令和3年1月25日(月)
お早うございます。
<1月25日今日は何の日>
1573年(元亀3年12月22日) - 遠江国の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市内)で武田信玄と徳川家康の軍が戦い、武田軍が勝利する。(三方ヶ原の戦い)
「元亀三年十二月味方ヶ原戰争之圖」 歌川芳虎画 明治7年(1874年)
武田軍によって徳川軍の各隊が次々に壊滅していく中、家康自身も追い詰められ、夏目吉信や鈴木久三郎を身代わりにして、成瀬吉右衛門、日下部兵右衛門、小栗忠蔵、島田治兵衛といった僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。
この敗走は後の伊賀越えと並んで人生最大の危機とも言われる。
浜松城へ到着した家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆる空城計を行う。
そして湯漬けを食べてそのままいびきを掻いて眠り込んだと言われる。
この心の余裕を取り戻した家康の姿を見て将兵は皆安堵したとされる。
浜松城まで追撃してきた山県昌景隊は、空城の計によって警戒心を煽られ城内に突入することを躊躇し、そのまま引き上げる。
『徳川家康三方ヶ原戦役画像』
さて今日は、「自由民主党 蒲郡市議団通信 vol.014」を掲載いたします。
2月7日(日)午後2時より、「第3回オンライン市政報告会」を開催いたします。
お早うございます。
<1月25日今日は何の日>
1573年(元亀3年12月22日) - 遠江国の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市内)で武田信玄と徳川家康の軍が戦い、武田軍が勝利する。(三方ヶ原の戦い)
「元亀三年十二月味方ヶ原戰争之圖」 歌川芳虎画 明治7年(1874年)
武田軍によって徳川軍の各隊が次々に壊滅していく中、家康自身も追い詰められ、夏目吉信や鈴木久三郎を身代わりにして、成瀬吉右衛門、日下部兵右衛門、小栗忠蔵、島田治兵衛といった僅かな供回りのみで浜松城へ逃げ帰った。
この敗走は後の伊賀越えと並んで人生最大の危機とも言われる。
浜松城へ到着した家康は、全ての城門を開いて篝火を焚き、いわゆる空城計を行う。
そして湯漬けを食べてそのままいびきを掻いて眠り込んだと言われる。
この心の余裕を取り戻した家康の姿を見て将兵は皆安堵したとされる。
浜松城まで追撃してきた山県昌景隊は、空城の計によって警戒心を煽られ城内に突入することを躊躇し、そのまま引き上げる。
『徳川家康三方ヶ原戦役画像』
さて今日は、「自由民主党 蒲郡市議団通信 vol.014」を掲載いたします。
2月7日(日)午後2時より、「第3回オンライン市政報告会」を開催いたします。
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