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獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

佐藤優『国家の罠』その58

2025-04-17 01:22:33 | 佐藤優

佐藤優氏を知るために、初期の著作を読んでみました。

まずは、この本です。

佐藤優『国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて』

ロシア外交、北方領土をめぐるスキャンダルとして政官界を震撼させた「鈴木宗男事件」。その“断罪”の背後では、国家の大規模な路線転換が絶対矛盾を抱えながら進んでいた―。外務省きっての情報のプロとして対ロ交渉の最前線を支えていた著者が、逮捕後の検察との息詰まる応酬を再現して「国策捜査」の真相を明かす。執筆活動を続けることの新たな決意を記す文庫版あとがきを加え刊行。

国家の罠 ―外務省のラスプーチンと呼ばれて
□序 章 「わが家」にて
□第1章 逮捕前夜
□第2章 田中眞紀子と鈴木宗男の闘い
□第3章 作られた疑惑
■第4章 「国策捜査」開始
 □収監
 □シベリア・ネコの顔
 □前哨戦
 □週末の攻防
 □クオーター化の原則
 □「奇妙な取り調べ」の始まり
 □二つのシナリオ
 □真剣勝負
 □守られなかった情報源
 ■条約課とのいざこざ
 □「迎合」という落とし所
 □チームリーダーとして
 □「起訴」と自ら申し出た「勾留延長」
 □東郷氏の供述
 □袴田氏の二元外交批判
 □鈴木宗男氏の逮捕
 □奇妙な共同作業
 □外務省に突きつけた「面会拒否宣言」
□第5章 「時代のけじめ」としての「国策捜査」
□第6章 獄中から保釈、そして裁判闘争へ
□あとがき
□文庫版あとがき――国内亡命者として
※文中に登場する人物の肩書きは、特に説明のないかぎり当時のものです。

 


第4章 「国策捜査」開始

条約課とのいざこざ

5月30日には、1999年3月のゴロデツキー教授訪日の経緯について、調書を作った。第三章「作られた疑惑」で、この訪日準備過程で鈴木宗男氏と絡むちょっとしたいざこざがあったということについて触れたがそれは次のような経緯である。

99年1月末、鈴木宗男氏はイスラエルのある高官と会食した。その時、ゴロデツキー教授訪日の話がでた。その高官は、ゴロデツキー氏が単なる学者ではなくイスラエル政府の対露政策に影響を与えるキーパーソンであることと次期駐露大使の有力候補であるという話をした。ここで鈴木氏はゴロデツキー教授に関しても興味をもつようになった。
当初、分析第一課は、ゴロデツキー、ナベー両教授をオピニオンリーダー招聘、中堅指導者招聘などの予算で呼ぼうと考えたが、年度末なのでどの枠も埋まっていた。イスラエルのロシア情報の重要性と当時の官邸が平和条約交渉に本腰を入れていることを背景に、分析第一課が強硬な対応に出れば、他の計画を後回しにして、両教授訪日に予算を振り替えることができたかもしれない。
しかし、私たちが招聘案件を是非とも実現したいと考えているように、他の部局も自分たちが計画した招聘案件を実現したいと考えているはずだ。他の人の仕事を押しのけるのは趣味ではない。そこで、以前、やはり外務省本体の予算がないので、支援委員会資金を使って、チェチェン問題の国際的権威であるセルゲイ・アルチューノフ・ロシア科学アカデミー民族学人類学研究所コーカサス部長を呼んだ例があるので、今回も支援委員会から費用の手当ができないかと考えた。これは、私だけの意見ではなく、分析第一課の総意に基づいていた。私たちはロシア支援室の前島氏とも相談して決裁書を整えて、関係部局の決裁を得ようとした。
2月初旬のある日、前島氏が血相を変えて分析第一課に訪ねてきた。
「佐藤さん、条約課の岸守がとんでもないんです」
岸守一(はじめ)事務官は条約課で支援委員会協定を担当している。
支援委員会は国際機関であるが、この国際協定に基づいて設立されたものだ。また、前に述べた通り、そこにお金を出しているのは日本政府だけで、実際の資金支出は日本政府の指示によって行われる。そのため、支援室の企画でこれまでに先例のない事案については、条約課の決裁を得ることになっていた。
「どうしたんだい」
「『なんでこんなもん持ってくるんだ。アルチューノフの時はこれを先例にしないと言っただろう』と喧嘩腰なんです。口の利き方もなっていない。これじゃ話になりません」
「あなたと岸守は年次はどっちが上なの」
「年次は岸守の方がちょっと上なんですが、職種は専門職(ノンキャリア)なんで、まだ事務官です。ただし、岸守も東大法学部卒なので性格がちょっと捻れているんですよ」
前島氏は課長補佐、しかも総務班長なので岸守氏よりも上席だ。東大法学部卒の外務省員はほとんどがI種(キャリア)職員である。しかし、ときおり専門職員もいる。
I種職員は能力や性格に相当の問題がない限り大使ポストを保証されているが、専門職員で大使になる人は5パーセント程度で、しかも中小国の大使だ。大学で机を同じにし、能力的にはそれ程違わなくても外務省内での出世街道は大きく異なる。
もっとも小国語の専門家として結構楽しく仕事をしている東大卒の専門職員もいるので、要はその人の価値観である。私は96年から2002年まで東京大学教養学部で「ユーラシア地域変動論」という科目を教えていたので、東大生気質はそれなりにわかっているつもりである。
ときどき、「あえて外務省の専門職員になり、佐藤先生のように外交官と学者を両立させたい」という相談を受けたが、私は「東大生に関しては、ほとんどがI種職員だからあえて違う道を選ぶことは勧めない。二つの世界に足をかけていても僕みたく両方とも中途半端になるから……」と答えていた。
「それで岸守は何て言ってるの」
「『イスラエルから専門家を呼んでこれるならば、ナイジェリアからでもロシア専門家ならば呼べるじゃないか』と言って認めようとしないんですよ」
「対露支援に役立つ専門家として具体的に誰を招聘したらよいかは政策判断の話で、条約課が云々することじゃないよ。ナイジェリアに日本の役に立つ優れたロシア専門家がいるならば岸守に紹介して欲しいな。呼べばいいじゃないか」
「私もそう思います。条約課とは正面から議論します。佐藤さん、岸守は日露平和条約の重要性がわかっていないようなので徹底的に闘いますよ」
「いいよ。できるだけ厳しく、徹底的にやってくれ」
こうしたやりとりがあったと記憶している。

前島氏は、条約課と本格的な「戦争」をはじめた。
条約課は外務省の中で影響力の強い部局で、条約局長は事務次官への登竜門だ。当時の条約局長は東郷和彦氏だった。東郷氏は「条約局にはサービス精神が欠けている。他の部局が行おうとすることを助けてあげるという姿勢が重要だ」とよく私に話していた。私が東郷氏にこの件について相談すれば、東郷氏は瞬時にそれを解決したであろう。しかし、そのようなやり方は最後の手段だ。私は岸守氏ときちんと話してみようと考えた。私は情報の専門家、岸守氏は条約の専門家と分野は違うものの職人同士では理解可能な部分もあるはずだ。私は岸守氏に電話をかけた。
「分析第一課主任分析官の佐藤と申します。岸守さんですか」
「はい。岸守です」
「実はうちの課で呼ぼうとしているゴロデツキー・テルアビブ大学教授のことで、ちょっと背景説明をしておきたいんだけど。あなたとどこか中立的な場所で会えないかな。分析第一課に来てくれとも言わないけど、僕から条約課にも行かない。どこかでコーヒーでも飲みながら話をしたいんだけれど。この件の政治的背景を話しておきたい」
物事がこじれた場合、関係者が非公式な話をして打開を図るというのはよくあることだ。ロシア外交の素人にはイスラエル情報の重要性がわからない。小渕首相もイスラエル情報を高く評価していることを岸守氏に理解して欲しかった。しかし、岸守氏の応答は素っ気ないものだった。
「首席事務官(条約課のナンバー・ツー)の了承が得られれば行きます。そして話の内容は首席事務官に報告します。それでよろしいのなら会います」
いかにも会いたくなさそうだ。それならば私の方からお願いしてまで会ってもらう話ではない。
「あなたに状況を説明したいんだけれど、そう堅苦しく考えるならば、この話はなかったことにしよう」
私は電話を切った。この私からの電話について、公判で杉山晋輔条約課長は、私の圧力があったとの趣旨の証言をしているが、これは事実ではない。ほんとうに私が圧力をかけようとするならば、直接、東郷氏を使うので、このような効率のよくない迂回戦術はとらない。
この電話から数日後、私は明治記念館でロシア人と夕食をとった後、鈴木宗男氏に電話でその会談内容について報告すると、「今日はもう家に戻っているけど、遊びに来ないか」と誘われたので、南青山の自宅におじゃました。その日は珍しく新聞記者もいなかった。
鈴木氏から、「この前、イスラエル政府の高官が言っていたテルアビブ大学の先生の訪日はどうなっているか。俺も一席設けるから」と質問された。
私は、「どうもうまくいっていないんですよ。条約課に東大法学部卒の岸守一というちょっと捻れた専門職員がいるので止まっちゃってるんですよ。何とかします」と答えた。
これに対して鈴木氏は「東郷が局長なんだろう。イスラエルのロシア情報の重要さを部下にちゃんと理解させないと」と述べたが、その話はそれで終わって、別の話題に移った。

それから2、3日して、私は急に官邸の鈴木内閣官房副長官室に呼び出された。東郷氏と山田重夫条約課首席事務官がいた。他に誰が同席していたかは記憶が定かでない。昼少し前のことであった。鈴木氏は、条約課を厳しく指導していた。
「支援委員会の予算は、俺が外務省に言われて補正でつけたんだ。小渕政権が平和条約交渉をどれくらい重視しているのかわかっているのか」というのが鈴木氏の発言の趣旨だった。
官邸からの帰りがけに東郷氏が私に言った。
「イスラエルの学者のことで文句があるならば、僕に言ってくれればいいのに。話を大きくしないでほしい」
私はムッとして、「話なんか大きくしていません。こんな話、鈴木さんに頼みませんよ」と言った。事実、このときの鈴木氏からの呼び出しは私にとって想定外だった。
その後、3月になってから、もう一度、官邸に呼び出されたことがある。このときは私の他には東郷氏、杉山氏、山田氏、岸守氏、前島氏が同席していた。鈴木氏は、条約局が日露平和条約交渉の重要性をどの程度理解しているのか、山田氏、岸守氏の対応を見ているとわからなくなると東郷氏、杉山氏に問いただしていた。
杉山氏は、「私の課員に対する指導不足です。イスラエル情報の重要性も私はよくわかっているのですが、彼らはまだよくわかっていないようで……」と一見、部下を守るような口調だが、よく聞くと部下に責任を転嫁する発言を繰り返していた。私は、「鈴木大臣、条約課もよく反省しているようなので、もういいじゃないですか」と言った。
鈴木氏は、「前島君、君はどう思うのか」といきなり質問を振った。
前島氏はとっさにこう答えた。
「条約課は、日露平和条約交渉が現在政治的にどれくらい重要かということに対する認識が十分でなく、ものごとを作っていくという姿勢から条約を解釈していない。最終的にはこちらの言うことを認める場合でも、あえて時間をかけ、条約課の威厳を示すことに生きがいを見いだしているようだ。不親切きわまりない。このような状況で仕事をするには厳しいものがある。何のための協定かということをもっと考えてほしい。われわれは時間との闘いの中で、日露平和条約締結に向け尽力している」
鈴木氏も東郷氏も大きくうなずいた。鈴木氏は、「みんなで団結して、平和条約締結に向け、一生懸命仕事をしてくれ」と言って、この日の会合は終わった。
官邸の廊下で、前島氏と山田氏が激しい言い争いをはじめた。私にはよく聞こえなかったが、言い争いを聞いて新聞記者たちが集まってきたので、私が、「二人とも、記者の前だぞ。やめろ」と少し大きな声でたしなめた。
後で前島氏は、「山田が、『君は気にしないでいいよ』とエラそうに言ったので、『鈴木副長官の前で言ったのは俺の本心だ。何を恩着せがましいことを言うんだ』と言い返してやった」と私にそのときの諍いについて説明した。
これでこの件を巡る外務省と鈴木氏の「手打ち」は終わった、と私は考えていた。しかし、どうもそうではなかったようだ。そのことを私は西村氏からの取り調べで知るのである。

私は事実関係について、率直に西村検事に話した。特に岸守氏に関する私と鈴木氏のやりとりについては、密室のできごとなので、私が「そんな話はない」とか「記憶にない」と言えばそれで逃げ切れる話であるが、私は正直に話した。
その後、西村氏は私の知らないことについて尋ねてきた。
「杉山課長、山田君、岸守君が鈴木さんに言われて詫び状を出した話を知っているかい」
「知らない。詫び状を要求するのは鈴木大臣のスタイルじゃないな」
鈴木氏は、「正確を期したいので文書にしてもってきてくれ」とか、「誰がいつ、何を言ったか、クロノロジー(日付順の箇条書きメモ)を作ってこい」と言うことはある。しかし、「詫び状をもってこい」と役人に言った場面に少なくとも私は遭遇したことがない。
もっとも、鈴木氏が要求したのはクロノロジーなのに、それに過剰反応して詫び状をもってくる官僚はよくいる。キルギス人質事件のとき外務省からJICA(国際協力事業団、現国際協力機構)に出向していた総務部長は、鈴木氏のところに詫び状や近況報告などを事件が終わった後も週に3、4回、1年以上も持参し、その総量はみかん箱2杯になった。もちろん、鈴木氏も人間だから、そのような「忠誠の証」を悪く思うはずがない。私はその辺の事情を西村氏に説明した。
西村氏は、「そうだろうな。杉山はこの機会を利用して鈴木さんに近付こうとしたという印象を僕ももっているんだ。クラッシュを作ってそれから仲良くなるというのは政治家がよく使う手法だからね。杉山はそれを読んだ上で鈴木官房副長官と御縁をつけたのだろう。しかし、外務省は狡猾だよな。この手紙の写しを保存してあって、鈴木からの圧力の証拠として早い段階に自主提出してきた。鈴木さんも文書をとる癖が裏目に出た。捜査になればこの種のものは全部物証になってしまうからね」と述べた。
西村氏の見立ては正しい。この事件は、別に杉山氏が出てこなくとも東郷氏がいれば解決できることだった。また、先程の発言でもわかるように杉山氏は決して部下を守っていない。これをきっかけとして、杉山氏は鈴木氏のところへ頻繁に説明に出向くようになり、鈴木氏も「杉山は気が利く」と覚えも目出度くなった。
その後、杉山氏は韓国公使になった。鈴木氏が中央アジアやサハリンに行くときソウルを経由することが何度もあったのだが、杉山氏は自分がソウルを不在にしている場合以外は、必ず空港に出向き、VIPルームと公用車を用意し、鈴木氏を現職閣僚に対する以上の扱いで丁重にもてなした。パスポート検査も全て大使館員が代行し、杉山氏の案内で鈴木氏は焼き肉料亭に向かう。支払は鈴木氏もちで、しかも鈴木氏は金一封を大使館側に渡す。私自身、現金授受の現場に少なくとも2回はいあわせた。
この杉山氏が後に検察側証人として法廷に立ち、鈴木氏の外務省に対する不当な圧力を防ぎ、部下を守るために詫び状提出を余儀なくされたという証言をするのである。

 


解説
そこで、以前、やはり外務省本体の予算がないので、支援委員会資金を使って、チェチェン問題の国際的権威であるセルゲイ・アルチューノフ・ロシア科学アカデミー民族学人類学研究所コーカサス部長を呼んだ例があるので、今回も支援委員会から費用の手当ができないかと考えた。

条約課の岸守氏がこれにストップをかけたというのです。
支援委員会は国際機関であり、国際協定に基づいて設立されたものです。
その資金をイスラエルの教授の訪日に使うというのは、支援委員会設立の趣旨からすれば、岸守氏の言い分にも理があるような気がします。
しかし、イスラエルのもつロシア情報が日露平和条約交渉に役立つと考える鈴木、佐藤氏からみれば、杓子定規に考える条約課は、仕事を邪魔する敵にも思えたのでしょう。

 

その後、佐藤氏は鈴木氏の自宅に呼ばれて、事情を説明しました。

「どうもうまくいっていないんですよ。条約課に東大法学部卒の岸守一というちょっと捻れた専門職員がいるので止まっちゃってるんですよ。何とかします」と答えた。
これに対して鈴木氏は「東郷が局長なんだろう。イスラエルのロシア情報の重要さを部下にちゃんと理解させないと」と述べたが、その話はそれで終わって、別の話題に移った。

その後、佐藤氏は東郷氏と山田重夫条約課首席事務官とともに官邸の鈴木内閣官房副長官室に呼び出されます。
そこで、鈴木氏は「条約課を厳しく指導していた」とのこと。

これでは、外務省の職員側からすると鈴木氏から「外圧」を受けて、本来の趣旨から外れて支援委員会からイスラエルの教授の訪日費用を支出したと認知されてもしかたがないような気がします。

 

マンガ「憂国のラスプーチン」を読む その5(2024-12-09)

 

 

 

獅子風蓮