★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

日常のすえに雨

2024-05-27 23:16:40 | 文学


あやしう躍り歩く者どもの、装束き、仕立てつれば、いみじく「定者」などいふ法師のやうに、練りさまよふ。いかに心もとなからむ、ほどほどにつけて、母・姨の女・姉などの、供し、つくろひて、率て歩くも、をかし。蔵人思ひしめたる人の、ふとしもえならぬが、その日、青色着たるこそ、やがて脱がせでもあらばやと、おぼゆれ。綾ならぬは、わろき。

わたくしはもともと感想文を美味くやらかすたちではなく、妄想タイプである。大河ドラマをみていても、スカートをはきたいとは思わないんだが、十二単は着てみたいとか考えていた。

枕草子について、あれは特殊な非日常系のエッセイなんじゃないでしょうかと、昔、中学だか高校の先生に言ってみたらハテみたいな顔されたけど、今回の大河ドラマで分かっただろ、貴族の日常みたいなものじゃないことが。

文学にとって「日常」とは何か考えていたので、今日は、講義で、サルトルの情動論と文学の「日常系」の関係みたいな妄想を繰り広げて研究室に帰った。

雨が降っていた。