昼から「後藤新平の会」シンポジウムに出席。プレスセンター10階ホールの会場が、150人を超える人で一杯になる盛況だ。生誕150年の人に、何故、いま、こんなに熱い関心が集まるのか、改めて不思議だ。
政府が機能せず、地方自治はいまだ遠しの時、「射程距離の長い」眼力で国家戦略を考えた後藤は、今後も参照され続けるだろう。
彼が東京市長だったときに作った150メートル幅の「昭和通り」を超える道路を、経済大国になった日本は作りえていない。
会場で、鶴見俊輔さんの妹・章子さんに挨拶して話す。去年亡くなった姉の和子さんを含め、3人は後藤新平の孫に当る。章子さんは75歳だが、いま京都造形大学に入学して「芸能史」を勉強されている。
「キャンパスには、18歳から95歳までの学生がいます。いやー、勉強するのがこんなに楽しいなんて知りませんでした!」
16歳から学校に行っていないのは、母上と夫君の世話に明け暮れたから、だそうだ。
会場を出ると、目の前に「市政会館」別名、日比谷公会堂が、古いけれども品格ある姿ですっくと天に向かって建っていた。これも後藤の作品だ。
朝日新聞記者・山田厚史さんを東京医科歯科大学病院に見舞う。顎の骨折で食べられない、喋れない状態。回復を願い、一緒に乾杯できるまで酒を断つつもり。
政府が機能せず、地方自治はいまだ遠しの時、「射程距離の長い」眼力で国家戦略を考えた後藤は、今後も参照され続けるだろう。
彼が東京市長だったときに作った150メートル幅の「昭和通り」を超える道路を、経済大国になった日本は作りえていない。
会場で、鶴見俊輔さんの妹・章子さんに挨拶して話す。去年亡くなった姉の和子さんを含め、3人は後藤新平の孫に当る。章子さんは75歳だが、いま京都造形大学に入学して「芸能史」を勉強されている。
「キャンパスには、18歳から95歳までの学生がいます。いやー、勉強するのがこんなに楽しいなんて知りませんでした!」
16歳から学校に行っていないのは、母上と夫君の世話に明け暮れたから、だそうだ。
会場を出ると、目の前に「市政会館」別名、日比谷公会堂が、古いけれども品格ある姿ですっくと天に向かって建っていた。これも後藤の作品だ。
朝日新聞記者・山田厚史さんを東京医科歯科大学病院に見舞う。顎の骨折で食べられない、喋れない状態。回復を願い、一緒に乾杯できるまで酒を断つつもり。