久しぶりにジェノグラフィックプロジェクトを覗いたら大幅に更新していた。
時間もあったので、本格的に翻訳してみた。
他に掲載するところもないし、以前に何度か掲載していたので、受験関係ないけどここに掲載します。
原文はこっちで。
簡単に言えば、すべての非アフリカ人の共通祖先が5万年前に今のアフリカ人との共通祖先から別れ、その後俺の父方の先祖はアフリカ北東部に到達したあとアラビア半島に渡り、そこからわーっと東南アジアに拡散していったけどインドには定着せず。
3万年前に東南アジアから海岸線沿いに日本に到達。
しかし、ここ数千年に起こったルートで、チベットを通ってモンゴル経由で日本に到達したルートもあるらしい。
これがなにやら意味不明で、掲載された地図と記述が食い違っている。
さらに言えば、以前の内容とも異なっている。
以前は東南アジアから海岸線沿いに日本に到達し、一部が大陸に渡ってモンゴルへ、というルートが描かれていた。
アジアのデータが少ないため、また、数千年では遺伝子的な変化があまりなく、まだ見つかってないため、日本からモンゴルなのかモンゴルから日本なのかがわからないんだろうなと思う。
普通に考えれば、日本からモンゴル、チベットは考えにくいので、チベット、モンゴル経由でいわゆる「渡来人」が流入してきたんだろう。
そして、父の父のそのまた父の・・・とY染色体を代々受け継いできた俺の父系のみをたどれば、数万年前はモンゴルとかチベットあたりをうろうろしていたってことかもしれない。
↓この本読んでみるか・・・
旅する遺伝子-ジェノグラフィック・プロジェクトで人類の足跡をたどる![](http://www.assoc-amazon.jp/e/ir?t=shinpeichalle-22&l=as2&o=9&a=4862760309)
以下、原文の翻訳。
ハプログループHaplogroup D2(M64.1)
あなたのY染色体の結果はあなたをhaplogroup D2(M64.1)のメンバーであると確認します。
祖先の歴史を定義する遺伝子マーカーは、すべての非アフリカ系の最初の共通のマーカーであるM168へのおよそ6万年前にさかのぼります。
そして、現在の血統にたどり着き、haplogroup D2(M64.1)を定義するマーカーであるP37.1に到達します。
先祖のルートを示した地図を見れば、haplogroup D2(M64.1)のメンバーが以下のようにY染色体マーカーを伝えてきたのがわかるでしょう。
M168> YAP>M174>P37.1
Haplogroupとは何ですか。また、なぜ遺伝学者はマーカーの研究でY染色体に注目しますか。
また、マーカーとは何ですか。
私たち各自は、父と母とからそれぞれ渡された遺伝子の結合であるDNAを持っており、それが目の色からスポーツへの入れ込み具合、病気へのかかりやすさといった特徴までに関わってきます。
1つの例外はY染色体で、これは父親から息子へ、変化することなく、次の世代またその次の世代へ直接受け継がれます。
不変というのは、ランダムな突然変異がなければです。
ランダムな突然変異は通常無害で、自然発生します。
マーカーとして知られている突然変異は、標識として働きます。
それが数千年にわたって自分の息子、彼らの息子、および子孫すべての男性に渡されるので、世代を通じて遺伝子地図を作ることができます。
時には、系統樹の特別の枝を定義する1つ以上の突然変異があるかもしれません。
これは、これらのマーカーのうちの1つを持っている人全員がさらに別のマーカーも持つので、haplogroupを決定するのにこれらのマーカーのうちのどちらかを使えることを意味します。
したがって、一方のマーカーはその初期の時に起こっていたことについて理解を導き、そのグループの起源を導く遺伝的な手がかりとして使用することができます。
遺伝学者がそのようなマーカーを識別する場合、それらはそれがいつ発生したか、世界のどこで発生したかを考えようとします。
マーカーはそれぞれ、本質的に人類の家系図上の新しい血統の始まりです。
血統の追跡することで、どれくらい小さいかの写真を提供します、アフリカの近代人の種族、何千、何万年もの昔にアフリカで現生人類の小さな部族がどうやって世界中に多様化し広がったのかの足どりマップがもたらされます。
haplogroupは、同じ突然変異を持つ人たちによって共有される一連のマーカーによって定義されます。
マーカーは、出アフリカのあとにあなたの先祖がとった道すじの手がかりとなります。
まだ十分なデータがないので、世界中の人がどのhaplogroupに属しているのか、またいったいどれだけのhaplogroupがあるのかを知るのは難しいです。
5年に渡るジェノグラフィック・プロジェクトの目的のうちの1つは、これらの質問のうちのいくつかに答えるために人類学の遺伝データの十分に大きなデータベースを構築することです。
これを達成するために、プロジェクトチームのメンバーは、先住民から10万を超えるDNAサンプルを集めるため、世界のあらゆる片隅へ飛んでいます。
さらに、私たちは、プロジェクト・データベースにあなたの匿名の結果を提供してもらうよう働きかけることで、私たちの遺伝学者が私たちの先祖の通った道すじを明らかにすることを支援しています。
これらのページをチェックし続けて下さい。
多くの情報を受け取れば受け取るほど、自分の遺伝的な歴史について学ぶことができるでしょう。
先祖の遍歴
M168:あなたの最も初期の先祖
概要
出現時期:およそ5万年前
出現地:アフリカ
気候:氷河期の一時的な衰退期(間氷期?)。アフリカは、干ばつから暖かい気候まで変化します。
人類の概数:約1万人
道具と能力:石器。芸術の萌芽。発達した思考能力
骨格および考古学的資料によって、解剖学的な現生人類は20万年前ごろにアフリカで進化し、6万年前ごろに出アフリカをおこなって世界中に住み始めたことが示唆されます。
あなたの血統に別れる最初の遺伝子マーカーを持った男性は、恐らくアフリカ北東部の大地溝帯、現在のエチオピア、ケニア、タンザニアのあたりに約3.1万年前から7.9万年前の間暮らしていた。約5万年前に住んでいたと考えるのが最も妥当と科学者は言う。
彼の子孫はアフリカの外でのみ生き残ることができ、現在の非アフリカ系全員の先祖となった。
しかし、なぜ人類は慣れ親しんだアフリカの地を離れて、未探検ゾーンへ行こうとしたのだろうか?
気候の変動が出アフリカを促したというシナリオは考えられそうです。
アフリカの氷河期は寒さよりも干ばつが特徴的でした。
約5万年前は、北ヨーロッパの氷床が溶け出し、温暖な気温と湿った気候をアフリカにもたらしました。
荒涼としたサハラも部分的に人が住めるようになりました。
砂漠がサバンナに変わったことで、あなたの先祖となる人類の獲物だった動物が生息範囲を広げ、新しく現れた草原の回廊地帯に沿って動き始めました。
放浪した祖先はよい気候と獲物の動物を追いかけましたが、その正確なルートは現在調査中です。
気候の好ましい変化に加えて、ほぼ同時期に現生人類の知的能力に大躍進がありました。
言語の出現が私たちに他の古代人種に対する大きな利点を与えたと多くの科学者が信じています。
道具と武器の進歩、あらかじめ計画する能力、お互いに協力すること、その前までは利用できなかった資源を活用する能力の増加は、すべてが相まって新しいテリトリーに急速に移住し、新しい資源を利用し、他の古代人種と置き換わることになりました。
YAP:古代の突然変異
概要
(M168と一緒)
現在サハラ以南に生きている人々は、人類の明かなY染色体の系統樹の3つの枝のうちの1つで特徴づけられています。
あなたの父方の血統は3つの枝の下でくだって、YAPと遺伝学者がみなしています。
YAPはアフリカ北東部あたりで発生し、サハラ以南でみられる3本の遺伝子の枝のうち最も一般的なものです。
その突然変異はAlu挿入として知られる、300のDNA塩基対の断片が細胞複製の際にヒトゲノムに挿入されたもので特徴づけられており、まれに見られます。
遠い祖先である約5万年前に住んでいた人類は、この断片をY染色体に取りこみ、子孫に伝えました。
時を経てこの血統は2つの異なるグループに分かれました。ひとつは主にアフリカで見つかり、地中海沿岸地域の人ではM96マーカーで定義されます。
もう一方のグループはアジアで見つかり、M174突然変異として定義されます。
あなたの遺伝的な血統はアフリカに近いところにとどまり、最近のアフリカ内での文化的で移住に関わる出来事に不可欠な役割を果たした人たちによって伝わってきたグループ内に位置します。
M174:沿岸ルートを取る
概要
(M168、YAPと一緒)
あなたの祖先は、約5万年前に起こった始めの主要な出アフリカの波で、「海岸の氏族」(M130)に伴っていたかもしれません。
豊富な海岸の資源を利用して、これらの勇猛な探検者たちはアフリカ沿岸をたどって南アラビア半島、インド、スリランカ、東南アジアにたどり着きました。
あるいは、海岸の氏族の跡をたどって、後から行ったのかも知れません。
あなたの子孫の一部は今もこのルート沿いに住んでおり、特に東南アジアとアンダマン諸島に住んでいますが、インドにはいません。
あなたの先祖の分布は、さらにふたつののちの移住も示唆します。
ひとつは東アジアの海岸に沿って北上し日本に到達するルートです。
もうひとつの、ここ数千年以内に起こった最近の移住は、モンゴルからチベットにこの血統の子孫を連れてきました。
P37.1:日の出ずる邦
概要
出現時期:約3万年前
出現地:東南アジア
気候:氷河期
人類の概数:約10万人
道具と能力:石器。後期旧石器時代
約3万年前に、あなたの東南アジアの先祖のうちのひとりが、P37.1として知られる遺伝子マーカーを最初に発現しました。
今日、このマーカーはhaplogroup D2 (M64.1)と定義され、あなたは徐々に北方への移住を行ったM174の移民の子孫と特定されます。
東南アジアの起源から、D2(M64.1)の血統は着実に北東へ進み、ついに日本に到達しました。
今日、このハプログループは日本人の50%を占めており、最も一般的なグループとなっています。
これが私たちが知る限りでのあなたの遺伝的な道すじです。
しかし、このページをまた訪れて下さい。
さらなるデータが集まり、分析することで始めに地球に誕生した男と女の歴史においてのあなたの位置を学ぶことができるでしょう。
プロジェクトの全体にわたって、このストーリーを更新していきます。
時間もあったので、本格的に翻訳してみた。
他に掲載するところもないし、以前に何度か掲載していたので、受験関係ないけどここに掲載します。
原文はこっちで。
簡単に言えば、すべての非アフリカ人の共通祖先が5万年前に今のアフリカ人との共通祖先から別れ、その後俺の父方の先祖はアフリカ北東部に到達したあとアラビア半島に渡り、そこからわーっと東南アジアに拡散していったけどインドには定着せず。
3万年前に東南アジアから海岸線沿いに日本に到達。
しかし、ここ数千年に起こったルートで、チベットを通ってモンゴル経由で日本に到達したルートもあるらしい。
これがなにやら意味不明で、掲載された地図と記述が食い違っている。
さらに言えば、以前の内容とも異なっている。
以前は東南アジアから海岸線沿いに日本に到達し、一部が大陸に渡ってモンゴルへ、というルートが描かれていた。
アジアのデータが少ないため、また、数千年では遺伝子的な変化があまりなく、まだ見つかってないため、日本からモンゴルなのかモンゴルから日本なのかがわからないんだろうなと思う。
普通に考えれば、日本からモンゴル、チベットは考えにくいので、チベット、モンゴル経由でいわゆる「渡来人」が流入してきたんだろう。
そして、父の父のそのまた父の・・・とY染色体を代々受け継いできた俺の父系のみをたどれば、数万年前はモンゴルとかチベットあたりをうろうろしていたってことかもしれない。
↓この本読んでみるか・・・
旅する遺伝子-ジェノグラフィック・プロジェクトで人類の足跡をたどる
以下、原文の翻訳。
ハプログループHaplogroup D2(M64.1)
あなたのY染色体の結果はあなたをhaplogroup D2(M64.1)のメンバーであると確認します。
祖先の歴史を定義する遺伝子マーカーは、すべての非アフリカ系の最初の共通のマーカーであるM168へのおよそ6万年前にさかのぼります。
そして、現在の血統にたどり着き、haplogroup D2(M64.1)を定義するマーカーであるP37.1に到達します。
先祖のルートを示した地図を見れば、haplogroup D2(M64.1)のメンバーが以下のようにY染色体マーカーを伝えてきたのがわかるでしょう。
M168> YAP>M174>P37.1
Haplogroupとは何ですか。また、なぜ遺伝学者はマーカーの研究でY染色体に注目しますか。
また、マーカーとは何ですか。
私たち各自は、父と母とからそれぞれ渡された遺伝子の結合であるDNAを持っており、それが目の色からスポーツへの入れ込み具合、病気へのかかりやすさといった特徴までに関わってきます。
1つの例外はY染色体で、これは父親から息子へ、変化することなく、次の世代またその次の世代へ直接受け継がれます。
不変というのは、ランダムな突然変異がなければです。
ランダムな突然変異は通常無害で、自然発生します。
マーカーとして知られている突然変異は、標識として働きます。
それが数千年にわたって自分の息子、彼らの息子、および子孫すべての男性に渡されるので、世代を通じて遺伝子地図を作ることができます。
時には、系統樹の特別の枝を定義する1つ以上の突然変異があるかもしれません。
これは、これらのマーカーのうちの1つを持っている人全員がさらに別のマーカーも持つので、haplogroupを決定するのにこれらのマーカーのうちのどちらかを使えることを意味します。
したがって、一方のマーカーはその初期の時に起こっていたことについて理解を導き、そのグループの起源を導く遺伝的な手がかりとして使用することができます。
遺伝学者がそのようなマーカーを識別する場合、それらはそれがいつ発生したか、世界のどこで発生したかを考えようとします。
マーカーはそれぞれ、本質的に人類の家系図上の新しい血統の始まりです。
血統の追跡することで、どれくらい小さいかの写真を提供します、アフリカの近代人の種族、何千、何万年もの昔にアフリカで現生人類の小さな部族がどうやって世界中に多様化し広がったのかの足どりマップがもたらされます。
haplogroupは、同じ突然変異を持つ人たちによって共有される一連のマーカーによって定義されます。
マーカーは、出アフリカのあとにあなたの先祖がとった道すじの手がかりとなります。
まだ十分なデータがないので、世界中の人がどのhaplogroupに属しているのか、またいったいどれだけのhaplogroupがあるのかを知るのは難しいです。
5年に渡るジェノグラフィック・プロジェクトの目的のうちの1つは、これらの質問のうちのいくつかに答えるために人類学の遺伝データの十分に大きなデータベースを構築することです。
これを達成するために、プロジェクトチームのメンバーは、先住民から10万を超えるDNAサンプルを集めるため、世界のあらゆる片隅へ飛んでいます。
さらに、私たちは、プロジェクト・データベースにあなたの匿名の結果を提供してもらうよう働きかけることで、私たちの遺伝学者が私たちの先祖の通った道すじを明らかにすることを支援しています。
これらのページをチェックし続けて下さい。
多くの情報を受け取れば受け取るほど、自分の遺伝的な歴史について学ぶことができるでしょう。
先祖の遍歴
M168:あなたの最も初期の先祖
概要
出現時期:およそ5万年前
出現地:アフリカ
気候:氷河期の一時的な衰退期(間氷期?)。アフリカは、干ばつから暖かい気候まで変化します。
人類の概数:約1万人
道具と能力:石器。芸術の萌芽。発達した思考能力
骨格および考古学的資料によって、解剖学的な現生人類は20万年前ごろにアフリカで進化し、6万年前ごろに出アフリカをおこなって世界中に住み始めたことが示唆されます。
あなたの血統に別れる最初の遺伝子マーカーを持った男性は、恐らくアフリカ北東部の大地溝帯、現在のエチオピア、ケニア、タンザニアのあたりに約3.1万年前から7.9万年前の間暮らしていた。約5万年前に住んでいたと考えるのが最も妥当と科学者は言う。
彼の子孫はアフリカの外でのみ生き残ることができ、現在の非アフリカ系全員の先祖となった。
しかし、なぜ人類は慣れ親しんだアフリカの地を離れて、未探検ゾーンへ行こうとしたのだろうか?
気候の変動が出アフリカを促したというシナリオは考えられそうです。
アフリカの氷河期は寒さよりも干ばつが特徴的でした。
約5万年前は、北ヨーロッパの氷床が溶け出し、温暖な気温と湿った気候をアフリカにもたらしました。
荒涼としたサハラも部分的に人が住めるようになりました。
砂漠がサバンナに変わったことで、あなたの先祖となる人類の獲物だった動物が生息範囲を広げ、新しく現れた草原の回廊地帯に沿って動き始めました。
放浪した祖先はよい気候と獲物の動物を追いかけましたが、その正確なルートは現在調査中です。
気候の好ましい変化に加えて、ほぼ同時期に現生人類の知的能力に大躍進がありました。
言語の出現が私たちに他の古代人種に対する大きな利点を与えたと多くの科学者が信じています。
道具と武器の進歩、あらかじめ計画する能力、お互いに協力すること、その前までは利用できなかった資源を活用する能力の増加は、すべてが相まって新しいテリトリーに急速に移住し、新しい資源を利用し、他の古代人種と置き換わることになりました。
YAP:古代の突然変異
概要
(M168と一緒)
現在サハラ以南に生きている人々は、人類の明かなY染色体の系統樹の3つの枝のうちの1つで特徴づけられています。
あなたの父方の血統は3つの枝の下でくだって、YAPと遺伝学者がみなしています。
YAPはアフリカ北東部あたりで発生し、サハラ以南でみられる3本の遺伝子の枝のうち最も一般的なものです。
その突然変異はAlu挿入として知られる、300のDNA塩基対の断片が細胞複製の際にヒトゲノムに挿入されたもので特徴づけられており、まれに見られます。
遠い祖先である約5万年前に住んでいた人類は、この断片をY染色体に取りこみ、子孫に伝えました。
時を経てこの血統は2つの異なるグループに分かれました。ひとつは主にアフリカで見つかり、地中海沿岸地域の人ではM96マーカーで定義されます。
もう一方のグループはアジアで見つかり、M174突然変異として定義されます。
あなたの遺伝的な血統はアフリカに近いところにとどまり、最近のアフリカ内での文化的で移住に関わる出来事に不可欠な役割を果たした人たちによって伝わってきたグループ内に位置します。
M174:沿岸ルートを取る
概要
(M168、YAPと一緒)
あなたの祖先は、約5万年前に起こった始めの主要な出アフリカの波で、「海岸の氏族」(M130)に伴っていたかもしれません。
豊富な海岸の資源を利用して、これらの勇猛な探検者たちはアフリカ沿岸をたどって南アラビア半島、インド、スリランカ、東南アジアにたどり着きました。
あるいは、海岸の氏族の跡をたどって、後から行ったのかも知れません。
あなたの子孫の一部は今もこのルート沿いに住んでおり、特に東南アジアとアンダマン諸島に住んでいますが、インドにはいません。
あなたの先祖の分布は、さらにふたつののちの移住も示唆します。
ひとつは東アジアの海岸に沿って北上し日本に到達するルートです。
もうひとつの、ここ数千年以内に起こった最近の移住は、モンゴルからチベットにこの血統の子孫を連れてきました。
P37.1:日の出ずる邦
概要
出現時期:約3万年前
出現地:東南アジア
気候:氷河期
人類の概数:約10万人
道具と能力:石器。後期旧石器時代
約3万年前に、あなたの東南アジアの先祖のうちのひとりが、P37.1として知られる遺伝子マーカーを最初に発現しました。
今日、このマーカーはhaplogroup D2 (M64.1)と定義され、あなたは徐々に北方への移住を行ったM174の移民の子孫と特定されます。
東南アジアの起源から、D2(M64.1)の血統は着実に北東へ進み、ついに日本に到達しました。
今日、このハプログループは日本人の50%を占めており、最も一般的なグループとなっています。
これが私たちが知る限りでのあなたの遺伝的な道すじです。
しかし、このページをまた訪れて下さい。
さらなるデータが集まり、分析することで始めに地球に誕生した男と女の歴史においてのあなたの位置を学ぶことができるでしょう。
プロジェクトの全体にわたって、このストーリーを更新していきます。