友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: SALT OF THE EARTH
「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。
2018年10月1日 投稿
友岡雅弥
映画「焼肉ドラゴン」がちょっと話題になっています。大泉洋さんなど、なかなか個性派の俳優さんぞろい。桜庭ななみさんは、CM以外で始めてみました。
声は「サマー・ウォーズ」で聴いていましたが。
この映画の舞台は、現実に存在した「地域」なんです。
中村地区といいます。
伊丹空港敷地内にあった、在日コリアンの方たちが住んでいた地域です。
空港敷地内ですよ!
国はずっと「不法占拠」と言い続けていました。でも、大きく方向転換したのです。 「焼肉ドラゴン」は、その方向転換する前。まだ「不法占拠」とされていた時代のことです。
日本最大の在日コリアンの「不法占拠地域」とされていました。
一つの証言を挙げます。どのようにしてこの地域ができたのか、10年半前、当時の国交相だった冬柴大臣の公式発言です。
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冬柴大臣会見要旨(2007年11月20日)
※読みやすいように改行入れました。
(記者質問)
関西のウトロ地区についてですが、韓国政府も支援を検討しているということです。 本日、京都府から陳情に来ると思いますが、ざっくばらんとしたご所感をいただけますでしょうか。
(冬柴国土交通大臣 答え)
戦中、昭和16、17年頃、国家総動員法や徴用令で大阪伊丹空港を軍用空港にするために拡げるときに、中村地区にそのような人たちをたくさん徴用し、作業に従事させました。
中村地区に飯場を作り、その人たちに住んでいただいきました。それが今日まで解決できなかったという事例があります。ウトロも全く同じことです。京都に飛行場を作るために来てもらいました。
現実には作れなかったのですが。ウトロ地域にそのような人たちの飯場を作り、住んでもらいました。このようなことが戦後そのままになっていて、今日まで来ています。
ウトロについては、土地の所有権を巡り裁判でずっと争いがあり、つい最近最高裁で所有権が確定しました。その上に住んでいる人たちは家屋収去、土地明渡しの強制執行を受ける可能性があるという状況になりました。
私は、公権力によって連れてこられたような人たちに定住の土地として与えられた土地について、そのようなことが起こるのであれば、我々が解決しなければならないと思いました。みんなで力を合わせて解決していくべき事案ではないかと思います。
中村地区はこのような地でしたので、空港騒音対策ということで地域としての措置を取り、市営住宅等を建て、そこに居住するということとになりました。中村地区の方は大変喜んでいます。
ウトロの方もそれを見て、「我々としてもそうして欲しい。」と強く望んでいらっしゃることから、今、京都府、宇治市、そして国がどう対応していくか協議を重ねています。
ただ、土地の所有権については私所有になったので、韓国政府が国会の決議を経て、相当なお金を出し、半分を買い取るに足りるか少し足りないかぐらいのお金を拠出してくれることになりました。急遽そのような土地に公営住宅を建て、ウトロの人たちが居住することができるのではないかと関係者が努力しているのが現状です。
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「たくさん徴用し、 作業に従事させました」
「公権力によって連れてこられたような人たち」
と明言されています。
そして、有名な京都のウトロ地区(在特会の攻撃を受け続けています)も、中村地区と同じような、解決法ができるのではないかと、一つの解決法のモデルケースとして中村地区が採り上げてられています。
中村地区は、「不法占拠」だとして、電気も、水道も、下水も、通らなかった地域なのですが、自治会を作って交渉して、きちんと、すべて完備したのです。
そして、近くに完成した住宅に集団移転も可能にしたのです。
中村地区の歴史を振り返ります。
伊丹空港は、戦前、1939年に出来ています。
この年は――
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻したり、スペインのフランコ独裁政権がスペインを支配したり、また、日本に関してはノモンハン事件が起こり、また貧しい農家の次 男、三男が、満蒙開拓団へと送られていく。
また、政府は「産めよ殖やせよ国のため」のスローガンを掲げたり、国家総動員法(日本にあるすべての人的、物的資源を国が動員できる)は 前年に成立しています。
もともとは、軍事空港として使われました。戦後は10年以上、米軍が接収していました。
この軍事空港としての伊丹空港建設のために、徴用・動員された朝鮮半島からの労働者の飯場があり、それがそのまま残されたのです。
3.4ヘクタールの国有地です。
先ほど述べたように、「国有地を不法占拠している」ということで上下水道や、電話などは、ありませんでした。
しかし、住民は自治会を作って、 粘り強く交渉し、一つ一つ解決していった。
最終的に、2000年代に入り、国も同地区自治会と協議し、156世帯と店舗・事業所の計208棟の移転補償に合意したのです。そしてそのまま、近隣の土地(3ヘクタール)に移転したのです。
「焼肉ドラゴン」に登場する焼き肉屋さんとかは、国からすれば「不法占拠地帯で、勝手に営業している不法営業店舗」だったわけですが、正式店舗として認められての移転だったわけです。
このあたりの経緯については、震災以来、ゼミの学生さんたちと、すばらしい書籍を次々と世に問うている東北学院大学の金菱清教授が、自らの博士論文を元にして出版した『生きられた法の社会学 伊丹空港「不法占拠」はなぜ補償されたのか』(新曜社)に、詳しく述べられています。
実は、東日本大震災の前の2008年に、この本を読んでいて、ちょっと「若書き」だけど、着目点と、丹念に証言を拾っているのに感心していたのです。
そして、東日本大震災後に、金菱さんと出会う。
「あの、中村地区の金菱さんですよね?」という感じです。驚きましたね。
さて、「不法占拠」に対して、「住む権利」「商売を営む権利」を認めて、それを補償するという、日本では画期的な先例となった中村地区移転ですが、
一つは、中村地区の自治体の粘り強い交渉。
もう一つ、国や地元自治体などでつくる「中村地区整備協議会」における、地元自治体の活躍も挙げておかねばなりません。
国の顔色をうかがい、それに忖度する自治体や地方官庁が、最近見られる(しかも同じ伊丹空港でもありましたが)のですが、伊丹市には気骨がありました。
伊丹市役所の担当者の一人は、こう言ってます。
「弱者に対する施策とは違います。人間としての権利言うか、プライド、そのなかでの事業です。共に創っていくかたちです。一番失敗したらだめなのは、地元におられる方には50年、60年の歴史がある。それを救済やってあげますよという立場では絶対ありえないし、逆に言うと、戦後復興を支えてこられた一員として、ほんとうに大事な立場ですよということから始まったから。それが一番、大事なところです。いま表にある(日本の)発展いうのは、陰で支えておられる在日の人も、一般市民もそういう方々の力があって今日の発展がある」
――これは、まさに伊丹市で中村地区を初めとする伊丹空港の課題に取り組まれてきた、空港室長のことばです。(金菱、p.112)
だから、他の同様の例では、見舞金などの「救済策」が採られているのですが、中村地区は、道路拡張とかダム建設の公共事業で、移転が余儀なくされたときの、営業や家の補償と同じ仕組みでなされたのです。
在日コリアンや、また釜ヶ崎の日雇い労働者は、特権を享受しているのではないのです。
苛酷な労働、炎天下の現場作業で、額に汗して、日本を支え続けた人々なんです。
【解説】
在日コリアンや、また釜ヶ崎の日雇い労働者は、特権を享受しているのではないのです。
苛酷な労働、炎天下の現場作業で、額に汗して、日本を支え続けた人々なんです。
その通りだと思います。
今回の話も勉強になりました。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮
面白かったです。
この記事を読んでから観たので、より深く理解できた気がしました。
映画では、市役所の職員が悪者に描かれていましたが、実際には、市役所も頑張って、住民への補償と移転がなされたのですね。
獅子風蓮