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竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

岩瀬 忠震(いわせ ただなり)展  予告

2019年05月09日 | 日本の歴史
令和元年5月9日(木)
お早うございます。

大塚・中島城主の子孫、日本開国の立役者 「岩瀬 忠震(いわせ ただなり)」展が、

蒲郡市立図書館会館50周年記念・特別企画展として開催されます。

会期 2019年7月7日(日)~7月28日(日)

会場 蒲郡市立図書館・展示コーナー(1階)

岩瀬 忠震の生涯を調べてしました。


 旗本・設楽貞丈の三男として、江戸芝愛宕下西久保で生まれる。
血縁をたどると、麻田藩主青木一貫の曾孫、宇和島藩主伊達村年の玄孫であり、男系で伊達政宗の子孫にあたる。
母は林述斎(林家の大学頭)の娘で、おじに鳥居耀蔵、林復斎、従兄弟に堀利煕がいる。
天保11年(1840年)5月岩瀬忠正の婿養子となり、岩瀬家(家禄800石)の家督を継いだ。
天保14年(1843年)昌平坂学問所大試乙科に合格、成績が優秀だったため褒美を受ける。
嘉永2年(1849年)2月部屋住みより召し出されて西丸小姓番士となり(切米300俵)、同年11月徽典館学頭を命じられ(手当として30人扶持)、翌年甲府へ出張、この時阿部正弘より時服を拝領している。
1年後江戸に戻り、徽典館学頭としての功績が認められ、白銀15枚を拝領、次いで昌平坂学問所の教授となる。

 嘉永7年(1854年)、老中首座・阿部正弘にその才能を見出されて目付に任じられ、講武所・蕃書調所・長崎海軍伝習所の開設や軍艦、品川の砲台の築造に尽力した。
その後も外国奉行にまで出世し、安政2年(1855年)に来航したロシアのプチャーチンと全権として交渉し日露和親条約締結に臨んだ。

 安政5年(1858年)にはアメリカの総領事タウンゼント・ハリスと交渉して条約締結に臨み、日米修好通商条約に井上清直と共に署名するなど、開国に積極的な外交官であった。
ハリスは、「井上、岩瀬の諸全権は綿密に逐条の是非を論究して余を閉口せしめることありき。…懸かる全権を得たりしは日本の幸福なりき。
彼の全権等は日本の為に偉功ある人々なりき」と、後に当時の交渉のことを書き残している。

 幕府は条約で決められた神奈川に代わり、対岸の横浜村に開港場を設けることとしたが、忠震は条約の文言を重視して神奈川開港を主張した。

 同年、13代将軍・徳川家定の将軍継嗣問題で徳川慶喜(一橋徳川家当主)を支持する一橋派に属し、大老となった井伊直弼が反対派や一橋派の排斥を行う安政の大獄で作事奉行に左遷された。
安政6年(1859年)には蟄居を命じられ、江戸向島の岐雲園で書画の生活に専念した。文久元年(1861年)、44歳で失意のうちに病死した。

 墓所は当初文京区の蓮華寺に葬られたが、後に東京都豊島区の雑司ヶ谷霊園に改葬された。
明治16年(1883年)忠震の旧臣・白野夏雲が東向島の白鬚神社に「岩瀬鴎所君之墓碑」を建立。
大正4年(1915年)には生前の功績が認められ、正五位を追贈された。
更に昭和57年(1982年)横浜市の本覚寺境内に「横浜開港の首唱者」の碑が、昭和61年(1986年)には新城市川路の勝楽寺(設楽家の菩提寺)に「岩瀬肥後守忠震顕彰之碑」がそれぞれ建てられている。
平成28年(2016年)、新城市設楽原歴史資料館に銅像が建立された。

岩瀬忠震筆『藤に芍薬』

忠震は、20代のころから江戸の昌平黌や甲府の徽典館で学んだり、あるいは先生として教えていました。

恐らく、 このころに書画を学んだのではないかと考えられています。

忠震が誰に絵を学んだかは分かっていません。
しかし、言い伝えやその画風から渡辺華山の一番弟子である椿椿山から学んだものと考えられています。

忠震は外交官として各国との交渉を終えた1年後の安政6年(1859)8月に江戸向島での隠居を命ぜられます。ちょうどこのころから忠震は「鴎所」と号すようになりました。このあと、忠震の書画を友とする生活が始まります。

この絵の右上に「辛酉花月作」と書かれています。「辛酉」とは文久元年(1861)、「花月」は3月を表しています。忠震が 44歳の生涯を終えたのは文久元年7月ですから、この絵は忠震が亡くなるわずか4か月前に描かれたものといえます。

画面上部に藤、下部に芍薬を配し、とても、バランスの取れた優れた構図になっています。また、それぞれの花びらや葉は大変繊細な色使いで丁寧に彩色が施され、非常に絵への優れた腕を見ることができる1幅です。

幕末の外交官岩瀬忠震は外交手腕だけでなく、書画、和歌などにも秀でていました。特に、書画については素人の域を越え、明治20年に発行された「大日本名家全書」のなかにも書画に優れた人物として岩瀬忠震の名前を見つけることができます。

設楽原歴史資料館蔵

 
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