「子供に父と言わせられる人か?」
「そんなことを言ったって、……」
「駄目だ、いくら弁解しても。」
妻は僕の怒鳴るよりも前にもう袂に顔を隠し、ぶるぶる肩を震わせていた。
「何と言う莫迦だ! それじゃ死んだって死に切れるものか。」
僕はじっとしてはいられない気になり、あとも見ずに書斎へはいって行った。すると書斎の鴨居の上に鳶口が一梃かかっていた。鳶口は柄を黒と朱との漆に巻き立ててあるものだった。誰かこれを持っていたことがある、――僕はそんなことを思い出しながら、いつか書斎でも何でもない、枳殻垣に沿った道を歩いていた。
道はもう暮れかかっていた。のみならず道に敷いた石炭殻も霧雨か露かに濡れ透っていた。僕はまだ余憤を感じたまま、出来るだけ足早に歩いて行った。が、いくら歩いて行っても、枳殻垣はやはり僕の行手に長ながとつづいているばかりだった。
……芥川の「死後」である。ここの場面は好きである。芥川を読んでいると、はやり文章は形が整っている必要があると思う。「僕」という主語を用いここまで張りつめた感じが出せるのは、やはり彼には有り余る能力があったような気がする。我々は、主体的であろうとすると、「私、常にキレそうです」と相手を脅すことを考えてしまうくらい、脆弱な状態をもてあましている。これでは芥川にすらなれない。
「そんなことを言ったって、……」
「駄目だ、いくら弁解しても。」
妻は僕の怒鳴るよりも前にもう袂に顔を隠し、ぶるぶる肩を震わせていた。
「何と言う莫迦だ! それじゃ死んだって死に切れるものか。」
僕はじっとしてはいられない気になり、あとも見ずに書斎へはいって行った。すると書斎の鴨居の上に鳶口が一梃かかっていた。鳶口は柄を黒と朱との漆に巻き立ててあるものだった。誰かこれを持っていたことがある、――僕はそんなことを思い出しながら、いつか書斎でも何でもない、枳殻垣に沿った道を歩いていた。
道はもう暮れかかっていた。のみならず道に敷いた石炭殻も霧雨か露かに濡れ透っていた。僕はまだ余憤を感じたまま、出来るだけ足早に歩いて行った。が、いくら歩いて行っても、枳殻垣はやはり僕の行手に長ながとつづいているばかりだった。
……芥川の「死後」である。ここの場面は好きである。芥川を読んでいると、はやり文章は形が整っている必要があると思う。「僕」という主語を用いここまで張りつめた感じが出せるのは、やはり彼には有り余る能力があったような気がする。我々は、主体的であろうとすると、「私、常にキレそうです」と相手を脅すことを考えてしまうくらい、脆弱な状態をもてあましている。これでは芥川にすらなれない。