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獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

池上彰/佐藤優『プーチンの10年戦争』を読む その10

2025-04-01 11:27:32 | 佐藤優

佐藤優氏のことば。

言うまでもないことですが、ロシアがやっていることは間違っています。独立国家であるウクライナにいきなり軍事侵攻を仕掛けるなど、どんな理由があっても既存の国際法では認められません。
そのうえで、ロシアにはロシアの論理がある。プーチンの演説を丹念に読み解く作業を通じて、読者の皆さんには「プーチンの内在的論理」に耳澄ませてほしいのです。私たちは「ウクライナ必勝」と叫ぶ必要はないし、プーチンを悪魔化して憎むのも良くない。両国で暮らす一人ひとりの人間に思いを致し、一刻でも早く戦争をやめさせなければなりません。

そこで「ロシアの論理」を知るために、こんな本を読んでみました。
一部、かいつまんで引用します。

池上彰/佐藤優『プーチンの10年戦争』(東京堂出版、2023.06)


日本では詳しく報じられたことがない20年にわたるプーチンの論文や演説の分析から戦争の背景・ロシアのねらいを徹底分析。危機の時代の必読書!1999―2023年のプーチン大統領の主要論文・演説、2022年のゼレンスキー大統領の英・米・日本国会向けの演説完全収録!

『プーチンの10年戦争』

□はじめに ジャーナリスト池上彰
□第1章 蔑ろにされたプーチンからのシグナル
■第2章 プーチンは何を語ってきたか
 __7本の論文・演説を読み解く
 □①「千年紀の狭間におけるロシア」(1999年12月30日)
 ■②「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」(2021年7月12日)
  □ウクライナとの闘争は、反カトリックの戦いでもある
  ■「ウクライナ人」とは辺境で軍務に服する人のこと
  □ロシア・ウクライナは「遺産」を共有している
  □ソヴィエト社会主義共和国には危険な「時限爆弾」が埋め込まれた
  □現代ウクライナはソヴィエト時代の産物である
  □「ホロドモール」をめぐる対立
  □公用語の統一と権力は結びついている
  □ウクライナはナチスの生き残りの戦犯を讃えている
 □③大統領演説(2022年2月21日)
 □④大統領演説(2022年2月24日)
 □⑤4州併合の調印式での演説(2032年9月30日)
 □⑥ヴァルダイ会議での冒頭演説(2022年10月27日)
 □⑦連邦議会に対する大統領年次教書演説(2023年2月21日)

□第3章 歴史から見るウクライナの深層
□第4章 クリミア半島から見える両国の相克
□終 章 戦争の行方と日本の取るべき道
□おわりに    佐藤 優
□参考文献
□附録 プーチン大統領論文・演説、ゼレンスキー大統領演説


第2章 プーチンは何を語ってきたか
 __7本の論文・演説を読み解く

②「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」(2021年7月12日)

「ウクライナ人」とは辺境で軍務に服する人のこと

佐藤 ウクライナはコサックの国というイメージもありますよね。そのコサックは正教徒であることを強調しています。

〈これに対して、16~17世紀に、ドニエプル地方では、正教徒住民の解放運動が盛り上がった。転機となったのは、ヘトマン〔ウクライナ・コサックの首領〕であるボグダン・フメリニツキー〔1648~57年のコサックによる武装蜂起の指導者〕の時代の出来事である。その支持者らはポーランド・リトアニア共和国から自治を勝ち取ろうと試みた。〉

以下、コサックとポーランド・リトアニアとロシアの宗教をめぐる歴史を綴るわけですが、要するにコサックのアイデンティティは反ポーランド・リトアニアであり、ロシアと一体であると我々は解釈していると説きます。
その根拠としているのが、1654年1月のペレヤスラウ会議です。

池上 キーウ近郊のペレヤスラウで開かれた、コサックの全軍会議ですね。その場で、ポーランドと戦うためにロシアのツァーリの庇護を受けようという結論に達した。ロシアにしてみれば、このときからロシアとウクライナは再統合されたと解釈しているようですね。

佐藤 だから1954年、この会議の300周年を記念して、当時のソ連のフルシチョフ第一書記は、それまでロシア領だったクリミア半島をウクライナに移管した。両国が一体であるということを、象徴的に内外に示そうとしたわけです。
裏を返せば、これはウクライナという国家が存在しないという考え方でもありますね。1667年、ポーランド・リトアニア共和国とロシアとの間でアンドルソヴォ休戦条約が結ばれ、さらに1686年に永遠平和条約が締結されると、ドニプロ川の東側がロシアに編入されます(ウクライナの歴史については、本書3章参照)。

〈その住民たちは、ロシア正教の民の主要部と再統合されたのである。この地域そのものが「マーラヤ・ルーシ」(マロロシア)〔小さなロシアの意、小ロシア〕と呼ばれるようになった。
当時「ウクライナ」という名称は、すでに12世紀からの文書に登場する古代ルーシの言葉「辺境」という意味で、よく使われていた。それは、さまざまな国境地帯を指していた。そして、「ウクライナ人」という言葉は、同様に古文書から判断すれば、もともとは、外部との境を守るために国境で軍務に服する人々のことを意味していた。〉

それに対して今のウクライナの民族主義者は、「クライ」とは「国」、「ウクライナ」とは「国民」という意味だとして、「辺境」という意味はないと主張しています。「クライ」をどう解釈するかという論争になっているわけです。

池上 ベストセラーになった『物語 ウクライナの歴史――ヨーロッパ最後の大国』(黒川祐次著、中公新書)も、そのあたりを詳しく紹介しています。仮に「辺境」という意味に由来するとしても、それはモスクワから見てではなかったとか、ロシア帝国の時代にロシアはウクライナを「小ロシア」と呼んでいたとか。なお独立国家として「ウクライナ」を名乗るのは、ロシア革命が起きた1917年からですね。


解説

ここに述べられているのは、あくまでプーチンのロシア側から見たウクライナの位置づけです。

獅子風蓮