★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

精神療法としてのウェーベルン

2011-01-09 23:23:47 | 音楽


阪上正巳氏の『精神の病と音楽』を読むと、ウェーベルンと統合失調症についての議論から始まっていたので、ブーレーズのCDをそそくさと取り出して聴いてみる。

なるほど、ウェーベルンの音楽が何かものごとの輪郭をつくりだすような落ち着いた感じを与えるのは、そういうことであったかと納得した。阪上氏のいうように、ウェーベルンは自分で自分を音楽療法にかけていたのかもしれない。私も自分が明らかに変だと思った経験が何回かかあるが──、5歳かそこらで風邪が治りかけだったときに、蒲団の中で、周りの世界全体がわあああっとまるで合唱団の歌声宜しく鳴りはじめたのである。近くの机をたたいてみると、叩く音は別個に聞こえるので、その合唱団は音ではない何物かであると幼心にも分かったが、あれはなんだったのであろう。横になっていたらおさまった。二十歳を超えてからもう一回あったが、これは結構長く続いた。考えてみるとウェーベルンの音楽はその合唱とは対極にあるようだ──、つまり、彼の音楽の音の少なさは、私が経験したような世界がごっちゃになり出すものをなんとか鎮めるものに思われた。西田幾多郎なんかの「一則多」も、案外そういうもののように思われるけれども、西田の場合、なんだか病気の自分を途中で投げ出した感じがする(笑)