平成30年4月21日(土)
お早うございます。
今日は、議員心得箇条 条文九【真心】を紹介いたします。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。 2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。 2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。
『地方議員心得箇条』作成プロジェクト
【真心】
議員は心のきれいな人であれ。
巧言令色、鮮なし仁。あれこれ策を弄しても、誠実な取り組みにはかなわない。人には必ず伝わる。
議員に求められる資質には、様々なものがある。それは、求められる役割も様々であるのだから当然のことだ。災害に備える時には防災の知識が豊富であった方が良いし、地域の課題に取り組む時には人々の意見を聞きまとめ上げる力が必要だ。国との課題に対応するときには、粘り強く交渉できるだけの能力も求められる。しかし、こうした個々の資質や能力とは別に、議員は心のきれいな人でなければならない。議員は市民を代表しているのである。他の人にない能力や才能があったとしても、それを正しく使うためには、まじめで誠実であることが必要だ。もちろん、ただ心がきれいなだけで良い訳もないが、様々な活動をしていると、おごった気持ちが出てきたり、策を弄して満足してしまいがちになるものだ。一番大切なことは、心がきれいであることであり、またそのことは人に必ず伝わるものである。誤解を受けることがあったとしても、市民を信じてしっかりと取り組むことが、結局は一番の近道である。急がばまわれと言う言葉にも通ずるところがある。
<日本のお城:伊予松山城(いよまつやまじょう)愛媛県松山市丸の内 >


関ヶ原の戦いの功績により伊予を与えられた加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城したが加藤氏の時代には完成しなかった。
その後、蒲生氏を経て松平の時代に完成した。
城郭構造は連郭式平山城。 城跡は国の史跡に指定されている。
天守は連立式層塔型三重三階地下一階。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つ。
現存する天守、野原櫓、乾櫓、隠門続櫓など櫓5棟、戸無門、隠門、紫竹門、一ノ門など門7棟、筋鉄門東塀など塀7棟が国の重要文化財に指定されている。
再建された建造物は、小天守、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓、太鼓櫓、筒井門、太鼓門、乾門、良門東続櫓など22棟。
別名は、勝山(標高132m)に築城したことから勝山城(かつやまじょう)、堀に金の亀がいたという伝えから金亀城(きんきじょう)。
各地の松山城と区別するため伊予松山城とも呼ばれている。
明治6年(1873年)の廃城令で大蔵省が処分する廃城処分となり、城門、櫓、御殿などが解体された。
その後、本丸一帯は聚楽園という公園になった。
平成18年(2006年)には日本100名城に選定された。
お早うございます。
今日は、議員心得箇条 条文九【真心】を紹介いたします。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。 2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。 2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。
『地方議員心得箇条』作成プロジェクト
【真心】
議員は心のきれいな人であれ。
巧言令色、鮮なし仁。あれこれ策を弄しても、誠実な取り組みにはかなわない。人には必ず伝わる。
議員に求められる資質には、様々なものがある。それは、求められる役割も様々であるのだから当然のことだ。災害に備える時には防災の知識が豊富であった方が良いし、地域の課題に取り組む時には人々の意見を聞きまとめ上げる力が必要だ。国との課題に対応するときには、粘り強く交渉できるだけの能力も求められる。しかし、こうした個々の資質や能力とは別に、議員は心のきれいな人でなければならない。議員は市民を代表しているのである。他の人にない能力や才能があったとしても、それを正しく使うためには、まじめで誠実であることが必要だ。もちろん、ただ心がきれいなだけで良い訳もないが、様々な活動をしていると、おごった気持ちが出てきたり、策を弄して満足してしまいがちになるものだ。一番大切なことは、心がきれいであることであり、またそのことは人に必ず伝わるものである。誤解を受けることがあったとしても、市民を信じてしっかりと取り組むことが、結局は一番の近道である。急がばまわれと言う言葉にも通ずるところがある。
<日本のお城:伊予松山城(いよまつやまじょう)愛媛県松山市丸の内 >


関ヶ原の戦いの功績により伊予を与えられた加藤嘉明が、慶長7年(1602年)に築城したが加藤氏の時代には完成しなかった。
その後、蒲生氏を経て松平の時代に完成した。
城郭構造は連郭式平山城。 城跡は国の史跡に指定されている。
天守は連立式層塔型三重三階地下一階。江戸時代以前に建設された天守が残る現存12天守の一つ。
現存する天守、野原櫓、乾櫓、隠門続櫓など櫓5棟、戸無門、隠門、紫竹門、一ノ門など門7棟、筋鉄門東塀など塀7棟が国の重要文化財に指定されている。
再建された建造物は、小天守、北隅櫓、十間廊下、南隅櫓、太鼓櫓、筒井門、太鼓門、乾門、良門東続櫓など22棟。
別名は、勝山(標高132m)に築城したことから勝山城(かつやまじょう)、堀に金の亀がいたという伝えから金亀城(きんきじょう)。
各地の松山城と区別するため伊予松山城とも呼ばれている。
明治6年(1873年)の廃城令で大蔵省が処分する廃城処分となり、城門、櫓、御殿などが解体された。
その後、本丸一帯は聚楽園という公園になった。
平成18年(2006年)には日本100名城に選定された。