Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

Wink

2006年02月23日 23時52分03秒 | 音楽
今日仕事をしながら、2月22日はWinkの鈴木早智子の誕生日だった
気がして、さっき調べたらやっぱりそうでした。
世間的には「元Wink」なのでしょうが、一応「解散」ではなく「活動停止」
だったので、「元」は付けておりません。

Winkとの出会いは、前に「スケバン刑事」に書きましたが、南野陽子
主演のドラマ「熱っぽいの」(1988)を通してです。第一話が終わった後、
見知らぬ女の子2人がそそくさと出てきて、「主題歌CDをプレゼント」と
言っていたのが、彼女たちを見た最初でした。
そのデビュー曲「SUGAR BABY LOVE」はThe Rubettesというイギリス
のバンドが1974年に出した曲のカバーで、その後Winkがリリースする
シングル・アルバム共に大半の曲が洋楽(それもヨーロッパ系が中心)
のカバーでした。時あたかもバブルの真っ最中。「ジュリアナ東京」の
ようなディスコが大ブームとなった時代に、いわゆる「ユーロビート」を
お茶の間にまで届けたのが、彼女たちでした。
3dシングル「愛が止まらない ~Turn It Into Love~」が、これまた南野
主演のドラマ「追いかけたいの」(同)の主題歌となり、年が明けてから
大ヒットしました。
でも、その頃私は高校受験の真っ最中で、実はテレビで彼女たちが歌う
のを見たことはありませんでした。
初めての「生Wink」は'89年4月1日、「博多駅まつり」のゲストで福岡に
来て、ミニライブをやった時です。通常では考えられない超大物ゲスト。
多分ブレイクする前に予定組んじゃったんだろうな。で、彼女たちの生の
歌声を聞いて、天地がひっくり返るような衝撃を受けました。「これなら
私のほうが上手い」と思った最初の歌手でした。でも、売れる前から
知っていたので妙な親近感もあり、「成長を見届けてあげたい」と憐れむ
気持ちが心に芽生えたのでした。

本人たちの歌唱力はともかく、カバーの選曲のセンスもオリジナル曲の
クオリティも、意外と高いんですよね、Winkって。「一億総アイドル」の
行き着く先、バブル期だから存在できたとも言えるかも知れませんが、
作り手は結構力入れてたんだろうと思います。ただ、'90年代に入って
日本のポップシーンは大きく変わりましたからね。彼女たちの成長以上
に周りのレベルが上がってしまったように思います。
近年何かと批判される「レコード大賞」と「紅白歌合戦」の「転換点」も
彼女たちだったかも。でも'89年のレコ大受賞は、プリンセス・プリンセス
が出場辞退した時点で妥当な結果だったと思います。受賞曲が「愛が
止まらない」ではなく「淋しい熱帯魚」だったことを除けば。

そういえば、一度消えかかった'92年、映画「ゴジラvsモスラ」に小美人
(かつてザ・ピーナッツが演じた妖精)役で出演、という噂が流れました。
CMソングとなった「咲き誇れ愛しさよ」のスマッシュヒットで仕事が増え
たからか、立ち消えになったようですが。
 (記憶が1年ずれてました。
「咲き誇れ愛しさよ」は'93年です。'92年には、ザ・ピーナッツの歌でも
「モスラの歌」ではなく「ふりむかないで」をカバーしてました。)

話がどんどん脱線してますが、Winkを通して、幅広い洋楽に触れること
になりました。好きな歌手が歌ってれば自然と曲も好きになります。
ただ、以前「洋楽との出会い」で書いた通り、耳が悪い私は外国語が
聞き取れません。それで、私の音楽の聴き方は、詞ではなくメロディー
重視になっていきました。構成も複雑でなくてとっつきやすく、親しみが
持てる曲、落ち着いて聴ける曲を好むようになりました。
今思えば、こうして準備万端整ったところで、チューリップと「運命の
出会い」を果たしたと言えるかも知れません。

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