★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

高峰秀子さんが亡くなってわたくしはとても悲しい

2011-01-04 20:39:37 | 映画
12月28日に高峰秀子さんが亡くなっていた。

私が授業で使う文藝映画の半分以上には高峰秀子がでてくる。「馬」、「秀子の車掌さん」、「カルメン純情す」、「二十四の瞳」、「雁」、「乱れる」、「浮雲」などなど……。

私は主として大正末期から昭和前半の研究をやっているから、高峰秀子はまさに同時代のアイドルであって、この人が亡くなったと知ったとき、「もう私の時代は終わったのか……」という気分になった。とても悲しい。私が生まれたころ、高峰秀子はすでに引退しかかっていた訳であるから奇妙な話だが、この人以降のスター、例えば若尾××とか吉永×××とか(←この二人の間ぐらいに私の親の世代が入る……)、演技が新人類過ぎてまったくついて行けないのである。以前書いたように、文学の戦後派に対して「まったくいまどきの若いもんは……」と思ってしまう始末であるから当然である。

とはいえ、高峰秀子の映画をつぎつぎに観ていただけの状態であったなら、「おそろしく鍛えられた子役出身の女優」ですむところだが、──これはよくあるパターンだとおもうけれども──、彼女の『私の渡世日記』を読むに至り、この人は演技だけじゃなく文章も切れ味があるのか、と驚いた。文春文庫版の解説は沢木耕太郎だが、彼が完全に彼女の文章に嫉妬しているのがわかり面白い。文章というのは嘘を付かないことが大切で、しかしそうすると下品になってしまう危険性があるのだが、そうならないすれすれのところで生命が宿ったりするのである。例えば谷崎の文章などそういう類のものがかなりあり、たぶん芥川はそれを嫉妬し嫌っていた。芥川は何を書いても嘘っぽく上品になり、なかなかその生命が宿らないのである──。高峰秀子の文章はそういう危ういところをうまく持ちこたえるセンスが常人ではない。『私の渡世日記』で好きなのは、戦争末期、館山に映画のロケに行ったときのことが描かれた数頁である。防空壕から出たり入ったり、もう全てをあきらめて爆撃シーンを眺めたり、果ては、玉音放送後、最期まで戦うと勇んで飛び立っていく飛行機を旅館で見送ったりする情景が、小憎らしいほど無駄のない筆致で書かれている。山田風太郎の戦中日記が観念的で硬直していると思われるほど鋭い。

志賀××とか、谷崎×××とか、太宰なんとかが、若い頃の高峰秀子と食事できたとかずるいなあ。『広辞苑』の新村出が、高峰秀子のポスターやら看板やらを収集していて、それらに囲まれて往生したのは有名な話であるが、これはさすがになんだかうらやましくない。ある出征兵士が、天皇陛下××、お父さんお母さんの為に死んでまいります、といいつつ、ポケットの中に高峰秀子のプロマイドを忍ばせていた話も嘘ではないであろう。共に散らすに忍びず、戦場から死ぬ前にそれを彼女に送ってきた兵士もいたという。これも全くうらやましくない。

大東亜レコードから出た「森の水車」という曲がかわいい。