、そこに破滅的なポピュリズムが台頭する。ヒトラーも日本の軍部もそこから出てきた。このタイミングで政党政治が信頼を失ったのは極めて深刻だと思っている」

湛山議連と連動? 
「全く重なるわけではないが、強い親和性がある。湛山の独立自尊、自主自立精神は今も生きる。世界が流動化、米国発の価値観も縮んで行く中、自分の頭で考え、自分の足で立ち、重心を低く構える、そういう体制にシフトすることだ」

自力でどう立つ? 
「日米同盟一本足打法から『多国間主義』『多元的外交』へと大きく舵を切るべきだと考えている。日米関係が重要であることは否定しないが、米国が世界の警察官としての意思も能力も失い、自国主義の殻に閉じこもりそうになっている今、日米同盟一筋にただ米国と足並みを揃えていればいいというわけにはいかない。日本は独自の外交を展開し、米国に対しても適時的確に助言できる関係を築くべきだ。そのために現行の日米安保地位協定の見直しは 不可避だと思う」

  ◇   ◇  

カオスとは、ギリシャ神話で言う、万物発生以前の秩序なき状態のことだが、それは同時に、すべての事物を生みだすことのできる根源でもある。裏金カオスの創造力にも要注目だ。

 


解説
「湛山の言説がすべて今に当てはまるとは思わないが、その大胆な構想力と勇気に学びたい。日本全体が軍国主義、植民地主義、大日本主義に向かう時に小日本主義で異を唱えた。日本が科学技術に依拠して自由貿易に徹すれば、海外領土がなくても日本は繁栄できると主張した。まさに戦後は湛山が正しかったことが証明された。米ソ冷戦が始まる時に、日中米ソ平和同盟を唱えた。突拍子もないと聞こえたかもしれないが、実現していれば今日の事態はなかったともいえる」

湛山の政治思想は、私も賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、その平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

しかし、そういうふうにならないのには訳があるのでしょう。
創価学会の第2代会長・戸田城聖氏は、当時は日蓮宗を邪宗として敵視していましたので、石橋湛山をこころよく思っていなかったようです。
たしか、小説『人間革命』にも、そんな記述がありました。

そういう歴史があるので、創価学会員や公明党議員の中には、公然と石橋湛山を評価するような意見が出しにくいのではないかと思います。

あれほど豪放磊落だった戸田氏も意外と了見が狭かったようです。
もっと、石橋湛山に学び、公明党の政治の師とすればよかったのに。


PS)
別のところ(獅子風蓮の青空ブログ)で関連記事を書きました。

石橋湛山をライバル視していた戸田城聖(2024-03-02)

戸田は、石橋湛山が首相になったことで日蓮宗が大喜びしていることに不快感を表明したのです。
そして、「将来、私の言葉が、いかように現れるか、ご覧ねがいたい」と、不吉な予言をしたのです。
そして、湛山が肺炎という病に倒れ、短命の内閣に終わったことに、よろこぶのです。
さらに、代わって戸田と親交のある岸信介が首相となったことを祝しています。
しかし、「人間革命」の新しい版では、なぜかその辺のことが削除され、改ざんされています。
そういう歴史があるので、創価学会員や公明党議員の中には、公然と石橋湛山を評価するような意見が出しにくいのではないかと思います。

おそらく戸田は、石橋湛山を政治的にライバル視していたのではないかと思います。
しかし、当時の創価学会員は、自分たちの国の総理大臣が病のために退陣を余儀なくされて、短命内閣に終わったことを「ざまあみろ」と喜び、それを予想していたかのような発言をしていた戸田氏を賞賛していたのですね。
あきれた団体です。

 

獅子風蓮


甦れ! 石橋湛山 その1

2024-02-22 01:04:56 | 石橋湛山

d-マガジンで興味ある記事を読みました。

引用します。


サンデー毎日 2024年3月3日号
倉重篤郎のニュース最前線

甦れ! 石橋湛山
「親米自立」の保守革命へ
政党政治を根底から変えよ

このカオス(混沌)の中から何が生まれるのか。
今回の裏金政局、一つ注目すべきは、派閥解消の動きである。岸田文雄首相の宏池会解散宣言が、ティッピングポイント(小さな変化が蓄積し、劇的な変化を起こす境目)となり、連鎖反応的に各派が解散、自民党の衆参国会議員376人のうち約75%が無派閥議員となった。これまで派閥のガバナンス(統治能力)に依拠して、政策、政局運営していた自民党が、その足場を失った。政権与党の統治体制は、前代未聞、未踏の領域に入った、ともいえる。
既存の6派閥体制は、より小さなグループに解体、分断化されていく。一方で、280人近い「無派閥派」は、ただ一人の総裁・総理である岸田氏の公認権、人事権、解散権の下、集権化する。このベクトルのぶつかり合いで何がどう起こるか。ここに野党と世論が加わり政局は流動化、予測がつかない状況でもある。
問題はこのカオスの中で何を築き上げるか。ピンチはチャンスとも言う。権力構図の再編は政策、政治路線の再編にも通じる。単に政治とカネ問題の処方箋を講じるのではなく日本の今後のあり方、生き様という大テーマで、しかるべく構想、ビジョンを出し合い、骨太な議論もしてほしい。真の意味で日本政治を刷新する好機になるかもしれない。

石橋湛山という政治家がいた。戦前は、言論人として小日本主義を掲げ、領土拡張・植民地獲得という大日本主義への代案を提示、戦後は、政治家として占領軍と対等にやり合い、冷戦時に日中米ソ同盟という平和構想を打ち出した。大勢に流されない自立自尊、徹底した経済合理主義、理想を捨てない現実主義、骨太の構想力。自由党を2度除名されながら首相に上り詰めた不屈の闘志。その彼に学ぼうという超党派議員連盟(湛山議連)が昨年発足したことは当欄で紹介した。この裏金カオスから起ち上げるべき一つの軸として、湛山的精神、構想力がヒントにならないか。この稿では、湛山議連の2人に問う。

岩屋毅(たけし)(議連共同代表当 選9回 66歳)、古川禎久(よしひさ)(同幹事長 当選7回 58歳)両衆院議員である。奇しくも2人はこの政局で同行動に出た。岩屋氏は麻生派を離脱、古川氏は茂木派を出た。


国力停滞への国民の怒りが顕在化した

まずは岩屋氏だ。
30年前、自民党を離党してまで政治改革にのめり込んだ若手議員の一人だった。

今回なぜ離脱? 
「派閥政治に対する疑問、モヤモヤが自分の中で蓄積されてきたが、今回の事件でその思いがはじけた。世論動向も背を押した。政治を変えるべきだという国民の声が伴わないと改革はできない。久々にそういう機運が巡ってきた」
「今回の事件で着目すべきは、その温床が派閥だったことだ。帳簿処理がしっかりしている派閥とそうでない派閥との差が出ただけともいえる。党のメカニズムの中にガッチリ組み込まれている派閥という構造の問題だ。それが本来一人一人が屹立すべき議員の自立を妨げてきた。国の方向を決める総裁選で、何人かの親分が話を決め、お前ら従え、従わないと冷や飯食わせるぞ、ではもうやっていけない。派閥が政治の主役である体制は壊す必要があると 決意し、退会した」

B今何が起きている? 
「ひとつは平成の政治改革の制度疲労だ。30年前、私は改革のため自民党を飛び出し落選、国会に戻るまで7年間浪人した。それでもある種の達成感はあった。5年越しの政治改革が細川護熙政権でようやく日の目を見て、2度、本格的な政権交代が起こり、首相の指導力と政治主導が強化された。自分は七転八倒したが、改革ができて良かったと思えた。だが、ここにきてその改革効果が薄れ、1強多弱、モラル低下など負の側面が目立ってきた。ここは令和の政治改革が必要だ。30年ぶりにあのころに戻ってもう一回、汗をかいてみたいと思った」
「もうひとつは、この30年間の国力停滞への国民の失望、心配、怒りの顕在化だ。
冷戦終焉という世界のパラダイムシフトに適応していくための意識と努力が十分でなかった。バブルがはじけ、その後始末に追われ、その後は財政バラマキ、金融緩和を繰り返し、技術革新を生むことなく、ある意味で日本全体がスポイルされた。(異次元金融緩和も)カンフル剤としての役割は果たしたが、打ち続けて体力が弱まった。政策、制度全般を見直すべきだという時代の要請を感じる」

派閥解消が最初の一歩? 
「総裁派閥が自ら解散する、というのは岸田さんの大決断だった。追い詰められてやったと言う人がいるが違うと思う。第2次安倍政権以降の10年間は、言ってみれば安倍体制と言っていい構造ができあがっていた。岸田首相もその体制から生み出され、その呪縛の中にあった。それを解いたのがあの決断であり、ようやく自立した。心中深く期するものがあると思う。彼が慌てているように見えないのはそういうことだろう」

約75%が無派閥議員だ。
「かつてこんなことはなかった。自民党内はいったんカオスになった。この中でもがき苦しみ、新しいものを創っていかねばならない。こういうことは、人知だけではなかなか起こりえない。大仰に言えば、日本が直面する危機的状況の中で、天による差配なのではないかと感じている」

カオスの中どう動かす? 
「まずは国民の信頼をどう取り戻すか。政治資金規正法は適切な形で厳格化・厳罰化の方向で改正する。その上で、政治とカネを監視する強い権限を持った行政委員会を起ち上げる、という令和臨調の案に賛成だ。すべての政治団体はそこに登録し、違反があれば返金を命じたり、登録の取り消しができるようにする」
「重要なのは、改革の機運をそれだけに留めず、国策全般にまで議論を深化させることだ。これからの日本の国の形をどうするか。例えば、人口が毎年100万人減り、急速な高齢化を迎える中、いかに国力を維持し、一人一人の国民が充足感を得られる社会を創り上げるのか。女性、高齢者、外国人、障がい者、性的マイノリティーらいろんな人たちがこの列島で活躍できる、もっと多様性を包摂できる社会にするのがひとつの方向性だと思う。違うものが混じり合ってこそイノベーションが起こる」
「国際的激動の時代をどう生き抜くかも重要なテーマだ。中国が台頭し米国の力が相対的に落ちている。日本にとって日米安保体制が基軸であることには変わりはないが、これまでの対米追従の姿勢は改めていく。親米自立だ。日本の役割は、米中対立のお先棒を担ぐのではなく、(対立悪化を防ぐ)つっかい棒になることだ。中国と真剣に話し合い日中関係を再構築、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)など経済連携協定についても、米国に戻って きてもらうのと同時にやがては中国、韓国をも取り込んでいく。その仲介機能を日本が果たしていくべきだ」

(つづく)


解説
今回の裏金政局、一つ注目すべきは、派閥解消の動きである。岸田文雄首相の宏池会解散宣言が、ティッピングポイントとなり、連鎖反応的に各派が解散、自民党の衆参国会議員376人のうち約75%が無派閥議員となった。これまで派閥のガバナンス(統治能力)に依拠して、政策、政局運営していた自民党が、その足場を失った。政権与党の統治体制は、前代未聞、未踏の領域に入った、ともいえる。(中略)
問題はこのカオスの中で何を築き上げるか。ピンチはチャンスとも言う。権力構図の再編は政策、政治路線の再編にも通じる。単に政治とカネ問題の処方箋を講じるのではなく日本の今後のあり方、生き様という大テーマで、しかるべく構想、ビジョンを出し合い、骨太な議論もしてほしい。真の意味で日本政治を刷新する好機になるかもしれない。

なるほど「ピンチはチャンス」という考えもできるのですね。
日本が、この内外の危機を乗り越えるために、自民党が根本的に再生することを願っています。
「湛山議連」にも注目していきたいと思います。


獅子風蓮


藤圭子へのインタビュー その19

2024-02-21 01:22:24 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
■六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


六杯目の火酒

   2


「あっ、こんなとこに、虫が……」

__どこ? ああ、なんだ、ただのゴキブリの子供じゃない。テーブルを散歩してるだけだけど、 気持悪いなら……手で払っちゃえば。

「いやだよ、恐いよ」

__恐い?

「虫って、恐いよ」

__ゴキブリみたいのは嫌いなの?

「どんな虫でも恐い」

__ハチとか、蛾とか?

「ううん。ハエでも蚊でも恐い」

__ほんと?

「蚊がいたら、叩いて殺すなんてできないから、逃げる」

__逃げる? あなたが?

「うん、あたしが蚊から逃げる」

__ハハハッ。それ、冗談?

「ほんとだよ。トンボでも蝉でも、蝶々だって恐い」

__蝶々が、恐いって?

「うん、持てと言われても、気持悪くて持てないし、だいいち、恐いよ」

__へえ……ほんとに。

「鳥も恐い。鳩なんか、恐くて傍に寄れないよ。このあいだも、テレビの撮影で、鳩に餌をあげているとこをやらされたんだけど、ほんとに恐かった」

__鳥も恐いのか……。小鳥も?

「どんな小さくても、鳥は恐いよ」

__ふーん、奇妙な感じがするね。動物は、みんな恐いのかな。犬も?

「うん。馬も恐くて傍に寄れない」

__どうしてだろう。ほんとに不思議だね。いや、案外、不思議でもなんでもないのかもしれないね。あなたには……どこか……いつも何かに怯えているようなところがあるもんな。何か持って生まれた怯えがあるんだな、あなたの中には。そんな気がする。

「……」

__人に対してだって、微妙に怯えている部分があるもんね、あなたには。

「うん、そうかもしれない」

__デビューした頃のあなたは、さっきから何度もあなたが言っているように、無心で、しかもオドオドしていたんだろうな。それは本当はそんなに一致するはずのもんじゃないけど、それを共存させるものが、あなたの内部にはあったわけだ。

「そうなんだろうね。でも、ここ何年と無心じゃなくなって、いろいろ考えるようになっちゃった」

__いつから?

「やっぱり、手術してから。すべて、そこに行っちゃうんだよね」

__無心じゃなくなって、オドオドもしなくなった?

「いや、それはオドオドしてますよ。いまだって いつだって」

__テレビであなたを見ていると、眼が落ちついていないように見えるんだ。あなたの眼って、いつもキョロキョロと小さく動いているんだよね、小さな動物が怯えているように。

「そう、自分でもどうして動いちゃうのかわからないけど、眼が細かく動くんだよ。いま、やってみてよと言われてもできないけど、無意識になっていると動いちゃうんだ」

__ほんとに、テレビであなたの眼を見ると、外界のすべてのものに怯えてるんじゃないか、なんて考えたくなっちゃうな。

「それほどでもないけど……」

__あなたは、もしかしたら、お母さん以外に、馴れた人間がいないんじゃないんだろうか。あなたという小動物が馴れた人間は、ひとりもいないんじゃないのかなあ。ひとりの人間にも、一匹の動物にも馴れなかった……。

「どうだろう」

__あなたの干支は……。

「うさぎ」

__まったく、そんな感じだよ。あなたという、うさぎが馴れたのは、お母さんだけじゃないのかな……。

「ひとつ、いる」

__ひとつ?

「一度だけ、猫を飼ったことがあるの。リリという名前をつけて、あたしが飼ってたんだ」

__それは、いつ頃?

「神居にいた頃だから、小学校の5、6年生のときだと思う。捨て猫だったのかな、眼が開かない赤ちゃんからあたしが育てたんだ」

__そうか。あなたの馴れた、唯一の例外は、赤ん坊の猫か……。

「とても可愛かったんだ。三毛猫でね、夜になって寝ていると、枕元でゴロゴロいってるの。眼を覚まして、布団を少しつまんで開けてやると、入ってきて一緒に寝るの。でも、布団を上げてやらないと絶対にもぐりこんできたりしないんだ」

__あなたは、猫と寝てたんだ。

「あたしにしか、なつかなかったの」

__どうして?

「家の人がね、面白がって、逆さに吊るしたり、ぶん投げたりして、いじめたわけ。それがあんまり過ぎたもんだから、怯えちゃって、あたしの手からしか餌を食べなくなったんだ」

__怯えちゃったのか。

「みんながあんまりいじめるもんだから、昼間は縁の下に入って出てこなくなっちゃったの。あたしが学校から帰ってきて、ランドセルを置いて、縁の下に向かって名前を呼ぶと、おそるおそる出てきて、あたしの顔を見ると、ミャアミャア鳴いて、足にすりよってくるんだ」

__可愛かった?

「うん。でも……可哀そうだった」

__そんなに怯えてたんじゃ、ほんとに可哀そうだったね。

「少し大きくなりかけたとこで、死んじゃったんだ」

__なぜ?

「ある日、帰ってきたら、縁の下にいないんだ。近くを一生懸命さがしたけど、とうとう見つからなくて……しばらくして、隣の家の縁の下で死んでいるのが見つかったの。どこかで、悪いものでも食べたらしいんだ」

__あなたも……その猫みたいに、怯えていたわけだ。あなたは……いったい、何に怯えていたんだろうか?

「……」

__何に、ということではないのかな。

「……」

__別に、怯えていたわけじゃないのか……。

「……」

__子供の頃、恐いものは何だった? あなたにとって、恐怖の的みたいなものだったのは。

「……」

__恐ろしいものは、何もなかった?

「それはあったよ」

__何?

「うん……」

__言葉で表現しにくいもの?

「そうじゃないんだ。 ただ……」

__ただ?

「うん……」

__あっ、そうか。しゃべりにくいことなんだね。人にはあまりしゃべりたくないことなのか。そうか……。オーケー、それでは、話題を変えよう。

「いや、いいんだよ。変えなくたっていいよ。いいんだ。恐いもの、確かにあったよ、小さい頃。いまだって、恐いけど、別々に住んでいるから忘れることができるというだけのこと。恐かったんだ、とても恐かった。あたしは、お父さんが、ほんとに恐かった……」

__お父さんが? 実の父親でしょ?

「うん」

__実の父親なら……恐いといったって、タカが知れてるんじゃない?

「そんなんじゃないんだよ。そんなどころの恐さじゃないんだよ。カッとすると、何をするかわからない人なんだ。怯えてた。子供たちはみんな怯えてた。お母さんも、みんな怯えてた。しょっちゅう、しょっちゅう、殴られっぱなしだった……」

__どうして、そんな……妻や子に……」

「理由はないんだよ。殴ったり蹴とばしたりするのは、向こうの気分しだいなんだ。気分が悪いと、有無を言わさず殴るわけ。こっちは小さいじゃない、何もできないで殴られているの」

__理由なく殴られる、なんていうことがあるのかい、ほんとうに。

「ほんとに理由がないんだよ。だって、たとえば、旭町の家は二階だったでしょ、お使いに行ってこいと言われて、階段を降りていくわけ。でも、その階段、暗くて狭いから、踏みはずして、二、三段すべり落ちたり、転がり落ちたりすることがあるんだよね。そうすると、二階からとんでくるわけ、お父さんが。とんできて、殴るの」

__殴る? 心配してとんでくるわけじゃないの?

「痛くて動けないでいるところを、殴るんだよ。なんで落ちるんだ、って。こっちだって悪気があって落ちるわけじゃないんだし……でも、そんなことおかまいなしなんだ。 部屋からわざわざ出てきて、ぶん殴るの、あたしたちを」

__ほんと……。

「理由がわからないの。なんで殴られているのか。でも、とにかく、頭を両手で抱えて、ゴメンナサイ、ゴメンナサイ、って謝まるんだ。それでも許してくれないわけ。お姉ちゃんなんか、あまりいつも殴られて、殴られ癖がついちゃって、鼻血が止まらなくて、洗面器に一杯たまったことがある」

__そいつは凄まじい……。

「殴るだけじゃなくて……よく水をぶっかけるんだ。冬でもなんでも、子供たちに、水をぶっかけるの。バケツかなんかの水を、バッとかけるんだ」

__旭川の、冬に?

「うん。逆らうと、どんどん荒れるから、泣きべそかきながら、部屋の畳の水を拭いたりして、しずまるのをただ待つんだ」

__……。

「物は投げるしね。金魚鉢だって、引っ繰り返しちゃうんだから。いまでも、畳の上で金魚がアップアップしてたの、覚えてるなあ」

__金魚が畳の上にいた、か。

「靴でも下駄でも投げちゃう。それを、あとで、あたしたちが拾い集めるわけ」

__一階には大家さんが住んでいたというけど、大家さんも大変だったろうね。

「大家さんは、ほんとに親切なおばさんで、あたしたちが苛められるでしょ、そうすると、可哀そうだ可哀そうだって、泣いててくれたんだって。殴られたりするたびに、泣いててくれたんだって。あとで、お母さんに聞いたんだけど、ね」

__お母さんは、どうしてるの?

「子供たちをかばうでしょ。そうすると、今度は、お母さんを苛めるんだ。眼が見えないお母さんを蹴とばしたりするの」

__どうして、どうしてそんなことをするの、お父さんは。

「理屈なんかないんだ」

__理解できないわけか、あなたには。

「あの人を理解するなんて、そんなことできないよ。できたら、こっちがおかしくなるよ」

__なぜそんなふうな人になっちゃったの?

「さあ……」

__自分の境遇に不満があって、生活に苛立っていたのかなあ……。

「病気だったんじゃない」

__病気?

「そういう病気だったんだよ、きっと」

__そうか……そうとでも思わなければ、子供にとっては理解できないことだったのかもしれないね。

「あたしは病気だと思ってた。兵隊に行って、いつも殴られてたって聞いていたから、だから……殴られすぎて病気になったと思ってた」

__血を分けた親子なのにね……。

「親子だったから、恐怖なんだよね。他人だったら、別れられるじゃない。でも血がつながっているから、怯えながらでも、一緒にいなくちゃならないじゃない」

__そうだね。

「ああ、いやだ。もう、いやだ、と思ってね。逃げたいなあ、なんでお母さんは逃げ出さないんだろうって、いつも思ってたよ。こんなに恐くてさ、いつまた恐い目にあうかわからないのに、どうしてだろう……」

__お母さんが逃げようと言ったら、一緒に逃げようと思ってた?

「すぐ逃げたね。もう、すぐ。お母さんが我慢してたから、だからいたんだと思う。あたしから見ても、歯がゆかった。あれで、お父さんにも、結構いいとこがあるのかな、なんて思ったりして……悩んじゃったよ」

__そうか。

「でも、お父さんはお父さんで、笑ってたときもあったんだよね。ほんと、お父さんが機嫌がいいと、ホッとしたよ」

__そうだろうな。

「あたしの友達がくると、ニコニコして、いいんだよね。いいお父さんね、なんて言われると、複雑な気がして、笑いも強ばっちゃってね」

__そうか……。

「お母さん、一回だけ、あたしが生まれて間もなかった頃、あたしを抱いて逃げたことがあるんだって。どうしても我慢ができなくてね。でも、札幌から連れ戻されてしまったらしいの。これも、ずっとあとから聞いたんだけど」

__お母さん、大変だったんだね、とても。

「うん、苦労したと思うよ、ほんとに。お父さんて、何もしない人なんだよね。眼の前にあって、お母さんが遠くにいても、おい澄子、箸!っていう人なんだよ。お母さんが眼が不自由だっていうのに。信じられないような人なんだ」

__……。

「包丁を持って、お兄ちゃんを追いかけまわしたこともあるし……ほんとに殺されるんじゃないかと思った。だから、お母さん、信じられないらしいんだ。この世に、やさしい中年の人がいるなんていうことが……」

__あなたは?

「あたしはそれほどでもないけど。でも、このあいだ、吉行先生と会ったんだよね」

__淳之介さん?

「そう。あるところで紹介されて……とても、やさしくて、深い感じの人で、素敵だったんだけど、齢を聞いて驚いたの」

__齢と比べて、若いから?

「それもあるんだけど……お父さんと同じ齢だったの。まったく同じ齢」

__ほんと?

「うん、ほんと。ああ、と思ったんだ、あたし。同じ齢の人なのに、こんなに違うんだなあ、と思って……物悲しくなった」

__お父さんは、吉行さんと同じ齢なのか。

「きっと、お父さんがいなかったら、あたし、こんなに頑張らなかったと思う」

__やっぱり、頑張る部分があったんだね?

「うん、やっぱり、あった。この世の中に対して、ね。あのお父さんがいなかったら……」

__歌手になっていなかった?

「もしかしたら、ね」

__そうか。

「そうなんだ」

__そうか……だから、お母さんとお父さんは離婚したのか。

「あたしが離婚させたの。あたしがお母さんをお父さんと別れさせてあげたの。あげたかったの。さっき、週刊誌のタイトルで、あったじゃない。一家崩壊とかなんとか。あたしが歌手になったから一家がバラバラになったって。そうじゃないんだよ。あたしが歌手になったから、やっと別れられたんだよ、お母さんが。お金が少しできたから、それで別れてもらえたんだよ、やっと」

__お金を渡して? お父さんに? なんか、普通とは逆だな。

「あたしを、お金のなる木と思っているから、お金を渡さなければ、とっても別れてくれなかったの。あたしは、お母さんを見ていかなければいけないでしょ。だから、あたしはお母さんと一緒に暮すと言うと、あたしを、お母さんに盗られるって……そういう調子だから。現金を何百万か渡して、持っているアパートの家賃を一生送りつづけるからっていう証文を書いて、別れてもらったの」

__そうか……そのときなんだね、お父さんがテレビに出て、いろんなことをぶちまけたり、雑誌にしゃべったりしたのは。

「あたしのことはどんなふうに言ってもやっぱり、どんなことがあっても、お父さんはお父さんなんだからいいけどお母さんの悪口を言われるのがつらいんだよね。あることないこと、ほとんどは嘘ばかりしゃべるわけ。マスコミは面白がって、それを取り上げるし……」

__ひどいことしゃべってたな。もしも、その週刊誌が本当のことを書いていれば、のことだけど。あなたの離婚の原因をあなたの肉体的な部分に求めたり、お母さんを罵ったり、沢ノ井さんに別れさせられたと怨んだり、ムチャクチャなこと言ってたね。

「そうなんだ」

__でも、よかったじゃないか。とにかく、そんなお父さんと別れられたんだから。

「でも、やっぱり、あたしのお父さんなんだよね。お母さんは他人になっても、やっぱりあたしは子供だからね。一緒に住むのはいやだけど、面倒は見ていかなくちゃいけないと思ってるんだ」

__それは、そうかもしれないけど……。

「別れて、いまは花巻に住んでいるんだけど、電話や手紙が来るんだよね。家の井戸を掘るから10万送れとか、バイクを買うから5万とか、子供が学校に入るから10万とか」

__子供?

「女の人と暮してるんだよ。その人の子供が学校に入るからって」

__あなたに金の無心をするのか。で、どうするの?

「送るよ、しょうがないから」

__そんな!

「だって、送らなければ何をするかわからない人なんだよ。お金になれば、テレビだって雑誌だって、どんなことだってしゃべっちゃうんだから。2、3日前も手紙がきたの。いろいろ書いてあったけど……2ヵ月くらい前、お父さんが病気で入院しているというんで、仕事のついでに見舞いに寄ったの」

__どこか悪いの?

「ううん、どこも悪くないの。どの医者に見てもらっても、こんな丈夫な内臓はないって言われるらしいんだけど、悪い悪いといって入院するわけ。いつでも4つか5つの薬を持って歩いて……それが趣味なんだよね」

__それでも見舞いに行ったの?

「もしかしたら、ほんとに悪いといけないと思って。そのとき、うっかりしてお金を持っていくのを忘れて、財布に5万しか入れていかなかったんだ。それを渡そうと思ったんだけど……前にね、お父さんと会って、おこづかいに使ってと渡したら、あとで週刊誌に10万しかくれなかったってしゃべられて、悲しい思いをしたから、今度は渡さなかったんだ。あとで何を言われるかわからないから。家に帰ってから送ろうと思って。そうしたら、今度の手紙には、こう書いてあるの。病院の人が、あの藤圭子が見舞いにきたんだから、こづかいの100万も置いていっただろうと言うから、一銭も置いていかなかったと答えた……」

__つらいなあ、 それは……。

「うん、ちょっとね」

__だとすると、今度のあなたの引退については荒れてるだろうなあ……。

「そうでもないんだ。お父さんは気楽なもんでね、1、2年やめて、それから自分ひとりで仕事をやれば、もっと儲かるから、それもいいだろう、って」

__なるほど、なるほどね。そうか……。

「お母さんはね、一生でいまがいちばん幸せっていうんだ。お父さんに気兼ねしたり、怯えたりしないですむし、あたしとお手伝いさんの3人で、ほんとに幸せだって。こんなに幸せなときはなかった、って」

__あなたも、幸せ?

「うん。お母さんが喜んでくれるのが、いちばん嬉しいんだ、あたし」

__苦労しただろうからね。

「そうなんだ。お母さん、あたしが生まれるときくらいまでは、うっすらと眼が見えていたんだって。ぼんやりと、ね。だから、あたしにオッパイを飲ませるために胸に抱いていた、その赤ん坊のあたしの横顔と、そのときのねんねこの柄だけは、よく覚えているんだって。そのときの純ちゃんは、ほんとに可愛かったよって、いつも言うんだ……」

__赤ん坊のときのあなたの横顔と、ねんねこの柄、か……。もう、それから、あなたの顔は見えなくなったんだね。

「うん、そうらしい。でも、うちのお母さん、勘がよくてね。眼は見えなくても、耳とかでわかるのね。人と話してても、ふつうの眼の見える人と同じような感じで話すことができるし、たとえばよその人が家に来て、壁にかけている写真を見ていたりすると、その人の声の出てくる角度とかそういうのでわかるらしくて、ああその写真は……なんて言ったりするんで、みんなビックリするらしいよ。中には、お母さんの眼が見えないなんて嘘でしょ、誰にも言わないからぼくにだけ教えて、なんていう人がいたりして」

__なるほどね。

「お母さんはね、あたしの歌が大好きなの。昔、あたしの歌を聞くと、背筋のあたりがゾクッとしたんだって。手術してからは、あまりゾクッとしないようなんだけど……。でも、お母さんのいちばんの楽しみは、あたしの歌を聞くことらしいんだ。いまでも、ね。あたしのいちばんのファンはお母さんなの。だから、お母さん、舞台やなんかによく聞きにくるんだ。朝、行ってきます、って仕事に出るでしょ。行ってらっしゃい、って送り出されて、会場に行くと、お手伝いさんと一緒に、チョコンと座席に坐っていたりして。でも、あれはどうしてだろう、お母さんの姿が見えると、ジーンとして、歌いながら胸が熱くなっちゃうんだよ」

__そうか……。

「会場にね、体の不自由な人が客席にいるのが見えたりすると、やっぱり熱くなるの。同情なんて、相手に失礼だから、そんなの見せないようにするけど。この5月、日劇で10周年のショーをやったとき、眼の不自由な人が誰かに手を引かれて、花束を渡しにきてくれたんだ。舞台から手を差し出してもらったんだけど、もうその次が歌えなくなって、ほんとに困った。同情されるのはいやだろうから、懸命に歌おうとしたけど、胸がつまって駄目だった」

 


解説
「理由はないんだよ。殴ったり蹴とばしたりするのは、向こうの気分しだいなんだ。気分が悪いと、有無を言わさず殴るわけ。こっちは小さいじゃない、何もできないで殴られているの」

たくみな沢木さんの話術で、藤圭子さんは、父親からひどい虐待を受けていたことを、少しずつ話し出します。


獅子風蓮


藤圭子へのインタビュー その18

2024-02-20 01:02:27 | 藤圭子

というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。

(目次)
□一杯目の火酒
□二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
■六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記


六杯目の火酒

   1

__気がつかないうちに、5杯目もカラになっていましたね。ぼくはもちろんもう一杯もらうけど……どうします、あなたは。


「もらうよ」


__平気かな?


「平気だよ」


__リミットの5杯は超えたけど。


「もう少し呑みたい。呑もうよ」


__ぼくはいいけど……。


「大丈夫、大丈夫……呑みたいんだから」


__オーケー。それにしても、あなたがウォッカなら呑めるというのは、こうやって長く話してみて、なんだかわかるような気がしてきた。 あなたにはウォッカがふさわしいみたいですね。


「そう?」


__何かそんなふうな気がしてきた。あなたには、一度、花酒(はなざけ)を呑ませてあげたいな。


「花酒?」


__そう、花酒。綺麗な名前でしょ? 沖縄のずっとはずれの、もう台湾に近いあたりに与那国という小さな島があってね、そこで作られる泡盛なんだ。透明で、ウォッカのような酒なんだけど、アルコールの度数が70なんていうのがあるんだ。


「すごく強いお酒だね」


__口に含むと、カッと口から喉にかけて熱さが広がってね、とても気持がいいんだ。強いけど複雑さのない、まっすぐな酒なんだ。


「へえ……花酒か……呑んでみたいね」


__うん、あなたにこそ、呑ませてあげたいな。


「花酒……ね」


__ここらへんで、いままでとは少し違う話をしてみようと思うんだけど。


「いいよ」


__そうだなあ……それじゃあ、どんな話をするかなあ。


「どんなのでもいいよ」


__あなたは、夢を見る?


「よく見る」


__どんな夢なんだろう。


「昨日は……空を飛んでる夢を見た」


__空飛ぶ夢を見るんですか、あなたは。


「よく見るんだ」


__よく見る? 空飛ぶ夢を?


「うん」


__人間には二つタイプがあって、空を飛ぶ夢を見るタイプと水を泳ぐ夢を見るタイプがあるそうなんだ。それは人間が、鳥から進化してきた人間と、魚から進化してきた人間と、二つのタイプがあるからなんだって。


「ほんと?」


__嘘。


「そうだろうと思った。だって、あたし、水を泳ぐ夢も見るもん」


__ほんと! 実際はどうなの、泳げるの。


「ちっとも泳げないんだ、これが」


__夢で泳ぐときは、どんな水着をつけて泳いでいるの」


「水着はないの」


__えっ? 水着、持ってないの?


「そうじゃないの。裸で泳いでいるの」


__真っ裸で泳いでいる、っていうこと?


「うん」


__全裸で?


「そう。気持がいいんだ」


__なるほど、もしぼくが精神分析家だったら、その夢だけで、実に濃厚な夢判断をするだろうな。それで、その夢はどんなときに見るのかな。


「いろいろだなあ、それは。追いかけられているときもあるし……」


__夢で、追いかけられることが、結構、あるの?


「うん、よく逃げてる。追いかけられて、追いかけられて、必死になって逃げるんだ」


__どこを逃げてるんだろう。


「それは旭川。旭川の山とか森とかを逃げているの。そういうときに、ふわっと空を飛ぶんだ。どんどん高く飛んで雲を突き抜けると、そこにはもうひとつの世界があって、そこに着くとなんともいえないくらい気持がいいんだ。爽やかな気持になって、スーッとする」


__なるほど、ね。逃げてるときに泳ぐこともあるの?


「うん、ある」


__河、それとも海?


「河」


__どこの河?


「旭川の近くを流れている河」


__海はないの?


「そう……なくはないな。少ないけどあるな。裸で泳いでいて、とても気持よくて、向こうに島か陸があって、辿り着くと別の国なのね」


__ほんと?


「嘘ついても仕方ないでしょ」


__しかし、あなたみたいな仕事をしている人としては、まるで絵に書いたようにピッタリしすぎる夢なんで、まったく奇妙な感じがするくらいだなあ。よほどあなたはストレートな人なのかな。ストレートと言うか、単純と言うか……。


「それじゃ、まるで馬鹿みたいじゃない」


__ハハハッ。あるいはね。


「お金を拾う夢もよく見るな……」


__面白いなあ、それも。


「そこいら中にお金が落ちていて、拾っても拾ってもある」


__どういうお金なの。百円玉、それとも一万円札?


「五円とか十円とか、五百円札とか……一万円の札束なんていうのはない。みんな小さいお金だなあ」


__それが、拾っても拾っても、そこら辺に落ちているわけだ。


「うん」


__どうしてそんな夢を見るんだと思う、自分では。


「小さい頃、よくお金を拾ったからじゃないかな」


__そんなにしょっちゅうお金を拾ったの。


「……」


__小さい頃、そんなに?


「……拾いに行ったんだよ」


__拾いに行った?


「縁日なんかあるでしょう。そうすると次の日の朝に拾いに行くの。そうすると、五円とか十円とかがよく落ちていたんだよ。玉砂利の陰なんかに隠れていたりしてね。それを下向いて探して歩いたの」


__そうか、そう言えばぼくにも覚えがあるな。縁日の翌日にお寺に行ってみると、紙屑なんかが散らばっていて境内は寂し気なんだけど、時として硬貨が落ちているのを見つけたりして……。


「覚えがある? そうなんだよね、よく落ちてたんだよね。うちにはお金がなかったから……お金がほしくて……拾いに行ったんだ。縁日だけじゃなくて、いつも落ちてないかな、と思って下を向いて歩いてたよ。そう、そうなんだよ」


__しかし、金を拾う夢なんて豪儀でいいじゃないですか。昔の占師だったら、その夢判断をすれば、仕事をすれば大成功するタイプとかなんとか言うのと違うかな。もしかしたら、引退したとたんに見なくなったりして……。


「もしかしたら、ね」


__夢の話の次は……そうだな……そう、劣等感。あなたにはコンプレックスがある?

「それはあるよ」

__ある?


「コンプレックスのかたまりだよ」


__ほんとに?


「小さいときから、コンプレックスだらけだったよ」


__いま、こうしてあなたと会っていると、そういう感じは受けないんだけど、ね。


「そんなに卑屈なコンプレックスではなかったと思うけど」


__あなたみたいな人でも、やっぱり劣等感を持つんだね……。


「自分はコンプレックスのかたまりだって、小さいときから思いつづけていた。何なんだろうこれって」


__意外だね、それは。子供のときは、どんなことが原因だったんだろう。


「やっぱり、貧乏、かな」


__それは確かにつらいことだけど、そんなに強いコンプレックスの原因になる?


「人って、やっぱりお金を持っていれば、いい服を着られるじゃない。いい服が着られるのは悪いことじゃないよね。だいいち気持がいいじゃない。汚ない洋服を着てたとき、やっぱり恥ずかしかったもんね」


__それは、そうなんだろうね。女の子だもんな。ぼくなんか、一着の洋服を5年着て暮らしても平気だけど。


「大きくなってからもあったなあ。とても強く覚えているのは、デビューする少し前のこと。いまでもよく覚えている。まだ、沢ノ井さんのとこに下宿していなかったんだ。その頃、沢ノ井さんに連れられて、渡辺プロダクションに行ったんだ。なんとかさんていう人に会うために、ね。この子が間もなくうちからデビューしますのでよろしく、とかなんとかいう挨拶まわりだったんだ。その人が近くの喫茶店に連れて行ってくれて、そこで3人で少し話したんだけど……そのとき、ウェートレスが注文を取りにきたんだよ。何でもいいから、ってその人に言われて……あたし、とてもおなかが空いてたの、そのとき。そのときっていうより、いつも、かな」


__駅前の立喰いそばが食べたくても食べられなかった、ってさっき言っていたものね。


「うん。おなか空いてたから、コーヒーとかジュースじゃなくて、食べ物を頼んじゃったんだよ。スパゲティーだったのかな。その人がなんでもいいと言うもんだから。いま考えれば、いくら何でもいいからといって、喫茶店で食べ物を注文することはないんだよね、しかも、初対面の人なんだから」


__でも、仕方ないよな、おなかが空いていたんだから。


「そうなんだ、食べられなかったんだ。そうしたらね、その人が席を立って、沢ノ井さんを出口の方に呼んでね、何か話してるの。あたしは、何がなんだかわからなかったけど、あとで沢ノ井さんから話を聞いて、ほんとショックを受けた」


__その食べ物のことで、何か言われたの?


「その人はね、沢ノ井さんに言ったんだって。それはまず服装のことだったんだ。デビューをこれからしようという子なんだから、人と会うときくらい、もっとマシなのを着てこさせろ、って。よっぽどみすぼらしい恰好で行ったんだろうね、あたし。流しに行くようなままの、そんなの着てたんじゃないかなあ」


__そうか……。


「そのうえ、初対面なのに、喫茶店でスパゲティーなんか注文して、と沢ノ井さんに厭味を言ったんだって」


__くだらない野郎だね、そいつも。


「ショックだったなあ、それを聞いて。家に帰って泣いたもんね。汚ない服を着ることは、ちっとも苦じゃなかったの。でも、人から見ると、そう見えてしまう。もっとマシな服を着ろと思われてしまうんだ、ってことがショックだったの。貧乏だってことはそこでスパゲティーを頼んじゃうってことなんだよね」


__でも、仕方がないよ、それは。


「うん、よくわかってたんだ、そのときも。でも、つらいことはつらかった」


__しかし、沢ノ井さんも沢ノ井さんだな。そんなこと、あなたに伝えなくてもいいのに、腹に収めておくべきことなのに、マネージャーなら。


「フフフッ。そういうとこ、あの人、とても抜けてるんだよね」


__なるほど、そういうところからくる、微妙なコンプレックスが、あなたにはあったわけなのか。


「そうだね。田舎者だし……都会に出てきて……やっぱり、オドオドしてたよ。つまらないことだけど、レストランに連れて行かれて、フォークとナイフを見ただけで、すくんじゃったよね。緊張しきって、間違えないだろうか、失敗しないだろうか……って」


__そうだ、そういうことはあるよな。


「自分では当り前の洋服を着て、当り前の行動をとっても、人から見ると、汚ない服を着て、恥ずかしい行動をとる、というふうに見られる。自分は一生懸命働いて、貧乏なんか当然と思っているのに、人はそう見ていてはくれないんだ、っていうことがショックだった」


__16、7の女の子が、健気に流しなどをして頑張っているというのに、まったくなあ。


「デビューしてからも、それは長く続いたなあ。昔は、いまほど人としゃべらなかったの。声が出なくなるから貯めてたということもあったけど、コンプレックスが強くて、自分を出せなかったんだろうね」


__ふてぶてしそうに見えていたけど。


「あれで、ずいぶんオドオドしてたんだよ」


__で、いま、少し自由にしゃべれるようになっているとすれば、そのコンプレックスがなくなっているからかな?


「そんなことない。まだ、あるよ、しっかりと」


__ほんと?


「いまでも、コンプレックス、たくさんある。あまり強く意識することは少なくなったけど、ああ、自分が、いま、こう反応しているのは、コンプレックスのせいだ、なんて感じることはあるんだ」


__それはなぜなんだろう。ただ、貧しかったから、というだけじゃないような気がするんだ。性格もあるのかな。


「そうだね、同じように育っても、お姉ちゃんには、そういうのってないからね」


__それって、どうしてなんだろう?


「どうしてなんだろう……」


__何がそうさせたんだろう。


「……きっと、寂しかったんだね」


__何が?


「芸人って、昔はさ、こう、なんて言うのか……人の世話になって生きていくみたいな……そういうのが……どうしてもあったんだよね。いまは、みんな偉そうに、ファンの人なんかに、やあ、諸君、聞きたまえ、なんて感じで歌っているけど……昔は、みんなに聞いてもらって、お花をもらって……いろんなとこで泊めてもらったり、世話になったりして……流しだってなんだって、芸をやって、それでいくらかのお金をもらって、生きていくわけじゃない。そういうことがあるんじゃないかな、あたしには。子供の頃からずっとそうじゃない。やっぱり恥ずかしかったんだろうね。近所で歌うのはいやだったから……恥ずかしかったんだろうね。人に世話になって生きているっていうのが……いやだなあ、恥ずかしいなあと、思ってたんだろうね。きっと、そういうこともあるのかもしれない」


__なるほどね。あなたは、ずいぶん小さいときから、芸人として生きてきたわけだからなあ。


「そうなんだよね。芸人って……やっぱり、恥ずかしいんだよね……」


__芸人って、恥ずかしいか……。


「そうか……あたしにはそれが、いつもいつも、頭の片隅にあったのかもしれない。そう か……そうなのか……」


__芸人……の子、であり、芸人そのものだったんだからね……。

 


解説

小さな時に貧乏だったことが、抜きがたいコンプレックスになっているという話です。

私も、貧乏な創価学会員の親のもとに生まれたので、こういう話には共感を覚えます。

 


獅子風蓮