ひきつづきシニフィエさんと創価学会の現役活動家・鯛焼きさんとの対話をシリーズで掲載します。
後の検証のため、通し番号をつけました。
【18】鯛焼き(2018年7月24日 23:21)
遅くまでありがとうございます。本尊論いいですね!ぜひ管理者様と対話したいと思ってました!
詳しくは明日以降にしますが、その前に何点か事実誤認および確認がございます。
>その公安2年の大御本尊は本門の本尊ではないのとしたのは22年後の2014年です。
ここは間違いです。「本門の本尊ではない」とは一切しておりません。もしそうであればソースをお知らせください。
>あれだけ多部数購読させている聖教新聞が600万部で、購読者が200万~300万人と言ってましたので、
13において、私は次のようにコメントしております。
>それはこれまでの聖教新聞に寄せられた2万9000近くの体験談の数が物語っていると思います。
>100人や200人が言うことならまだしも、この聖教新聞に掲載される体験談だけでこれだけの数があるのです。
>さらにそうした新聞を毎日600万部以上の発行がある。少なくとも200~300万人は見ているんです。
>総発行部数も1億部を超えました。来年の秋には2億部になる予定です。
>ここに収められた話が嘘っぱちだとしたら、こんな数にはならないでしょう。
という話も通りますよね?(笑) 数字は適当ですが。
はっきりと「数字は適当ですが。」と書いております(笑) 誤解を生む表現だったかとは思いますが、この数字を鵜呑みにしないでください。前スレでコメントされてる方も同様です。
本題につきましては、また明日以降、よろしくお願いします。
【19】signifie(2018年7月25日 00:02)
鯛焼きさん、早速お返事ありがとうございます。
>ここは間違いです。「本門の本尊ではない」とは一切しておりません。もしそうであればソースをお知らせください。
そうですね、「本門の本尊ではない」とは言ってませんね。でもそういうことにしないと辻褄が合わないから、ついそう思い込んでいたのだと思います。では創価としては弘安2年の大御本尊は何なのでしょうか?邪宗も新興宗教のあれもこれもみんなまとめて全部が本門の本尊ですと言っているのでしょうか?
「創価の会則の改正」の文にはこうあります。
>創価学会は、大聖人の御遺命の世界広宣流布を推進する仏意仏勅の教団であるとの自覚に立ち、その責任において広宣流布のための御本尊を認定します。
したがって、会則の協議事項に言う「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません。
これだと創価が認定した御本尊だけが「本門の本尊」ですという意味に取れますが、日蓮宗や日蓮系の新興宗教の方たちは、そのことに対してどういう反応なのでしょうか。
正直言って私にはよくわかりません。創価はそれまで弘安2年の大御本尊を唯一の「本門の本尊」としていたわけですが、それがどのような解釈になったのか、一言で説明できるようであれば教えてください。「受持の対象にはいたしません。」って、ドクターXの大門未知子みたいですが、どういう意味なのか、一般の学会員さんは知ってるんでしょうか?
と言いますか、私としては本門の本尊が何だろうがどうでもいいんで、別に鯛焼きさんと本尊談義をするつもりはありません。私にとっては単なる詐欺の道具であり、ただのカラーコピーです。それがどんな解釈に変わろうともどうでもいいんです。問題にしているのは、そうした信仰の根幹の解釈が御本尊が発行されなくなったとの理由でガラリと変わっても、何の疑問も持たない学会員の気味の悪さです。
キリスト教で言えば、「イエス・キリストは実は神の子ではありませんでした。いや今まではそうだったのかもしれませんが、これからはユダを神の子にすることにします」とバチカンが発表しても、世界中のカトリックの人たちが「へえ~そうなんだ~でもナットク~!これからはジーザス・ユダ♪」って何も疑問に思わないようなものです。
普通なら「えッ!まじ?じゃあ今まで拝んできた御本尊って何だったの?創価が会則を変えた途端に今までの御本尊に力がなくなるってこと?それとも最初から力がないものを拝まされてきたってこと?」とか何とか言ってもよさそうなものですが、それないですよね?それが気味が悪いんです。だから「ああ、この人たちは普段から何にも考えないから、こんなおかしなことを言われても何とも思わないんだ~」と思ったわけです。
鯛焼きさん、話の論点はここですので、御本尊がどうたらこうたらの話をされても困りますので悪しからず。
それから創価の世帯数についてですが、やはり鯛焼きさんも創価学会の世帯数も会員数も知らないんですね。で、それも気にならないんですね。
【20】signifie(2018年7月25日 06:31)
鯛焼きさん、おはようございます。
おかげさまで、このブログの一昨日のアクセスが7664。昨日が8200ちょうどでした。いつもより3000近くも増えています。少なくとも毎日4000人くらいの人が見に来てるようです。毎日4000人の人が鯛焼きさんのコメントに注目してるんです。純粋な現役の創価学会員支部長さんが何を考え、何を信じて活動をやって、ここで何を言うのか注目しています。たぶん学会本部のネット監視担当者も見てると思いますから、創価学会支部長の名に恥じない対話をお願いします(笑)冗談です。気楽に対話をしていきましょうね(^^)
そういえば私が活動をやめてからもう20年近く経つことに今気がつきました(笑)。ただし脱会は6年前です。それまでは鯛焼きさんと同じようなかんがだったんです。それにしても20年経ったらそりゃ創価も変わるでしょうね。何しろ本尊まで変わってしまうくらいですから、もうこうなったら何がどう変わり果ててもちっとも驚かないと思います。まあ、鯛焼きさんはある日突然本尊が変わっても驚きもしなかったんでしょうね。
それで思い出したんですが、20年近く前に私が非活になったきっかけが、当時の創価新報に展開されていた日蓮正宗ヘイト記事でした。ほんと毎回毎回えげつなさの極みでした。あれ批判を軽く通り越して、完全なるヘイト新聞に成り下がってしまいましたよね。たぶんあれが自分にとって非活になる決定打になったと思います。でもまだ日蓮仏法は正しいと思いこんでた創価脳には変わりありませんでした。
ところでその頃の創価が全組織をあげて死にものぐるいでやっていた日顕撲滅唱題会はもうやっていないのでしょうか?日顕さんは現在91歳でまだまだ元気なんだそうで、誰かと違って隠居しても時々ちゃんと信者さんに姿を見せているらしいですよ。日顕撲滅唱題会には述べ何千万人という全国の学会員が必死で日顕を呪い殺そうと頑張ったようですが、残念ながらその願いはご本尊様には届かなかったみたいですね。鯛焼きさんの永遠の師匠は日顕さんより歳下で今も毎日執筆活動に忙しいそうですが、隠居したわけでもないのになぜ8年半も姿はおろか声ひとつ会員さんに聞かせてくれないんでしょうね。もし私があの方だったら、昔みたいとは言わなくてもたまには本幹にちらっと顔を出すだけでも、どんなにか会員さんが元気になるかと思って1時間くらい執筆活動を中断してでも出向きますけどね。この8年半の間、池田さんは1時間ですら全国の会員のために時間を取れないほど執筆に忙しかったんですね。いくら忙しいと言っても、小説もメッセージもみんな本部にいる代筆スタッフが書いてると複数の元本部職員さんが証言してるようなので、池田さんはいったい何の執筆にそこまで忙しいのでしょうね。でもそんなこと鯛焼きさんは気にならないんですよね。鯛焼きさんは元気な師匠の姿を見たくないのでしょうか?男子部時代はよく「先生と呼吸をあわせるんだ~!」と言われてましたが、今はどうやって合わせたらいいんでしょうね。あ、これは質問ではなく感想ですので、答えはいりません。
創価は何百万人もが寄ってたかってひとりのご老人の名前を書き出して、その名前を睨みつけながら毎日毎日呪い殺すための祈りを狂ったようにしてきたんですが、なぜその祈りが効かなかったんでしょうね。祈りとして叶わざるはなし!じゃなかったんでしょうか?
>大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず
祈祷抄
と、末法のご本仏もおっしゃっているようですが、それでも祈りは通じることなく、創価総出で呪い殺されようとした日顕さんは今でもお元気でなによりです。
で、よく考えたら、創価が日顕撲滅唱題会を盛んにやっていたころは、まだ創価も大石寺にある弘安2年の大御本尊を世界で唯一の本門の本尊としていたわけで、その大石寺の御法主がくたばるようにそのお寺の本尊にお祈りするほうがどうかしてやしませんか?(笑)
と言いますか、それ以前に日顕撲滅唱題会って、真っ当な人間のやることじゃないと私は思いますが、鯛焼きさんはこれに関しても何の疑問も不満もなく納得してるんですよね。日顕撲滅唱題会は正義の行ないだったと今でも疑わない。ただ祈りとして叶わなかったんですね。結果が出せなかった。それって創価的には敗北ですよね。日蓮正宗に創価の祈りが負けたということで間違いないですね。仏法は勝負だと常日頃から言われてますもんね。批判ではなく確認です。
では、昨日のお返事をゆっくりお待ちしています。
【21】鯛焼き(2018年7月25日 10:34)
>御本尊がどうたらこうたらの話をされても困りますので悪しからず。
他のスレッドも読ませてもらってますが、管理者様は、会則変更の際の本尊論についてかなりの誤解をされているようです。ですので、対話して誤解が解ければいいなとの思いで「本尊論いいですね!」と言ったのであり「本尊とは云々」と難しい本尊論を展開するつもりは毛頭ございません。どうぞご安心ください(笑)
あと、アウェイの洗礼よろしく色んな話題を一気に書かれてますが、新聞や財務の話、世帯数云々、日顕撲滅唱題会などの反論はここではやれません。1問1答でないと収集つきませんし、幸いにも「気楽に対話をしていきましょうね(^^)」と暖かいお言葉をかけて頂きましたので何卒ご理解ください。その話題に移ったら、その都度コメントさせてもらいます。
さて前振りが長くなっておりすみません。私は「日蓮仏法をベースとした創価学会の教え」と言いましたが、もう少し補足させてください。
現在、私たちはおおもとに「日本国憲法」があって、その理念のもと立案された「法律」に基づいて生活をしてます。もちろん護憲や改憲、右左の立場は様々ですが。
このイメージで、私は、日蓮大聖人の教え(主に御書)を憲法とみなし、その理念のもと(御書をどう解釈するかで)各宗派が独自のルール(法律)を作っていると考えています。
例えば、ある日蓮宗では「日蓮大菩薩」とみなした法律があり、日蓮正宗は「弘安2年の大御本尊」「法主中心」といった法律がある。創価学会では、歴代会長の指導や会則などが法律にあたり、時代や状況の変化に応じて日蓮正宗と歩調をあわせ同じ法律を使った時代もある。こんなとらえかたをしております。これは上から言われたのではなく自分で考えてます(笑)
で、ここが重要なんですが、日蓮大聖人は具体的に「この御本尊を使いなさい」とか「寸法はこう、材質はこう」みたいな御書は残されておりません。つまり憲法には制定されてないのです。
そこで昔から各宗派で御本尊をどうすべきか、についてはオリジナルのルールで対応してきたので、当然ながら各宗派で異なった本尊論が生まれ対立もしてきた。こういった歴史は管理者様もご存知のことでしょう。
創価学会では、当初は日蓮正宗のルール(法律)のもと対応してきました。弘安2年の御本尊を中心とした本尊論です。ですが2014年に法律を変えました。もっと言えば憲法の解釈を大きく変えたと言っていいでしょう。
憲法そのものを変えたのではなく、時代状況に応じて憲法解釈を変えたというイメージです。
長くなりますので、続きはまた別のコメントにしますが、もしもですよ? 学会が御書に違背するような本尊論に変わったのなら、私も脱会したかも(笑)でも、よーく考えればそうではないんです。
ごくごく簡単に言えば、単なる「本尊論」から「三大秘法論」へレベルアップした解釈、と言っていいでしょうね。
では続きはまた数時間後にさせてください。
あと、別件ですみませんが、管理者様を含め前レスにお集まりの皆様にお伺いしたいです。創価を脱会したら、当然活動なんかはやらないのは分かりますが、創価的な思想そのものも捨て去ったのでしょうか?
例えば「三世の生命論」とか「十界論」はどうとらえてるのでしょうか?
一部の方は、来世なんて信じるのやめた、みたいなコメントですが、捨てたのかまだ持っているのか?それだけでも別のレスで書いていただけると参考になります。よろしくお願いします。
(つづく)
【解説】
「問題にしているのは、そうした信仰の根幹の解釈が御本尊が発行されなくなったとの理由でガラリと変わっても、何の疑問も持たない学会員の気味の悪さです」
というシニフィエさんの指摘、私も同意します。
でも、中には、会則変更に違和感も覚えてそれをブログに書いている創価学会員さんもいます。
たとえば、macskaさんのブログ
「日蓮仏法の行者 いまさら やめては だめなのだ」
何故ほとんどの創価学会員は(2019.03.12)
創価学会の中にもmacskaさんのように考えている人は少なくないのでは、と思います。
そのような人に、私の気持ちを伝え、連帯していければと思います。
獅子風蓮