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Naked Heart

その時々の関心事をざっくばらんに語ります

うさぎ! その3

2006年06月11日 04時54分29秒 | 趣味
ついつい後回しにして、気がついたら1ヵ月半も放ったらかしに
してしまっていた『子どもと昔話』。今朝やっと、「うさぎ!」の
第3話を読みました。
今回のキーワードは「親切」と「自己責任」。小沢くんに対する
世間一般のイメージは「わがままな変人」かも知れませんが、
こういう文章を読むと、彼の持つ優しさがストレートに伝わって
きます。他者の痛みを「自分のおなかの中の痛みとして感じ
る」という表現、これは聖書の中でもイエスが「深く憐れんだ」
場面で使われる言葉ですが、小沢くんの知性と感性がこの
言葉によく表われています。彼の語る世界観は、一見ガイア
的思想にも思えるのですが、「痛み」(「改革の痛み」といった
経済的なことだけでなく、もっと深いもの)に重点が置かれて
いて、その痛みを共に担い、支えあうという、「十字架の神学」
にも通じる内容です。
「給仕さん」を通して語られるダーウィン進化論の解釈も非常に
面白かったです。こうやって私たちの「常識」をひっくり返すの
が、小沢くん好きなんだろうな。
今回、うさぎくんときららちゃんは、最後に少し顔を出すだけ
です。「自然を謳う商品には、それを製造するために破壊され
たものの名前が付いている」といううさぎのセリフにはニヤリ
とさせられますが、ちょっと寂しい。次回の活躍に期待します。

ところで、今号ではこの小沢くんの小説よりも、彼の父である
編集長・俊夫氏の靖国論(「日本を見つめる」)のほうが読み
ごたえがありました。文学にも小沢くんにも興味の無い方でも、
これはぜひ読んでほしいです。

投手王国復活か

2006年05月22日 15時39分27秒 | 趣味
ファンの贔屓目を差し引いても、今年のカープはひと味違います。
21日時点で41試合を消化して18勝21敗2分け、5位ながら借金3
と、開幕当初の状態を思えばまずまずの健闘ぶりです。
とりわけ注目は、18勝のうち、ダグラス6勝、佐々岡5勝、黒田4勝
と、先発3本柱が15勝も挙げていることです。あとの3勝も、開幕
戦で0-0のまま黒田が降板した後を引き継いだ横山と、ダグラス
が序盤のリードを守れなかった5/5とロマノが退場になった5/7に
急遽登板した広池が挙げたもので、3本柱の安定ぶりが如実に
表われています。今年だめなら引退とまで言われていた佐々岡が
これほどの結果を出してくれてるのは、嬉しい誤算です。
例年リーグワーストの失策数にも関わらずダントツで悪かった防御
率も、3点台と飛躍的に良くなり、とりわけ四死球の数が激減して
います。ブラウンイズムの成果でしょう。
とはいうものの、4本柱の一角と期待された大竹をはじめ、大島、
ロマノの3人は、先発白星無しの状態です。だからなかなか連勝
できず、勝率5割に届きません。
個人的には復活した高橋建を先発させてほしいのですが、左の
中継ぎエースとしていい働きをしているので外せないと、ブラウン
監督は会見で否定してました。
ダグラスが結果を残し、ロマノも中継ぎではそこそこの働き、ベイル
も怪我が治れば即戻ってくるでしょうし、2軍のマルテも首脳陣の
評価は高い、となると新外国人を獲得という可能性は極めて低い
ので、現有戦力で誰か出てこなければいけないのですが・・・。
安定感に欠けるものの、実力も実績もある長谷川と河内にぜひ
チャンスを与えてやってほしいですね。東出が今年甦ったように、
彼らも再生してほしいものです。昨年いいピッチングをした小島や
森、玉山にも期待。長谷川が先発に回ると手薄になる中継ぎ陣
には、天野が加わってくれるといいな。
でも、やっぱりこうしてみると層が薄いですね。名前で野球をやる
わけじゃないですが、経験豊富で格のある投手が少ないです。
そう考えると、玉木と菊地原の放出や澤崎と小林幹英の引退は
やっぱり痛かったなぁ。

夕凪の街と人と

2006年03月31日 00時51分23秒 | 趣味
大田洋子という作家の名前は知っていましたが、これまで彼女の作品を
読んだことはありませんでした。
先日図書館で彼女の『夕凪の街と人と』という本を見つけ、こうの史代の
『夕凪の街 桜の国』を連想して迷わず手に取りました。果たせるかな、
『夕凪の街 桜の国』の参考文献に、この『夕凪の街と人と』も含まれて
いました。
徳之島に来る船の中で読み始め、あともう少しで読み終わるところです。
本書は1953年に洋子が広島に住む妹を訪ねた際に取材した街の様子、
人々の生活がそっくり描かれています。作家であると同時に一被爆者と
しての複雑な思いを折り混ぜつつ、ルポルタージュのごとく淡々と綴った
本書は、「小説としての体をなしていない」といった批判も浴びたそうです
が、未曾有の惨禍の廃墟でドン底の生活を余儀なくされている人々への
彼女の眼差し、シンパシーは、従来の文学的技法の枠には収まり切れ
なかったのだろうと思います。
半世紀も前に書かれた本書ですが、そのストレートな表現は今も生々しく
重くのしかかってきます。今となっては見ることのできない、広島の影の
歴史が目の前に展開されます。でも、物語の底辺に流れる「狂気」は、
決して過去のものではなく、むしろ今日より深刻になっている気もします。

コンクリート・ジャングルのミニ東京と化した今の広島では、夕凪を感じる
ことはあまりありません。(若いから慣れちゃったのかも知れませんが。)
凪の後は、風向きが反対になるのですが、果たして今の広島はどうなの
だろう、と少し気になりました。


俺がルールブックだ

2006年03月22日 23時38分39秒 | 趣味
WBCのことを考えてたら、例の米国の審判の「疑惑の判定」から、
二出川延明氏を思い出してしまいました。
タイトルにも掲げた名言「俺がルールブックだ」は、野球ファンならず
とも一度は耳にしたことがあるでしょう。
この名言が生まれたのは1959(昭和34)年7月19日、大毎オリオンズ
対西鉄ライオンズ戦のことです。8回裏大毎の攻撃で、二塁塁審の
中根之(なかね・すすむ)の、クロスプレーをセーフとするジャッジに、
西鉄の三原脩監督が抗議。中根塁審はこれを拒み、「走者の足と
送球が同時だったのでセーフだ」と付け加えます。三原監督は「どこ
にそんなルールがあるのか」と食い下がり、「同時はアウトではない
のか」と聞いたところ、中根塁審は「同時はセーフとルールにも書い
てある」と答えました。 そこで三原監督はその場を離れ、審判控え
室に顔を出し、二出川氏に対し同様の抗議を行いました。二出川氏
は中根塁審と同様の説明を行いましたが三原監督は納得せず、
「ルールブックを見せてくれ」と言ったため、二出川氏が「俺がルール
ブックだ」と告げ、抗議を退けた、と伝えられています。

実際には、三原監督がルールブックを見せろと要求したのに対し、
たまたまルールブックを自宅に置き忘れた二出川氏がこれを渋り、
審判控え室にいた他の審判がルールブックを取り出そうとする時に、
二出川氏が「見せる必要はない。私が言ってるんだから間違いない。
それより早く試合を再開させなさい」と話したのが、記者により多少
の脚色がなされて「俺がルールブックだ」発言になったようです。
この手の脚色はよくある話で、二出川氏の場合は「名言」になった
からよかったものの、「迷言」「暴言」にされて被害を蒙るケースも
多々あります。(例えば元タイガースの江本孟紀氏とか。)
それはともかく、その日に限ってルールブックを忘れて来てしまった
照れ隠しもあったかも知れませんが、二出川氏の発言はあくまで、
ルールそのものに関するもので、しかも内容に誤りは無かったと
されています。「審判の権威」云々という話とは若干次元が違うと
言えるでしょう。(三原監督は、誤解に基づいてとはいえ、審判の
説明を信用しなかったわけですから、その点では「権威」問題と
無関係ではありませんが。)

尤も、二出川氏と三原監督とはこれ以前にも「因縁」がありまして、
1958(昭和33)年のライオンズとジャイアンツの日本シリーズで、
ジャイアンツ3連勝の後、ライオンズが一矢報いて迎えた第5戦の
9回裏、ライオンズの先頭打者・小淵が三塁線に放った際どい打球
をフェアと判定し、サードを守っていた長嶋や水原監督の猛抗議を
撥ねつけたのが、これまた二出川氏でした。この二塁打を足がかり
に土壇場で同点に追いついたライオンズは、延長10回、ピッチャー
稲尾のサヨナラホームランで劇的勝利を収め、そのまま一気に史上
初の3連敗後の4連勝で逆転優勝を飾ったのですから、二出川氏の
判定が奇跡を呼んだと言えなくもありません。

もし当時ビデオがあって、後から確認したら、ファールに見えたかも
知れないと、元ライオンズの豊田泰光氏なんかも言ってます。実際
別の試合で、二出川氏がアウトと判定した場面が、翌日の新聞の
写真では明らかにノータッチだった、ということもありましたが、会長
に呼び出された二出川氏が「これは写真が間違っているんです」と
平然と言い放ったという逸話もあります。
特定の球団に有利な判定をしている、なんていうのは論外ですが、
人間のやることに誤りはあるわけですし、それも含めた上で審判の
ジャッジを絶対とする、というのが今に至るまでの野球のシステム
なわけですから、ルール違反は糾さなければなりませんが、個々
の判定は、納得が行かなくてもそれを乗り越えて行くしかないの
でしょう。その点では、今回の日本代表は大いに評価したいと思い
ます。(抗議を受けて判定を覆したのは問題ありですけどね。)
人の振り見て・・・ですよ、本当。勝つためになりふり構わない球団
は米国代表だけでなく、日本のプロ野球にもあります。Gに(最近
ではTにも)有利な数々の疑惑の判定もね。それでも思い通りには
必ずしも行かないってのも、今回に限らず歴史が証明してますが、
やっぱりルールは守らなきゃ。

WBC優勝かよ

2006年03月21日 23時49分04秒 | 趣味
さま~ずの真似をしたような少々品の無いタイトルですが、
16日の2度目の韓国戦に敗れた時点で、私の中ではもう
終わっていて、WBC批判の記事も頭の中で出来上がって
いましたので、その後米国が敗れて日本が準決勝に進み、
結局優勝をさらっても、何の感慨もありません。まあ元々、
「ナショナルチーム」に対する思い入れなんてこれっぽっち
も持ち合わせていない人間ですが、野球自体は純粋に
好きなので、ハイレベルなゲームには惹かれるのですが、
初回で見切り発車だったとはいえあまりにお粗末な大会
でしたから、途中で興味が失せてしまいました。
はっきり言って、米国が優勝するために仕組まれた数々の
陰謀が、当の米国があっけなく敗退してしまったために、
結果的に日本に有利に作用してしまっただけの話で、これ
で「日本野球の実力が世界に証明された」なんて考えてる
おめでたい人たちは、再来年の北京五輪で大恥をかくこと
でしょう。
頑張った選手の皆さんはお疲れ様でした。
王監督は、采配は「?」でしたが(というか、日本で必ずし
も実績を残せてない長嶋や王を、みんな持ち上げ過ぎ)、
メディア対応は素晴らしかったです。だから、外野が判定
やら韓国のことやらあれこれ騒いで、せっかくの「大人の
態度」に味噌をつけるような真似は控えるべきでしょう。

さて、いよいよペナントレースです。
私の贔屓の広島カープですが、WBCの壮行試合で負傷して
出場辞退した黒田投手は順調な仕上がりのようです。若い
大島投手も頭角を現し、2人の新外国人投手もよさそうです。
打線も4番候補の一人・栗原選手と移籍2年目の山崎・福井
両選手が好調で、ラロッカの抜けた穴は埋まりそうです。
唯一の懸念は、WBCでほとんど出番が無かった新井選手が
開幕までに試合勘を掴めるかどうかです。
他チームを見ると、上原と李が絶好調だったジャイアンツは
要注意ですね。タイガースはリリーフ陣に難がありそう。
スワローズも前評判が低い時ほど意外な力を発揮するので
今年は不気味です。ドラゴンズが開幕から走らなければ、
今年も混戦になりそうな気がします。
今年は頑張って球場に応援に行くので、せめてAクラスには
入ってほしいものです。頑張れカープ。

チャカポコチャカポコ

2006年03月11日 23時56分25秒 | 趣味
タイトルだけで今日のテーマが分かった人は、ちょっと異常です。
 ヒント : 『ドグラ・マグラ』

3月11日は、作家・夢野久作の命日(1936年没)です。久作は、
私の母校の前身、旧制中学修猷館の卒業生でもあります。
修猷館は九州では名の知れた学校で、著名人も大勢輩出して
いるようですが、私が誇れるのは久作と、中野正剛くらいかな。
一応、「探偵小説」作家ということになってますが、「怪奇・幻想
小説」と言ったほうがいいでしょう。(どっちも「ミステリー」だけど
ね。)或いは「江戸川乱歩シンパ」と言ったほうがいいのかな?
探偵小説といえば、乱歩や横溝正史、小栗虫太郎辺りが有名
どころでしょうか。最近だと京極夏彦がその系譜ですね。
大正~昭和初期の「エロ・グロ・ナンセンス」と称される退廃的
文化の象徴でもあるのでしょうが、単なる背徳ものではない、
奥深さというか不思議な魅力があります。

米倉斉加年の表紙画に惹かれて角川文庫版の『ドグラ・マグラ』
を買ったのが高校一年生の時でした。それで高校の大先輩だと
知りました。幸い学校図書館に三一書房版の全集が揃えてあり
まして、ひと冬かけて読破しました。
(コタツに首までもぐって、お菓子を食べながら読むという生活を
続けてたら、ひと冬で4キロも太ってしまった・・・)
そういえば『ドグラ・マグラ』は映画化もされていて、一度だけ
ビデオで見ました。桂枝雀の怪演以外これといって見どころの
無い駄作でしたが。

久作の父は、玄洋社の頭山満とも親交が深く「政界の黒幕」の
一人と目されていた右翼の杉山茂丸です。父やその周囲の人
たちの影響とそれに対する反発は、彼の作品に色濃く反映して
います。「氷の涯」などに見られるロマンチシズム、多くの作品
に登場する「社会的弱者」への優しい視点、等々反差別思想や
ユートピア思想を感じられる要素が散りばめられています。
とはいえ彼も時代の子、「骸骨の黒穂」での糾弾を受け
た際には、父親の伝で警視総監に助けを求めたという逸話に
見られるような限界も持ち合わせていました。
でも、それで彼の作品の評価が下がるものではないでしょう。
新聞記者だったこともあるとはいえ、ジャーナリストとしてでは
なく作家として名を残した人ですし。

タイトルの「チャカポコチャカポコ」は、『ドグラ・マグラ』に出て
くる「キチガイ地獄外道祭文」の中で繰り返されるフレーズです。
大槻ケンヂが久作ファンで、時々これを引用してましたので、
聞いたことのある方も・・・いないかな。

うさぎ! その2

2006年02月17日 23時39分42秒 | 趣味
『子どもと昔話』に連載中の小沢健二の小説「うさぎ!」の第2話を
読みました。
第1話は「大人の童話」という感じでしたが、第2話になると何だか
急に話がリアルになって、子ども向けの「よくわかる世界の矛盾」
みたいな内容でした。しかし日本にいない筈なのに、「小泉改革」
を痛烈に批判してる辺り、さすがだなぁと感心してしまいます。
今回、きららという女の子と、うさぎという男の子が登場します。
どうやらタイトルの「うさぎ!」は、この男の子の名前のようです。
長編にするつもりが無くて先を急いでるのかも知れませんが、この
うさぎくんが出てくるなり、「灰色」のことも社会の矛盾もほとんど
お見通しという展開には、ちょっと途惑ってしまいました。それを
だんだん暴いていく冒険譚かと思ってましたので・・・。
「自由鳥への手紙」という手法は、かつての名曲の中にしばしば
「手紙」が出てきたのを思い出させてくれて、嬉しくなりました。
余談ですが、私が一番好きな彼の曲「天使たちのシーン」にも、
「当ての無い手紙 書き続ける彼女を守るように 僕はこっそり祈る」
というフレーズがあります。
さてさて、次回は4月。その前に、アルバムはちゃんと出てくれる
のでしょうか?

仰木彬氏、死去

2005年12月16日 23時42分14秒 | 趣味
前オリックス監督の仰木彬さん死去
2005年12月16日 (金) 16:55 asahi.com

 プロ野球の近鉄とオリックスで監督を務め、大リーグの野茂英雄
投手やイチロー選手らを育てた仰木彬(おおぎ・あきら)さんが、15日
午後4時10分、呼吸不全のため福岡市の病院で死去した。70歳
だった。オリックス球団が同日発表した。
 仰木さんは福岡県出身。福岡・東筑高卒。54年、西鉄(現西武)
ライオンズ入団。二塁手で活躍した。67年に引退後、西鉄と近鉄
バファローズ(当時)でコーチに。
 88~92年、近鉄監督。巧みな選手起用で勝機をつかむ采配は
「仰木マジック」と呼ばれた。なかでも88年10月19日、シーズン最終
戦のロッテとのダブルヘッダーで1勝1分けに終わり、逆転でのリーグ
優勝を逃した「10・19 川崎球場」は、パ・リーグの歴史に残る名勝負
だった。89年、リーグ優勝を果たす。
 94~01年、オリックス・ブルーウェーブ(当時)監督。若手の鈴木
一朗選手の登録名を「イチロー」と変えて話題を呼んだ。阪神大震災
の起こった95年、「がんばろう神戸」をスローガンに掲げてリーグ優勝。
96年、日本シリーズで巨人を倒して日本一となった。
 04年、野球殿堂入りを果たした。同年、近鉄と統合したオリックス・
バファローズ初代監督に就任。今年は前年まで3年連続最下位だった
チームを4位に引き上げ、Aクラス争いをするまでに導いた。だが、
肺がんが悪化し、9月に体調不安を理由に監督を勇退。球団のシニア
アドバイザーに就任していた。
 監督14年間の通算成績は勝利数歴代12位の988勝815敗53分け。
勝率は5割4分8厘。


西鉄ライオンズには、投手として入団しましたが、三原脩監督に野手と
しての才能を見出され、二塁手に転向しました。
高卒で南海ホークス入団後即2年で50勝を挙げた宅和本司投手より
実力は上、と言われていた「超大物」ルーキーに、フリーバッティングで
不運なヒットを連打されたのを見た三原監督が「お前は投手としての
ツキが無いから二塁手転向」と言った、というエピソードが残っています。
ちなみにその5秒後には仰木氏はセカンドのポジションにいたそうです。
また、三原監督からノックの嵐を受けて逆上した仰木氏が、摑んだ球を
監督に投げつけたという話も有名です。
まあ、往年の名選手には、何かしら「伝説」があったものですが。
高卒ルーキーで、しかも野手転向していきなり活躍し、西鉄のリーグ初
優勝に貢献したのですから、黄金期の西鉄にあっては地味な存在です
が、桁外れの選手だったのでしょう。
現役時代から理論家でもあったようで、三原氏と議論を戦わせていた
ようです。それが後年の指導者としての活躍に結びついてるのかも
知れません。(参謀に恵まれたというのもありますが。)三原氏の娘婿
の中西太氏とは対照的です。

彼の名を一躍有名にしたのは何と言っても、報道にもありましたが
88年10月19日の川崎球場のダブルヘッダーでしょう。パ・リーグの
優勝決定戦に日本中が注目したのは、後にも先にも無いでしょう。
テレ朝が「ニュースステーション」を中断して中継したほどでした。
その後もあの手この手で話題づくりに励んだものの、パ・リーグの
人気は上がらず苦悩は続き、昨年の球界再編騒動に相成りましたが、
合併球団の新監督に仰木氏が就任することになったのは、何とも
皮肉なことでした。
しかし少しずつ変わってきているようにも思います。ホークスに続いて
マリーンズが地域密着で成功し、成績面でもついに結果を残しました。
ライオンズやベイスターズの経営問題はくすぶってますが、球団が
ファンと一緒に取り組めば、いいほうに動くと信じたいです。

仰木さん、これまでお疲れ様でした。ゆっくりお休み下さい。

ドリル

2005年12月02日 22時50分14秒 | 趣味
以前「懐かしのアニメ」という記事で紹介した、BIGLOBEストリームで
配信中の「宇宙戦艦ヤマト」が、いよいよハイライトの「七色星団の
攻防」を迎えました。私はヤマトのメカの中では「ドリルミサイル」が
大好きなんです。(我ながら変な趣味・・・)
ドリルといえば、「ドラえもん」でもドリルの付いた乗り物で地底探検を
するエピソードがありました。地底人の国に着いたと思ったら、実は
地球の裏側だったというオチでした。
特撮物でも、先端にドリルの付いた兵器はしばしば出てきます。
最近では、「ゴジラ ファイナルウォーズ」の轟天号がそうでした。
あれは海底軍艦や「惑星大戦争」の轟天号を復活させたものですが。
でも、科学的には、ああいう兵器は「?」なんだそうです。
まず、ドリルだけでは前に進めません。「ドリルミサイル」はこの時点で
アウト。
それから、何らかの方法で本体を固定しなければなりません。そうで
ないと、岩盤やら建造物など固いものに突き当たったら、ドリルを軸に
して本体のほうが回転してしまいます。
そして穴を掘ったら、土砂やら何やらを排出しなければ進めません。
まして、ドリルの直径よりも本体のほうが大きかったり、突起物が出て
いるものが、穴を通り抜けれるはずはありません。
まあ、空想の世界の「お約束」に突っ込みを入れるほうが野暮ですが。

穴を掘るといえば、真っ先にモグラを連想する人が多いと思いますが、
モグラは本当は、掘るのではなく、掻き分けて押し固めながら進むの
だそうです。だから、柔らかく耕された畑を好むんですね。
子どもの頃は庭でモグラの穴を見つけたこともありましたが、最近は
見かけません。というより、地面に注意を払うことって、子どもと遊ぶ
時か、庭の手入れをする時くらいしか無いかも。
自然から遠ざかってるから、夢を壊すようなことを考えてしまうのかな。

三島由紀夫

2005年11月26日 23時58分31秒 | 趣味
中村獅童・竹内結子夫妻に、男の子が産まれたそうです。
名前はまだ発表されていませんが、ますます映画の世界に近づいて
きました。でも本当に「佑司」と付けるのはやめてほしいです。

竹内結子主演の映画「春の雪」が現在上映中です。
別に彼女のファンではないので見たいとは思いませんが、原作は
一度読んでみたいと思っています。
原作者の三島由紀夫が割腹自殺をしてから、昨日(25日)でちょうど
35年なのだそうで。
私が三島を知ったのは、以前「妖怪大戦争」について書いた時に
触れた、荒俣宏の『帝都物語』を通してです。
「トリビアの泉」ではあまり喋りませんが、あの方はとても博識で、
『帝都物語』は化け物が出てこなければ歴史小説と間違えそうなほど
エピソードが充実しています。
幸田露伴、寺田寅彦、渋沢栄一、北一輝、そして三島と、この小説を
通して様々な人物に興味を持ちました。私が日本の現代史が好きな
のは、この小説によるところも少なくありません。
三島の作品は、代表的なものしか読んでいませんが、「天才」と呼ぶ
に相応しい、計算し尽くされたような文章は、実はあまり好きでは
なかったりします。『仮面の告白』と『金閣寺』は、まあまあ面白かった
ですけど。
それにしても、あれだけの作品を残す人が、ああいう最期を遂げた
のは、日本文学史上最大の謎です。「天才」の考えることは凡人には
分からない、と言ってしまえばそれまでですが。