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Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

ひろしまドッグぱーく

2006年09月30日 23時59分04秒 | 時事・社会
「きっこのブログ」に名前が出ていたので、ちょっと気になって調べてみました。

解体工事業、建設系リサイクル事業などをグループで営む(株)大前コーポレー
ションが2003年4月、所有する佐伯郡湯来町の建設廃材埋め立て処分場跡地
に、世界中から集めたイヌを展示・販売するテーマパーク「ひろしまドッグぱーく」
を開設。翌年、中区本通と西区中広町にも犬と触れ合える店舗もオープンして
います。ドッグプロダクションという会社が犬の飼育の業務委託を受けて、事実
上の共同経営を行なっていたようです。(経営者が変わった、という書き込みを
見ましたが、確認できていません。)
経営不振から、05年6月より休園。2ちゃんねるによると、
 「お客様へ ~リニューアルのお知らせ~
 ワンちゃんをトータルでサポートできる総合サービスをめざして
 いつも「ひろしまドッグぱーく」をご利用いただきましてまことにありがとうござ
 います。
 「ひろしまドッグぱーく」は、これまでイベント中心の営業を展開してまいりま
 したが、これからはワンちゃんのブリーダーから墓園までトータル的なサー
 ビスを行えるようにリニューアルを行います。つきましては改装期間の間、
 入園料は無料となっておりますので、愛犬を連れてぜひご利用ください。」

という案内が出ていたそうですが、実際には中には入れなかったという証言も
あります。
別の情報によれば、どうやら経営権が完全に分離したようで、敷地内の丘の上
の部分をドッグプロダクッションが管理していて、従来からいた犬達を飼っており、
丘の下の部分はひろしまドッグぱーくの管理で、今年9月から霊園とマイドッグ
広場(ドッグラン)、こども広場を再開して管理しているようです。
問題となっているのは、休園後の犬の管理です。約500頭の犬が飼われている
のですが、狭いケージに閉じ込められ、食事も充分に与えられず、ひどい病気に
かかったり死にかけている犬が数多くいるのだそうです。
経営が苦しい上に数が増えすぎて、管理しきれないということで、「里親探し」が
なされているようです。建設会社所有の犬は全て引き取られたそうですが、プロ
ダクションのほうは、新聞広告を出したりしてますが、まだかなりの数が残ってい
るそうです。
現在、関西のアークエンジェルズという動物保護団体が救援活動を行なっており、
地元のニュースでも取り上げられました。
最新の情報によると、広島市からドッグプロダクションに業務改善命令も出され、
施設と犬の管理をアークエンジェルズに移管することで合意した模様です。

地元にいながら、まるで事情を把握しておらず、驚いたと同時に恥ずかしさと情け
なさでいっぱいです。
借家だし共働きだし、我が家で引き取るのは無理ですが、何かできることはない
か考えています。とりあえずは、この事実をここでお伝えしておきます。

死刑執行拒否

2006年09月27日 17時25分17秒 | 時事・社会
法相、死刑執行は「適切に判断して対処」

 杉浦正健法相は12日の閣議後の記者会見で、在任中の死刑執行の
判断について「法治国家だから、法相としては裁判所の判断を尊重する
のは当然。適切に判断して対処する」と述べた。
 杉浦法相は昨年10月の就任記者会見で、死刑執行命令書に「サイン
しません」と発言し、直後に「個人の心情を吐露したもので、法相の職務
の執行について述べたものではない」として撤回した経緯がある。

                  [NIKKEI NET 2006年9月12日 13:00]


杉浦法相、死刑執行拒む…命令書にサインせず

 昨年10月の就任会見で死刑執行命令書に署名しない考えを明らかに
し、その直後に発言を撤回した杉浦法相が、命令書への署名を拒否して
いたことが26日、分かった。

 法務省幹部によると、今月、同省事務当局が杉浦法相に、執行対象と
なる死刑囚の記録を渡し、命令書への署名を求めたが、杉浦法相はこれ
を拒んだという。杉浦法相は同日、任期中最後となる閣議後の記者会見
で、死刑の執行について、「一切コメントは差し控える」と述べ、明言を
避けた。杉浦法相は昨年10月、「私の心の問題というか、宗教観、哲学
の問題だ」と述べ、死刑執行命令書に署名しない考えを明らかにしたが、
その直後に発言を撤回していた。

 過去には、1990~91年に法相だった左藤恵氏が宗教上の理由で署名
を拒んだ例がある。後藤田正晴氏が93年3月に署名して以降は、在任
期間の短かった4人を除き、後藤田氏から南野知恵子前法相まで計14
人の法相が死刑執行命令書に署名している。

                  [読売新聞 2006年9月26日13時47分]


この件については、就任直後のゴタゴタの時にこのブログでも取り上げ
ました(2005年11月11日記事「死刑制度について」)が、杉浦氏の行為
は大変残念でなりません。
私も死刑制度には原則反対ですので、杉浦氏の思想は支持します。
しかし、時の権力者の意向によって法の秩序が左右されるのは、大変
危険なことです。杉浦氏が死刑制度に反対のお考えをお持ちなら、ぜひ
とも在任中に、廃止に向けた議論を進めていただきたい、とその記事に
書いたのですが、残念ながらそのような努力はなされませんでした。
後任の長勢氏は執行の意向を示してるそうですから、結局杉浦氏は、
自分の手を汚したくなくて逃げただけですよね。

卒業式の「日の丸・君が代」どころじゃないですよ。大臣と現場の一教師
では立場も影響力も違います。「秩序」を重んじる皆さん、叩くならこちら
を叩きましょう。ついでに、このような大臣を最後まで罷免しなかった小泉
首相や、何のおとがめも無しの自民党もね。
末端の弱い者しか叩かないなら、ただのいじめですよ。

不当逮捕!

2006年09月26日 01時31分10秒 | 時事・社会
普天間移設巡り警察官ともみ合い、反対派牧師逮捕

 25日午前10時ごろ、沖縄県名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブ
第1ゲート前で、普天間飛行場移設に先立つ文化財調査のため、市
教委職員が基地に入ろうとした際、移設に反対する市民団体と警備
中の警察官がもみ合いになり、「沖縄平和市民連絡会」共同代表の
平良夏芽(たいら・なつめ)牧師(44)が公務執行妨害容疑で県警に
現行犯逮捕された。県警によると、普天間移設を巡る逮捕者は初め
て。
 調べでは、平良牧師は市教委の車の下に体を潜り込ませ、進行を
妨害した疑い。接見した弁護士に対し、「市教委と話をしようとしたら、
警察官ともみ合いになり、車の下に滑り込むような形になった。不当
な逮捕だ」と訴えているという。
 県警などによると、現場には午前9時ごろから反対派の住民二十数
人が集まった。県警は「車道に下りないように」と警告したが、住民ら
は市教委の車の前に出て、警察官らともみ合いになったという。市教
委は14、15両日の午前にも調査に入ろうとしたが、反対派に阻止され、
15日午後、初めて基地に入った。県警は那覇防衛施設局の要請を
受けて、25日は機動隊を含め約50人を動員し、警備に当たっていた。
 名護署の親川博・副署長は「15日に警告をし、今日も事前に警告
したにもかかわらず、不当な行為に出た。正当な職務の執行だ」と
している。
 同基地と周辺海域は普天間飛行場の移設先になっている。この日
の調査は、工事が行われる可能性がある場所に埋蔵文化財がない
かを確認するため、文化財保護法に基づき、防衛施設庁が市教委
に依頼した。
               [ asahi.com 2006年09月25日20時22分 ]



以上が、メディアが報じる「警察発表垂れ流し」記事です。
これとは異なる内容の、当事者発の情報を得ましたので、以下に転載
いたします。私も直接見聞きしたわけではありませんので、内容の正否
の判断はお読みになる皆様にお任せしますが、私が信頼している方を
通しての紹介情報であることは明記しておきます。

 教育委員会の車がシュワブのゲートに入っていこうとしたところ、平良
夏芽牧師が、右手を出して止めようとしました。 その右手をはねて、車
はそのまま通過し、夏芽さんは倒れました。夏芽さんは立ち上がって、
警察に抗議をしましたが、そこで 公務執行妨害で逮捕された、とのこと
です。
 その上、怪我をしているかもしれず、骨折したかもしれないとのこと。

 現場は、見張りを数人残し、他の人は名護署に向かいました。

抗議の電話・FAXをよろしくお願いします!!

■名護署 TEL:0980-52-0110

■名護市教育委員会 〒905-8540 沖縄県名護市港一丁目1番1号
             TEL:0980-53-1212(380) FAX:0980-53-7825

■那覇防衛施設局 TEL098-868-0174~9(代表)
            連絡先:広報室(内線233~235)

夏芽さんからのメッセージ!! (担当弁護士より)

 弁護士会見が終わりました。

 まずけがは本人も弁護士も確認し、大丈夫と言っています。あごと、
手の先、ひざのすり傷、本人は病院にいく必要はないと言っています。
ただ、みんなと闘うために、今から断食をはじめるそうです。
 心配なのは、自分が逮捕されることで情報がとぎれること。全国、
全世界にながしてほしい。
 ピョンテクやフィリピンなどの弾圧のように、政府当局は運動を分断
しようとしています。それをとめるために頑張りましょう。

 教育委員会、特に車の運転手の方に対しては、止めるために嫌な
思いをさせて申し訳ありません。しかし戦争をとめるため、やらなけれ
ばならなかった。
どうかわかってほしい。
 ただ事件の経緯については、委員会との違いがあり、夏芽さんは
車は一旦減速したが急に加速、それで急いでとめた。しかし警察は、
最徐行していたといっており明らかにおかしい。
 弁護士の方からは、これから弁護団をすぐに結成します。本当に
逮捕する必要があったのかどうか非常に疑問であり、これから 追求
していく。このままいけば、これからは72時間以内に検察庁に送られ
るので、その前に釈放させたい。そのために準備をすすめていきます。


                (元記事は「ジュゴンの家・日誌」です。)

「予防訴訟」判決に思う その2

2006年09月24日 23時10分11秒 | 時事・社会
前回、何の説明も付しておりませんでしたが、この度東京地裁が
「違法・違憲」判決を出した、「国歌斉唱義務不存在確認等と損害
賠償を求める訴訟」は「予防訴訟」と呼ばれています。
これまでのこの種の訴訟は、実際に出された処分の撤回を求める
事後対応でしたが、「予防訴訟」は、処分が出される前に、命令
そのものが不当・無効であることを問う裁判です。行政等の権力
行使に対して、事後では回復できない重大な損害が予想される
場合、事前に予防訴訟を起こすことが認められています。

事後対応だと事例ごとに状況・前提条件が異なり普遍性に欠ける
(結局その都度訴えを起こさないといけない)、争点が処分の妥当
性に矮小化される傾向がある、等のデメリットがあります。
もちろん、今回の事例の「君が代」のように思想や権利が相克する
問題では、現実には一定のルールが定められることは仕方の無い
ことですが、その前段階の原理原則を確認するという点に、今回の
「予防訴訟」の意義があり、東京地裁はその期待には一応応えて
くれたと言えるでしょう。「一応」というのは、今回の判決には以下
のような内容も含まれているからです。

「国旗・国歌法の制定・施行されている現行法下において、生徒
に、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、
将来、国際社会において尊敬され、信頼される日本人として成長
させるために、国旗、国歌に対する正しい認識を持たせ、それら
を尊重する態度を育てることは重要なことである。そして、学校に
おける入学式、卒業式等の式典は、生徒に対し、学校生活に
有意義な変化や折り目を付け、厳粛で清新な気分を味わさせ、
新しい生活への動機付けを行い、集団への所属感を深めさせる
意味で貴重な機会というべきである。このような入学式、卒業式
等の式典の意義、役割を考えるとき、これら式典において、国旗
を掲げ、国歌を斉唱することは有意義なものということができる。」


繰り返しますが、今回の判決は「君が代」強制を拒否する権利と
いう原理原則の確認であって、「国歌」否定や「君が代」否定まで
踏み込んだわけではありませんし、原告は反対意見を他者に強制
してもいません。この点、この判決や原告ら(その主張を支持する
人たちも)を批判する人たちは、問題を混同して的外れな批判を
繰り返し、かえって問題を大きくしているように思います。
ただ、上に引用した判決の一部にも、そうした混同と見られる部分
が含まれているのは気になるところです。
判決の中で、学習指導要領に触れてこのように述べている箇所も
あります。

学習指導要領の国旗・国歌条項は、学習指導要領全般の法的
効力に関する基準に照らしても、法的効力を有すると解するのが
相当である。もっとも、学習指導要領の国旗・国歌条項の法的
効力は、その内容が教育の自主性尊重,教育における機会均等
の確保と全国的な―定水準の維持という目的のために必要かつ
合理的と認められる大綱的な基準を定めるものであり、かつ、
教職員に対し一方的な一定の理論や理念を生徒に教え込むこと
を強制しないとの解釈の下で認められるものである。


要するに、「国旗・国歌」は、目的ではなく手段なのです。
教育の目的があって、それを達成するための手段ですから、絶対
的なものではなく「大綱的な基準」であるわけです。
「規律を守るため」などとよく言われますが、「国旗・国歌」が一定
の効果がある方法の一つだとしても、唯一絶対のものではない
わけで、目的を達せられるならば別の方法が採られても問題は
無いはずです。「国を愛する心」についてもそれは同じです。前回
も述べたように、旗や歌それ自体を愛し敬うのではなく、その背後
にある国家を愛し敬うのが目的なら、旗や歌でなければならない
理由はありません。「目的のために必要かつ合理的」だということ
がまず示されなければなりません。

ところで、判決を受けて「当然控訴しますよ」と、いつもの調子で
のたまった石原都知事。それは予想通りなのでいいのですが。
問題の通達が出された後の最初の卒業式で従わなかった教職
員に対し、処分が出された日、私はたまたま出張で東京にいて、
ローカルニュースで見ましたが、その中で彼が「地方公務員なら
ルールには従わないと」と平然と述べたのを見て苦笑しました。
自身も若い頃から集団や世間のルールをしばしば踏み外す異端
児だったのですから。今では世間のほうが彼に追いついてきて、
違和感を感じさせなくなってますけどね。

「予防訴訟」判決に思う その1

2006年09月22日 21時45分09秒 | 時事・社会
21日に東京地裁が出した判決は、当たり前の内容に過ぎないのですが、
当たり前のことが当たり前でなくなってきている今日、その意義は非常に
大きいといえるでしょう。でも、地裁レベルの一判例だけで安心はできま
せん。主張の根拠となっている憲法や教育基本法自体が、改悪の危機
に直面しているからです。
今回の問題の発端となったのは、2003年に民主党の都議が、都立高校
の指導に難癖をつけたことです。

「リベラルな雰囲気を大切にする都立高校では、卒業式の開始直前、
司会が「国旗国歌について、思想・良心の自由を尊重する趣旨から、
起立や斉唱については強制するものではなく、各人の自由な判断に
委ねられる」旨を説明していました。いわゆる「内心の自由」尊重の説
明です。この説明は、都立高校で、校長を含めて教職員が話し合って
決めた卒業式の在り方でした。その結果、都立高校の卒業式では、
教員、生徒、保護者らは起立する人もいれば、起立しない人もいると
いう状態でした。
ところが、2003年、民主党の土屋敬之都議らが、都議会にて、この
「内心の自由」の説明が学習指導要領に反するとして、その説明を
禁止するよう求めました。また、不起立の教員を処分することを要求
したのです。この要求に応えて、都教委は、問題の10・23通達を発令
しました。
                    (「夜明け前の独り言」より引用)


政権ほしさに連立与党との対決姿勢を見せていますが、本音では改憲
派が多数を占めている民主党の実態がよく現れている事例です。自・民
両党だけでも、衆参両院の2/3を確保していますから、その気になれば
いつでも憲法改正発議はできます。世論が傾くのを待っているだけです。
この度の判決は「安倍新政権に水を差す」と言われているようですが、
ここで油断すると「焼け石に水だった」ということにもなりかねません。

「あの二年前の園遊会の席で天皇陛下が東京都教育委員の米長邦雄
に言った「強制になるということではないことが望ましい」の発言が大きく
影響しているのではないかと思われる。」という「世に倦む日々」の指摘
には肯かされましたが、先日の「富田メモ」に続いてまた天皇か、と些か
がっかりいたしました。
昭和天皇が平和主義者だったという俗説には、私は大いに疑問を持って
いますが、現天皇は大変良心的な方だというのには同意します。ただし、
クリスチャンであった米国人家庭教師の薫陶を受けたとか、キリスト教界
では著名なT牧師が渡した聖書を読んでるといった、ご都合主義的解釈
(「都市伝説」に倣って「教会伝説」とでも呼びましょうか)はこれっぽっち
も信じておりませんが。天皇制(天皇家)が生き残るには、米国主導の
民主化路線に乗る必要があったわけで、現天皇は若かったので素直に
受け入れたのでしょうが、まさに「戦後民主主義の申し子」なわけです。
まあしかし、小泉首相の靖国参拝は事後承諾したものの「次の首相は
行くべきではない」という世論を醸成したように、国民に対する影響力は
良くも悪くも無視できないわけで、民主国家においてそれが認められうる
のか、という自問抜きに政治的に利用することには、抵抗があります。
と言ってて、反動勢力に敗れてしまっては元も子もないのですが。

ところで、この問題を「教育問題や政治問題以前のこと」と矮小化しよう
とする動きが早速現れています。小泉首相のコメントもその典型です。
靖国問題の時と同様「心の問題」にすり替えて、「白黒つける事柄では
ない」と持って行きたいのでしょうが(そのくせ自分の主張は押し通そう
とする、ずるいやり方ですが)、論理が稚拙です。
ただ残念なことに、日本人は情に訴えられると弱いですからね。
国旗や国歌に敬意を表すということは、国家に対してそうするということ
です。果たして国家は敬意の対象となりうるのか、という問いに答えず
して、自明のことのように述べられてはたまりません。
よく用いられるのが「尊敬に値するか」という観点ですが、では「尊敬に
値しない人間はないがしろにしていいか」というとそうでもありません。
ただしこれは相手が人間の場合。国家は個人より先にそこに自存する
ものではないのですから、個人と同じように尊重されるわけではありま
せん。
尊敬されるべきは国家それ自体ではなく、その国の人達(≠国民)で
あって、象徴に過ぎない旗や歌を絶対視するのは、好き好きではある
でしょうが、万人共通の自然な感情ではありません。しかも、敬意の
表し方を一挙手一投足まで、敬意を表される側の国家が決めるという
のは、常識はずれではないでしょうか。

第一、憲法に「日本国の象徴」は「天皇」だと書かれているのに、何で
外国の真似して旗やら歌やらまで持ち出さなければならないのかな。
天皇だけじゃ不足?

起立強制は違法

2006年09月22日 03時19分04秒 | 時事・社会
式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁
asahi.com 2006年 9月21日 (木) 22:52

 入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要
するのは不当だとして、東京都立の高校や養護学校などの教職員が
都教委などを相手に、起立や斉唱義務がないことの確認などを求めた
訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は、違反者
を処分するとした都教委の通達や職務命令は「少数者の思想・良心の
自由を侵害する」として違憲・違法と判断。起立、斉唱義務がないこと
を確認し、違反者の処分を禁止した。さらに、401人の原告全員に1人
3万円の慰謝料を支払うよう都に命じた。都側は控訴する方針。
 教育現場での国旗掲揚や国歌斉唱を巡り、憲法19条が保障する
思想・良心の自由の侵害を明確に認めた判決は初めて。同種の訴訟
では、処分を争う教諭側が敗訴する例が相次いでいた。
 判決は、都教委の通達などは各校長の裁量を許さない強制的な
もので、教育基本法が禁じた「不当な支配」にあたるとし、都教委の
指導を全面否定する内容となった。
 問題の通達は03年10月に各校長あてに出された。教職員が国旗に
向かって起立し、国歌を斉唱するよう定め、違反すれば、停職を含む
懲戒処分の対象とした。
 今回の裁判の特徴は、職務命令や処分が出る前に、起立や斉唱
などの義務自体がないことの確認を求めた点だ。都教委は「具体的
な権利侵害がない」と門前払いを求めたが、判決は「回復しがたい
重大な損害を被る恐れがある」として、訴えは適法と判断した。
 難波裁判長は、日の丸や君が代が皇国思想や軍国主義思想の
精神的支柱として用いられてきた経緯に言及。式典での掲揚や斉唱
に反対する主義・主張を持つ人の思想・良心の自由も憲法上保護に
値する権利だと述べた。
 通達について「教育の自主性を侵害し、一方的な理論や観念を生徒
に教え込むことに等しい」と指摘。国旗掲揚の方法まで指示するなど
「必要で合理的な大綱的な基準を逸脱した」として、校長への「不当な
支配」にあたるとした。
 その上で、起立や斉唱の強要は思想・良心の自由を保障する憲法
19条に違反すると判断。国旗・国歌は自然に定着させるのが国旗・
国歌法の趣旨であることにも照らし、教職員への職務命令は違法と
した。


国旗や国歌に敬意「法律以前の問題」 判決で小泉首相
asahi.com 2006年 9月21日 (木) 22:47

 小泉首相は21日夜、入学式や卒業式で国歌斉唱などを強要した
東京都教委通達を違法とした東京地裁判決について「法律以前の
問題じゃないですかね、人間として国旗や国歌に敬意を表するのは。
人格、人柄、礼儀の問題とか(だと思う)」と語り、強要によらず、礼儀
作法として国旗・国歌に敬意を表するべきだとの考えを示した。


「敗訴、1%も予想せず」 都教委は控訴の方針
asahi.com 2006年 9月22日 (金) 00:44

 敗訴判決が出た21日午後、東京都教委の中村正彦教育長や次長
らは外出中で、新宿区の都庁舎では職員らが幹部への連絡に奔走
した。ある職員は「敗訴なんて1%も予想してなかった。そうでなけれ
ば、こんなに混乱しません」。いすから立ち上がってテレビニュース
に見入る職員もいた。
 同日夕、都庁に戻った中村教育長はあわてて判決内容を確認した
上で、「我々の主張が何も参酌されず残念だ。通達は、学習指導要領
に沿った式典にするために必要かつ合理的なもので、教育基本法が
禁じた不当な支配には当たらない。こんな判決が判例とならぬように
したい」と控訴する方針を明らかにした。通達の内容を改める考えは
なく、近く都立学校長を集め、判決内容と都教委の対応を説明する
という。
 中村教育長は「判決による学校現場の混乱は避けたい」と語り、
「個人の思想・信条の自由があるとはいえ、学校現場で学習指導
要領に反する姿勢を生徒に見せることが教育なのか」と判決を批判
した。
 一方、石原慎太郎都知事はこの日、都庁に姿を見せず、報道陣が
求めた判決へのコメントも出さなかった。通達を出した当時の教育長
だった横山洋吉副知事は朝日新聞の取材に対し、「遺憾としか言い
ようがない。それ以上は教育行政への干渉になるため、話す立場に
ない」と語った。



引用が長くなりましたので、コメントはまた明日。
それにしても、安倍新総裁誕生の翌日にこんなニュースって、何だか
出来過ぎのような・・・。

あん・めんそーれー日本人

2006年09月15日 23時58分41秒 | 時事・社会
情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士 で紹介されていました、
「非暴力平和隊・日本(NPJ)ニューズレター15号」掲載の文章を
転載します。
法的問題はクリアされてるのかな? まあでも、これはぜひ一人
でも多くの方に読んで頂きたい文章ですので。

日本のお気に入りの植民地・沖縄より③
あん ・ めんそーれー日本人

城間悠子 非暴力平和隊・日本理事

 きっと通じないだろうなと逐いながらも「あん・めんそーれー」と
言いたくてしかたがない。むろん、そんな言葉は存在しないので
あるが、今の私はそういう気分なのだ。
 「めんそーれー」とは沖縄でようこそとか、いらっしゃいといった
歓迎を意味する言葉である。空港から観光地まで沖縄を訪れる
者はよく日や耳にするはずだ。まぁ、観光客用につくられたもの
といってもいいくらいだし、そういう気もまったく起こらないから、
私は使わないけど。
 そう、だから、「あん・めんそーれー」 とは 「めんそーれー」に
英語の否定語の「あん」を勝手につけてみた私の造語だ。これに
込めた私の思いは「歓迎しない」ということである。誰を?と聞か
れれば、日本人を!である。厳密にいえば、日本人の植民地
主義を!だ。
 そんなことを言うとたいていの場合、日本人に嫌な顔されたり、
キレられたりするのがおちだ。どうやらとてもシゲキテキらしい。
本当のことだからなのだろうか。
 「私はいま沖縄を日本の植民地にしています」と宣言するわけ
じゃないから、わからないふりができるだけだと思う。
 ちょっと整理してみる。
 疲れた日本人を癒すところだそうだ。日本が経済発展して豊か
になる上で失ったものが残っているところだと言う。
 9・11のあと、米軍基地があって危険だから怖いからと沖縄を
訪れることを露骨に拒んだ者たちが、癒されて楽しむところなの
である。倫理矛盾しないところが不思議だ。
 かなりの日本人が沖縄にいる。観光やら移住(入植)やら。日本
人にとって沖縄はテーマパークなのだろう。基地つきの。
 それから、一部の平和を望む良心的風日本人も困ったもので
ある。例えば運動家とか。自作自演である。自ら基地を押し付け
ておいて、沖縄に来て連帯うんぬんいうのは自作自演者という
のがふさわしい。
 まったくこっけいな人々である。そういった人々の行為に私は
全然癒されない。むしろ機嫌を損ねてしまうだけなのだ。
 話はいたってシンプルである。日本の沖縄への植民地主義が
基地問題という形で表面化しているだけの話なのだ。日本人の
ものである自衛隊基地と米軍基地を日本人に返すだけなのだ。
なぜなら、沖縄人のものじゃないから。
 米軍再編にしたって、日本のどこかに新たに基地をつくること
はないのに、沖縄だとそういった話はきりがない。
 1995年の米兵3人による少女暴行事件。あの少女が私でも
ちっともおかしくなかったのである。そして、今日私の頭の上に
米軍ヘリが落ちてこようが、米兵にレイプされようがおかしくな
い。もしそうなっても、どっかの政治家が「誠に遺憾です」なんて
言って、どっかの議会が抗議声明だして、どっかの市民団体が
抗議しておわり。そうやって、済まそうとするのでしょう。
 そのうえ、基地の被害者でなく、加害者にもなる。殺したくも
ないのに、殺す手伝いを日々していることになっている。共犯
者になるのはどうしようもなく嫌なのた。
 日本はアメリカの犬だという批判がある。はい、おっしゃる
とおり。でもね、全部アメリカのせいにしてばかりはいられない
のは本人が一番わかってるはず。なぜなら、その選択肢を選び
続けているのは日本人なのだから。むしろ喜んでチョイスして
いるようだ。
 日本サイドから沖縄人は基地反対の声小さい。どうせお金が
ほしいのだろう。日本人が沖縄人に言う資格はないと思う。
 日本国憲法の平和主義と日米安保が今日まで共存できた
のも沖縄のおかげ、沖縄に基地を押し付けているおかげじゃ
なかったのか。
 そもそも日本人の責任はどこに行ったのが。そこが問題なの
だ。私は沖縄人としてただその責任を果たすだけなのだ。必要
とあれば、何度でも言うし、つたない文章でも書くことにしてい
る。あと80年くらいは生きるつもりだから。こんな状況じゃ殺さ
れちゃう。
 日本が沖縄を侵略した歴史は変えられないけど、いま沖縄
を植民地化していることは変えられる。そうし続けることは変え
られる。
 だって日本人の意思の問題だから。
 沖縄の人が死のうが苦しもうが、できるだけ、可能な限り、
ぎりぎりまで沖縄に押し付けておきたいというのが、日本人の
本音ではなかろうか。従順で、やさしくて、日本人にはむかわ
ない沖縄人のもとに。
 沖縄に基地を押し続けられることはやめられる。今すぐ。
あなたの意思で。
 話はやっぱり超シンプルなんだけどなぁ。
 開き直る?無視する?知っているけど知らないふりをする?
別の選択肢もありますけど、いかがなさいますか、日本人様。


井の中の歴史修正主義

2006年09月04日 23時54分26秒 | 時事・社会
安倍氏とイラン大統領似る 「歴史修正志向」と独誌

【ベルリン4日共同】4日発売のドイツ有力週刊誌シュピーゲルは、
小泉純一郎首相による靖国神社参拝に関する記事を掲載。この
中で安倍晋三官房長官が歴史家による東京裁判研究が必要との
立場を取っており、ホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)を「神話」と
呼んだイランのアハマディネジャド大統領と「歴史修正志向の点で
似ている」と指摘した。
 同誌は「専門家によるホロコースト研究が必要だ」との大統領
発言との類似性を挙げ、安倍氏も靖国参拝を好み、中国や韓国
に対する侵略を厳しく批判することを拒否しているとした。
 さらに、戦時体制を産業政策面から支えた安倍氏の祖父、岸
信介元首相を「アルベルト・シュペーア(ナチスの軍需相)」になぞ
らえ、こうした家系が安倍氏の思考に影響したようだと指摘した。

                     (共同通信 9月4日9時47分)


こういう指摘を、日本のマスコミは何故できないのでしょうか。
「世に倦む日々」のthessalonike氏が言うように、安倍氏がメディア
を押さえてるのでしょうか。
そういえば、靖国問題に関連して安倍氏は、「国際法の慣例では、
講和条約が結ばれたら戦争裁判の判決や刑は無効になる」など
とおっしゃられたそうです。これはアムネスティ条項のことを指して
いるようです。
しかしこれは、戦勝国による一方的制裁に歯止めを設け、敗戦国
を国際社会に復帰させるための「大赦」であって、戦争犯罪その
ものを否定するものではありません。
例えばジュネーブ条約では、国際的な交戦法規に違反する行為
は、各国が普遍的管轄権を持つことが定められています。国際
軍事裁判所が設置できるのはこのためですし、本来戦勝国だけ
が裁けるわけではなく、第三国にも権限はあるのです。日本自身
も「戦争犯罪」を犯罪とする国内法を整備し、裁くことは可能です
し、そうすべきです。

日本の戦犯の釈放が、講和締結から数年かかったことは、この
条項を否定するものではなく、講和条約第11条との絡みによる
事務手続き的な問題だと思われますが、旧ソ連、中共、そして
交戦国とされなかった韓国との間には、直ちには成り立たない
論理であることは押さえておかなければなりません。
更に、この論理が通用するならば、ニュルンベルク裁判も否定
されなければ整合性が取れません。
安倍氏は「ナチスも現在は戦犯ではない」と言えるのでしょうか。
「内政干渉になるので、よその国のことは言わない」と逃げちゃう
かな。でも、ドイツが現在も戦争犯罪を認め、追求し続けている
ことと、日本のいい加減さが国際社会で比較されて批判されて
いるわけだから、安倍氏の言うことが正しいなら、「ドイツがして
いることは馬鹿げたことだし、いい迷惑だ」と言えるはずですが。
でなきゃ、「闘う政治家」じゃないのではないですか?

責任転嫁の「強がり外交」

2006年08月29日 23時50分17秒 | 時事・社会
加藤紘一議員の実家放火事件にようやくコメントしたかと思えば、
またしても話をすり替えて、「マスコミもよく考えた方がいい。よそ
の国から煽り立てられ、またよその国を煽り立てる報道は戒めた
方がいい」などとのたまった小泉首相。
「開き直りというか、総理として今日の言動が結果としてどういう
ことをもたらすのかをまったく無視して、『何が悪いんだ』という類
のいつもの彼の言い方だ」という小沢・民主代表の指摘ももっとも
ですが、「よその国」を連発し安直なナショナリズムに訴える手法
が、今回の事件にも影響している可能性も見落とせません。
これまでにも書きましたが、靖国問題は基本的に国内問題です。
他国からの批判を撥ね付けるための方便として言うのではなく、
よそから指摘されるまでもなく日本人が自ら向き合うべき問題で
ある、という意味においてです。「中国や韓国が問題視するから」
ではなく、厳然として問題は存在するのです。
しかし今日はそのことはひとまず措いて、「中国や韓国の指摘」
の「正当性」について述べたいと思います。

多くの人が指摘するように、中国・韓国が日本の首相の靖国参拝
に抗議するようになったのは、1985年の中曽根首相「公式参拝」
からです。私はこれは、それまでの「私的参拝」なら黙認してきた
けれども「公式」となると、日本政府として「A級戦犯」を崇拝した=
戦争責任を否定したことになり、黙ってはいられない、ということだ
ろうと理解しています。
問題はこの後です。
水面下でどういう交渉がなされたのか明らかではありませんし、
単に冷却期間をおこうとしただけかも知れませんが、これを最後に
中曽根首相は在任中、「私的」も含め一切の参拝を取りやめます。
竹下以降、後任の歴代首相も、'96年に橋本首相が参拝するまで
一度も参拝しておらず、橋本首相も内外の抗議を受けて一度切り
でやめています。
つまり、中国・韓国の抗議の結果、「公式参拝」は取りやめて「私
的参拝」のみとする、とはならずに、一切の参拝をやめてしまった
わけです。交渉の結果か、時間稼ぎだったのか、中曽根首相の
「風見鶏」ぶりの表われか分かりませんが、理由はどうあれ、参拝
をやめたという結果が残ったわけです。中国・韓国にしてみれば、
それが自分たちの抗議に対する日本の回答、と受け止めても何の
不思議もありません。
そうなると、たとえ「私的」にせよ首相の靖国参拝が復活すれば、
中国・韓国としては抗議せざるをえないわけです。黙認することは、
せっかく得た「成果」を手放すことになるわけですから。本音では
どうかということは抜きにして、外交上の常識として、中国・韓国が
靖国参拝に抗議するのは当然のことですし、筋も通ってます。
これは、「どちらが正論か」といったこととは次元の違う問題です。

ですから、仮に中国・韓国の主張が理不尽だと感じ反発を覚えた
としても、批判すべきは中曽根以下、森前首相までの歴代首相や
自民党であって、それを抜きに中国・韓国を批判するのは、責任
転嫁以外の何物でもありません。
勇ましいポーズでナショナリズムを煽るのが「リーダー」だと誤解
している人が、政界にもマスコミにも、市井にも多いようですが、
国民に対して「国益」を損なった責任を取らず、「敵」を作り上げて
国民の目を逸らす姑息なやり口が、真の「リーダー」に相応しいか
どうか、今一度考えてみてほしいものです。

たとえ話

2006年08月17日 23時38分58秒 | 時事・社会
ある人の家の隣りに、カルト教団の信者が引越して来ました。
その教団は過去に事件を起こしており、その人はその教団を
今でも信用していませんでした。信者が自宅で修行をしている
声が聞こえてくるのも不快でした。
そこでその人が、信者の家に抗議に行ったところ、「私が何を
信じようと、心の問題、私の自由だ。それに私は、事件を起こ
した教祖を拝んでいるわけでも、師事しているわけでもない。
純粋に教えを信じているだけだ」と、はねつけられました。
その態度に憤慨したその人は、信者を無視し、近所づきあい
も一切しなくなりました。子どもたちにも、信者の家には近づか
ないよう言い含めました。
すると信者は、「この程度のことで無視するとは、何て非常識
なんだ。子どもにまで変なことを吹き込んで。話があるなら、
こちらはいつでも応じてやるのに。きっと家庭内に何か問題が
あって、それから目を反らすために騒いでるに違いない」など
と近所に触れ回りました。
そして遂には、「今まで配慮して夜中や早朝は遠慮していた
のに、文句ばかり言うなら、こちらもやりたいようにやるさ」と
四六時中修行を行なうようになりました。

あなたなら、この信者を許せますか?