goo blog サービス終了のお知らせ 

竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

蒲郡漁業協同組合 形原・竹島支所合同 水産祭

2019年05月04日 | 一般
令和元年5月4日(土)
お早うございます。

<5月4日今日は何の日>
1974年 - 堀江謙一が小型ヨット「マーメイド3世号」での単独無寄港世界一周を終え大阪に帰港。世界で3人目。


堀江 謙一(ほりえ けんいち、1938年9月8日 - )は、海洋冒険家(ソロセーラー・ヨットマン)。
大阪市生まれ。兵庫県芦屋市在住。関西大学第一高等学校卒業。アマチュア無線家でもある。コールサインはJR3JJE。

足漕ぎボート・マーメイド号 サントリーミュージアムにて

 家業は自動車部品工場。
1962年、小型ヨット「マーメイド号」による西宮 - サンフランシスコ間の太平洋単独横断航海に成功。水20リットル、米40kg、缶詰200個を積んで出航した。
水は20リットルでは足りず、航海中に甲板に降った雨水を蓄えるなどした。

 当時はヨットによる出国が認められなかったため、「密出国」という形になった。
大阪海上保安監部は家族から捜索願が出された時点で全国の海上保安本部へ“消息不明船手配”を出すと共に“不法出国”についても捜査を始め、幹部は当初取材に対して「堀江君はすぐに身柄を拘束され日本へ強制送還されるだろう」とコメントしていたが、当時のサンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れ、1ヶ月間の米国滞在を認ると報道されたところ日本国内のマスコミ及び国民の論調も手のひらを返すように堀江の偉業を称えるものに変化した。
その後帰国した堀江は密出国について当局の事情聴取を受けたが、結果起訴猶予となった。

さて、昨日(5/3)は、形原漁港内にて、「蒲郡漁業協同組合 形原・竹島支所合同 水産祭」が開催されましたので、行ってまいりました。







とても賑やかでした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 蒲郡市議会 新会派構成 | トップ | 議員心得箇条 条文十二【選... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

一般」カテゴリの最新記事