石井信平の 『オラが春』

古都鎌倉でコトにつけて記す酒・女・ブンガクのあれこれ。
「28歳、年の差結婚」が生み出す悲喜劇を軽いノリで語る。

ナチスとエロス

2008-11-06 21:27:34 | メディア
きょうの立教大学での「メディア映像学」授業は、ナチス時代がテーマ。そのメディア&宣伝戦略を分析した。ざっと、以下の通りである。


国の先行きに希望がなく、将来が不安なとき、人々は「自由」よりも、強いリーダーを求める。第一次大戦直後、敗戦国ドイツは、まさにそういう状況だった。

人々は「この不安と閉塞感を、一気に何とかして欲しい」と願った。そうして登場したのがアドルフ・ヒトラーとナチス党だった。一時的に「希望」が垣間見えたように思われた。しかし、それは巨大な「破局」への入り口だった。

<ナチスが作りだしたエロス的状況>

ナチスは、党大会・音楽・スポーツ・展覧会など各種イベントを使い、国家的規模で感性の「画一化」を図った。ドイツ民族の栄光と優越が謳われ。そこに「エロス的な陶酔」を演出した。

個々人が自分のエロス的感性を守るに先んじて、政治権力がメディアを総動員して「エロスの津波」を起こしたのがナチス時代だった。

個人のエロスではなく、「民族と国家のエロス」が最優先された。ナチスこそ、メディアを使い、国家的な規模で「集団エロス」を実現した実例である。

エロスは「画一化」を嫌う。そもそもエロスとは「個人」の領域に属し、権力もメディアもこれを浸蝕することは出来ない。

個人がかけがえのない自己のエロス的感性を手放した時、自己を喪失し、「奴隷状況」が始まる、のであーる。