8・15靖国参拝の意向 首相「公約守るべき」
小泉純一郎首相は9日午前、終戦記念日の8月15日に靖国神社を
参拝すると明言した2001年の自民党総裁選での公約に関し「公約は
生きているから、守るべきものだと思っている」と述べ、15日参拝の
意向を強く示唆した。訪問先の長崎市内で記者団の質問に答えた。
首相は就任以降、1年に1回の靖国参拝を続けているが、中韓両国
への配慮から8月15日の参拝は見送ってきた。9月退陣を控え今年が
公約実行の最後の機会だが、15日参拝に踏み切った場合、A級戦犯
合祀(ごうし)を問題視する中韓を刺激し、一層の反発を招くのは必至
だ。
首相は「いかなるものについても、みなさんも公約は守るべきものと
思っているのではないか」とも述べ、国民に対する公約の重要性を
指摘した。
(2006年8月9日 (水) 13:05 共同通信)
本来ならば参拝前に書くべき記事でしたが、心身ともに参っていたの
で気休めに花火の記事などを書いて、後回しにしてしまいました。
「守るべきもの」である小泉首相の数々の「公約」は、どうなっている
でしょう。
「宿願」であった郵政民営化は、一応「実現」しました。とはいえ、首相
自身が当初描いていた通りの姿かどうかは知りません。
道路公団民営化も、形の上では移行しましたが、新たな道路は従来
の計画通り造られ、ETC利用者以外は値下げもされません。
一内閣一閣僚はあっさり放棄。「小泉ブーム」の立役者の一人だった
田中真紀子外相を擁護もしませんでした。
「自民党をぶっ壊す」というスローガンは、いつしか「自民党的なもの
=旧橋本派的政治手法」にすり替えられました。気がつくと、自身が
所属する森派が最大派閥に。他派も、役割は多少変質したものの、
解消される気配はまるでありません。単なる党内の権力闘争に過ぎ
なかったわけです。
国債新規発行30兆円枠に至っては、「守れなくても大したことでは
ない」とまで発言。
年金改革はどうなったのでしょう。構造改革って、結局何したの?
と見ていくと、「公約は守るべき」はこっちのセリフだよ、と言いたく
なるほど守られていないことがよく分かります。
実はここに、更に大きな問題が隠されています。
これらは、自民党総裁選挙の公約なのです。
総理大臣指名選挙は、ご存知の通り議会勢力によってほぼ機械的
に決まりますから、政策論争などやりません。
いくつかの公約は、国政選挙でも掲げられましたが、少なくとも8月
15日の靖国参拝は、党の公約にはなってないはずです。
つまりこれは、自民党員・議員に対する公約であり、総裁選勝利に
よって彼らの支持を受けたことにはなっても、国民全体の同意を得た
わけではありません。「小泉を総裁とする自民党が総選挙に勝った」
から全てが信任されたわけでもないのです。
それに、守られていない公約はどれも、まず自民党に対して守らせ
る(「抵抗勢力」を抑えて実現させる)べきものにも関わらず、果たせ
なかったものばかりです。野党の抵抗によるのではありません。
党総裁の公約を党が守らないのに、党とは無関係の、「公約」には
本来なりえない事柄を「守るべき」とは、詭弁もいいところです。
ちなみにこの「公約」、01年総裁選の前に遺族会副会長の尾辻秀久
議員から「終戦記念日に靖国参拝をしていただけるなら、遺族会は
あなたを応援します」と持ちかけられたのが事の起こりのようです。
当時の遺族会会長は、対抗馬だった橋本元首相。しかし彼は現職
だった時に、国内外の反発に配慮して一度きりで参拝を取りやめた
ために、遺族会からは見限られていたようですね。それで小泉首相
に白羽の矢が立てられた。首相も選挙のために靖国を利用しただけ
の話。
それを持ち上げたり美化したりって、TBSの「亀田報道」と一緒です
よね。違うのは、インチキをインチキと言えない雰囲気が作られて
いること。「心の問題」なら、異を唱えるのも自由のはずなのに。
小泉純一郎首相は9日午前、終戦記念日の8月15日に靖国神社を
参拝すると明言した2001年の自民党総裁選での公約に関し「公約は
生きているから、守るべきものだと思っている」と述べ、15日参拝の
意向を強く示唆した。訪問先の長崎市内で記者団の質問に答えた。
首相は就任以降、1年に1回の靖国参拝を続けているが、中韓両国
への配慮から8月15日の参拝は見送ってきた。9月退陣を控え今年が
公約実行の最後の機会だが、15日参拝に踏み切った場合、A級戦犯
合祀(ごうし)を問題視する中韓を刺激し、一層の反発を招くのは必至
だ。
首相は「いかなるものについても、みなさんも公約は守るべきものと
思っているのではないか」とも述べ、国民に対する公約の重要性を
指摘した。
(2006年8月9日 (水) 13:05 共同通信)
本来ならば参拝前に書くべき記事でしたが、心身ともに参っていたの
で気休めに花火の記事などを書いて、後回しにしてしまいました。
「守るべきもの」である小泉首相の数々の「公約」は、どうなっている
でしょう。
「宿願」であった郵政民営化は、一応「実現」しました。とはいえ、首相
自身が当初描いていた通りの姿かどうかは知りません。
道路公団民営化も、形の上では移行しましたが、新たな道路は従来
の計画通り造られ、ETC利用者以外は値下げもされません。
一内閣一閣僚はあっさり放棄。「小泉ブーム」の立役者の一人だった
田中真紀子外相を擁護もしませんでした。
「自民党をぶっ壊す」というスローガンは、いつしか「自民党的なもの
=旧橋本派的政治手法」にすり替えられました。気がつくと、自身が
所属する森派が最大派閥に。他派も、役割は多少変質したものの、
解消される気配はまるでありません。単なる党内の権力闘争に過ぎ
なかったわけです。
国債新規発行30兆円枠に至っては、「守れなくても大したことでは
ない」とまで発言。
年金改革はどうなったのでしょう。構造改革って、結局何したの?
と見ていくと、「公約は守るべき」はこっちのセリフだよ、と言いたく
なるほど守られていないことがよく分かります。
実はここに、更に大きな問題が隠されています。
これらは、自民党総裁選挙の公約なのです。
総理大臣指名選挙は、ご存知の通り議会勢力によってほぼ機械的
に決まりますから、政策論争などやりません。
いくつかの公約は、国政選挙でも掲げられましたが、少なくとも8月
15日の靖国参拝は、党の公約にはなってないはずです。
つまりこれは、自民党員・議員に対する公約であり、総裁選勝利に
よって彼らの支持を受けたことにはなっても、国民全体の同意を得た
わけではありません。「小泉を総裁とする自民党が総選挙に勝った」
から全てが信任されたわけでもないのです。
それに、守られていない公約はどれも、まず自民党に対して守らせ
る(「抵抗勢力」を抑えて実現させる)べきものにも関わらず、果たせ
なかったものばかりです。野党の抵抗によるのではありません。
党総裁の公約を党が守らないのに、党とは無関係の、「公約」には
本来なりえない事柄を「守るべき」とは、詭弁もいいところです。
ちなみにこの「公約」、01年総裁選の前に遺族会副会長の尾辻秀久
議員から「終戦記念日に靖国参拝をしていただけるなら、遺族会は
あなたを応援します」と持ちかけられたのが事の起こりのようです。
当時の遺族会会長は、対抗馬だった橋本元首相。しかし彼は現職
だった時に、国内外の反発に配慮して一度きりで参拝を取りやめた
ために、遺族会からは見限られていたようですね。それで小泉首相
に白羽の矢が立てられた。首相も選挙のために靖国を利用しただけ
の話。
それを持ち上げたり美化したりって、TBSの「亀田報道」と一緒です
よね。違うのは、インチキをインチキと言えない雰囲気が作られて
いること。「心の問題」なら、異を唱えるのも自由のはずなのに。