死んだらどうなる?

誰もが一度は抱く関心「人間は死後どうなるか」を中心に、あの世、生まれ変わり、守護霊等について詳しく解説していきます。

阿修羅地獄には、「アクション映画の暴力シーン」のような世界や、暴力団が抗争しているような世界もある 

2007-10-03 | プロローグ
勇二 「戦場じゃなくても、阿修羅地獄というからには、やっぱり「殴る蹴る」みたいな世界が展開してるんだろうね」

正太 「うん。たとえば、アメリカのアクション映画の暴力シーンみたいなところもあるんだね。そこでは、人々が拳銃を打ち合い、追っかけあっていて、いつも「生きるか死ぬか」という恐怖が連続する世界なんだ。
 命を狙われ、追っかけられ、逃げ回るといった、息もつかせぬ場面が展開していて、一瞬も心の休まるときがないんだよ」

勇二 「あー、そういう場面を夢で見たことがあるよ。でも、そうした悪夢っていうのは、「寝ているときに幽体離脱して、あの世の地獄界を見てきていることが多い」ということだったよね」

正太 「そうなんだよ。あの世の地獄界に見学会に行ったと考えていいんだね。「追い回されて、とっちめられる」といった世界は、地獄でも比較的上層部というか、浅いところにある地獄だから、生きている人でも睡眠中に肉体を抜け出して来ていることが多いんだよ。この世界に来ると、よく記憶される内容としては、「やたら追いかけられる」「命を狙われる」「襲いかかられる」といったことなんだね。
 この種の悪夢をしょっちゅう見るということは、「おまえが死後に来る世界はここだぞ。おまえが死んだらこうして追いかけ回してやるからな」という、あの世の霊人の警告でもあるんだ。
 だから、そういう場合は、日頃の自分の心に間違いがないかどうか、よーく反省したほうがいいんだよ。たとえば、「周りの人がみんな悪人に見える人間ほどの悪人はいない」という言葉があるけど、いつも自分が周りから害されるんじゃないかと思っている人というのは、たいてい自分も周りを害するような思いを持っていることが多いんだね。そういった心がないかどうかチェックしてみるんだ」

勇二 「おー、くわばらくわばら。でも、おかげさまで最近コワい夢はトンと見なくなったよ」

正太 「それと、阿修羅地獄には、お互いに非難合戦をしているようなところもあるんだね。
 ただ、非難合戦といっても、あの世というのは「思い即行動」の世界であり、「思いが具象化する」世界だから、カーッと怒って破壊の念、非難攻撃の念を出すと、そうした念が刀か槍みたいになって相手のところに飛んでいくんだよ。
 それが、相手の身体にズボズボーっと突き刺さるんだ。すると、やられたほうも「何をーっ」といってやり返すんだけど、あの世は心だけの世界、思いだけの世界だから、その際の衝撃力というのが地上の10倍ぐらいに感じられるんだね。
 この世でも、言い争っている人間を、あの世から霊的に見ると、二メートルくらいの刀を振り回して、お互いに斬りあいをしているように見えるんだ」

勇二 「ふーむ。ひどい言い争いをしている人のそばにいると、殺気みたいなものを感じるけど、霊的に見ると実際にチャンバラをやってるんだね」

正太 「それから、阿修羅地獄でも深いほうになると、切った張ったの殺し合いの世界、ヤクザの出入りのようなことをやっている世界もあるんだ。
 阿修羅地獄に来ると、自分よりも強い人がいるから、この世では殺す側だった人も、殺されるほうの経験もだいぶしなくちゃならなくなるんだね。自分より弱い相手なら殺せるけど、自分より強い相手には殺されてしまうからなんだ。
 こうして、殺したり殺されたりしながら、「人殺しというのは、いかに嫌なものか」ということを本人が分かるまで、徹底的に殺し合いを続けるんだ。
 さっきも言ったけど、「殺し合い」といっても、実際には肉体がないから、ほんとうの意味で殺すことはできないんだね。でも、その苦痛だけは味わうんだ。苦痛を感じる霊的神経の部分だけはあるからなんだよ。
 生前、殺したり、殺されたり、怪我をさせたり、させられたりしていない人は、その痛みの感覚が分からないんだけど、生前に人を傷つけたり殺したりしてきた人は、その痛みを感じやすいんだね」

勇二 「なるほどね。殺される経験も重ねることで、人を殺すということがどういうことなのかがわかってくるわけだ。いくら、お説教をしても聞く耳を持たない人は、最後は体験を通して悟るしかないんだね」

正太 「短刀でグサっと刺して「どうだ、死にやがったな」と思うんだけど、死んだはずの相手がムクッと起き上がってくるんだね。すると、今度は向こうが「復讐してやる」とか言って逆襲してくるんだよ。あるいは、自分が殺されて「殺られたー」と思っても、やがてムクッと起き上がるんだね。
 こういうことを、果てしなく繰り返しているんだね。「殺しても殺しても相手が死なない」という不思議な世界で、それを何十回も何百回も繰り返していると、だんだん嫌になってきて、お互いに、「もう、やめたほうがいいんじゃないか」と思い始めるときがあるんだよ。「そういえば、生前も、こんな生活だったな」と思って、自分が恐怖と憎しみと破壊の心で生きていたことに気づいて、嫌気がさしてくるんだよ。
 その心境が、だいたい、菩提心の目覚め、悟りへの目覚めの段階なんだ。本人が「こんな世界から足を洗いたいな」と思うようにならないと、なかなかこうした世界からは抜けられないんだよ」

勇二 「地獄に堕ちた人にとっての第一歩は、「自分の生き方に嫌気がさす」ということだったね。これが反省への入り口になるわけだ」

正太「そう。「もう足を洗いたい」と思い始めた頃に助けがやってくるんだ。ちょうどよい頃合に、まずその人と縁のある人が天上界からやって来るんだよ。
 でも、そこは凶悪な世界だから、そこへ行って救うのは大変なことなんだね。この世でも、暴力団の組織の中に入り込んで人を助け出すのは大変だし、私服警官だって、そんな所へ一人で行ったら殺されかねないよね。それと同じで、そういう世界から救うのは大変なことなんだ。
 だから、まず、本人自身が改心して「この世界から出たい」という気持ちを持たないと、いくら他の人たちが「どうにかしたい」と思ってもダメなんだね。
 そういう気持ちを持つようになると、あの世的には少し力が弱くなるんだ。そのぶん「善人」になってしまうから、「暴力の世界」では弱くなっちゃうんだよ。「もうこんなことは嫌だ」と思っている人は、「他人を徹底的にやっつけてやりたい」と思っている人よりは弱くなるんだね。
 すると、「なんだ、あんなに強かった奴が弱くなったな」ということで、半殺しにされるんだけど、それでも耐えてるんだ。
 こんなふうに「こいつは何か弱くなったな。おもしろくない」と思われて、仲間から見放されて、仲間外れになる感じが出てこないと、その人を助けるところまでいかないんだよ」

勇二 「なるほどね。「天は自ら助くる者を助く」じゃないけど、やっぱり、本人の心境が変わらないと助けようがないんだね。救われるか救われないかの基本は本人次第なんだな」

正太 「うん。こんなふうに、「もう嫌だ。足を洗いたい」という心境になると、地獄も深いところから、少し上へスーッと上がってくるんだね。ちょっと「堅気の」地獄霊になってくるんだ(笑)。そして単に「抜けたい、嫌だ」という心境から、さらに進んで、生前の自分を振り返りだして、反省のようなことを始めると、さらに上の地獄へ上がっていくんだよ。
 地獄に堕ちても、その人の心境次第で、もっと深いところに堕ちていったり、逆に浅い所へ上がっていったりするんだけど、天国に還っていくときは、今言ったようなプロセスを積み重ねて上がっていくんだね。そして反省が十分に進んで生前の罪を拭えるところまでいくと、天国に上がれるんだ。生前つくった「精神的な借金」を完済して、心の貸借対照表が赤字から黒字に転換すると天国に還れるんだよ」

勇二 「なるほどね。人間ていうのは、一人ひとりが「心の経営者」なわけだからね。「精神的な借金」の場合、あの世にいくと、金利が元本の十倍に膨らんじゃうから、「ご利用は計画的に」なんて言ってられないよね(笑)。トヨタみたいな無借金経営に近づけていかなきゃいけないな」