私が子どもの頃も、テレビやラジオで洋楽を耳にする機会は
もちろんありましたが、関心が無い内は耳を素通りして全く
記憶に残りませんでした。
最初に覚えた「英語の歌」は、ゴダイゴかな?でもあれは、
日本人が作った曲ですから。
初めて意識して聴いたのは'85年、映画『TAN TAN たぬき』
の中でチェッカーズの面々が、'70年代風のライブハウスで
歌うナンバーを聴いた時です。
「オー・キャロル」「悲しき片思い」「ハウンド・ドッグ」「ツイスト・
アンド・シャウト」の4曲。おそらくアマチュア時代に実際に
歌っていたのでしょう。ファンであることを差し引いても、見事
な歌いっぷりだと感じました。
その頃は、マイケル=ジャクソンやマドンナ、シンディ=ローパー、
プリンスなどが日本でも大ヒットを飛ばし、「洋楽ブーム」を
巻き起こしていました。『愛と青春の旅立ち』とか『トップガン』
といった映画の主題歌も売れました。『カクテル』なんかは、
社会現象に近かったですね。
でも私は、耳が悪くてヒアリングがてんでダメなので、外国語
は大の苦手。だから洋楽にもあまり惹かれませんでした。
そんな私を洋学の世界に出会わせてくれた人たちがいます。
1人は、中高生の頃よくラジオ番組を聞いていた、KBC九州
朝日放送の沢田幸二アナウンサーです。
高校の時にビートルズに出会って洋楽に目覚めたという沢田
アナ、洋楽専門番組のレギュラーも持っていましたが、私が
聞いていたのは月-金の若者向けの夜ワイド「パオーン」と
いう番組でした。でもそこでもたまに掛かる洋楽や、熱い語り
を聞いてるうちに、私もだんだん洋楽に興味を持つようになり
ました。
福岡という街は音楽文化が盛んで、洋楽ファンもとても多い
土地柄です。興味を持って見回すと、そこらじゅうに洋楽が
溢れています。私の周りにはビートルズファンが多くいて、
自然と耳に入ってくるようになりました。
そして気がつくと、親のレコードコレクションの中にもなぜか
ビートルズの「ラブ・ミー・ドゥー」が・・・。
あとは、沢田アナの好きなアーティストでもあったポリス、
テレビでたまたま見たマルティカといったところが気になり
出しました。
もちろんありましたが、関心が無い内は耳を素通りして全く
記憶に残りませんでした。
最初に覚えた「英語の歌」は、ゴダイゴかな?でもあれは、
日本人が作った曲ですから。
初めて意識して聴いたのは'85年、映画『TAN TAN たぬき』
の中でチェッカーズの面々が、'70年代風のライブハウスで
歌うナンバーを聴いた時です。
「オー・キャロル」「悲しき片思い」「ハウンド・ドッグ」「ツイスト・
アンド・シャウト」の4曲。おそらくアマチュア時代に実際に
歌っていたのでしょう。ファンであることを差し引いても、見事
な歌いっぷりだと感じました。
その頃は、マイケル=ジャクソンやマドンナ、シンディ=ローパー、
プリンスなどが日本でも大ヒットを飛ばし、「洋楽ブーム」を
巻き起こしていました。『愛と青春の旅立ち』とか『トップガン』
といった映画の主題歌も売れました。『カクテル』なんかは、
社会現象に近かったですね。
でも私は、耳が悪くてヒアリングがてんでダメなので、外国語
は大の苦手。だから洋楽にもあまり惹かれませんでした。
そんな私を洋学の世界に出会わせてくれた人たちがいます。
1人は、中高生の頃よくラジオ番組を聞いていた、KBC九州
朝日放送の沢田幸二アナウンサーです。
高校の時にビートルズに出会って洋楽に目覚めたという沢田
アナ、洋楽専門番組のレギュラーも持っていましたが、私が
聞いていたのは月-金の若者向けの夜ワイド「パオーン」と
いう番組でした。でもそこでもたまに掛かる洋楽や、熱い語り
を聞いてるうちに、私もだんだん洋楽に興味を持つようになり
ました。
福岡という街は音楽文化が盛んで、洋楽ファンもとても多い
土地柄です。興味を持って見回すと、そこらじゅうに洋楽が
溢れています。私の周りにはビートルズファンが多くいて、
自然と耳に入ってくるようになりました。
そして気がつくと、親のレコードコレクションの中にもなぜか
ビートルズの「ラブ・ミー・ドゥー」が・・・。
あとは、沢田アナの好きなアーティストでもあったポリス、
テレビでたまたま見たマルティカといったところが気になり
出しました。
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