獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:鯛焼きさんとの対話(11)

2022-10-17 01:51:05 | 対話ブログ

ひきつづきシニフィエさんと創価学会の現役活動家・鯛焼きさんとの対話をシリーズで掲載します。
後の検証のため、通し番号をつけました。


【36】signifie(2018年7月27日 02:50)

鯛焼きさん、いろいろご不満なようですので、この対話はなかったことにしましょうか。私もここまでかみ合わないと、時間の無駄な気がしてきました。鯛焼きさんも、仕事に会合にとお忙しいでしょうし、私も言いたいことはこの前のところで、場合によってはこれが最後と思って言ったつもりでしたが、結局のところ幼稚な屁理屈しか返ってこないし、まったくちらっとも伝わってないなと思いました。まさに生産性のない不毛なやりとりでしたので、このスレッド自体も消去しようかなと思いますがいかがでしょうか。


【37】鯛焼き(2018年7月27日 07:48)

>鯛焼きさん、いろいろご不満なようですので、この対話はなかったことにしましょうか。
>まさに生産性のない不毛なやりとりでしたので、このスレッド自体も消去しようかなと思いますがいかがでしょうか。

えーー!? 朝から驚きのコメントですね! ご自身に都合の悪いことは消去ですか!? まさに創価脳、創価シャッターの発動ですね(笑)

私は不満はないですよ。ただ不毛なやり取りになっている主因は管理者様の勝手な脳内変換、決めつけにあります。その意味で、ちょっとあきれてはおりますが、くれぐれも私のせいで対話できないみたいな責任転嫁はやめて欲しいですね。

とりあえず、スレッドは絶対に残しておいてください。絶対に消去はしないでくださいね。私も、こちらのコメントはすべてロムりましたので、もし消されたら別なブログで公開させていただきますが、スレッドを消して「鯛焼きさんもやっぱり創価脳で、まるで話になりませんでした」だなんて、創価得意の「大本営発表」をされては困りますので(笑)

「私たちは創価学会員さんをこのように思っています。」というスレッドの中で、こんなことを書かれた方がおりましたね。

>NEW の発言:
>2018年7月23日 03:37

>鯛焼きさん、と聞いて
>泳げたい焼きくんの歌を思いだしました。
>ご存知かな?
>そのうち「海に逃げ出す」のでは?
>その時は釣り針に注意してください。

まさか、NEWさん、あなたの信頼する管理者さんのほうが「逃げ出す」だなんて誰が想像してましたか?

管理人様は、アンチ創価を旗印にした「シニフィエ教の教祖様」なんです。住民の方も、そんな教祖様を「この人スゴイ!」「脱会者の気持ちが分かってる!」と妄信している信者と一緒なんです。どこかの宗教団体と一緒ですね。シニフィエさんは「アンチ創価学会」の名誉会長とでも言いましょうか(笑)

私がはじめてコメントした際、こんなことを書かせていただきました。

>創価脳、創価シャッター、創価スイッチ
>なるほど面白い表現ですが、すべて管理者様や書き込みを行われてる方にも当てはまると思います。
>シニフィエ脳、シニフィエシャッター、シニフィエスイッチとでも呼びましょうか?
>これまでのブログをすべて読んだわけではありませんが、すべてご自身の考え方から脱却できてない表現が多いと思います。
>それって管理人様が言われる創価脳と一緒ですよね?

貴殿のブログルールを知らずに、自己紹介なきまま書いたことは大変に申し訳なく思ってます。でも、私が言わんとしたことは、シニフィエさんも気づいているはずですが、創価のことを絶対に批判できないのです。なぜならすべてブーメランで戻っているからです。

私にとって宗教、哲学とは、端的に言えば、宗教は人生を生きていく上での思想や行動の規範たるべきもの。哲学は森羅万象を概念化するもの、と言っておきましょう。

人生をいかに生きていくか。しかも今世だけでなく「来世」のことも考えたうえでの人生でなければならないと私は思ってます。これを創価脳と批判するのは勝手ですけど(笑) そのために宗教や哲学があるのではないですか? 言葉遊びの哲学であれば意味はありません。
 
体がまだ動くうちはいいんです。でもそのうち若い頃のようには体が動かなくなる。やはり最後は「心が元気なのかどうか?」これが大事になってきます。脅すわけではないですが、人はやがて亡くなります。来世はどうなるんでしょう? 後悔なきよう真剣に考えて欲しいのです。

「対話はなかったことにしましょうか。スレッド自体も消去しようかなと思いますが」なんて予想外のコメントを読んだばかりで、まだ頭が混乱してます(笑)

とりあえず「対話を求めて(ただしバリ活を除く)」に変えてはいかがでしょうか?

もし対話再開ならそれはそれで構いませんし、スレ住民様のご意見も聞いてみて、対話がもう不要なのであればそれに従います。おそらくこのコメント、掲載してくれないかも知れませんが(笑) 管理人様にはひとまず感謝申し上げます。お互い老眼であることは共通でしたね(笑) お体ご自愛ください。


【38】signifie(2018年7月27日 11:52)

鯛焼きさん、あなた単なるネット流民のかまってちゃんですよね。

(つづく)

 


解説
話は噛み合わないながらも、それなりに有意義な対話が続いていたと思うのです。
しかも、私の判断では、どちらかというとシニフィエさんの言い分に軍配が上がる展開ですすんでいきました。
しかし、ここにきて突然、シニフィエさんから次のように、対話の終了とスレッド自体も消去することが提案されます。

鯛焼きさん、いろいろご不満なようですので、この対話はなかったことにしましょうか。私もここまでかみ合わないと、時間の無駄な気がしてきました。鯛焼きさんも、仕事に会合にとお忙しいでしょうし、私も言いたいことはこの前のところで、場合によってはこれが最後と思って言ったつもりでしたが、結局のところ幼稚な屁理屈しか返ってこないし、まったくちらっとも伝わってないなと思いました。まさに生産性のない不毛なやりとりでしたので、このスレッド自体も消去しようかなと思いますがいかがでしょうか。

これでは、対話の噛み合わないことを鯛焼きさんのせいにして、
「ご自身に都合の悪いことは消去ですか!?」と鯛焼きさんに言われてもしょうがないですよね。

昨年の1月に私が対話ブログでシニフィエさんと対話したときも、まともな議論が成り立たず、シニフィエさんからスレッドごと消去するぞと脅されたことがあります。
私は、時間と熱意を込めて書いてきた文章を消すようなことをしてくれるなと、自分からブログを去ることにしました。
その時と、よく似ていますね。

さて、今回、何がシニフィエさんにとって「都合の悪いこと」だったのでしょう。

私の想像では、鯛焼きさんから宗教の意義を問われて、それに対して自分の経験(自死をも考えて2日間森をさまよったことなど)を話しているうちに、昔のトラウマがよみがえったのかもしれませんね。
シニフィエさん自身、本当の意味で、自分の心の闇と向き合うのを避けてきたような気がします。
自分には信仰など必要ないと、かたくなに決めつけることで、相手の信仰も否定する。
それに対する相手からの反論に付き合うのが面倒になって対話を拒否し、対話自体をなかったことにしようとする。
そんなところでしょうか。


その後、鯛焼きさんはコメントを送りましたが、シニフィエさんから承認されなかったようです。
次回は、鯛焼きさんのブログから、その<未公開文書>を紹介したいと思います。

 

獅子風蓮