石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

嗚呼、みちのくひとり旅。

2014-07-01 12:11:07 | バイク雑誌「GOGGLE」

 生まれて初めて、バイクで「みちのく」を走った。モトグッツィ・カリフォルニアで駆け抜けたみちのくは、かつて「奥の細道」の芭蕉が、苦難の連続でゆき悩んだ道であった。・・・・・・なんていう書き出しで始めたらカッコイイけど、東北自動車道というのは、どうしてこうも風情がないのだろう。宇都宮、福島と過ぎても、まるで関東平野の延長。変哲のない広がりに、エンエンとつづく灰色の道。「みちのく」の遥かな思いなど、微塵もして来ないのだ。

 陸奥と書いて「みちのく」と読む。かつては、みちのく、と聞いただけでSLの汽笛が聞こえてきそうなほど、「遠くへ行きたい」の思いをかきたててくれた。上野駅の広いコンコースに立っただけで、そこはもう、雪国・リンゴ園・青函連絡船・・・・・・「みちのくワンダーランド」の入り口だった。

 今は、いくら走っても、首都圏の空気が漂い、そこから逃げられない雰囲気なのだ。「旅情」はどこ?旅の切なさって何?

陸中海岸はナポリへの道?

 ようやく、東北道を盛岡インターで降り、106号、別名、宮古街道をつづら折り。さすがにここまで来れば、山が幾重にも迫って、いやがうえにも気分は「みちのく独り旅」。駆け降りるように宮古の町をつっきると、ドドーンッ!と陸中海岸が目に飛び込んできた。

 台風が去り、つかの間の安堵もあわただしく、次の台風が接近中との報道。まるで人生を急ぐように、僕は「カリフォルニア」のアクセルを開けた。モト・グッツィ「チェンタウロ」を整備する間、福田モーター商会のご厚意で拝借した代車の「カリフォルニア」の素晴らしさに、ぼくはすっかり参ってしまったのだ。こいつで長距離ツーリングしたーい!願いが現実になって、陸中海岸の道をエンジンをうならせながら僕は走っている。いや「カリフォルニア」が走っている、僕はしがみついている。

 地中海の海岸線を、ジェノワからナポリに向かう道を、うなりをあげて疾走するために作られたモト・グッツィのマシーン。本来、そのタンデム・シートには、短パンからこぼれるような豊かな尻の女を乗せて、伊達男が、カンツォーネを鼻歌で歌いながら走るのである。

 灰色の雲低くたれた陸中海岸、雨が降らぬのがせめてもの救い。今は、女の白い尻など望むべくもない。せめて想像でもと、インターネットで昨夜見た禁断のエロスの画面、消えかけの火鉢の炭をかきまわすように思い出してみる。そこへガーッ、と巨大なタンクローリーが幅寄せしてきて、かの映像は「プチッ」と切断、幻の画面には「・・・・・・接続できません」のコメント。

 名勝「潮吹き穴」何やら官能的な地名に惹かれてバイクを降りた。崖の階段道をエンエン降りて行くと、ウィーク・デーの昼下がりというのに、何組かのカップルが行き交う。例外なく、しっかりと手を握りあっている。アツアツぶり、いやがうえにも高まって、僕が通り過ぎるのを待ちかねてヒシと抱き合ったりするんだろう。ニャロメ・・・・・・。

 「潮吹き」というのは、僕はAVビデオで勉強した。詳細なメカニズムは分からないが、官能の極みで女性が「おもらし」することである。といってもシーツを濡らす、の次元ではなく、クジラのように壮大に吹き上げる状態を指す。「吹く」というより「噴く」と書くほうが、より正確である。あまたいる中で「潮噴き可」のAV女優サンは、別格のギャラで待遇されるやに伺っている。公平な経済原則というべきだろう。

 めずらしいものは大事にしよう。名勝「潮吹き穴」には岩手県民のそんな願いがこめられている。一億年の昔、このあたりの大地が沈降、隆起を繰り返してリアス式海岸ができあがった。その過程で洞窟が海に沈み、海中の波の加減で巌の隙間からドーッと潮を吹き上げる。この現象を、古代の人は神の意志と崇めて、この地名をつけた。

 潮吹きは、海の表面に寄せ来る波とはまったく無関係に起こる。吹き上げる高さも、ドーンと30メートルぐらいあがることもあれば、地面の底でズズーンという不気味な音が聞こえるだけで、真っ白な蒸気のようなものがたちのぼるだけ、ということもある。別名「気まぐれ穴」とも呼ばれている。

 絶え間なく、地響きが聞こえる。まるでモトグッツィ「カリフォルニア」のOHV2バルブ・エンジンのように、変拍子のリズムが、あくまでも低く、深く聞こえる。大自然の意志。それを人は「気まぐれ」と呼ぶ。しかし人間に把握、了解できないことを簡単に「自然のきまぐれ」などというのはどうだろう。

 開発によって絶滅しつつある動物や植物が報告されている。この惑星こそ、人間の「気まぐれ」に困惑しているのではないのか?

 さて、バイクに戻りかけると、男が一人、足早に階段を降りてくる。はたち過ぎぐらい、リーゼントヘアー。なんだか目が血走っている。おや、一緒にいた彼女は?黒いミニスカート、ロングヘアーの女がはるか向こうで、男に向かって何か怒鳴っている。おいおい、さっきまでイチャイチャしてたのに、こっちが「気まぐれ穴」見てるあいだに、どうなっちゃったんだよ。

 やがて僕は女とすれちがった。泣き腫らした目でうつむいている。僕のことなど見向きもしないで唇をかんでいる。通り過ぎるしかない。げに、気まぐれは、男女の仲である。

浜辺で浄土を思い、玉砕の島をしのぶ。

 すぐ近くに「浄土ヶ浜」というところがある。この辺は、本州最東端の地に連なり、太平洋に向かって東にせり出している。いわば本州で一番アメリカに近いところである。

 普通「浄土」とは「西」を指す。それも山の彼方の、金色の雲たなびく空をさしていう。東に向かう海辺を「浄土」と呼んだのは何故だろう?

 そう呼びたいほどに、陸地が微妙に入り組んで見えるこの浜辺を、古代の日本人は美しいと見たのだろう。残念ながら、伏して祈るような心境にはなれない。すぐそばの国道には長距離トラックが行き交い、お香をたこうにも、僕の身体はすでにガソリンの匂いでたきしめられている。

 呆然と、しばし海を眺める。浄土ヶ浜だから、つい、普段考えない人のことを偲ぶ気になる。太平洋戦争末期、昭和十九年七月、この海の彼方、サイパン島で私の叔父二人が戦死している。

 そのサイパン決戦に先立つ、いくつかの海戦・航空戦で、日本海軍は致命的な敗北を喫した。玉砕戦法。敵の最新式レーダーの前で、一体こんなのが「戦法」の名に値するのかと思えるほど、ただ「突っ込んで、果てよ」という作戦で物資と人の命を、薪のように消耗した。

 戦闘が終わった後、アメリカ海軍は、作戦続行に並行して、行方不明者を捜索する特別部隊を周辺海上に放った。出動前に兵士たちには「二週間は生き延びよ、必ず助けに行く」と言ってある。現に、海上を13日間漂流の末救出された例がある。日本軍との、この違いは何か?

 また最近読んで知ったが、アメリカ兵たちは出動の前に、捕まった場合のために最低限の日本語、国際法の基礎を叩き込まれ、またもし、山中に不時着した場合のために、食えるキノコと食えないキノコの図版を渡されていた。つまり、「なんとしてでも生きて、救出を待て」という指示であり、激励である。

 戦争で日本は「アメリカの物量に負けた」という説が一般的である。しかし本当に「物量の差」だけで負けたのか?そうではない、日本は「考え方」の差で負けたのではないか?そしてこの「考え方」の間違いは、本当に原因を突き止められ、反省され、克服されたのか。もし、そうでないならば、同じ過ちが別な局面で、私たちの子供らの世代にふりかかるであろう。あの戦争が残した問題は、現在と未来の問題である。

港町ブルースが聞こえる海の道。

 サイパンにつながる陸中、浄土ヶ浜の海辺に立てば、潮騒の音高まって、落ちていく太陽もない曇り空。雨近しの予感で、よしなしごと考えてる場合じゃない。先を急ぐ。

 いくつもの漁師町を通り過ぎる。さすがにアメリカンバイクは道に見掛けない。岩手県といえば有数の保守的風土だ。映画『イージーライダー』で、主人公はアメリカ南部のカントリーロードで撃ち殺されている。なるべくおとなしい乗り方を心掛けて走ろうか、なんてモタモタしていたら、うしろから、「ピーッッッ!」とすごい警笛。真っ赤なフェアレディZ、「盛岡」ナンバー、茶髪(!)どこが保守的だ・・・・・・?

 地図を見ない気まま旅。三陸海岸は突然山道に紛れこんだりする。颯爽たるアメリカンバイクも、雨上りのつづれ折りの山道、濡れ落ち葉に泣かされた。

山の路、バイク泣き泣き秋の入り

 ここで転倒すると、バイクは谷底に落ちてゆく。「旅情」は常に危険と背中合わせである。

 やがて、見晴らしのいい海にまた出る。山田湾にはいくつもの生簀が浮いていた。きけばホタテの養殖。入り組んだ入江に漁船が沢山つながれ、このあたりが、いかに豊かな漁場であるかが伺える。

 「宮古、釜石、気仙沼・・・・・・」港町ブルースで歌われるこの辺り、漁師気質の威勢のいい掛け声と、種類も数も豊富な魚たちで沸き返るところだ。行き交う船を見ながら、「これこそ豊かさ」、という感慨が湧く。釜石の溶鉱炉の火は消えても、国の借金が四百兆円あっても、漁師たちが船に魚を積んで、元気よく戻ってくる限り、まだまだオレたちは生きていける。三陸海岸、国道46号線での思いである。

「愛のきずなで防ごう非行」
 いつもながら地方町村の掲示板で見る標語というのは、楽天的だ。

 「ありがとう、言えばトラブルない暮らし」、ごもっともだ。

 「この町では、合成洗剤は決して使いません」というのもあった。重茂という町の漁業組合と婦人会の連名で、紙が張り出されていた。合成洗剤が海に流れれば、魚たちの迷惑は計り知れない。それはまた、人間の迷惑に返ってくるのだ。旨い魚を享受する、都会のサラリーマンや主婦たちに、この自覚がまるでない。僕にもない。

 小さな町の宣言を押し潰すように、巨大な工場から日産何トンの合成洗剤が作られ、流通のネットワークで、この国道にもトラックで運ばれているんだろうなー。あー、早く晩メシにうまい魚食いたいなー。

ああ民宿の夜はふけて。

 やがて浪板の町に近づく。妙に道路工事が多い。あとで知ったのだが、天皇皇后陛下が、近くこの地にご訪問になるという。十月五日、「全国豊かな海づくり大会」がここである。

 「おでんせ!」の言葉で迎えられた。岩手方言で「いらっしゃいませ」の意である。海に面した崖っぷち、民宿「さんずろ家」に到着したのは午後6時。まず、「ガラス窓一杯に海が見える風呂場に駆け込み、たっぷりの湯に全身を沈める。でてくる鼻歌は、イヨッー、やっぱり森進一「港町ブルース」です。

 さんずろ、という奇妙な名前の由来を伺えば、この民宿をつくったおじいちゃんの名前が「三次郎」さん、岩手なまりで「さんずろ」なのだ。

 座敷の窓の外は海である。夜の闇にイカ釣り船が・・・・・・と言いたいところだが、「台風接近で今夜は漁り火は見えないよ」と夕食の給仕をしてくれた30代の若奥さん。亭主はサーファーで、民宿は女房に任せ、ほとんどの時間、海に出て波乗り三昧。そういう暮らしも悪くないなー、と感心する。

 料理のメインに出た、イカの「腑入り」は圧巻であった。塩辛をおいしくする、あのイカの臓物を、ホタテ貝の形をした鉄板にのせて、ネギ、豆腐、イカのげそ、味噌と一緒に掻き混ぜて焼くのである。苦い甘さのイカの腑が口いっぱいに旨さを広げ、僕を、海の子宮に抱かれたような幸福感で包む。

 その夜、潮騒を聞きながら眠りに就いた僕は、とんでもない夢を見た。「腑入り」を食ってるのだが、鉄板の上にバイクのおもちゃみたいのが何台も転がっていて、エンジンから黒いものが、まるでイカのスミのように流れ出ているのだ。バイクの内蔵に迫るほど、僕はマシーンを愛しているか・・・・・・と、問われているような夢だった。 

 

バイク雑誌「ゴーグル」1997年12月号掲載記事



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