栗林公園の南の道の突き当たりには観興寺がある。真言宗御室派の寺である。本尊は不動明王であるが、つまりは、四国の支配者にして死んでも死なないお大師様のあれである。で、どうみても、その境内(北側)に熊野神社がある。その北は一面墓地であって、もうあれな雰囲気がすごくて、予想としては――「神仏分離なので隣に敷地内に小屋建てて狛犬でもおいときゃ薩長土肥の猿共はわからんやろがいお大師様~」てなかんじ、とわたくしは妄想した。しかも、熊野神社というところがいい。高野山と熊野の呪力で、東京オリンピックなんか中止に追い込めるに違いない。まだ、彼らが本気出していないだけだと思うが、最近、五輪の準備よりも軍備だとみたいなことになりつつあるから、そろそろ効き目が出てきたのかも知れない。そもそも五輪は自分でやらなければならない自主性が試される行事。アメリカの武器を買うことの方が遙かに楽な仕事なのだ。

本当は、観興寺の入口から入ったのだが、一旦外に出て、神社の入口もつけてみた的な入口から一応入ってみる。

足下の石柱を見ると大正十年とあった。

今日は、石が雨にしっとりと濡れていてイイ感じが出ております。

このかたちの常夜灯が好き。

この狛犬古そうだ。いつのものかはちょっと読めなかった。

安政五年。あれっ、分離政策の前だねえ……。とすると、そもそも動いていないのかねえ

この「宮」という言い方の方がいい……「神社」という言い方は何か中途半端に抽象的なんです

左に「金比羅大権現」の燈籠あり。文化五年。

「高野山出張處道」?明治二二年。裏には「左 石清尾」とみえた。

最後の石段を登ると……

拝殿に着きました。

斜めから見てみる

室山を眺めてみる

本殿。背後の山が急なために、これは小さめにつくられているように見えます。

地神さんもいた。
『香川県神社誌』曰く、
「鷺田村郷社鶴尾神社境外末社。初め社號を白山明神と稱す。享禄年間河野伊豫守弾正少弼、越智通義、予州より當国に来り萬蔵村に居住し、白山明神を迎へて自家の鎮守となすといふ。其の後室の崇敬社となり熊野神社と稱へらる。」
河野通直が越智通義とここらに住んでいたそうな。萬蔵村――鷺田村に統一される前にそんな村があったのだ。そこで白山明神を祀っていたそうなのである。白山明神は、修験道と白山信仰が混ざったわけわかんないものである。一応辞典的に言えば、「十一面観音の垂迹である九頭龍王が出現して、自らを伊弉冊尊(イザナミ)の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したが……」(Wikipedia)ということになる。垂迹とか化身とか顕現とか、聞いているだけで頭がぼーっとしてきてしまう人が多いに違いないが、そうすると、試験勉強的に誰かにそのシステムを強制されない限り、すべてが並列化してしまうのではなかろうか。といっても並列化にはまた別の力が必要だから、適当に……かどうかわからんが、横に

十一面観音がちゃんとおりました……

十一面観音と室山の迫力だけで、横の神社を圧倒しているように見える。白山明神を分離して熊野神社にしたのであろうか?「三十三番 十一面観世音 美濃国 華厳寺」と案内板があって、三十三番とは 西国三十三所第三十三番のことであろう。
もうなにがなんだかわからなくなって参りました。ここは四国……の八十八箇所めぐりのあれ……

――つづく

本当は、観興寺の入口から入ったのだが、一旦外に出て、神社の入口もつけてみた的な入口から一応入ってみる。

足下の石柱を見ると大正十年とあった。

今日は、石が雨にしっとりと濡れていてイイ感じが出ております。

このかたちの常夜灯が好き。


この狛犬古そうだ。いつのものかはちょっと読めなかった。

安政五年。あれっ、分離政策の前だねえ……。とすると、そもそも動いていないのかねえ

この「宮」という言い方の方がいい……「神社」という言い方は何か中途半端に抽象的なんです

左に「金比羅大権現」の燈籠あり。文化五年。

「高野山出張處道」?明治二二年。裏には「左 石清尾」とみえた。

最後の石段を登ると……

拝殿に着きました。

斜めから見てみる

室山を眺めてみる

本殿。背後の山が急なために、これは小さめにつくられているように見えます。

地神さんもいた。
『香川県神社誌』曰く、
「鷺田村郷社鶴尾神社境外末社。初め社號を白山明神と稱す。享禄年間河野伊豫守弾正少弼、越智通義、予州より當国に来り萬蔵村に居住し、白山明神を迎へて自家の鎮守となすといふ。其の後室の崇敬社となり熊野神社と稱へらる。」
河野通直が越智通義とここらに住んでいたそうな。萬蔵村――鷺田村に統一される前にそんな村があったのだ。そこで白山明神を祀っていたそうなのである。白山明神は、修験道と白山信仰が混ざったわけわかんないものである。一応辞典的に言えば、「十一面観音の垂迹である九頭龍王が出現して、自らを伊弉冊尊(イザナミ)の化身で白山明神・妙理大菩薩と名乗って顕現したが……」(Wikipedia)ということになる。垂迹とか化身とか顕現とか、聞いているだけで頭がぼーっとしてきてしまう人が多いに違いないが、そうすると、試験勉強的に誰かにそのシステムを強制されない限り、すべてが並列化してしまうのではなかろうか。といっても並列化にはまた別の力が必要だから、適当に……かどうかわからんが、横に

十一面観音がちゃんとおりました……


十一面観音と室山の迫力だけで、横の神社を圧倒しているように見える。白山明神を分離して熊野神社にしたのであろうか?「三十三番 十一面観世音 美濃国 華厳寺」と案内板があって、三十三番とは 西国三十三所第三十三番のことであろう。
もうなにがなんだかわからなくなって参りました。ここは四国……の八十八箇所めぐりのあれ……

――つづく