★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

2024-04-09 22:26:12 | 思想


祭仲専、鄭伯患之、使其壻薙糾殺之。将享諸郊。雍姫知之謂其母、曰、「父与夫執親」。其母曰、「人尽夫也。父一而已。胡可比也」。遂告祭仲曰、「雍氏舎其室而将享子于郊。吾惑之。以告」。祭仲殺雍糾、尸諸周氏之汪。公載以出。曰、「謀及婦人。宜其死也」。夏、厲公出奔蔡。六月、乙亥、昭公入。

所謂天合(親子関係)と義合(義理の関係)の戦いで、娘はあっさりと政治的に好き勝手しはじめた父親を殺そうとする夫を裏切った。どうもこれは娘が女だから舐められているような気がしないでもないのだが、このあっさりとしたところがいいし、謀った厲公も「婦人にばれちゃしょうがねえ」と言ったという。こんなにみんなが大物でもいいのであろうかと思うが、こういうのを読まないといずれにせよいろんな義はそもそも成立しようがない。

そういえば、わたくしが小物もいいとこだと思うのは、ガリガリ君食べたいなーとかもじもじと商品の前をいったり来たりしている隣で0.2秒ぐらいでチョコモナカジャンボを摑んでいる細を見るときである。古本屋では私のほうが手が早いところから考えて、本好きというのはずばり本を食べたがっているとみてよい。積ん読のが本質的な読書とかウンコみたいな理屈をこねてないでリスのようにためてますといえばよいのである。

我々を支配しているのは、義ではなく、好、あるいは冬に備えての食料の備蓄である。ほとんどのことがそれが説明がつくような気がしないでもない。


最新の画像もっと見る