山崎浩子『愛が偽りに終わるとき』(文藝春秋1994年3月)
より、引用しました。
著作権上、問題があればすぐに削除する用意がありますが、できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。
(目次)
□第1章 「神の子」になる
■第2章 盲信者
□第3章 神が選んだ伴侶
□第4章 暴かれた嘘
□第5章 悪夢は消えた
□あとがき
母の死がうながした決意
そんな時、母が死んだ。
59歳という、あまりにも早く、あまりにも突然の死だった。
1992年、3月14日。
いつものように留守用にセットされた電話器から、姉の叫び声が響いた。
「ヒロコォ~、母ちゃんが……母ちゃんが……」
姉のただならぬ声に、急いで受話器をとる。
「もしもし?」
「ヒロコ、母ちゃんが死んだあ」
「ウソ!?」
姉の泣き叫ぶ声を聞きながら、私も声をあげて泣いた。受話器を持ったまま、座りこんで泣き続けた。
「とにかく、帰る準備をする」
電話を切ったあと、私は文先生の写真をおいてある部屋に行き、泣きくずれた。
「ゴメンナサイ、母ちゃん。ゴメンナサイ、母ちゃん」
私が祝福をためらっていたから、母が犠牲になったんだと思った。
何度も何度もあやまり続けた。何もしてやれなかった。何もしてあげなかった。
私は母にも統一原理を知ってもらいたくて、また、私の祝福を理解してもらうためにもと、数回ビデオを見せたことがあった。けれど、結局は伝えることができなかったのが、私の最後の悔いとなった。
もっと早く伝えるべきだった。
リウマチをわずらっていたが、元気な母だった。父を亡くしてからも、気丈に明るく過ごしていた。
父の眠る屋久島に、一人住むのが淋しいだろうと東京に呼んでも、お墓が心配だといっては長居をしなかった。
一週間前に電話をした時は、私がフロリダに行ってきた話をした。とっても楽しかったと旅のみやげ話をすると、「よかったネェ」と同じようにうれしそうに笑っていた母。
三人も娘がいながら、誰一人として母の最期をみとることができず、屋久島で母は一人ばっちで逝ってしまった。
久しぶりに姉妹三人が顔を合わせたのが、母の死との対面とは……。形容しがたい想いだった。
けれど母の死顔は本当に穏やかで、それがせめてもの救いだった。
ゆり動かせば目を覚まして起きてくるようで、私たちは母の亡骸をいつまでもゆすり続けた。
すでに嫁いでいる姉たちに代わって、私は喪主として母を見送った。
いつも明るく、おおらかな母だった。
教師の娘であった私たちは、よく「ひいき」だといっていじめられた。泣いて帰ってきた姉たちに、いじめるより、いじめられる方がいいんだ、いじめっ子にだけはなるなといっていた母。
どんな生き方をしてもいい、でも人に迷惑をかけるのだけはやめなさいといっていた母。
洋裁が上手で、運動会のバトンガールの衣装を全部つくってくれた。学芸会の時、「おやゆび姫」のドレスもいっしょうけんめい縫ってくれた。母の作る「鳥の唐揚げ」は天下一品だった……。
小さく、本当に小さくなってしまった母の遺骨と、思い出を胸に抱きながら、私は祝福を受ける決心をした。
マッチングという名の結婚
お葬式を済ませ、東京に戻ると、M先生からこう言われた。
「お母さんのためにも祝福を受けなきゃね」
私ももちろん同感だった。
「はい、私もそう思ったんです」
祝福準備講座に出て、祝福を受けられた人の証を聞いたりすると、祝福に希望の光がみえてくるようだった。
「靴を選ぶ時、ファッションで選びますか、履きやすさで選びますか。ちょっと一時的に履くんだったら、ファッションで選んでもいいでしょう。でもなが~く履くとしたら、サイズがピッタリしていなかったら大変です。疲れてきます。結婚生活というのは長いものですから、ファッションよりサイズで選んだ方がいいのは言うまでもありません。しかし、自分にふさわしいかどうかは、自分では判りません。私たち人間は、堕落して神との関係が切れて以来、自分自身のことでさえも判らなくなってしまったのです。自分のことは自分がいちばん知っていると思うかもしれませんが、そんなことはありません。自分の知らない部分を他人が知っているということがよくあります。自分のことさえも自分で判らない人が、どうして自分にふさわしい人を見つけることができますか。その点、祝福は偉大です。お父様はすべて私たちのことをわかってくだきっている。七代前の先祖のことまで霊的に見て、ふさわしい相手を選んでくださるのです」
「この世の愛は条件つきの愛です。顔がいいから……とか、お金持ちだから……とか、『……だから好き』という条件がつくのです。でも、どんなに愛し合って結婚したからといっても、すぐ離婚ですよ。条件に合わなくなれば、すぐ別れるんです。世の中、まわり中、不倫だらけですよ。それに対して祝福を受けて別れるのは0.7パーセントぐらいですからね。やっぱり祝福はすごいですね」
祝福を受けて、最初は大きらいな相手だったが、今はこんなに幸せ……という具体的な話を聞くうちに、本当に素晴らしいものなんだろうと思うようになった。
でも、引っかかる点がないわけではなかった。それは、祝福希望者のアンケートの中身だった。
たくさんの質問事項の中に、祝福希望欄がある。
・祝福を希望………する しない
・国際祝福 …………可 不可
・黒人 ………………可 不可
国際祝福とは、外国人と日本人の組み合わせである。日本人と日本人のマッチングより、大きな功労となる。韓国人となればもっと大きいのだそうだ。
それはそれでいい。しかしなぜ希望者のアンケートをとるのだろうか。七代前の先祖まで見てマッチング(相手を決める)をし、それが唯一の救いだとすれば、希望なんて聞いてる場合じゃないのではないか。お父様が与えてくれるその人を、どんな人でも受け入れるのが祝福というものだと思っていたのに。
何よりも「黒人……可、不可」という欄が気になって仕方がない。同じ人間なのに、なぜ、黒人という枠を設定するのだろう。
私は、その希望欄に何ひとつ、手を入れることができなかった。
後日、祝福に推薦していいかどうかを決めるための、教会長による面接があった。
私がその欄をうめてないことに対し、指摘があり、祝福に対しての想いを告げた。
教会長はウン、ウンとうなずき、そしてあらためて国際祝福が可なのか不可なのかを聞いてきた。私は、
「大丈夫です。でも、すぐに外国へ行くのは無理かと思います」
と答えた。
面接が終わり、M先生にも疑問をぶつけてみた。
「神様はね、かわいい我が子のために、希望だけは一応聞かれるのよ」
(フーン)
よくわかったのか、わからなかったのか、それもわからないままに、疑問は消えていった。
週刊誌にかぎつかれた
「あのう、今、週刊文春の方が事務所に来られて……」
地方の仕事から朝方に戻り、ひと休みしていたところへ、私の事務所の秘書からの電話だった。
「それで、山崎さんが、ソウルでおみやげを買ってきた人と結婚するという話は本当ですかって聞いてきたんですよ」
「はあ?」
私には何のことかさっぱりわからなかった。
「ソウルって、ソウルオリンピックのこと?」
私が尋ねると秘書は、「はい、そうだと思います」と答える。
「ソウルオリンピックねえ……」
たしかに私はソウルオリンピックにはリポーターとして行った。けれどもその時に、誰におみやげを買ってきたかなんて全然覚えていない。そんな4年も前のことを、それも私でさえ覚えていないようなことを、何で週刊誌の記者が知っているのか。
秘書が続けて言う。
「証拠の写真もとってあるっていうんですよォ」
ますます、わからなくなる。
「う~ん、そんなこといったってねえ……きっとあれじゃない、でっちあげというヤツ。私、全然わかんないもん。いいよ、いいよ、ほっとけば」
電話を切ったあと、なぜだかワクワクした。
最近、スポーツ界、芸能界のお友達がふえ、みんなで食事したり、テニスしたりという機会が多かったから、その中の誰かとくっつけてくれるのだろう。
みんなで一緒にいたのにもかかわらず、二人の部分だけを切り取って写真にのせるというのは、よくあるパターンだから、そんなところだろうと思った。
(ま、誰でもいいや、どうせウソなんだから)
私は身支度をととのえ、新体操スクールへと向かった。
仕事を終え、友人T子と食事をして帰ることになった。
常連客が集まる近所のお寿司屋さんに行くと、席は二席空いていた。けれど、まわりのお客さんが、全然知らない人ばかりだったので、お寿司屋さんはやめて、カレー屋さんに行くことにした。
が、カレー屋さんに向かって歩きだした私の足が、ハタと止まった。
「いや、今日はカレーって雰囲気じゃないな。やっぱりスパゲッティにしよう」
私はT子の意見も聞かず、あと戻りして反対方向にスタスタと歩き始めていた。その道は、ちょうどT子の家の前を通る。
「じゃあ、ちょっと荷物をおいてくる」
そう言うとT子は、マンションの階段をタッタッと駆け上がっていった。
その時……。
私はマンションの前に不審な人影を見つけた。私の後ろからまわりこみ、足早に前方へかけていく。
(あやしい……)
電話ボックスにいた、もう一人の人物に何事か声をかける。
そして、やっぱり、その二人は私に近づいてきた。
(つづく)
【解説】
第2章では、山崎浩子さんが旧統一教会と出会い、その教義にのめり込む様子がていねいに描かれています。
そして祝福という名の合同結婚式へ……
獅子風蓮