Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

広島移動学座レポート その4

2006年01月21日 22時14分54秒 | 学座
続いて、大本営跡へ。木造二階建ての洋館は、日清戦争終結後も
「軍都」の象徴として一連の軍事施設の真中に保存されていました。
しかし原爆の爆風によって一瞬にして倒壊。建物内や周辺にいた
兵士、動員学徒らのほとんどが亡くなりました。
ちなみに、大本営は戦時の天皇直属の最高軍事統帥機関で、常設
ではなかったそうです。1893年法制化なので、日清戦争(つまりこの
広島大本営)が最初ということになります。
余談ですが、1937(昭和12)年には法令改正により事変でも設置
可能となり、以後敗戦まで存続。44年に最高戦争指導会議と改称
され、敗戦によって廃止されます。
現在は礎石と、1937年に文部省が建てた碑だけが残っています。



ここで、M師が原爆絵本の読み聞かせを行ないました。



それから、広島城を後にして市街地へ移動し、本通り商店街にある
アンデルセン(旧帝国銀行広島支店)を見ました。
帝銀は堅固な外壁こそ爆風に耐えましたが、内部は天井が落ちて
玄関の重い鉄扉も吹き飛び、惨憺たる状況だったそうです。行員は
重傷を負いながらも全員外に逃げ出したらしいのですが、その後
行方不明となり、生存者はいません。
戦後も修復されて銀行として使われていましたが、移転によって
取り壊さかけていたのをタカキベーカリーが買い取り、伝統的建物
を保存するヨーロッパの文化に倣って被爆建物として保存すること
を決めました。
爆心地周辺で現在も完全な形で残っている被爆建物のうち、民間
所有のものは、このアンデルセンと福屋デパートだけです。
皆で広島風お好み焼きを食べ、今度は袋町小学校を訪ねました。
ここは鉄筋コンクリート製の校舎が救護所となり、多くの負傷者が
運び込まれ、肉親を探しに来た家族らも訪れました。そして安否を
訪ねる伝言などが壁に書かれていたのが、校舎解体の際にまだ
残っているのが発見され、その一部を保存して「平和資料館」とし、
一般公開されています。


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