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5/27 okinawa day4



沖縄day4も無事終了しました~。shigemixです。

4時44分自然起床、沖縄はまだ真っ暗だ
早起きが染みついていると太陽に関係なく目が覚める。

丁度良いので第二次世界大戦の歴史を求め
近所の嘉数高台公園へ一人散歩に行ってみた。

ここら一体は昭和20年大激戦区域の場所らしく
壁に弾痕が残っている場所もあるそうです。



たまたまラジオ体操をやってる方に嘉数の戦いの話を聞くと
修学旅行生にガイドをされてるおじさんと出会い
1時間以上マンツーマンで色々な話をきけました。

洞窟を掘るのは日本兵と沖縄県民の仕事と
教科書では書かれているが、日中は朝鮮からの
慰安婦が駆り出され穴掘りをしていたそうです。

いま立っている場所にアメリカ戦車30数台が上がってきた話し、
宜野湾の激戦で64000人が死にその中でも
京都軍が2500人眠っている話し、
京都の塔の脇には、朝鮮民族を祀った塔もあります。

トーチカに特別に入れてもらいましたが
あんな圧迫感はなかなか経験できません。
私は5分でギブアップ。

戦前生まれな感じのおじさんが何故そんなに詳しいのですか?
と質問をすると、なななんと昭和20年当時小学生だったらしいです。
嘉数の超激戦いは全て頭に焼き付いて離れず
生き証人として当時の様子を後世に伝えているそうです。
敵も味方もみんな戦いたくないのが本音、死にたくないのです。

目の前で少年兵がランドセルに爆薬入れて
アメリカの戦車のキャタピラーにしがみ付き戦死した話。
歩く場所もなく死体の上を歩きながら帰った話。
熱でお腹が膨れ踏んだらプヨプヨしていたそうです。
死んだ赤ん坊に乳を飲ます母
死んだ母親の乳をずっと吸う赤ん坊
正にここは人間が作り出した地獄だった。



嘉数の超激戦を語れる方は残り3名らしいので
貴重な体験ができました。
最後におじさんの戦争火傷を一枚。
まだ身体中に何箇所もケロイドが残ってると笑ってました。
畳一枚に一発の爆弾が落とされたのに
なぜ自分は生きているのが不思議そうでした。
本当に伝えなければならない事はまだまだありますと言われ
最後に固い握手をしたのでした。。



一旦家に戻り、妻に朝の話をしたら
家族で平和祈念公園に行こうとなりました。
戦没者にお参りし、資料館でずっと過ごした最終日。
やはりどんな理由があっても殺し合いは悲しみしか残らないのです…。











































昭和20年も同じような綺麗な海が血に染まったなんて考えられません。
また沖縄にいかなきゃな~。








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