今、自衛隊の在り方を問う!

急ピッチで進行する南西シフト態勢、巡航ミサイルなどの導入、際限なく拡大する軍事費、そして、隊内で吹き荒れるパワハラ……

社会批評社・新刊『標的の島―自衛隊配備を拒む先島・奄美の島人』

2018年10月06日 | 書籍
*2017年2/24全国書店発売!


●突如発表された自衛隊の先島―南西諸島配備。この島々の要塞化に自治と平和を求めて島人が起ちあがる。再び沖縄を本土の捨て石にするのか?
● 石垣・宮古島・奄美大島で、自衛隊配備に対して起ち上がった住民たちが、現地から自ら描く渾身のドキュメント。 3月公開のドキュメンタリー映画『標的の島』の三上智恵監督も執筆。


●「標的の島」編集委員会編 A5版224頁 現地の写真多数 本体1700円+税
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●目 次
プロローグ 5 三上智恵
      ――先島パワーで日本を覆う戦雲を吹き飛ばす

第1章 ミサイル部隊の先島司令部が予定される宮古島  17
    ――水源地を破壊する配備予定地を中止に追いやった市民たち           

●基地候補地・大福牧場を撤回に追いやった市民のたたかい 17 岸本邦弘     
●子どもたちが夢みる未来にミサイル基地はいりません!  35 楚南有香子
●想像できますか? 宮古島からミサイルが発射される日  44 石嶺香織
●自衛隊の誘致を覆した下地島の非戦 49 近角敏通

◉インタビュー 自衛隊配備予定地に囲まれた野原 64
             ――――仲里成繁さん・千代子さん 
                 聞き手・斉藤美喜
    
■宮古島での防衛省・自衛隊と市民運動の記録 74 編集委員会
■陸自配備で南西諸島を標的にさせないための政府交渉の記録 88 宮古島市民議    

第2章 ミサイル部隊の要塞化が目論まれる石垣島 109 
    ――年末に突如「自衛隊の誘致決定」を行った石垣市長

●私が石垣島への自衛隊配備に反対する理由 109 上原秀政
●再び沖縄戦を繰り返してはならない 115 山里節子 
●観光がダメージを受けても補償なし――防衛省 121 笹尾哲夫
●沖縄が非武装地域になることが東アジアの平和に 124 東山盛敦子
●配備で揺れる石垣島の中の燃える市民・住民たち 130 安住るり
■石垣島の自衛隊配備問題の経緯と取り組み 145 石垣島への自衛隊配備を止める住民の会 

第3章 住民を無視した奄美大島の自衛隊配備計画 148
    ――たった1回の住民説明会で配備を決定した自衛隊
    
◉インタビュー 奄美の自衛隊配備をどうするのか? 148
            ――――牧口光彦さん・佐竹京子さん
         (奄美の自衛隊ミサイル部隊配備を考える会) 
                 聞き手・編集委員会

●いま黙っていたら奄美はどこへ行く 154  薗 博明
●奄美への陸上自衛隊・ミサイル配備に反対する行動経過報告 164 城村典文

第4章 自衛隊の先島―南西諸島重視戦略と「島嶼防衛」戦 174 小西 誠
    ――先島諸島―沖縄本島―奄美大島への配備と増強の実態

■情報公開請求で開示された南西諸島関連・防衛省文書 193    
 資料1 非公開防衛省文書「南西地域の防衛態勢の強化」 194
 資料2 「奄美大島への部隊配備について」(九州防衛局) 207
 資料3 宮古島市に提出された宮古島駐屯地(仮)「対象事業協議書」(沖縄防衛局) 212
 資料4 与那国駐屯地弾薬庫などの「建物計画概要」 221 

版元ドットコム
http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784907127220

小西誠著「オキナワ島嶼戦争」を読む

2018年10月06日 | 書評
有名なブロガーである旗旗さんの「ブログ旗旗」に、『オキナワ島嶼戦争―自衛隊の海峡封鎖作戦』のながーい書評が出ていますので転載してご紹介します。

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「オキナワ島嶼戦争」を読む(1)

「オキナワ島嶼(しょ)戦争~自衛隊の海峡封鎖作戦」(小西誠・社会批評社・1800円)を読んだ。著者は元反戦自衛官で社会批評社の社長でもある。先島諸島方面へ自ら取材に行き、防衛関係の豊富な資料を駆使しながらの著述だから説得力がある。沖縄ではいま辺野古や高江で基地反対の運動が重要な局面を迎えているが、それも自衛隊の海峡封鎖作戦と連動していることがよくわかる。そしてこの作戦は日本の自衛隊が主役ではあっても、根本はアメリカの対中封じ込め作戦の一部分だという事実がある。そこには島民を太平洋戦争での「軍民玉砕」と同様の悪夢に追い込むかもしれない緊急の警告まで含まれているのだった。

 冷戦の終了によって、自衛隊の配備は北海道から南西方面へと大きく転換した。具体的に言うと、ソ連の侵攻に備えて北海道に陸上自衛隊の戦車や火砲の部隊を厚く配置していたのを、九州の先の沖縄から台湾まで続く列島弧に線として配置することにした。それと同時に島への配備は海と空からの支援が不可欠だから、陸海空3自衛隊を統合して動かす「統合指揮」のシステムという質的な変更も必要となった。そして仮想敵国は、当然にソ連・ロシアから中国に変更することとなる。この要求は、日米同盟に基づく要請なので、日本としては断ることができないのだ。そして軍人は常に仮想敵国を必要としている。敵がいなくなったら装備も訓練も意味がなくなってしまうのだから。

 南西方面の重視というと、尖閣諸島を連想する人が多いかもしれないが、防衛計画には尖閣の文字は出てこない。現に日本が実効支配しているのだから、警備は海上保安庁の仕事になる。この問題については中国側も心得ているから、出てくるとしても「海警」の船に限られる。「海軍」が出動したら正式な領土紛争になるから、当分はそれが正解なのだ。

 ところがここで地図を逆さまにして見ると、中国の立ち場がリアルにわかってくる。北京、上海、旅順といった中国の心臓部に面する黄海と、それに続く東シナ海(著者は「東中国海」と表記している。シナの呼称は使わない方がいいのだが、ここでは一般の呼称にしておく。)は、日本の南西諸島によって西太平洋と分断されているのだ。もしこれが「封鎖線」として機能したら、中国の海への出口は辺境の海南島から南シナ海経由の南太平洋へ出るしかなくなってしまう。先方から見たら、窒息させられそうな圧迫感になるのではあるまいか。

 中国の海洋進出については、日本でも警戒心をもって語られるようになった。南シナ海の南沙諸島への埋め立て工事のニュースもあった。その前には東シナ海での「防空識別圏」設定も、中国の脅威の文脈で語られたことがあった。しかし日本がアメリカ軍から引き継いだ空域と、中国側の識別圏が重なったというだけの話で、防空識別は領空といった権利とは関係のない技術的な問題に過ぎない。後発の中国が国際性を身につけて行く過程だと、著者は冷静に記述している。

「オキナワ島嶼戦争」を読む(2)

 本論である自衛隊の海峡封鎖作戦については、かなり詳細な資料が掲載されている。先島諸島に駐留させる部隊の総計は約1万名となり、沖縄本島に控える即応可能な増援兵力は約4万名と見られる。駐留先の島では住民への説明会や、自衛隊施設の建設が始まっている。弾薬庫の大きさなどから見て、本格的な島の要塞化が進められるようだ。潜水艦の通過を完全に把握するために、各種の装置も設置するだろう。

 島がこういう重要拠点になると、仮想敵国との間での争奪戦も予想しなければならない。そこで綿密な作戦計画も立てられている。それは島嶼の防衛、着上陸された場合の戦闘、島を占領された場合の奪還の3段階になる。陸海空3軍の緊密な連携が必要なのは言うまでもない。陸上自衛隊は上陸作戦を念頭に入れて水陸両用戦闘車両なども充実させなければならない。「強襲揚陸艦」も必要になる。その様態はアメリカの海兵隊を典型とする「遠征殴り込み部隊」に似たものになってくる。

 島嶼の防衛戦というと、日本軍には太平洋戦争での苦い経験がある。制空・制海権を失って孤立した島の守備隊は、圧倒的な上陸軍を相手にして絶望的な「時間稼ぎ」の抵抗をつづけ、最後は次々に「玉砕」して行くしか術がなかったのだ。そして世界の戦史でも、島の防衛戦で防御の成功例というのは、ほとんどないということだ。1982年のフォークランド紛争でも、イギリス軍はアルゼンチン軍の上陸を阻止できず、島の奪回には海戦での勝利を待たなければならなかった。

 そこで自衛隊の作戦では、あくまでも空・海自衛隊の参加による統合指揮が有効という前提で立てられている。つまり制空・海権は保持しているという建前なのだ。すると、どうして仮想敵国は日本領の島に上陸して占領することができたのかという疑問が生まれる。すぐに反撃されて奪回作戦を発動されるようなところへ、わざわざ上陸してきたりするだろうか。まして今はレーダーや監視システムが整備されている中で、奇襲の上陸作戦などがあり得るのだろうか。

 すべてはアメリカの世界戦略に従った中国封じ込めのための「海峡封鎖」が原因になっていることは疑いようがない。日中関係は尖閣問題以来冷え込んでいると言われるが、これでは日本側から新しい圧力を中国に与えるための作戦を発動したことになる。日中関係をことさらに緊張させることは、今の日本の国益にかなうことなのだろうか。現地島民を危険に巻き込むだけではないのか。

 自衛隊を急いで先島諸島に配備しなければならないほどに中国からの脅威が迫っているとは思えない。著者は結論として、日本から先んじて先島諸島の「無防備都市宣言」をすることを提案している。それで国際条約で保護されるというのだが、私はそれまでにする必要もないと思う。先島諸島は、今までの通りの平和な島に戻るだけでいい。南西方面の重視なら、空と海の機動力を充実させる方が、無駄なくそして有効なのではないかと思うのだ。

http://bund.jp/modules/antenna001/index.php…

『自衛隊の島嶼戦争―資料集・陸自「教範」で読むその作戦』

2018年10月06日 | 書籍
・2017年11月16日、全国書店発売! 小西 誠/編著 社会批評社 A5判352頁 本体2800円+税


*大改訂された陸自最高教範『野外令』、新制定された『離島の作戦』『地対艦ミサイル連隊』『機動展開能力』など、自衛隊幹部専用の教範(教科書)に書かれた島嶼防衛戦の全容が、初めて公開される(墨塗り以外の全文)。


*メディアが報じない、自衛隊が先島ー南西諸島に新配備する戦闘部隊の、その作戦任務の全貌、凄まじい地上戦ー島嶼戦の実態が明らかに!

「はじめに」「解説」がリンクから立ち読みできます。
 http://www.maroon.dti.ne.jp/shakai/jsdf-tachiyomi.pdf

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目  次

●はじめに 「東シナ海戦争」を誘発する自衛隊の南西シフト下の「島嶼防衛」態勢 4
●資料解説
●情報公開請求で捉えた陸自教範で記述される「島嶼防衛」戦 10
●情報公開法で捉えた「島嶼防衛戦」資料
 陸自最高教範『野外令』の「離島の作戦」   陸上幕僚監部  18
 陸自教範『離島の作戦』           陸上幕僚監部 37
 陸自教範『地対艦ミサイル連隊』       陸上幕僚監部 153
 自衛隊の機動展開能力向上に係る調査研究」  統合幕僚監部 296
 日米の『動的防衛協力』について」防衛政策局日米防衛協力課 332
 日米の動的防衛協力について」別紙1統合幕僚監部防衛計画部 340
 「沖縄本島における恒常的な共同使用に係わる陸上部隊の配置」       
  別紙2 統合幕僚監部防衛計画部     345

自衛官の人権をめぐる闘いの歴史と現在

2018年10月06日 | 書籍


*本稿は、2018年3月12日発行(約50年ぶりの復刊)の拙著『反戦自衛官』の解説文です。
*『反戦自衛官―権力をゆるがす青年空曹の造反』(復刻増補版)(本体1800円・社会批評社) http://www.maroon.dti.ne.jp/shakai/24-4.htm
*同書の「立ち読み・試し読み」ができます。写真が多数あります(はじめに、第1章の一部、解説が読めます)。 http://hanmoto.tameshiyo.me/9784907127244 
(写真は、自衛隊に「沖縄派兵中止」「自衛官の言論活動の自由」などの「10項目要求」を求める6人の自衛官ら。1972年4月27日、防衛庁近くで記者会見、同28日東京芝公園の「4/28自衛隊の沖縄派兵阻止」集会で登壇)。



解説 二度の無罪判決と小西以後の闘い

 ほぼ半世紀前の、稚拙な自分の文章を再読すると恥ずかしい思いがするが、読者にはこれもあの時代の激しい闘いの息吹の中で執筆したものとして了解していただきたい。
 本稿は、校閲・校正箇所を除いて初稿の原文をそのまま掲載している。ただし、初稿にはなかったが、本文中に当時の状況が理解しやすいように写真を多く掲載するようにした(このため、原文の最首悟氏との対談は、原稿文量を超えるので割愛した)。

 第一回裁判以後

 さて、本書は、一九七〇年七月の第一回裁判開始直前の記述で終えている。第一回裁判は――。
 「七〇年七月二三日、新潟の街は小西裁判一色に包まれた。 町並みの至るところにビラ、ステッカーがはられている。宣伝カーはボリューム一杯に一日中鳴り響いた。
 裁判所周辺の緊迫は一段と激しい。路地の至るところに完全武装した機動隊と私服刑事が潜んでいる。警察はこの裁判のため、新潟の機動隊だけでは足りず、関東管区からも機動隊の応援を求めたという。

 権力のこうした態勢と呼応して右翼もまた、大動員し市内を走り廻っている。『売国奴! 小西元三曹の裁判を厳重監視しよう』、こう書かれたステッカーが裁判支援のステッカー以上に街中に氾濫している。
 予想される右翼の妨害に対し、小西裁判支援のため全国から集まってきた人々は、現地新潟の人々と共に、すでに第一回公判の五日前から裁判所横の路上にテントを張って座り込んでいる。

 機動隊に包囲された裁判所。その構内に入ると「立入禁止」の看板が目につく。裁判所は、小西裁判に備えて、すべての法廷を閉廷した。この厳戒態勢の中を私は、四〇名の弁護団と一緒に法廷に入った。いよいよこれから裁判が始まる」(拙著『小西反軍裁判』三一書房)

 さて、足かけ一一年間にわたる刑事裁判は、第一審判決が一九七五年二月「検察側の証明不十分にして被告は無罪」、検察側の控訴による控訴審判決が、一九七七年一月「新潟地裁差し戻し」、そして、差し戻し後の新潟地裁では、一九八一年三月「小西の行為は言論の自由の範囲内」として再び無罪判決が下された。検察側が控訴を諦めたため、この無罪判決は確定した。

 自衛官の初めての人権裁判 

 ところで、七〇年代初頭のこの時代は、長沼自衛隊違憲訴訟、百里自衛隊違憲訴訟が同時に争われており、いわゆる小西裁判も、この自衛隊違憲訴訟の一つとして争われることで注目を集めていた。実際、裁判は「自衛隊法違反適用」事件として、被告・弁護団とも、裁判開始直後から自衛隊・自衛隊法の違憲性を正面から争うものとして展開された。このために、被告・弁護側は、公判当初から自衛隊関係の多数の証人・証拠の提出を求めるとともに、二度にわたる公訴棄却を申し立てた(自衛隊法は、全面的に憲法違反であるから「小西起訴」自体が違憲)。

 それにもまして、小西裁判がもう一つの自衛隊違憲訴訟として、正面から争われることになったのは、この時代の政府・自衛隊の政治判断であった。当時、防衛庁長官であった中曽根康弘は、「七五年までに長沼、小西裁判で憲法の再確認(自衛隊合憲)を求める」と発言していたが(七一年五月アジア調査会での講演)、この政治目的は、第四次防衛力整備計画で一挙に軍拡を推し進める自衛隊の、国民的認知を確定することにあった。

 しかし、このような自衛隊違憲訴訟とともに、いやそれ以上に重要な小西裁判の争点は、逮捕・起訴理由に挙げられている、自衛官の政治的行為、言論活動の自由――自衛官の人権をめぐる問題であった。

 本文の記述のように私は、佐渡基地内で、チラシ、ステッカーを大量に配布し、全隊員の前で「治安訓練拒否」を宣言した。検察側は、最終的にこれらの行為を自衛隊法第六四条違反の「怠業および怠業的行為の煽動罪」として処罰を求めてきたが(逮捕時の第六一条「政治的行為の禁止」は適用せず)、この「煽動罪適用」こそは、憲法第九条下の自衛官を巡る人権状況を見事に表していた。

 検察側の判断は、すでに現実的に国家公務員の政治的行為への刑事罰の適用ができなくなりつつある中、憲法下、とりわけ自衛隊の違憲性が問われる九条下では、「政治的行為禁止」条項では自衛官といえども刑事罰を求めることはできないということであった。後述するように、以後の自衛隊内での闘いの中で、自衛隊法の政治的行為の禁止という刑事罰の適用は事実上、無効化された。

 そして、小西裁判による二度の裁判所の判決で明らかになったのは、この政治的行為の禁止に代わって言論活動を封殺する煽動罪による刑事罰の適用問題であった。この「煽動罪」は、日本では破防法・爆発物取締法以外に法的規定がないことから、自衛官のみに適用される治安法とも言えよう。つまり、軍法会議がない自衛隊という軍隊における、唯一の「軍法」と言えるかもしれない。

 結論すれば、小西裁判で真っ向から問われ、闘われたものは、自衛官(兵士)の人権――言論の自由、政治活動の自由ということであり、憲法第九条下では自衛官(兵士)の言論活動について、一切の刑事罰を下すことはできないということである。
 この意味で日本の軍隊史上、初めて勝ちとられ、認められた兵士の人権である(なお、国家公務員の政治的行為の処罰については、猿払事件の最高裁判決を始め、最近の国家公務員の政治的行為を巡る判決においても刑事罰が下され始めている。つまり、憲法九条の改悪下では、このような自衛官の言論活動も再び刑事罰の対象になるということだ)。写真は1981年の無罪確定判決の記者会見(新潟弁護士会館)



 自衛官の人権を求める「一〇項目要求」の提出

 この小西裁判による、自衛隊法第六一条の無効化を実践的に示したものこそ、一九七二年、反戦六自衛官による防衛庁長官への「一〇項目要求」である。 
 一九七二年四月二七日、現職の陸上自衛官・与那嶺均一士以下の陸空の自衛官たちは、防衛庁正門前で「自衛隊の沖縄派兵中止、自衛隊員の表現活動の自由」などの、下級兵士たちの一〇項目を防衛庁長官に「請願」した。そして翌日、東京芝公園の「沖縄デー」集会の壇上から制服を着用してその正当性を訴えたのだ(左、表紙カバー写真)。以下がその要求である。

 要求項目 
 一、われわれは、侵略のせん兵とならない。沖縄派兵を即時中止せよ。
 二、われわれは、労働者、農民に銃を向けない。立川基地への治安配備を直ちにやめよ。
 三、われわれに、生活、訓練、勤務の条件の決定に参加する権利、団結権を認めよ。 
 四、われわれに、集会、出版の自由など、あらゆる表現の自由を認めよ。
 五、われわれは、不当な命令には従わない。命令拒否権を確定せよ。
 六、幹部、曹、士の一切の差別をなくせ。
 七、勤務時間以外のあらゆる拘束を廃止せよ。
 八、私物点検、上官による貯金の管理などの一切の人権侵害をやめよ。
 九、小西三曹の懲戒免職を取り消し、直ちに原隊に復帰させよ。
 十、われわれは、自衛官であると同時に労働者、市民である。労働者、市民としてのすべての権利を要求する。
                                        一九七二年四月二七日

 陸上自衛隊第三二普通科連隊第一中隊(市ヶ谷駐屯地)     一等陸士 与那嶺 均
 陸上自衛隊第四五普通科連隊第一中隊(京都大久保駐屯地)   一等陸士 福井 茂之
 陸上自衛隊富士学校偵察教導隊(富士駐屯地)         一等陸士 内藤 克久
 陸上自衛隊第二特科群第一一〇特科大隊本部中隊(仙台駐屯地) 一等陸士 河鰭 定男
 航空自衛隊第二高射群第五高射隊射統小隊(芦屋基地)     一等空士 小多 基実夫
 航空自衛隊第四六警戒群通信電子隊(佐渡基地)         三等空曹 小西 誠(行政不服申し立て係争中)
 防衛庁長官 江崎真澄殿

 この彼らの行動に対して、自衛隊警務隊は、一応「逮捕態勢」に入ったが、集まった民衆の力でそれは阻止された。しかし、数日後、彼ら全員が「隊員としてふさわしくない行為」(自衛隊法第四六条)として懲戒免職処分に付された。

 ここで明らかになったのは、もはや、自衛隊はこのような公然たる制服着用による政治活動に対しても、第六一条違反での刑事罰を下せなくなったということだ。つまり、小西裁判で実証されたことが、この六自衛官の行動で確定したのだ。

 これらのことから言えることは、自衛隊創設以来、政府・自衛隊はもちろんのこと、この日本社会が想像もしていなかった自衛官の権利=軍隊内の兵士の権利が、確実にその兵士たちの手で勝ち取られつつある時代が始まったということである。

 卑劣な弾圧手段に乗り出す

 さて、自衛隊法による刑事的弾圧手段を裁判闘争や世論の力で封じ込められた自衛隊は、このあと、ますます卑劣な手段を駆使して隊内の「反戦兵士狩り」に乗り出す。
 この一つが、一九七五年の戸坂陸士長への集団リンチによる退職強要事件であり(陸自市ヶ谷駐とん地。東京地裁において「退職承認処分」取り消しの判決確定)、七八年の町田陸士長への再任用拒否事件である(同市ヶ谷駐とん地。東京高裁で原告の訴えは却下。 八七年には陸自練馬駐とん地においても、宮崎陸士長の再任拒否事件が起こった)。

 そして、任期制隊員ではない陸曹らに対しては、「配置転換」という労働争議で見られる手段を行使し始めた。
 一九七二年の六人の自衛官らの「一〇項目要求」以後、全国に広がった自衛隊の兵士運動は、特に首都東京のど真ん中、市ヶ谷駐とん地で深く広く浸透していった。 七五年には、駐とん地内に「不屈の旗」という自衛官自身による機関紙(写真参照)が発行され、 ついに八〇年には、 その中に「市ヶ谷兵士委員会」という自衛官たちの非公然の自立組織が誕生したのだ。

 この市ヶ谷兵士委員会は、一九八〇年代半ばに至ると、同駐とん地の第三二普通科連隊第四中隊を中心に、隊内に大きな影響力を持ち始めた。一時期当局は、第四中隊の「解隊」を目論んでいたぐらいである。そして、この当局による最終的弾圧手段が、同中隊の兵士委員会の中心メンバーと見做された、古参の陸曹ら(下士官)の配置転換だった。

 一九八九年、同連隊第四中隊の片岡顕二二曹は、突如として北海道へ、また同部隊所属の佐藤備三二曹もまた同様に、習志野部隊への配置転換を命ぜられた。これらの不当弾圧に対し、二人とも配置転換を拒否し「苦情処理申し立て」を始めとする、あらゆる法的手段を行使して闘ったが、当局は直ちに命令違反による懲戒免職処分を下した(原告らの処分取り消し訴訟は、東京高裁、札幌高裁で却下)。

 掃海艇派兵の中止要求

 一九九〇年代は、戦後自衛隊にとってエポックとなった年だ。戦後初めての海外派兵が、九一年四月に海自掃海艇のペルシャ湾への派兵として、また、九二年九月には陸自がカンボジアへ国連PKOとして派兵された。以後、自衛隊の海外派兵は、常態化していくことになる。
 この戦後自衛隊の歴史的大転換に対し、誰よりも先頭で闘ったのが、八九年から再び活性化した陸自・市ヶ谷駐屯地に結集する反戦自衛官たちであった。当時の多くの反戦運動が停滞する中で、彼らはこの困難な自衛隊の海外出動に隊内から対峙した。

 一九九一年四月二五日、前夜の掃海艇のペルシャ湾派兵の閣議決定、そして翌日の掃海艇部隊の出動という日を目前にして、陸自・市ヶ谷駐とん地に属する、片岡顕二二曹、吉本守人三曹、藤尾靖之陸士長は、その派兵に抗すべく六本木の防衛庁長官室(当時)の前に到着した。
 彼らは「掃海艇派兵の中止」を求める「意見具申書および請願書」を取り出し、長官室のドアをノックした。
 そのノックを終える間もなく、彼らは、長官のSP三人に取り押さえられ、その後逮捕された(以後、藤尾士長は再任拒否、吉本三曹は懲戒免職)。以下が彼らの意見具申書などである。写真は防衛庁長官室(当時)前で、長官SPに暴行を受ける3自衛官


 意見具申書および請願書
 私たちは、憲法および自衛隊法を公然とふみにじる海上自衛隊・掃海艇部隊の中東派兵を即時中止するよう陸上自衛隊服務規則第二〇条に基づき意見具申するとともに、請願法第五条の定めにより一市民として請願する。
 自衛隊の任務および行動は、自衛隊法第三条が定めたように、日本の領海に限定したものである。しかるに、今回の「機雷除去」を口実にした自衛隊の海外出動は、この任務を大きく逸脱した違憲・違法の出動であり、私たちは断じてこれを黙認できない。
 今回の「日の丸」をつけ、武装した艦隊の海外出動は、アジア・中東諸国への軍事的威嚇であり、戦闘行動――武力行使以外のなにものでもない。
 もしも、このような自衛隊海外派兵の第一歩を許したとすれば、もはや戦後憲法は破壊され、日本が再び戦争への道へいきつくことは明らかである。
 今や、中東・アジア諸国の人々はこうした自衛隊海外派兵に強い危惧を抱いており、国内でも多くの民衆が懸念を表明している。
 以上の立場に立ち私たちは、一自衛官として、あるいは一市民として次の点を意見具申し、請願する。

 一、違憲・違法の海上自衛隊掃海艇部隊の海外出動を即時中止すること。
 二、自衛官に思想および言論の自由などの民主的権利、命令拒否権を与えること。
 三、藤尾靖之陸士長への思想弾圧に基づく、再任用拒否の通告をただちにとりやめること。
 四、吉本守人三曹への思想弾圧に基づく、人権侵害を深く反省し、是正すること。
 五、片岡顕二・佐藤備三二曹の思想弾圧による転任および懲戒免職処分を公正審査会はただちに取り消すこと。
 一九九一年四月二五日
        陸上自衛隊第三二普通科連隊第二中隊  陸士長  藤尾靖之   拇印
        陸上自衛隊第三二普通科連隊重迫中隊 三等陸曹 吉本守人  拇印
        陸上自衛隊第三二普通科連隊第四中隊 二等陸曹  片岡顕二  拇印
防衛庁長官 池田行彦殿

 九〇年代から現在へ 

 この勇気ある三自衛官の闘い以後、市ヶ谷駐とん地内では、反戦自衛官らへの凄まじい弾圧が吹き荒れ始めた。当局は自ら手を下すのでなく、右翼・当局派の下士官らを使嗾して、「反戦派狩り」を推し進め始めたのだ。隊内では、彼らへの暴力事件、リンチ事件が頻発・横行する。もちろん、これらの暴力事件に対して、当局は形式上の処分はするのだが、実際は奨励していたのだ。

 こういう厳しい弾圧を経過して、二〇〇四年の自衛隊のイラク派兵という本格的海外派兵の始まりの中で、「自衛官人権ホットライン」運動が始まった。この自衛隊内の、初めての隊員たちの相談機関であるホットラインには、発足以来すでに一五〇〇件を優に超える自衛官とその家族からの相談が寄せられている。隊内で孤立し、苦悩する隊員たちとその家族らには、この救済組織が事実上、唯一つの「駆け込み寺」となっているのだ。

 そしてまた、このような歴史的闘いの経験と継承が、現在始まっている現職自衛官らの国・自衛隊を相手にした裁判である。只今現在、「安保法=戦争法」の違憲裁判を含め三人の現職自衛官たちが、自衛隊当局を相手に行政裁判を行っている。この現職自衛官らが「現職」のままで、当局の不当な取り扱いに抗議の声を挙げ始めたということは重大だ。しかも彼らは、幹部や上級の曹である。ここには、自衛隊がもはや旧日本軍の伝統を継承した軍隊(「命令への絶対服従」などの軍紀)としては存立し得ない、社会的・政治的根源が生じていると言えよう。

 同様に、自衛隊内のいじめ・パワハラ・自殺事件などをめぐって、この一〇数年来、自衛官およびその家族からの訴えによる二〇数件にものぼる裁判が行われていることも重大だ(裁判終了を含む)。しかも、これらの自衛隊を相手にした裁判は、ほとんどが国・自衛隊の敗訴として終わっているのだ。

 このような状況を見ると、もはや自衛隊は、自衛官らに「絶対服従」を強いて忠実さだけを求める「軍隊」として存立することはできないということである。つまり、日本の軍隊=自衛隊もまた、北欧諸国の軍隊と同様、民主主義・人権を尊重した組織として「脱皮」(変革)するほかはないし、そうしない限り組織としては生き残れないのだ。

 言い換えれば、先進国の軍隊は、この人権・民主主義・生命の尊重(そして少子化)という重大なテーマを克服しない限り、その存立の危機に立たされる時代に入っているのだ。

 反戦自衛官らの、およそ半世紀にわたる闘いが提示したのは、まさしく、この戦争と軍隊の問題、根源的な平和社会を、この世界にどのように実現するかをめぐる運動であったとも言えよう。
                                      (二〇一八年二月二〇日)

 ●小西裁判・自衛官の人権関連資料 
 *『自衛隊その銃口は誰に』(小西反軍裁判支援委員会編、現代評論社) 
  小田実・小田切秀雄・山辺健太郎・藤井治夫・江橋崇・竹内芳郎、そして小西誠ら、各界の論客が語る叛軍の論理
 *『裁く――民衆が日本の軍国主義を』(小田実編、合同出版)
  ・小田実・山辺健太郎・星野安三郎らが、今法廷で裁かれようとしている小西の立場から権力を裁く「民衆法廷」を開催。その全記録
 *『小西反軍裁判』(小西誠編著・三一書房)
  ・小西刑事裁判の記録とドキュメント、第一審・控訴審・差し戻し審の判決全文収録
 *『自衛隊の兵士運動』(小西誠著・三一新書)
  ・七〇年代前半の自衛隊内の反戦運動の詳細を記録
 *『自衛隊の海外派兵』(小西誠・星野安三郎共著・社会批評社)
  ・九〇年代の海外派兵に向かう自衛隊内部の諸問題を記述
 *『隊友よ、侵略の銃はとるな』(小西誠著・社会批評社)
  ・七〇年代から八〇年代の自衛隊内の緊迫する闘いを描く
 *『海外派兵』(片岡顕二著・社会批評社)
  ・掃海艇のペルシャ湾派兵に反対した市ヶ谷自衛官たちのドキュメント
 *『自衛隊 そのトランスフォーメーション』(小西誠著・社会批評社)
  ・二〇〇〇年代に歴史的再編に向かう自衛隊とその内部の問題を喝破
 *『自衛隊 この国営ブラック企業』(小西誠著・社会批評社)
  ・現在の大再編される自衛隊内の隊員らの意識・苦闘を描く
 *『マルクス主義軍事論入門――マルクス主義軍事論第一巻』(小西誠著・社会批評社)
  ・クラウゼヴィッツ、マルクス、エンゲルス、レーニン、トロツキーなどの軍事理論を体系的に分析した革命の軍事理論
 *『現代革命と軍隊――マルクス主義軍事論第二巻』(小西誠著・社会批評社)
  ・パリ・コンミューン、ドイツ・ロシア革命、チリ・クーデタ、日本の戦前の兵士運動など、世界革命史の中の軍隊と革命をめぐる歴史と理論、兵士運動を分析

新刊『自衛隊の南西シフト―戦慄の対中国・日米共同作戦の実態』のプロローグから

2018年10月06日 | 書籍

急ピッチで進む先島―南西諸島の要塞化(写真は、宮古島駐屯地(仮)の工事現場)   #自衛隊 #南西シフト #沖縄


プロローグ
忖度か、政府による報道規制か

 今、この日本で、戦慄する状況が進行している。
 それは、本書で筆者がリポートする、先島―南西諸島への自衛隊の新基地建設、新配備に関するマスメディアの沈黙だ。
 2016年6月の奄美大島、2017年10月からの宮古島駐屯地(仮)工事の着工、そして今、急ピッチで進む石垣島への自衛隊基地建設、沖縄本島での自衛隊の増強・新配備という、一連の自衛隊の南西シフト態勢に関して、マスメディアは、事実さえもほとんど報道しない。

 マスメディアだけではない。従来、このような日本の軍拡や平和問題で発言してきた知識人らも、驚くべきほどの沈黙を守っている。
 彼らは、この急速に進んでいる先島―南西諸島への基地建設について全く知らないというのか? そうではない。マスメディアは、日本記者クラブでの現地調査も行っており(後述)、平和問題で発言してきた知識人らも、幾人かが現地を訪れたことを筆者は確認している。

 しかし、彼らのほとんどは依然として発言しないのだ。何故なのか? 筆者は、2016年夏から2017年にかけて、幾度か与那国島・石垣島・宮古島、そして奄美大島を訪ねて、その基地建設の現場を見てきた。

拡大し続ける 駐屯地と隊員

 そこには与那国島を始め、防衛省・自衛隊当局が、地元に説明している事実とは全く異なる実態が隠されていた。
 例えば、後述する2016年3月に開設された与那国駐屯地。
 左頁の写真に写っているのは、かなりの広大な敷地を有する駐屯地だ。これが、160人規模の沿岸監視隊だと言えるのか。
 読売新聞の元記者は、与那国駐屯地へミサイル部隊の配備が予定されていることを記述しているが(『自衛隊、動く』勝俣秀通著・ウェッジ)、この駐屯地の敷地面積の広さや、与那国島の地理的位置からして不可避的に、ミサイル部隊の配備は必至といえるかもしれない。

 最新の防衛省の発表では、「兵站基地」とされている与那国駐屯地の巨大弾薬庫も、それを表している。つまり、現在、先島―南西諸島で進んでいる基地建設は、沖縄世論を恐れて規模を縮小して行われているが、「宣撫工作」が成功すればするほど、拡大していくということだ。
ミサイル部隊の配備、そして琉球列島弧の要塞化
 
これを示しているのが、最近明らかになった先島諸島などへのミサイル部隊の配備問題だ。
 2018年4月、国会で暴露された自衛隊の南西シフトの策定文書「『日米の『動的防衛協力』について」(統合幕僚監部)は、民主党政権下の2012年に作成されたが、この最初の南西シフト策定文書では、先島―南西諸島へのミサイル部隊配備は、明記されていないし、予定もされていない。つまり、この時期では沖縄世論を恐れて、ミサイル部隊配備は「有事展開」だったことが分かる。実際、この前後から自衛隊は、ミサイル部隊の「緊急展開訓練」を行っていたのだ(西部方面隊の「鎮西」演習など)。ところがどうだ。住民への宣撫工作成功とみるや否や、自衛隊は先島、奄美ばかりか、沖縄本島への地対艦ミサイル部隊の配備まで打ち出したのだ(2018年2月)。

 そればかりではない。先島をはじめ、南西諸島の民間空港へF35B戦闘機を配備するという、凄まじい事実までが発表された。
 それは、与那国島・石垣島・宮古島・南北大東島などの民間空港を軍事化し、F35Bの基地に使用するという計画だ。
 マスメディアでは、このF35Bの運用については、ヘリ空母「いずも」などの改修による本格空母の導入が注目されているが、短期的に採用されるのは、南西諸島の民間空港の軍事化である。

 つまり、先島―南西諸島は、対艦・対空ミサイル部隊などの基地として要塞化されるだけでなく、琉球列島弧に沿ったほとんどの島が、文字通りの要塞――不沈空母として造られていくということだ。

 一大要塞島と化す奄美大島


 左の写真を見てほしい。これは、2018年6月中旬の奄美大島・大熊地区の駐屯地工事現場だ。この地点を防衛省は、陸自・地対空ミサイル部隊・警備部隊350人規模の配備と発表しているが、誰の目にもそれをしのぐ巨大さは明らかだ(敷地面積30ヘクタール)。
 奄美大島にはまた、陸自の地対艦ミサイル部隊・警備部隊の駐屯地が、瀬戸内町節子地区へ建設されている(写真下)。この規模も防衛省は、200人規模と発表しているが、駐屯地敷地の巨大さ(28ヘクタール)からして、配備部隊の大幅な増強は必至だ。節子地区には、防衛省自身が「大規模火薬庫」と明記している、弾薬庫も造られつつある(写真下の左上部分)。


 これだけでも、奄美大島の基地建設が凄まじいことが分かるが、この島には、空自の移動警戒隊の配備が発表されているばかりか、空自の通信所建設までもが発表されている。
 要するに、奄美大島は、琉球列島弧の北の拠点として島全体が要塞化されるということだ。しかも、本文で叙述するように、種子島・馬毛島の「事前集積基地」と相まって、南西諸島への機動展開・中継拠点としても確保されようとしているのだ。

一行も報道されない奄美の基地建設

 おそらく、読者は宮古島を始めとする先島諸島の基地建設の現場もそうだが、とりわけ、この奄美大島の自衛隊駐屯地の工事現場を、初めて知ったのではないだろうか。
 率直に言えば、ここまで大規模に進行している奄美大島の基地建設について、全てのマスメディアは、一行・一秒も報道していない。リベラルと言われる朝日新聞を始めとしてそうである。信じられないだろうが、これは事実だ。最近、『週刊金曜日』(2018年4月13日付)などが少しだけ報じ始めたが、未だにマスメディアの報道は皆目ない。

 残念ながら、奄美大島の自衛隊基地建設に関する限り、あるいは、先島―南西諸島への自衛隊基地建設と言ってもいいが、マスメディアは、ほぼ完璧に政府・自衛隊への「翼賛勢力」に転化した。
 もちろん、奄美大島の地元の新聞は、正確に報道しているが、これが全く本土へは伝わらない。 
抵抗の砦・石垣島のたたかい

 与那国島の基地建設が完了し、宮古島、奄美大島の基地建設工事が、着々と進んでいる中で、石垣島は現在、唯一つ基地建設を食い止めている島だ。
 しかし、その石垣島にも、防衛省の魔の手は迫ってきている。今年5月からは、「防衛は国の専権事項」などとうそぶき、基地誘致について言葉を濁していた中山石垣市長が、駐屯地予定地である平得大俣地区、そして、全石垣市民を対象とした「自衛隊配備の説明会」を開催・強行した。

 この中山市長の豹変ぶりからすれば、相当の政府・防衛省の建設推進への圧力がかけられていると言えよう。奄美大島、宮古島への自衛隊配備は、2018年度末と予定されているが、石垣島では、未だに用地確保のメドさえ立っていないからだ。

 駐屯地の予定地は、全体として市有地(ゴルフ場)であるが、予定地内には農地もある。木方さんの「ダハズ農園」(次頁の防衛省図面)は、防衛省が何の前触れもなく、いきなり駐屯地用地に組み入れた。この図面の発表後、沖縄防衛局が二度ほど「挨拶」に来たというが、常軌を逸した行為だ。
 駐屯地予定地とされる 平得大俣地区の四つの自治公民館は、全地区あげて自衛隊駐屯地の建設に反対だ。先の石垣市長の説明会にも、全地区あげてボイコットし、強く抗議行動を行っている(写真下、開南・於茂登地区への説明会に抗議)。

石垣島最大の農業地帯の基地化

 開南・於茂登・川原・嵩田の4地区自治公民館でつくられている平得大俣地区は、石垣島でも最大の農村地帯であり、景勝地だ。戦後、沖縄本島の米軍基地建設で追い出された開拓農民たちが創り上げたという集落は、沖縄最高峰の於茂登岳の南に広がる豊かな農村地帯だ。
 この緑豊かな地域に、46ヘクタールもの敷地を占有し、対艦・対空ミサイル部隊、警備部隊などを配備するというのだから、農民らをはじめ、石垣住民らが反対するのは当然である。

 しかも、石垣島は、戦中の一時期、1944年からおよそ1年余りしか、「軍隊」が駐屯したことはないという、非武装の島なのだ。もちろん、戦後は米軍も自衛隊も、一兵さえも駐留したことはない。戦後73年、軍隊がいなかった島に、「防衛の空白地帯」などと口実をつけて軍隊が来ることを、石垣島島民は決して許さないだろう。

日本記者クラブ取材団は先島で何を見てきたのか?

 下の記事は、2016年11月30日から12月1日まで、与那国島・石垣島を取材したとされる「日本記者クラブ」16人の、石垣市長への取材を報じる記事だ(八重山毎日新聞、同年12月2日付)。
 取材団には、沖縄2紙をはじめ、新聞・テレビのマスメディアが参加していたと言われる。
 ところで、沖縄本島の2紙は、翌2017年初めから、特集を組んで、自衛隊の先島―南西諸島問題をようやく本格的に報じ始めた。ところが、残りのマスメディアはどう報じたのか? なんと、ほとんどが沈黙を守ったのだ!

 下の左の資料は、ウェブサイトに貼られていたNHKの深夜の解説記事である(17年1月31日)。この解説委員は、自らがこの取材団に参加していたことを話し、若干の自衛隊の南西シフトに関する解説を行っている。しかし、報道は深夜なのだ。

 朝日新聞は、どのように報じたのか? 同紙は、17年3月1日、夕刊で与那国島に関する記事を掲載。だが、驚くべきことにこの記事は、自衛隊配備問題にはほとんど触れず、マンガ家・かわぐちかいじの『沈黙の艦隊』に関する、与那国駐屯地司令との「漫談」を書いているのみだ。以後、今日に至るまで、朝日を始め、マスメディアは、自衛隊の南西諸島への配備にほとんど沈黙している。

10月5日(金)のつぶやき

2018年10月06日 | 主張