★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

砂まみれと半死半生

2022-07-21 23:54:08 | 文学


ウルトラマンは、砂まみれ埃まみれがよく、当時の日本の道路事情やらをよくあらわしていたのかもしれない。しかし、砂はもう少し白粉的な機能もあったように思う。怪獣たちとウルトラマンの埃にまみれた姿は力の化粧であり、ほんとは相撲に類似しているにちがないない。もぐる怪獣はたいがい素晴らしい出来である。そういえば、太宰も「大力」で次のように書いている。

才兵衛は師匠から敬遠されたとも気附かず、わしもいよいよ一人前の角力取りになったか、ありがたいわい、きょうからわしは荒磯だ、すごい名前じゃないか、ああまことに師の恩は山よりも高い、と涙を流してよろこび、それからは、どこの土俵に於いても無敵の強さを発揮し、十九の時に讃岐の大関天竺仁太夫を、土俵の砂に埋めて半死半生にし、それほどまで手ひどく投げつけなくてもいいじゃないかと角力仲間の評判を悪くしたが、なあに、角力は勝ちゃいいんだ、と傲然とうそぶき、いよいよ皆に憎まれた。

砂を被るのはいいが、埋めてはいけないのだ。しかし、別に相手を殺したわけではない。「半死半生」が太宰の生き方であって、それでこそ太宰のレトリックは化粧のレベルを超えることが出来る。

「そら、Hさん、ありゃいつでしたかね、ながらみ取りの幽霊が出るって言ったのは?」
「去年――いや、おととしの秋だ。」
「ほんとうに出たの?」
 HさんはMに答える前にもう笑い声を洩らしていた。
「幽霊じゃなかったんです。しかし幽霊が出るって言ったのは磯っ臭い山のかげの卵塔場でしたし、おまけにそのまたながらみ取りの死骸は蝦だらけになって上ったもんですから、誰でも始めのうちは真に受けなかったにしろ、気味悪がっていたことだけは確かなんです。そのうちに海軍の兵曹上りの男が宵のうちから卵塔場に張りこんでいて、とうとう幽霊を見とどけたんですがね。とっつかまえて見りゃ何のことはない。ただそのながらみ取りと夫婦約束をしていたこの町の達磨茶屋の女だったんです。それでも一時は火が燃えるの人を呼ぶ声が聞えるのって、ずいぶん大騒ぎをしたもんですよ。」
「じゃ別段その女は人を嚇かす気で来ていたんじゃないの?」
「ええ、ただ毎晩十二時前後にながらみ取りの墓の前へ来ちゃ、ぼんやり立っていただけなんです。」
 Nさんの話はこう言う海辺にいかにもふさわしい喜劇だった。が、誰も笑うものはなかった。のみならず皆なぜともなしに黙って足ばかり運んでいた。
「さあこの辺から引っ返すかな。」
 僕等はMのこう言った時、いつのまにかもう風の落ちた、人気のない渚を歩いていた。あたりは広い砂の上にまだ千鳥の足跡さえかすかに見えるほど明るかった。


――芥川龍之介「海のほとり」


芥川龍之介ははだしで往来に飛び出してゆく人間に執着するところからはじめたが、いつまでも砂の上を歩いていた。そうすると、自分が半死半生でないかわりに幽霊ばかりみえた。そして自分が幽霊になってしまえば、この砂の上の行軍から往来に飛び出ると思ったのかもしれない。


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