つくばエクスプレスができた頃、つくばの駅にヴィクトリア朝のハウスキーパーみたいな人がビラを配っていたが、秋葉原のメイドカフェから出張してきたと知っておったまげ。
女性専用車がある一方で、ヴィクトリア朝の人が「ご主人様、おかえりなさいませ~」とか言って牛乳をだしてくれたりするのだから、男の子が錯乱するのは無理もない。その結果、まあいいか、人間の雄であるかぎりこの危機を回避することはできぬ、いっそ牛になれば……ということで、いまはやりの草食系人間獣が誕生したのである。
なぜメイドなのか、オタク業界の事情は全く知らないのだが、――私は、ブロンテ姉妹の描く女性達が好きな人たちがかくも多く居たとは、と思ったよ。
恋愛小説の授業のために、「ジェイン・エア」と「嵐が丘」の映画でも見直そうと思ったのだが、いまから20年以上前に、BBCで制作された連続ドラマの「ジェイン・エア」に感激したのを思い出した。これを私は家族全員と一緒にみたのである。ここにでていた女優は、原作通りに?かなり地味な顔つきなのだが、次第に神々しく輝き始める。確かに小説もそうなのである。
この悠々たる流れが大事であることを学生にどう伝えたらいいのであろうか。
常識を転覆させることを目指す怨念に満ちた学問がだめなのは、例えば「女性は顔じゃない」とかいうのを、良識派の思いこみや学校の文化や観念だと思っていることである。観念なら打ち消せるが、たぶんそういうものではない。制度がなぜ根付いてしまうのかを「悠々と」考えなければならない。制度が観念でできあがっているという中学生みたいな考え方をやめるのは大変なので、物語の〈強力さ〉を想定してもなかなか説明できるものではない。要するに、我々はユマニストであることを要求されている。
私は、「ジェイン・エア」に感激する読者の心をつついていても人間は分からず、作品分析の果てに何かが見えるような気がしている。それがユマニストの仕事である
追記)1996年の映画「ジェイン・エア」にでてくるアンナ・パキン(子役)はぶすっとしてとっても顔がかわいい。
女性専用車がある一方で、ヴィクトリア朝の人が「ご主人様、おかえりなさいませ~」とか言って牛乳をだしてくれたりするのだから、男の子が錯乱するのは無理もない。その結果、まあいいか、人間の雄であるかぎりこの危機を回避することはできぬ、いっそ牛になれば……ということで、いまはやりの草食系人間獣が誕生したのである。
なぜメイドなのか、オタク業界の事情は全く知らないのだが、――私は、ブロンテ姉妹の描く女性達が好きな人たちがかくも多く居たとは、と思ったよ。
恋愛小説の授業のために、「ジェイン・エア」と「嵐が丘」の映画でも見直そうと思ったのだが、いまから20年以上前に、BBCで制作された連続ドラマの「ジェイン・エア」に感激したのを思い出した。これを私は家族全員と一緒にみたのである。ここにでていた女優は、原作通りに?かなり地味な顔つきなのだが、次第に神々しく輝き始める。確かに小説もそうなのである。
この悠々たる流れが大事であることを学生にどう伝えたらいいのであろうか。
常識を転覆させることを目指す怨念に満ちた学問がだめなのは、例えば「女性は顔じゃない」とかいうのを、良識派の思いこみや学校の文化や観念だと思っていることである。観念なら打ち消せるが、たぶんそういうものではない。制度がなぜ根付いてしまうのかを「悠々と」考えなければならない。制度が観念でできあがっているという中学生みたいな考え方をやめるのは大変なので、物語の〈強力さ〉を想定してもなかなか説明できるものではない。要するに、我々はユマニストであることを要求されている。
私は、「ジェイン・エア」に感激する読者の心をつついていても人間は分からず、作品分析の果てに何かが見えるような気がしている。それがユマニストの仕事である
追記)1996年の映画「ジェイン・エア」にでてくるアンナ・パキン(子役)はぶすっとしてとっても顔がかわいい。