猶も将軍の御運や強かりけん、見知人有て、「そこに紛て近付武者は、長尾弾正と根津小次郎とにて候は。近付てたばからるな。」と呼りければ、将軍に近付奉らせじと、武蔵・相摸の兵共、三百余騎中を隔て左右より颯と馳寄る。根津と長尾と、支度相違しぬと思ければ、鋒に貫きたる頚を抛て、乱髪を振揚、大勢の中を破て通る。彼等二人が鋒に廻る敵、一人として甲の鉢を胸板まで真二に破著けられ、腰のつがひを切て落されぬは無りけり。され共敵は大勢也。是等は只二騎なり、十方より矢衾を作て散々に射ける間、叶はじとや思けん、「あはれ運強き足利殿や。」と高らかに欺て、閑々と本陣へぞ帰りける。
尊氏も暗殺者から遁れ得て運がよかったのかも知れないが、この二人の暗殺者も、四方から矢を射られても余裕を持って逃げて行く、これこそ強運である。この二人が強運にみえないのは、この前に「彼等二人が鋒に廻る敵、一人として甲の鉢を胸板まで真二に破著けられ、腰のつがひを切て落されぬは無りけり」と大げさな描写があるからだ。つまり強かったから、ということになる。しかし、運というものは、悪運もあるはずである。
語り手が言っているのは本当は運じゃなくて、生き延びるべきやつが生き延びる必然性はあるということである。こういう人生観では、予期せぬ時には「運命」とか言って嘆息するか、川の流れだね、とぼやっとしてしまうかである。
西田幾多郎は、どこかで「哲学は深い悲哀から始まるべし」みたいなことを言っている。彼の悲哀は、純粋経験と同じで、なんの根拠も必然性もないように思われるが降りかかる経験である。
わたくしは、どちらかというと「恐怖」から研究を始めた自覚がある。それは、太平記のようなシーンに対する恐怖だったのであろう。そこには対象がちゃんとあったから、西田よりも哲学的な位相へジャンプしなかった。
厳密に作品を考えるならば、切り込み方は一つで済む筈がない。問題を論じるより作品を論じるほうがはるかに困難だ。作品は人生に似ている。作品論の不可能性を読み手の主観の相対性に求める批判って昔からあったが、主観というものは、そのひとにとって「一つ」ではない。「一つ」とは西田の言う「悲しみ」を何か原因に対応させている。西田のいう経験の表面をきちんと見れば、作品のように毛玉にみえる。それを無視して人との相対性に急に話を移すから滅茶苦茶になったのではなかろうか。人との相対性のなかでは我々はまた「一つ」に縮減されてしまうのである。
太平記が、数限りない人々の争いを書いていることに注目したい。これは怖ろしい相対性の世界である。源氏物語や伊勢はそうではない。あんな差異と反復みたいなお話なのに、実のところ、たったひとつの経験を描いただけかも知れないという気が私はする。