竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

元GHQ エアーズ大佐の貢献 (その1)

2022年02月07日 | 元GHQ エアーズ大佐の貢献
令和4年2月7日(月)
お早うございます。

戦後の日本の電力事業に多大の貢献をされた、「元GHQ エアーズ大佐」について、
長田理さんの資料を元に、細井達男さんが編集された、
「GHQ-エアーズ大佐 日本電力のツァーと呼ばれた男」を基に、
私、竹内しげやすのブログで紹介していきたいと思います。
今回は、エアーズ大佐について紹介いたします。

<エアーズ大佐>
 エアーズ大佐とは戦後の日本の驚異的復興のもととなる日本の電力の復興発展に貢献した、GHQの大佐です。
1983年(昭和58年)、日本国政府より勲三等旭日章を遅ればせながら受勲することになります。
この時ちょっとした偶然からエアーズ大佐のことを知り東奔西走して受勲にまでこぎつけたのが蒲郡市在住の長田理(おさだ おさむ)氏です。

1983年受勲来日時長田氏宅にて
(前列左より長田理、その妻、エアーズ大佐、その妻サラ 後列エアーズ大佐家族、左端より長男夫妻一人飛んで孫、次男ジョン 飛んで長女パトリシア)


1983年受勲来日時長田氏宅(ヒルトップ)にて


エアーズ大佐の家族
The Ayers Family at Home
907 State Street
Rafayette Indiana 47905

Seated;
Mr. Howard Ayers (本人)
Sarah B. Hege Ayers(妻)

From left the three children
John R. Ayers (二男)
Patricia Ayers Gallucci(長女)
Howard Ayers Jr. (長男)

終戦直後の日本の状況
 1945年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾して連合国に対して無条件降伏した。
8月30日にマッカーサーが連合軍最高司令官として厚木飛行場に到着して以来、1951年9月8日サンフランシスコ平和条約締結までの間、日本は連合軍の占領下に置かれる。
連合国による占領とは言え事実上はアメリカ一国による占領といっても過言ではない。

当時の朝日新聞東京本社版(1945年8月31日付)によると、厚木に到着したマッカーサーはこう語ったという。

 メルボルンから東京までは長い道のりだった。
長い長いそして困難な道だった。
しかしこれで万事終わったようだ。
各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、外郭地区においても戦闘はほとんど終息し、日本軍は続々降伏している。
この地区(東京地区か)においては日本兵多数が武装を解かれ、それぞれ復員をみた。
日本側は非常に誠意を以てことに当たっているようで、不必要な流血の惨を見ることなく無事完了するであろうことを期待する。

次回へつづく!














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