佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。
まずは、この本です。
佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』
ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。
国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
■第4章 「国策捜査」開始
■収監
□シベリア・ネコの顔
□前哨戦
□週末の攻防
□クオーター化の原則
□「奇妙な取り調べ」の始まり
□二つのシナリオ
□真剣勝負
□守られなかった情報源
□条約課とのいざこざ
□「迎合」という落とし所
□チームリーダーとして
□「起訴」と自ら申し出た「勾留延長」
□東郷氏の供述
□袴田氏の二元外交批判
□鈴木宗男氏の逮捕
□奇妙な共同作業
□外務省に突きつけた「面会拒否宣言」
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。
第4章 「国策捜査」開始
収監
西村尚芳(ひさよし)検事と検察事務官の引率で、私は小菅の東京拘置所に着いた。
西村氏は、「これから手続きがあります。ちょっと屈辱的な検査もありますが、気にしないでください。後でまたお会いしましょう」と言って、私を拘置所職員に引き渡した。
初老の職員はニコニコ笑っていて、「あちらのカウンターに行ってください」と言う。空港のチェックインカウンターのようなところに並ぶと職員が人定質問をはじめた。
「氏名、住所、生年月日、本籍地、現住所、職業」の順に尋ねられ、私が答えると、隣のカウンターに行けと言われる。
今度は、「生年月日、西暦では、星座は、干支は、本籍地は、出身小学校は、最終学 歴は、干支は、お母さんの名前と誕生日は、生年月日は、星座、干支は、本籍地は」と矢継ぎ早に尋ねられる。これで氏名、住所、経歴などに嘘がないかチェックしているのであろう。なぜか干支だけ三度きかれた。
質問が終わると、「外務省の方ですか。鈴木宗男さんの関係で捕まったんですね」と言う。どの職員の応対もとてもていねいなので 拍子抜けした。
それから、体育館のような場所に移動して、靴を脱いでサンダルに履き替えた。灰色と水色の混じったビニール製のなんとも形容しがたい不思議なサンダルだ。だいぶすり減っていた。時計、財布、万年筆などを預けて受取証をもらう。切手だけは獄舎にもっていってよいと言われる。
これから身体検査があるという。西村検事が言うところの「屈辱的な検査」とは、小説で読んだ肛門検査のことであろう。ガラス棒でも突っ込まれるのだろうかと考えていた。
検査は身長、体重、視力、写真撮影、レントゲン撮影、血圧測定、心電図測定、既往歴に関する問診などで、期待の肛門検査は、「立ったまま後を向いてください。ちょっとお尻を手で開いてください。それで結構です」とあっさり終わってしまった。
若い看守が私に札を渡す。そこには「1095」と書かれている。
「佐藤さん、これは称呼番号といって、これから佐藤さんの名前は原則として呼ばずに番号で呼ぶことになります。早く覚えておかれた方がいいと思います。いろいろ慣れないこともあると思いますが、何でも遠慮せずに聞いてください。佐藤さんは独房暮らしになります。これから新北舎に御案内します。ここではいちばん新しい建物です」
拘置所の看守はもっと乱暴な扱いをすると思っていたのに、実に意外な感じだった。
戦前に建設されたであろうコンクリートの獄舎を抜け、5分くらい歩いたところに四角い団地のような建物があった。新北舎だ。建物に入ると消毒液の臭いがする。看守から廊下の隅を示され「線で囲ってある中に入ってください。ここで手を上にあげてください。検身をします。毎回、何か禁制品をもっていないか、一応チェックします」と言われた。
三階まで上がり、廊下をしばらく歩き、中央にある受付台に連れていかれる。若い看守が「またお会いできるといいですね」と小声で私の耳元で囁いた後、大声で、「一名連行しました」と叫んで敬礼する。
40代後半と思われる身長170センチ強、小太りの看守が、「ごくろう」と言って答礼する。
この小太りの看守が、この階の担当責任者で、私の生活の面倒を512日間みてくれることになる。実に人情味があって、気持ちのよい人物だったが、その時の私は、拘置所職員は検察と一体になって自白を強要するのだと思い、全身が緊張と警戒で硬直していた。
看守に案内されたのは、受付台からそれほど離れていない第十房だった。三畳の畳にコンクリートの床が一畳分ついており、そこに水洗便所と洗面台がある。思ったよりも広いと感じた。部屋の端に布団と毛布がたたんである。天井が高い。3メートルくらいあるだろうか。蛍光灯の間に穴があいていて、そこにカメラがついている。24時間監視体制に置かれているのだろう。きっと音もとられているのだろう。一切油断できないと思った。
「慣れない生活と思うけど、あなたの生活の方はおいらが面倒を見るから。まずはメシを食わなきゃはじまらないから、食おう」と言って、小机の上に並んだ食事を勧める。食欲はあまりないが、私の心理状態を観察しているのだろう。ここはできるだけ平静に振る舞わなくてはならない。
厚手のアルマイトの弁当箱を開けると、麦飯がはいっていた。これが「臭い飯」かと思って箸をつけてみるが、なかなかおいしい。おかずは青椒牛肉絲(チンジャオロース)で、小海老のたくさん入った中華スープとザーサイがついている。味もなかなかいい。
食事が終わると、時間割、生活の基本ルールについての説明があった。それから、筆記願いを提出し、獄中での筆記具の使用が可能になるようにした。但し、ボールペンやノート、便箋の購入申し込みは金曜日で、交付は翌週の水曜日とのことである。
今日、5月14日は火曜日なので、22日までは筆記具のない状態だ。とりあえず書類を記載する際にはその都度願い出ればボールペンを貸してくれるとのことだった。
「特捜の調べはだいたい夜だからね。結構、遅い時間になることもあるので、身体の調子がよくないときは、遠慮せずに言ってな。午前中寝ていてもいいようにするから」と看守は言った。
独房内では廊下側に近い隅で小机に向かって、基本的に一日中無言で座っていなくてはならない。部屋には官本(拘置所所蔵の書籍)が二冊置いてある。一冊は巡礼紀行文で、もう一冊が乙武洋匡著『五体不満足』(講談社)だった。くよくよしていても仕方がないので本を読み始めた。
午後7時になり、ラジオから昼のNHKニュースが流れはじめたが、「外務省の……」と言いかけたところで、放送が途絶えた。数分経って、関東地方のニュースが流れはじめた。ニュースも検閲されている。外では検察のリーク情報や、外務省内で私と対立する人たちの流す悪口やデマで大騒ぎだろう。「チーム」の仲間、外国の友だちや母親はどうしているかと思うが、いずれにせよ私に手の届かない世界のことはいくら心配しても仕方がない。できることだけをやればいいと、自分に言い聞かせる。
暫くすると、担当責任者よりは少し若い看守が書類をもってやってきた。
「これ、ここに来た人にはみんな書いてもらっているアンケートなのだけれど、書いてもらえないかな」
「わかりました」
住所、氏名から始まって、健康状態、現在不安なこと、家族との関係、職場との関係、将来への不安といろいろ細かい質問事項がある。こちらの心理状態を見ようとしているのだと思い、健康状態のところに「若干血圧が高い」と記し、それ以外は「不安なことは特にない」と記した。
さらに読み進めると、身体的特徴という頁に「入れ墨、指詰め、玉入れ」という項目があった。「入れ墨、指詰め」は意味がわかったが、「玉入れ」がわからないので、看守に聞いてみた。
「あなたには関係ないと思いますが、男の棹に手術でシリコン玉を入れることです」という答だった。雑居房に移ると「入れ墨、指詰め、玉入れ」の三点セットが揃った人たちがたくさんいるのかと思うと、いつまでも独房で暮らしたいと思った。
【解説】
私は別のところ(獅子風蓮の夏空ブログ)で、佐藤優のマンガ「憂国のラスプーチン」を読み進めています。
ですから、収監以降のエピソードはイメージが豊かに浮かびます。
獅子風蓮