★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

生まれ変わり――第二の青春

2021-04-15 22:38:34 | 文学


余りに気くたびれて、頭をうな低て少し目睡たる夢の中に、御廟の震動する事良久し。暫有て円丘の中より誠にけたかき御声にて、「人やある、人やある。」と召れければ、東西の山の峯より、「俊基・資朝是に候。」とて参りたり。此人々は、君の御謀叛申勧たりし者共也とて、去る元徳三年五月二十九日に、資朝は佐渡国にて斬れ、俊基は其後鎌倉の葛原が岡にて、工藤二郎左衛門尉に斬れし人々也。貌を見れば、正く昔見たりし体にては有ながら、面には朱を差たるが如く、眼の光耀て左右の牙銀針を立たる様に、上下にをひ違たり。其後円丘の石の扉を排く音しければ遥に向上たるに、先帝袞竜の御衣を召れ、宝剣を抜て右の御手に提げ、玉扆の上に坐し給ふ。此御容も昔の竜顔には替て、忿れる御眸逆に裂、御鬚左右へ分れて、只夜叉羅刹の如也。誠に苦し気なる御息をつがせ給ふ度毎に、御口より焔はつと燃出て、黒烟天に立上る。暫有て、主上俊基・資朝を御前近く召れて、「さても君を悩し、世を乱る逆臣共をば、誰にか仰付て可罰す。」と勅問あれば、俊基・資朝、「此事は已に摩醯脩羅王の前にて議定有て、討手を被定て候。」「さて何に定たるぞ。」「先今南方の皇居を襲はんと仕候五畿七道の朝敵共をば、正成に申付て候へば、一両日の間には、追返し候はんずらん。仁木右京大夫義長をば、菊池入道愚鑑に申付て候へば、伊勢国にてぞ亡び候はんずらん。細川相摸守清氏をば、土居・得能に申付て候へば、四国に渡て後亡候べし。東国の大将にて罷上て候畠山入道・舎弟尾張守をば、殊更嗔恚強盛の大魔王、新田左兵衛佐義興が申請候て、可罰由申候つれば、輙かるべきにて候。道誓が郎従共をば、所々にて首を刎させ候はんずる也。中に江戸下野守・同遠江守二人は、殊更に悪ひ奴にて候へば、竜の口に引居て、我手に懸て切候べしとこそ申候つれ。」と奏し申ければ、主上誠に御心よげに打咲せ給て、「さらば年号の替らぬ先に、疾々退治せよ。」と被仰て、御廟の中へ入せ給ぬと見進せて、夢は忽に覚にけり。

天皇が死んだらどうなるのかはあまり最近は気にされない。即位と崩御の社会性が大き過ぎて、生と死後はどうでもよくなってしまったのだ。そういう意味で、でかい墓を造っていた時代のほうが、彼らの生を大事にしていたのかもしれない。これは、天皇に限らない。我々も誕生と死があまりにも大きい行事になってしまい、そのあとがないがしろにされている。生まれてきてありがとう、あとは婚活とか就活とか終活とか、行事のための準備期間である。

上の後醍醐天皇は、死んでもまだ生きている。魔王として再生しているのであった。むろん、部下たちも生きている。

彼らは一生懸命、生を生きていた。而して、死後も生きることができるのである。――これはむろん比喩的なもので、我々の人生が如何にあるべきか、あとに残らない生き方をしても仕方がないことを説いているのである。そういえば、昔、こんな歌がバリケードで歌われた。

生きてる 生きてる 生きている
バリケードという腹の中で
生きている
毎日自主講座という栄養をとり
“友と語る”という清涼飲料剤を飲み
毎日精力的に生きている
生きてる 生きてる 生きている
つい昨日まで 悪魔に支配され
栄養を奪われていたが
今日飲んだ“解放”というアンプルで
今はもう 完全に生き変わった
そして今 バリケードの腹の中で
生きている
生きてる 生きてる 生きている
今や青春の中に生きている


彼らはまた生まれ落ちている。最近、出版界上で全共闘が復活しているのは、まああれだよな、退職して第二の青春である。荒正人的な×け犬の第二の青春――戦後派である。しかしいまはどちらかというと戦時中なので抵抗運動としてなんかやる気が出てくるという。

『情況』の最新号(「国防論のタブーを破る」)が届いてお昼食べながら読んでたんだが、尖閣諸島に民族派がいざというときのための食料のためにヤギを持ち込んだ結果、それが野生化してヤギが実効支配している話が面白かった。それにしても、なんだか元気になってきている、この雑誌。マルクス主義者的尊王攘夷派である廣松氏の名と共にある雑誌である。やっぱり日本の運動が盛りあがるのは国防や安全保障のときであり、今もそうだ。右と左がついに素朴にパッションのみで共闘するところまで追い込まれている。

本当は、我々の生は、思春期の後から長く続き人しれずリタイアしてゆく。生まれ変わりも第二の青春もおかしいのである。