しばやんの日々 (旧BLOGariの記事とコメントを中心に)

50歳を過ぎたあたりからわが国の歴史や文化に興味を覚えるようになり、調べたことをブログに書くようになりました。

坂本龍馬の暗殺は誰がやったのか ~~ その1

2010年08月20日 | 坂本龍馬

先日友人と飲んでいたら、たまたま坂本龍馬の暗殺に誰が関わったかが話題になった。友人は私の知らない話をいろいろ披露してくれて少し興味を覚えたので、龍馬の暗殺事件についてちょっと調べてみた。



坂本龍馬と中岡慎太郎が京都近江屋の二階で暗殺されたのは慶応三年(1867)11月15日だが、誰が殺したかについては当時から諸説がある。

当初は新撰組が疑われていたが、後に京都見廻組の佐々木只三郎外数名であるとし、龍馬を斬ったのはその中の今井信郎であるというのが今では定説になっている。



上の写真は佐々木只三郎だが、京都見廻組とは幕末期に幕臣により結成された京都治安維持のための組織で、新撰組とともに反幕府勢力を専門に取り締まっていた。



上の写真が今井信郎だが、戊辰戦争を生き抜き箱館戦争で取り調べを受けた今井信郎の明治3年の証言では、自分は見張り役だったと主張し、禁固刑を経て釈放されている。

ところが今井は、明治33年に甲斐新聞の記者・結城礼一郎の取材に応じて、自分が龍馬を斬ったことを詳細に話していることや、大正7年に死去する前に書き残した「家伝」には龍馬の額を真横に払うまでの具体的な経緯が書かれている。また今井はこの事件の件で京都守護職から褒状を貰ったという妻の証言もあるようだ。

では誰が京都見廻組組頭の佐々木只三郎に龍馬の暗殺を命令したのだろうか。このことは今井には知らされていなかったようで、今井証言では「お指図(幕府の重職者からの命令)」があったと語っており、命令したのは京都守護職の会津藩主松平容保か実質的な政策決定者の手代木直右衛門(てしろぎすぐえもん)の可能性が高いと言われている。下の写真は松平容保である。


ちなみに手代木直右衛門は京都見廻組組頭の佐々木只三郎の実兄であり、また手代木が死の数日前に語った証言が書かれた「手代木直右衛門傳」には「弟が坂本を殺した。当時坂本は薩長の連合を諮り、土佐の議論を覆して倒幕に一致させたので幕府の嫌忌を買っていた。某諸侯の命を受けて坂本の隠れ家を襲って惨殺した」と書かれているそうだ。

また大正4年に、同じ京都見廻組であった渡辺一郎が死ぬ直前に「懺悔したい。」と言い出し「坂本氏を暗殺したのは自分である。生涯隠し続けようと思っていたが、これを打ち明けて心置きなくこの世を去りたい。」と語ったそうだ。これも、京都見廻組説を補強するものであるが、龍馬を斬ったのは2人ということなのか。

しかし、今井の証言には信憑性がないという人もいる。
土佐出身の谷干城は、龍馬暗殺を聞きつけて真っ先に現場に駆け付けた人物だが、今井の証言を全く信用せず単なる売名行為だとまで語っているそうだ。谷干城は、土佐藩主山内容堂公や龍馬と異なり武力討幕強行派で、京都で薩摩の西郷隆盛や小松帯刀と武力討幕の密約を交わしていた人物である。谷干城の言葉もまた、そのまま信用することはリスクがある。

龍馬暗殺に関する史料や意見を素直に読めば、今井だけではなく京都見廻組の関係者複数の証言があることから、少なくとも実行犯は京都見廻組であることはかなり確度が高いと考えてよいと思う。

そこで次の問題は、龍馬の暗殺が京都見廻組の単独犯行であったかどうかだ。

もともと京都見廻組は寺田屋事件で龍馬が幕吏数人をピストルで殺傷したとして行方を追っていた。記録では京都見廻組は増次郎という人物に龍馬の居場所を探らせていたが、その報告があったという記録がないそうだ。
ならば、龍馬の直接近江屋の二階を目指して京都見廻組が入り込むのはどこか不自然ではないか。誰かが龍馬を裏切って、「才谷」という龍馬の変名と居場所を教えた黒幕がいるのではないかということになる。龍馬が近江屋に居所を移したのは、事件のわずか3日前のことだ。

そこで出てくるのが薩摩藩黒幕説だ。



かって坂本龍馬が同盟を仲介した薩摩・長州の二藩には、大政奉還のその日に倒幕の密勅が出されている。大政奉還後徳川慶喜を新政府に迎えて穏便に軟着陸させようとした龍馬と、大政奉還の後は幕府は求心力を失い武力討幕がやりやすくなったと考えた薩摩藩とはあまりにも方針が違いすぎて、薩摩が今後は龍馬が邪魔になると考えたのではないか。
龍馬の死後2日後に薩長は出兵協定を交わして結束を固め、12月9日の小御所会議で強引に王政復古のクーデターを仕掛けているのだが、このままいけば、新政府の「大功」が龍馬に奪われかねないとの考えが薩摩藩になかったか。



また明治に入って西郷隆盛が龍馬暗殺容疑のあった今井信郎の助命運動に乗り出したそうだが、これは不可解である。
さらに薩摩藩は京都見廻組との接点もあった。薩摩と会津は文久三年(1863)に薩会同盟を結んでおり盟友関係にあり、また京都見廻組の佐々木只三郎と懇意な薩摩藩士が何人かいて、居場所を伝えたことは考えられる。
薩摩黒幕説は、証拠は乏しいがなかなか説得力がある。

龍馬暗殺については、紹介した以外にも多数の説があり、何が歴史の真実であるかは正直なところよく分からない。調べれば調べるほどいろんな説が出てきて、正反対の主張する人もいてまとめるのに随分苦労した。

黒幕については、土佐藩、紀州藩など他にも様々な説がある。今回はとても書ききれないので、次回にその他の黒幕説をまとめることとしたい。
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BLOGariコメント

 しばやんさんこんにちは。

 今年は「龍馬伝」もあり、ドラマでどう描かれるのかも焦点であると思います。

 「薩摩謀略説」が有力であると思います。戊辰戦争を長引かせ武力討伐で自分たちが主導権を握る戦略でしたから。

 明治2年でしたか大村益次郎も、これは薩摩ではなかったですが、不平士族に暗殺されました。

 彼も天才的な軍略家であり彼の登場で戊辰戦争がさっさと片付いたと言われていますので。
 
 
けんちゃんさん、コメントありがとうございます。

ネットでいろんな説を読みましたが、中岡慎太郎説、千葉佐那説からフリーメーソン説といった、ちょっと信じられないような説までいろいろあります。

私も薩摩説にかなりの説得力を感じる一人ですが、どの説を取るにしても証拠が乏しすぎるので、語る人の歴史観によって様々な説が乱立している状況にあります。

他にも可能性を感じる説があり、次回に別の黒幕説を書く予定にしていますので、またお付き合い頂ければと思います。

大村益次郎の暗殺の件はあまり知らなかったのですが、ネットで調べたところでは、薩摩ではなく長州の団伸二郎、神代直人等に襲撃されたようですね。これも諸説があるかもしれませんが…。
 
 
初めまして。昨日、ブログ村のトラコミュ「坂本龍馬」に参加して、こちらのブログを知りました。
私は、坂本龍馬の暗殺が未解決事件である、というところに大きな関心をもっています。
彼は、幕末~維新の時期に於いて、歴史上で、又、その同世代を生きた人々の中で、非常に重要な人物、即ち、有名人であったのに違いない筈です。そういう人間が、闇から闇に葬りさられてしまった、ということには、俗に云う、‘大きな力’(ー国家的暴力)、が動いた、という疑いを抱いても、それは然るべきである と、やはり 思います。
最も具体的に日本の新しい時代のビジョンを描いていながら、その目前で殺されてしまった悲劇の人物、という風に捉えられているところがあると思いますが、彼の暗殺が、国家的な力を持った組織の考えによるものだと考えた時、それが混迷の時代であっただけに、悲劇的な部分は微妙に変わってくると思うのです。
彼が暗殺されたのは維新の直前、そして、そのことを未解決事件としてしまった時に一番力を奮っていたのは、錦の御旗を掲げて登場してきた新政府です。
私は、王政復古の大号令、というのは、坂本龍馬を抹殺したからこそ発することが出来たものだったのではないか、と思う、そして、それは、思想的な問題だったのではないか、と、ちょっと考えています。
 
 
ブログを始めてもうすぐ1年になりますが、いろんな方からコメントを頂き、とても励みになっています。
龍馬暗殺について3回に分けて書いてみましたが、思った以上に反響があって驚きました。アクセス分析をしても古い記事まで読んでくださる人が多くて、とても嬉しいです。

龍馬暗殺の話はいろいろ調べてみましたが、結局武力討幕派が一番怪しい。とりわけ大久保や岩倉が一番怪しいという印象を持っています。

以前廃仏毀釈のことをいろいろ調べたことがあり、このブログにもいくつかの記事を書きましたが、調べれば調べるほど驚くような話だらけで、なぜこのような重大な事件が通史の中でほとんど書かれていないのかを非常に不満に思ったのですが、龍馬の暗殺事件も全く同様で、事件について充分調べつくされたとは到底思えず、むしろ隠されている事のほうがはるかに多いように思えるのです。

つまるところ通史というものは、いつの時代も、どこの国でも、勝者にとって都合の良いように書かれるものだということです。通史にこだわらないでいろんな史料に当たるようになって、結構歴史というものが面白く感じられるようになりました。
 
 
初めまして。
京都のお土産物屋でアルバイトをしている大学生です。
もうすぐ龍馬の誕生日&命日ということで、龍馬コーナーを充実させることをオーナーから命じられました。

大変興味深く拝見しました。
このブログがとてもわかりやすいので、
参考にさせていただけますでしょうか。
 
 
Yさん、コメントありがとうございます。
参考になるものであれば、利用していただいて結構です。

この記事を書いてから1年以上経つのですが、いまだによくアクセスいただいており、坂本龍馬という人物を愛する人がたくさんおられることを実感しています。

この記事を書くにあたり、いろんな人の記事を参考にしました。私の意見も少しは書いていますが、多くはいろんな人が書いているものでもあり、私が参考にした重要な記事はリンクさせていると思います。リンク先も目を通されることをお勧めします。
 
 
しばやんさんこんにちは。

ありがとうございます。分かりました。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んだのは、中学生の頃で、
たぶん実家の本棚にはまだあるのでしょうが、もう1年近く前のことですし、中学生で司馬先生はやはり難しかったのだと思います。記憶が定かではないので。

その程度の知識で、龍馬コーナー担当するなんて…と
恐怖でしたが、このブログで理解が進みました。
読み物的に、暗殺者の説を有力説3つくらいを取り上げて、
お客さんが足を止めてくれるようなコーナーを作りたいと思います。
また結果報告させてくださいね。
 
 
Yさん、こんばんは。

私のブログを参考にしていただけるだけでもうれしいです。
京都だったら近くなので、ひょっとしたら見に行くかもしれませんよ。
しばやんさんこんばんは。

ご返信ありがとうございます。
本当は明日の時代祭に間に合わせたかったのですが…
本業は学生なので、なかなか厳しくて(泣)。
このブログは、本当に読んでいて興味深いです。

あ、私が中学生だったのは、10年以上前です!

おかげさまで構想はかなり練れてきました。
私は、しばやんさんの説にかなり迎合です。説得力があります。
ところで質問なのですが、ここに掲載されている人物の写真は使わせていただいてもよろしいでしょうか。近江屋とか、他ではみつからなさそうな画像も沢山ありますし…。
また教えてください。

ぜひ見に来ていただきたいです。
ちょっとプレッシャーですが、良いものを作る励みにできそうです。
 
 
すみません、龍馬の記事に関しては、寺田屋や桂浜などの写真は私が行って撮影したものが大半ですが、他のブログサイトから拾ったものを借用したものがかなりあります。

他のブログから画像を拾う場合は、厳密にいうといろいろ問題があるかも知れません。私はGoogleの画像検索で探すのですが、多くの人が使っている画像はリスクが小さいと勝手に判断して利用しています。
もし気にされるのでしたら、参照したサイト名を明示するなどされればいかがでしょうか。

ところで明日は天気が厳しそうですね。時代祭もありますが、鞍馬の火祭は雨だと大変ですね。
 
 
しばやんさん、ありがとうございます。

慎重にしてみます。

鞍馬といえば義経ですね。
私は実は、義経が一番好きなんです。
京都は常に歴史を感じられて、
本当に良いところだと思います。

いろいろありがとうございました。
またお願いします。
 
 
しばやんさん、こんにちは。

以前相談させていただいた、「龍馬コーナー」ですが、
おかげさまで、先日、完成させることができました。
今、お店にディスプレイさせていただいています。
遅くなってしまって、すみませんでした。

場所は、近江屋事件跡地にある「サークルK四条河原町店」です。正確には、河原町蛸薬師にあります。
しばやんさん、ぜひいらしてくださいね!

お店の外には石碑がありますが、お近くに来られた際は、読者の皆様も、ぜひ店内にお立ち寄りください。
末尾にしばやんさんのお名前も入れさせていただいています。
この記事をご覧になっている方々からすれば、私のコーナーが、どれだけしばやんさんの記事の助けられているか、お分かりいただけると思います。

私自身が浅学なので、不十分な点が多々あります。
また、うちのお店には、修学旅行の生徒さんも来られるので、生徒さん達にも読みやすいものを作るように心がけました。なので、簡略化しています。
これらの点は、どうかご容赦いただいて、現場で、坂本龍馬に思いを馳せていただけたら嬉しいです。
もし、読者の方々で、来ていただける方がいらっしゃいましたら、お越しの際にスタッフに感想を伝えていただけると励みになります(しばやんさんにはこれだけ助けていただきましたが、上記の理由がありますので、どうかお手柔らかにお願いします)。
イニシャルが「Y」であるスタッフは、私以外にもいますので、
Yで始まる名字であっても、私だとは限りません。すみません。

このようなご縁をいただけたことに感謝します。
一人でも多くの方々に読んでいただけますと、嬉しいです。
どうかよろしくお願い致します。
 
 
Yさん、ご苦労様でした。

龍馬にゆかりのある所で働いておられるのですね。
コンビニのお店の中とはいえ、近江屋事件の跡地で「龍馬コーナー」を作るのに、私の記事が参考になったと言っていただいてとても嬉しいです。

阪急河原町駅からかなり近いので、今月中に立ち寄らせていただきます。その時はかならず声をかけますよ。





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