山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
(目次)
□第1章 「神の子」になる
□第2章 盲信者
■第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき
怒りにふるえたカメラの前での墓参り
8月の屋久島は暑い。飛行機から降りると、モワッと蒸しかえすような熱気が身体中にまとわりつく。じっとしていても汗がふきだしてくる。
到着ロビーに着くと、二番目の姉が迎えに来てくれていた。実は彼女は偶然にも私と同じ教会員で、私より先に入信していたのだった。
そして、よけいな人たちまで待ち構えていた。いわずと知れたテレビカメラと雑誌記者である。
私はウンザリした。
お墓参りぐらい静かにさせてほしいと思ったが、マスコミはそれを許してはくれないらしい。
車に乗りこんだ私たちのあとを、彼らは執拗に追いかけてくる。屋久島の一本道をどこまでも、どこまでも。どうせ、逃げても無駄だと、私たちはゆっくりと田舎道を走り続けた。
実家近くになり、私は車を降りて後ろの車の人を待った。
数人が降りてくる。
「すいません。もう家が近いんですけど、ここまでにしてもらえませんか」
ただでさえ迷惑をかけている親戚たちに、これ以上気分の悪い想いをさせたくなかった。
「じゃあ、お墓参りのシーンだけ撮らせてもらえませんか。お墓参りはいつ行かれるんですか」
「今日はもう遅いし、お墓には行きません。それに、そんなの撮られたくありません」
「それではこちらも勝手にさせていただきます」
この人たちには何を言っても無駄のようだ。
私はプイと背を向けると、車に乗り、家へと向かった。
少しばかりくつろいでいると、さっきのカメラクルーのうちの二人が玄関のところに来た。どこかの局のワイドショーのリポーターが、ちょっと話があるという。
私は仕方なく、玄関のところまでいった。
「山崎さん、お墓参りだけ撮らせてもらえませんか。そうしたら、ぼくらはもう追っかけませんから……」
交換条件というわけか。無視したら、ずっと居すわるつもりなのだろう。明日には親戚たちが続々と集まってくる。今日、この条件をのめば、明日からは落ち着いて、お墓参りができるし、一周忌も無事、済ませることができる。
私は、いら立ちを覚えながらも、お墓へ行くことにした。
もっとゆっくりと、もっと澄んだ心で、墓前に立ちたかった。けれど、私の心の中は、腹立たしさだけでいっぱいだった。
数分で手短かにお墓参りを済ませた私は、足早に墓地を立ち去った。
人の不幸を喜ぶ神経がわからない
翌日、親戚たちが顔をそろえ、お寺へと向かった。
するとそこには、なんと昨日のカメラクルーが、三脚をたてカメラをすえて、我々が来るのを待ち構えているではないか。
(約束したのに。あんなにイヤイヤお墓参りをさせておいて、もう追っかけないと言ったのに。これがマスコミというものなのか)
今までにマスコミに裏切られたことがなかったわけではない。あることないこと書かれて傷つけられたこともあった。私じゃない私が、勝手に形づくられていくことに、無言の抵抗を重ねてきたこともあった。
しかし、これほどまでに、人の心をもてあそぶことが平気でできるのか。
行き場のない怒りが、ぶつけようのない悔しさが、私の中でうずまいていた。
夜になり、親戚の人たちに入信騒動で迷惑をかけたことに対してお詫びをした。
「何を信じてもいいが、みんなに迷惑をかけるんじゃない」
それだけ言うと、皆はいい気分で酒に酔い、夜は明けていった。
朝、テレビを見ると、私の実家が映っている。
現地リポーターとスタジオのかけ合いで、今の私たちの状況をこと細かく伝えている。
なんでもリポーターによれば、私たちは夜を徹して親族会議をやっていたらしい。統一教会のことについては、5分も話さなかったのに、である。
私の怒りはピークに達しだ。
よくもまあ、いいかげんな報道ができるもんだ。もう、絶対許さない。この人たちは、ことが複雑になればなるほどいいのである。もめていることにこしたことはない。人の不幸が大好きなんだ。
(ワイドショーなんて大きらい)
いつまでも怒りはおさまらなかった。
お墓参りに行くと、遠くから望遠レンズでまた狙ってくる。
石でも投げようと思ったがそうもいかず、私はただ睨みつけることしかできなかった。二台のカメラを交互に睨みつけることしか……。
台風のせいか、島はどしゃぶりの雨。強風のため、カサもさしていられないぐらいだった。
髪につけたムースがとけて流れ落ちてくる。目の中に入ると痛くてたまらず、何度も目をこすり続けた。
初盆のお墓参りの際は、2時間ぐらいお墓の番をしなくてはならないのが、この地方の慣習である。だから、空が真っ黒な雲におおわれ、あたりが夕闇に包まれてもなお、お墓の前に立ちつくしていた。
結局私は、テレビ局にとって最高のシーンを提供してしまった。
画面いっぱいに映し出された、私の恐い顔。幽霊でも出てきそうなシチュエーションの中、何時間も立ちつくす私。それも涙をふきながら……。
「親戚の反対の中、山崎浩子さんは吹き荒れる風雨にうたれて、墓前に何時間も立ちつくしていました。何を語りかけていたのでしょうねェ」
とかなんとかいってるけど、涙をふいていたわけじゃなくて、ムースが目に入って痛かっだだけなの。ここでは2時間ぐらいはお墓にいなきゃならないしきたりなのよ……と、テレビの前でほえていたが、何の役にも立ちはしなかった。
いいかげんアホらしかったが、それでもやっぱり許せなかった。
東京に連絡を入れると、勅使河原さんが笑いながらこう言ってきた。
「神山会長がね、もうちょっと笑ってくれってよ。すごい顔してたもんなあ」
「だってお墓参りしてんだよ。そんなへラへラ笑ってる場合じゃないって伝えといてよ」
「わかってるけど、もうちょっと愛想良くね」
初盆をぶち壊しにされた私は、とてもそんな気分になれなかった。
まあ、“反牧”につかまらなかったことだけが救いだなと思った。あとは、ソウルへ行き、祝福を待つばかりだった。
合同結婚式に出発----金浦空港大混乱
8月23日。
私と勅使河原さんを乗せた飛行機は、ソウル金浦空港へと向かった。
統一教会広報部の人から、金浦空港で話者会見を開いてくれとマスコミから依頼があるんだが……と言われたが、記者会見はもうウンザリだった。挙式後は仕方ないかもしれないが、空港なんかでやりたくない。その希望はどうにか通してもらった。
しかし金浦空港は殺気だっていた。幾重にもなったカメラマンの輪は、私たちの方へじりっじりっとつめよってくる。
「オラ、どけ!」「見えないだろ!」「やめてください、押さないでください!」
カメラマンたちの罵声。女性リポーターの金切り声。
私たちは一歩も進めないどころか、後ずさりしなければならないほどに押されていた。
スーツケースがカートからガタンと落ちる。いくつものカメラが身体にぶちあたる。
もうどうしようもなかった。
場所を変え、落ちついて記者会見に応じるしか、この混乱を鎮める方法はなかった。
私たちは到着ロビーの中の一室に通された。たぶん、あとから到着する淳子さんは会見を行う予定だったので、そのための部屋なのかもしれない。
二つ並んだ椅子に腰かける。
「今、どんな気持ちか」とか、普通の挙式を前にした芸能人と同じような質問を受けながら、私はできるだけ、ていねいに答えるようつとめた。
会見を終え、私たちはやっと解放された……と思ったら、これが大間違い。
私たちを乗せた車の後ろには、ピッタリと3、4台の車とオートバイがついてくる。私たちの運転手はもちろん統一教会員だが、以前はレーサーを目指していたとかで面白そうに運転している。映画でしか見たことのないような力ーチェイスを、今まさに繰り広げているのである。
やっとあの殺気だった空港から抜けてきたばかりだというのに、またこうして死と隣合わせのようなシーンに直面している。
こちらはホテルを知られたくないし、向こうは知りたくてたまらない。
「そこまでしなくていいですよ」と私は言ったが、カーチェイスは最後の一台、オートバイをふりきるまで続けられた。
ホテルにつき、部屋のベッドに腰をおろしだとたん、疲れがドッと出た。
祝福を待ち望む期待感とか、そんなものはどこかへ飛んでいった。
(つづく)
【解説】
第3章では、山崎浩子さんが旧統一教会での合同結婚式に参加するもその後“拉致・監禁”に至るまでの様子がていねいに描かれています。
いよいよ合同結婚式に参加するため山崎さんとテッシーは韓国へと旅立ちます。
獅子風蓮