石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

待つことのエロス 

2008-11-30 17:46:15 | 雑談
平安時代の乗り物は「牛車」である。牛が引っ張るから随分悠長だ。当時の人々は馬車とか「早駕籠」というのを考えなかったのだろうか。

そもそも、「早いことがいい」と彼らは考えなかった。ゆるやかであること、待つことのときめき、彼らはそちらを選択し、むしろ時間の不思議を知り抜いていた。

過ぎゆく時の移ろいに垣間見える、空の月、道の草花を愛でることもまた大事だった。恋人に歌を届けることは、歌と相手への思いが切なく熟成する時間だった。

逢瀬をたくらんで牛車で移動することは、会うことのエキサイトの弓を、根源まで引き絞る営みであった。
 
茶堂に「待合」あり、名高い西欧のレストランに必ず「ウェイティング・バー」があるのもそれにつながる。待つことを「無駄」とみない時間のアート感覚がそこにある。

待ち人いまだ来らず。ときめきつつ待つことの愉しさ。手にしたグラスのワインも、また艶めいて美味しい。そのような場合、待ち人の遅刻をなじる人はいない。

待たない、待たせないで効率化を図った果てに、豊かな「余暇」が生まれたのであろうか。その空白は新たな不安の種ではないのか。

それが現代の皮肉である。エロスには、これという実体がないけれど、人の行為の過程と待つことのプロセスを愛することである。それは単なる空白ではなく、濃密な充実である。