石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

情緒に走るだけのサッカーと北朝鮮ミサイル報道

2010-05-13 06:44:28 | メディア
月刊宝島 2006年7月号掲載 『石井信平の「メディアに喝!」』より


 サッカーW杯中継も、北朝鮮ミサイル発射実験の報道も、わがメィアは挙げて情緒的であった。

 サッカーでは、世界と戦うための戦略・分析がゼロ。アナウンサーはただの絶叫マシーンで、テレビ解説者はひたすら「いけますね」、「やれますよ」の精神主義だった。

 そう思えば、対ブラジル戦の後、中田ヒデが長々とピッチに横たわった姿も、よく理解できる。要するに、あれは日本マスコミへの挑戦、「メディアに喝!」なのである。彼は「さあ、君らのスタイルで、この俺を中継してみてよ」とゴロリ横になって見せたのだ。

 テレビは困っただろうな。まさか「ヒデーッ、よくやった!」と絶叫を続けるには、映像の変化がなさ過ぎる。「彼はですねー、明日もきっとやってくれます」と解説もできない。「明日なきメディア」があぶり出されたのだ。

 その後の彼へのインタビューもひどかった。あまりにつまらない質問が繰り返されるので彼は言った「僕の言っていること、聞いてます?」

 ここで見えるのは、世界の桧舞台で取材しながら取材記者たちが自分の言葉をもたず、「自己実現」をしていない姿だ。 

 北朝鮮ミサイル発射実験のニュースも、「自前の言葉」をもたないメディアの姿が露呈された。「スワッ大変、断固制裁!」の外務大臣、官房長官、防衛庁長官の勇ましい発言を追っかけるだけ。9日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」では、麻生外務大臣が「明日にも安保理で採決です」と発言。ところがアメリカからの電話で「制裁決議」は無期棚上げ。

 日本外交は振り上げたコブシのやり場に困ってしまった。そして、政府ベッタリのメディアも、一緒にハシゴを外されたのである。ミサイル防衛網より必要なのは、ちゃんとした外交と報道である。
 
 「経済制裁」と簡単に言うが、それを引き金にして日本が真珠案攻撃に打って出たことを思い出そう。その時の次の記事は、今のサッカー記事に使える。

 「事ここに到って帝國の自存を全うするために、決然として起ったのである。われら一億打って一丸となり、勝利のために最後まで戦ひぬかねばならないのである」(『アサヒグラフ』昭和16年12月24日号)。

 これがアメリカ相手に戦争を始めたときの「情緒的な」日本メディアのサンプルだ。実に、昔も今も変らない。クールな、頭脳的な報道を期待してもムリなのであろうか? 次のようなニュースに接すると、「ムリだろうなー」とメゲてしまう。

 7月8日(土)の読売新聞・夕刊が伝える見出し「イラク撤収、取材中止を突然通告」「防衛庁、隊員の安全のため」。

 その記事が伝える防衛庁側の所業とは以下の通りである。「自衛隊イラク派遣部隊の撤収第一陣が、クェートのムバラク空軍基地に到着する直前に、突然『取材中止』を通告し、同基地に泊めたバス内で待機していた報道陣を滑走路が見えない位置まで移動させた」。

 自衛隊側の心変わりが突如「現場」で起こったのである。われらが自衛隊の精鋭部隊が、イラク「人道支援」の赫々たる成果をあげて祖国に帰還する場面を、なぜ「全面撮影」「全面インタビュー」できないのか?

 幼稚園児のようにバスに乗せられ、そのまま取材できない位置に移動させられた記者諸君! その後、君たちはどう抗議して、その結果どうなったのか、ぜひレポートをしてくれたまえ。ついでにバス代の出所は? 防衛庁が手配したのなら、空軍基地を遊覧しただけの、税金の無駄遣い。 

 思い出すのは秋田県、「豪憲くん殺害事件、畠山鈴香容疑者」の例だ。逮捕前、彼女は取り囲んだ取材陣のカメラ一台一台を手で払いのけながら、「写さないで」と頼んだ。テレビはその姿を繰り返し放送し続けた、あの執拗さは何だ? 

 情緒的とは、一貫性がないということである。フラジャイルな点で日本メディアは危険でさえある。



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