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竹内しげやす 市政チャレンジ日記

新米議員から四期目を向えて市政にチャレンジする奮戦記。
一歩一歩目標に向け前進する日々の行動を日記風に。

議員心得箇条 条文案十四【現場主義】 議員は現場を見よ。

2019年10月19日 | 議員心得箇条
令和元年10月19日(土)
お早うございます。

今日は、議員心得箇条の 条文案十四【現場主義】 議員は現場を見よ。を掲載いたします。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。  2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。    2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。  2018年2月14日
条文九【真心】議員は心のきれいな人であれ。 2018年4月21日
条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。  2018年10月4日
条文十一【信念】 議員は信念を貫け。 2019年02月15日
条文十二【選挙活動】 議員は選挙活動をするな。 2019年05月5日
条文十三【節制】 議員は自己管理を怠るな。 2019年08月12日


『地方議員心得箇条』作成プロジェクト
【現場主義】
 議員は現場を見よ。

議員は現場を歩け。
人の輪に入って行け。
目で見て、耳で聞いて、肌で感じて、自分の頭で考えよ。
物事を判断する為には、常にその実際を良く自分で確認しておく必要がある。
与えられた情報だけで判断することは大変危険である。
人は良く自分の都合のようようにものをいうものである。
そうした一方的な話で自分の意見を決めてはらない。
必ず、反対の意見や様々な視点からの確認が必要であり、そうした判断の基準となる実際の姿は現場にしかない。
判断にあたって現場を訪ね、直接話を聞くことは大切なことであるが、普段から市民の中にあって常にその生活の現場にいるという姿勢こそ、実際には求められるものである。
自分の目で見ず、自分の足で歩かず、自分の頭で考えない議員は必要ない。

<本丸御殿を残す高知城>

関ヶ原の戦いの後、慶長6年(1601年)、山内一豊が南北朝時代の大高坂松王丸の居城があった大高坂山に新たに近世城郭として高知城を築いた。
城郭構造は梯郭式平山城。城跡は国の史跡に指定されている。
天守は独立式望楼型四重六階。江戸時代
前に建設された天守が残る現存12天守の一つ。
本丸の建物が完全に残る唯一の城でもある。

現存する天守、御殿、納戸蔵、黒鉄門、西多門、東多門、詰門、廊下門、追手門、天守東南矢狭間塀、天守西南矢狭間塀、黒鉄門西北矢狭間塀、黒鉄門東南矢狭間塀、追手門西南矢狭間塀、追手門東北矢狭間塀は国の重要文化財に指定されている。

別名は、屋根瓦のグレーと白漆喰壁の白が鷹の色合いに似ていることから鷹城(たかじょう)。
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議員心得箇条 条文十三【節制】 議員は自己管理を怠るな。

2019年08月12日 | 議員心得箇条
令和元年8月12日(月)
お早うございます。

<8月12日今日は何の日>
1736年 徳川吉宗が、江戸町奉行に19年在任した大岡越前守忠相を寺社奉行に任命。大名並みの待遇に。

大岡忠相像、国立国会図書館蔵

大岡 忠相(おおおか ただすけ)は、江戸時代中期の幕臣・大名。大岡忠世家の当主で、西大平藩初代藩主。
生家は旗本大岡忠吉家で、父は美濃守・大岡忠高、母は北条氏重の娘。
忠相の子孫は代々西大平藩を継ぎ、明治時代を迎えた。
大岡忠房家の第4代当主で、9代将軍・徳川家重の側用人として幕政においても活躍したことで知られる大岡忠光(後に岩槻藩主)とは遠い縁戚に当たり、忠相とも同族の誼を通じている。


今日は、議員心得箇条の 条文十三【節制】 議員は自己管理を怠るな。を掲載いたします。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。  2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。    2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。  2018年2月14日
条文九【真心】議員は心のきれいな人であれ。 2018年4月21日
条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。  2018年10月4日
条文十一【信念】 議員は信念を貫け。 2019年02月15日
条文十二【選挙活動】 議員は選挙活動をするな。 2019年05月5日

『地方議員心得箇条』作成プロジェクト

【節制】
 議員は自己管理を怠るな。

 議員は自分に厳しく、節制に努めて、ベストコンディションで最高のパフォーマンスを。
厳しい経済の状況で市民の皆さんは頑張っている。
本来そうした思いをともに分かちあい、我がこととして取り組むべき議員が、楽をしているのではないか、状況を理解せず増税やサービスの削減を次々に押し付けてくるのではないか、そう市民から思われることはあるだろう。
しかし、市民との信頼関係がなければ議員は力を発揮することはできない。
議員は自分に厳しい姿勢であるばかりか、そのことを市民に示し、日頃からコミュニケーションをはかっておかなければならない。
そうすることでお互いの理解を得ることは議員がその役割を果たすうえで大切なことである。
また、自己管理のできていない議員もいる。
大切な議会活動そっちのけで駅に立ち、本会議中に居眠りでは議員の職分を果たしているとは言えない。いくら大切な支援者との懇親だからと言って、二次会三次会と深酒をしてもまちは少しも良くはならない。
そんなことにお金と時間を費やしている間にも、本来やらなければならないことは山ほどあるはずだ。
しかし、人と会うことは大切なことである。
やるべきことをやるために、費やす労力をどこに向けているかが問題である。
本来の仕事をきちんと果たせるだけの自己管理ができていることが大切である。
また、議員は様々な問題・課題に取り組んでいる。
心中穏やかでないときもあるだろう。
また家族や仲間の問題を抱えているときもあるだろう。
例え心配でいっぱいの時も、それを言い訳にしていては、充実した議員活動はできない。
困っている人を助けることはできない。
人としての感情や、家庭をはじめ自分の事情を優先させることは当然であるが、時には辛くてもにっこりと笑って対応しなけれがならないこともある。
まずは、いつでも万全の態勢で活動ができるよう、日頃から備えておくことである。
何かあってもきっちりと仕事は仕事として果たせるよう、強い心を持つことが必要である。
なぜ、議員は自己管理をしなければならないのか。
それは、議員はいつどのような形で活動が求められるか分からない職業であり、自分の不摂生を理由に、十分な活動ができないようなことがあってはならないからである。
また、自分がどのような状況にあっても、人の助けとなれるよう、強い心を持っていることが大切である。
お酒、たばこ。二次会・三次会。ほどほどに。


竹田城 兵庫県朝来市

竹田城は1441年(嘉吉1)但馬守護山名宗全が築き家臣の太田垣光景を城主にしたのが始まりと伝わる。1569年(永禄12)織田信長の命で豊臣秀吉が但馬に侵攻し城主太田垣輝延は織田方に降伏するも1573年(天正1)毛利勢がせまると毛利方に寝返り降伏。再度1577年(天正5)豊臣秀吉は播磨に、弟秀長は但馬に侵攻して竹田城は陥落。
その後、1585年(天正13)秀吉の配置換えにより赤松広秀が入城し15年間に渡り城主を務めた。
この間に現在みられる本丸を中心に三方へ広がる尾根上に曲輪群が展開する見事な石垣の要塞を完成させたが、関ヶ原の戦いで西軍に属したため切腹を命じられ竹田城も廃城となった
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議員心得箇条 条文十二【選挙活動】 議員は選挙活動をするな。

2019年05月05日 | 議員心得箇条
令和元年5月5日(日)
お早うございます。

5月5日はこどもの日
5月5日は古来から端午の節句として、男子の健やかな成長を願う行事が行われていた。
また、国会にこどもの日を祝日とする請願が寄せられた際に、5月5日を希望するものが多かったためである。


今日は、議員心得箇条の 条文十二【選挙活動】 議員は選挙活動をするな。を掲載いたします。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。  2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。    2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。  2018年2月14日
条文九【真心】議員は心のきれいな人であれ。 2018年4月21日
条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。  2018年10月4日
条文十一【信念】 議員は信念を貫け。 2019年02月15日
『地方議員心得箇条』作成プロジェクト

【選挙活動】 
 議員は選挙活動をするな。

選挙に当選することが目的ではない。
選挙に通って何をするのかが大切である。
選挙期間中に、候補者が当選を目指し行われる選挙活動はしっかりと行われなければならないが、選挙が無事終了し、晴れて当選を果たした後も、いつまでも選挙活動しかしていない議員がいる。
当選した議員は議員の果たすべき役割を果たさなければ、政治も社会も良くはならない。
二期三期と当選を重ねることで、影響力を増して行き仕事もできるようにある、そうした実態はあるかもしれないが、たとえ一期の新人議員であってもできることしなければならないことは山ほどあるはずだ。また新人だからこそ、求められている活動もあり、そうした期待に議員は応えなければならない。
「でも次の選挙が大切」「落ちたら何もできない」と言った声は本音だろう。
しかし、挨拶に奔走し、顔を見せ、お願いして回る活動から、実際に政治の世界での活躍で評価してもらうように、議員自身がその在り方を変えて行かなければならない。
個人が作るローカル・マニフェストの活用や、インターネットの時代に、様々な社会生活の変化に呼応した活動報告や有権者とのコミュニケーションのあり方を、議員自らが示して行かなければならない。
議員本来の仕事とは、議会内での活動であり、政策立案のための調査や議論であり、複雑多岐に渡っている。
時には困っている人の助けになったりすることもあるだろう。
そのどれもが有権者の目に触れるわけではなく、「政治活動や議会活動をしていては選挙に落ちてしまう」、と言う不安は確かにあるものだ。
しかしこの不安を、「中身のない選挙目的の活動ばかりしていては、次の選挙で落ちてしまう」「政治活動や議会の活動がしっかりしていないと、誰も評価してくれない」といった内容に変えて行かなければならない。
そのためには、有権者の皆さんが、「顔を見ない」「何をしているか分からない」と言うだけではなく、積極的に議員に関心を持ち、活動の実際をよく見極める必要がある。
選挙に当選するために、名刺を配り、家々を訪問し、駅に立っているのか、それとも誰かを助け、まちをよくするため、人々の幸福のためにそうしているのか、明確に分けることは難しいかもしれないが、見極めようという姿勢だけでも持ち、少しずつ現状を変えて行かなければならない。
 議員は選挙活動をするな、なぜなら、議員の役割は選挙に当選することではなく、たとえ人目にはなかなか触れずとも、選挙に当選した後の、議員本来の様々な活動の実践にあるからである。

岐阜城

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議員心得箇条 条文案十一【信念】 議員は信念を貫け。

2019年02月15日 | 議員心得箇条
平成31年2月15日(金)
お早うございます。

<2月15日今日は何の日>
1892年 - 第2回衆議院議員総選挙。

選挙後の党派別勢力図

内閣 :第1次松方内閣
解散日 :1891年12月25日
改選数 :300議席
選挙制度 :小選挙区制
有権者 :直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性日本国民
有権者数 :43万4594人

 1890年11月29日に第1回帝国議会が召集された。
藩閥による政府(第1次山縣内閣)と「民力休養」を掲げる民党が対立を続けたものの、双方とも相手の出方を窺ったこと、政府が内外に対する面目から議会開設早々の衆議院解散を望まず、かつ民党のうち自由党土佐派を一時切り崩したことから、政府はかろうじて閉会(1891年3月8日)まで持ちこたえた。
 だが、次の第1次松方内閣で迎えた第2回議会(1891年11月26日開会)は、第1回議会のように衆議院解散を選択しえない状況ではなくなり、かつ民党も薩長出身の閣僚が過半数を切っていた松方内閣を弱体とみて政府批判を行った。
12月20日の樺山資紀海軍大臣によるいわゆる「蛮勇演説」で一気に緊張感を増した衆議院に対して、松方内閣は25日に初めての衆議院解散に踏み切った。


今日は、議員心得箇条 条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。  2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。    2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。  2018年2月14日
条文九【真心】議員は心のきれいな人であれ。 2018年4月21日
条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。  2018年10月4日
『地方議員心得箇条』作成プロジェクト


条文案十一【信念】 議員は信念を貫け。

【信念】 
 議員は信念を貫け。

 時には辛抱、曲げてはならぬ道もある。
熱い気持ちで、やり抜く覚悟と初心を忘れるな。
議員が何事かを成しうるためには、人びとを動かし、議会を動かすだけのエネルギーが必要である。
時間もかかり、反対もあるだろう。
そうした人びとを説得し、問題を解決するまで継続して取り組んで行くためには、信念とも言える熱い気持ちが必要である。
一時的に熱い気持ちを持つことは誰でも出来ることであるが、それを継続し、最後までやり遂げることはなかなか難しいものである。

 議員になろうとした当初、誰しもきっとこの熱い思いを持っていたはずだ。
しかし、ともすればそうした熱い思いを忘れそうになることもある。
そうならないためには、忘れてはならない熱い思いをエピソードとして記憶し、また積極的に公開することだ。
そうした「原初の感動体験」を常に思い出せるようにすることは有効なことである。
関わりのある品を身近な目のつく場所に置いたり、その思いを自分のキャッチフレーズやマークなどにすることも一つの方法である。
ちなみに私は、この『議員の心得』を額に入れて、いつでも見ることが出来るようにしている。
どんな状況にも負けることなく、信念を貫いてこそ、議員になった価値が出る。議員は最後まで信念を貫け。

初心忘るべからず。


首里城 (沖縄県那覇市)
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議員心得箇条 条文十 【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。

2018年10月04日 | 議員心得箇条
平成30年10月4日(木)
お早うございます。

今日は、議員心得箇条 条文十【言葉】 議員は言葉を大切にせよ。
<過去の掲載>
条文一【市民の代表】議員は市民の代表たれ。 2016年03月25日
条文二【決まりを守る】議員は決まりを守れ。 2016年04月03日
条文三【リーダーシップ】議員はリーダーシップを発揮せよ。2017年01月05日
条文四【無知の知】 議員は常に謙虚であれ。 2017年04月09日
条文五【公平であること】議員は常に公平であれ。 2017年06月09日
条文六【徳を持つ】議員は市民の範となれ。 2017年8月31日
条文七【専門性】議員は一芸に秀でよ。 2017年12月04日
条文八【勉強】 議員は誰よりも勉強せよ。 2018年2月14日
条文九 【真心】議員は心のきれいな人であれ。 2018年4月21日
『地方議員心得箇条』作成プロジェクト

【言葉】 
 議員は言葉を大切にせよ。

 人は言葉でつながっている。人は言葉で約束をする。言葉を大切にすることは、人を大切にすることである。
議会は言論の府である。誤解のない、正確なやり取りを行うためには、言葉を正しく使うことが大切である。
議会での質問においても、自分ひとりで納得し、分かったような顔をしていても、まわりでは何を言っているのかさっぱり分からないようでは意味がない。
適切な言葉を用いて、きちんとした議論ができないようでは議員の務めは果たせない。
議論した自分の言葉が社会を変えて行くのである。
議員は自分の言葉に責任を持たなければならない。
 議員の言葉は市民との約束である。
議員は自分の言葉にもっと配慮し、自分の言葉を大切にするべきである。
言葉は自分で考えている以上に、違った意味で伝わり、それが一人歩きを始める。
議員が嘘をついてはいけないことはもちろんであるが、曖昧な発言によって人に誤解を与えるようなことがあってもいけない。人びとは、自分の思いを胸に話しかけて来る。
議員の曖昧な発言はそもそも誤解を与えやすく、お互いの納得のためには時間をかけた丁寧なやり取りが求められる。
 言葉は生き物であるから、正しい言葉、きれいな言葉を使い、私たちの言葉を守って行くことは大切なことである。
流行語や新しい表現は誤解の種となる。
議会での発言や多くの人々とのやり取りにおいては、自分の仲間内で使うような言葉は避けるべきである。
誤解のないこと、分かりやすいことは、相手本位の姿勢でなければ出来るものではない。
きちんとした言葉のやりとりは、相手の目を見て話を聞き、理解の様子を見ながら適切な言葉で話すことが必要である。
話す速度やどんな用語を用いるかも、その場その場での判断が求められる。
言葉を大切にすることは、相手を大切にすることなのである。
また、普段乱雑な言葉遣いをしておきながら、突然正しい言葉遣いが出来る訳ではない。
必ず普段の様子はどこかで顔を出してくる。
議員は、普段の生活や心の姿勢が問われている、と考えておくべきである。
また、たとえどんなに言葉が丁寧で、正しいものであっても、その発言の内容が間違っっていてはいけない。
よく調査をし、熟慮を重ねた上での発言でなければ、その言葉は軽くなる。
「インターネットで見た」などと言った曖昧な根拠で発言しているようでは、議員の存在意義すら軽く見られかねない。
きちんと調査し、まとめられた言葉には説得力が出てくる。
自分の一言にかける準備によって、言葉は重みを増して行く。
 自分が発する言葉の持つ重みを考え、議員は誰よりも言葉を大切にしなければならない。

<日本のお城:広島城(ひろしまじょう)広島県広島市中区基町 >

毛利輝元が太田川河口デルタ地帯に築いた吉田郡山城(平城)を「最も広い島地」である五箇村(あるいは五ヶ村・佐東五ヶ)に築城することに決め、 現在の広島の平野部に近世城郭として築城。築城は天正17年(1589年)。
城郭構造は輪郭式平城。城跡は国の史跡に指定されている。
初代天守は、大天守から渡櫓で南小天守と東小天守を連結した複合連結式望楼型五重五階とされているが建造時期、構造の詳細は不明。
黒漆塗りの下見板が張られた壁面は豊臣秀吉の大坂城天守を模したともいわれ、屋根には金箔押の軒瓦や鬼瓦(金箔瓦)が葺かれていた。
現在の天守は、昭和33年(1958年)、鉄筋コンクリート造りで望楼型五重五階の天守として復興された(外観は復元)。
再建された建造物は、平成元年~ 6年(1989年~1994年)にかけて再建された御門橋、表御門、平櫓、多聞櫓、太鼓櫓など。
別名は鯉城(りじょう)、在間城(ざいまじょう)、当麻城(たいまじょう)。

明治 4年(1871年)の廃藩置県により藩政体制は終り、本丸に陸軍の部隊が置かれた。
明治 6年(1873年)の廃城令以降は、本格的に軍の機能が拡大された。
明治27年(1894年)には日清戦争の戦争指揮のため、大日本帝国軍の最高統帥機関である広島大本営が設置された。
昭和20年(1945年)までは天守を含め城郭建造物は現存していたが、米軍の原爆投下によって全てが倒壊、焼失した。
昭和28年(1953年)、城跡が国の史跡に指定されると天守再建の機運が高まり、昭和33年(1958年)の広島復興大博覧会にむけ天守を再建させることなった。
平成18年(2006年)には日本100名城に選定された。


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