社会不安障害:SAD、ボランティアとセカンドライフ

SADで会社を休職したが、一年で復帰し、無事定年を務めて、その後の生活とボランティアについて気ままに掲載中

親会社の知り合いの部長が退職。そしてその送別会の案内が

2012-05-24 07:09:46 | 会社の仕事

昨日、親会社の知り合いの部長の送別会の案内が突然来た。あれ、彼はもうそんな年だったかなと思いながら定年の激励会の案内と勘違いして聞くと、「今月で退職して自分で仕事する(会社を興す)らしい」との事。エーッと思いながらそう言えば、彼が部長になる前もそんな話があった・・・。

これは私にある意味かなり衝撃を与えた。私の優柔不断な考えと異なりこの方の行動力に!

彼はまだ部長の肩書なので管理職定年を迎えていない。確か今年のハズだ。今年のハズでも定年まで残り4年ある。親会社は一部上場の大手機械メーカーだ。その部長だ。管理職定年となり給与が減棒されてもそれでも相当な給料を貰える。残り4年間で言えば、4千万円を軽く超えるハズだ。そして定年で退職すると退職金には200万円~300万円の増額があるし、4年間の増分もある。そして来月は今年の夏の賞与だ。なぜ今月でやめるのだろうか?

確かに彼の立場は微妙だ。しかしそれだからと言って、我慢すれば、上記の給料が貰える。転職しても同じ所得を期待するのはまずできない。更に今の日本では経済が非常に厳しい。彼が定年まで勤めれば貰える所得は中途半端な額ではない。相当な大金だ。

それでも、今月で辞める事にしたのは、やはり自分への自信があるのだろう。そして、会社つまり経営者や上司達への相当な不満があるのだろう。これは余程な判断だと思う。

その部長は、以前は営業だった。しかし注文も貰っていないのに、勝手に生産させて在庫の山を築いた。そして在庫を作ったまま今度はアフターメンテナンスの部門へ移り、実績を残した。世界中を駆け巡り、ネットワークを築いた。凄いと思った。すこし人間性に問題はあった・・・。少しではなく、大分問題があったようだ。部下から決して慕われる事はなかった。様だ。しかし英会話の実力は相当なレベルだった。しかし人間性には問題があった。

しかしメンテナンスのネットワークを作った。そしてそのメンテナンスの部門を追われた。自分が作ったオーストリアの子会社の会長へと出向となった。そして1年で日本に帰ってくる事になったが、帰る所は、企画部だった。そうやる事が特に決まっていない・・・。

残り定年まで勤めると言う意味で考えれば、その務めた場合の所得はある意味やはり大きい。簡単に手放す権利ではない。がそれを捨ててまで、会社を辞めると言う事は、ある意味次の人生を既に描けていると言う事になるだろう。この部長の決断に感銘を覚えた。

しかし私はこの部長と合わなかった。仕事は相当一緒にしたが・・・。しかし合わなかった。喧嘩もした。だから彼の送別会への参加をどうしようか?考えている。いっそ会社を辞める事や送別会の事を知らなかったと言う事にしたいが、すでに電子メールが転送されて来たので更に悩むしかない。さてどう決断するだろうか?


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